「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『ストーカー プロジェクト・ケルベロス』

第三話 「Love You to Death.」

 

 

 

 

 

**      **      **      **      **      **

 

 

『…ぐすっ…うっ…うえぇ……』

『泣くなよ。こんなの、たいしたミスじゃない』

 泣きじゃくるわたしの頭に、ネームレスが手を乗せてくる。

 銃声はいまだ止まず、PDAからはフリーダムの隊員たちが交わす無線通信の声が慌しく聞こえてくる。しかし、すくなくとも、わたしたち2人の任務はすでに終わったのだ。

 

 スコープのレティクルに捉えた標的の姿。距離を測り、狙点を修正し、引き金をひき絞る。訓練の通りに、正確に。

 レンズ越しにはじけ飛ぶリンゴの様子を脳裏に浮かべながら、黒いゴム張りのロングコートを纏ったバンディットの幹部の頭もまた、リンゴのように消し飛ぶのだろうか…わたしは恐怖と興奮が入り混じったような、奇妙な感覚を味わっていた。

 相手の生殺与奪はすべて自分の人差し指一つに委ねられており、しかも相手はそのことに気づいてすらいない。

 まるで神にでもなったかのような全能感。

 発砲、閃光。反動で銃身が跳ね上がり、スコープから標的の姿が見えなくなる。

 銃声の残響が耳の中に留まり続け、肩にじんわりと拡がる衝撃を感じながら、わたしはもう一度チークパットに頬をあてて、標的が倒れているはずの光景を目にするためにスコープを覗き込んだ。

[[おい、状況はどうなってる?]]

「マズイ、外した!第2班、第3班、狙えるか!?」

[[こちら第2班。だめだ、ここからじゃ狙えない。第3班、どうだ?]]

[[第3班、了解。すこし待ってろ、こっちで仕留めてみせるぜ]]

 金属的な耳鳴りに混じって、耳を疑う台詞がじんわりと脳髄に染みこんでくる。

 …外した?

 PDAから聞こえてくるロシア語はほとんど理解できなかったが、それでもネームレスの肉声から伝わってくる逼迫した態度から、自分が失態を犯した可能性を考えなければならなかった。

 殺したはずの標的は傷一つ負った様子もなく銃をかまえ、護衛についていた男たちがいっせいに周辺を警戒しはじめる。

 ギリ……

 悔しさを噛み締めながら、わたしはもう一度狙いをつけなおし、引き金をひき絞った。

 距離はさっきまでと同じ、狙いは間違っていないはず…!

 ダン。

 スコープの像が揺れ、排莢口から煤けた黄土色の薬莢がはじき飛ばされる。

 黒いコートの男はこちらの存在に気がついたのか、短縮型のAK…通称「クリンコフ」をこちらにかまえ、発砲してきた。

 …また外れた!なぜ!?

 ピュン、ピュン、耳障りな音とともに周囲の土や草がはじけ飛び、土くれが頬にはねかかる。

『さすがに位置がばれたか…ナターシャ、退くぞ。居場所の特定された狙撃手なんぞ、猟場の鴨に過ぎん』

 ネームレスがなにか言ったような気がしたけど、残念ながらその言葉はわたしの耳には届かなかった。

 頭にカッと血がのぼっていたわたしは、「シュッ」と弾丸が耳のすぐ横を飛んでいく擦過音を聞いてもなお、その場を動かずにスコープに視線を戻した。

 2発撃ったから残弾は8発、幸いSVDはセミオート式だから連続して発砲できる。こうなったら緻密に狙いをつけるのは諦めて、標的付近に素早く弾丸を叩き込むことで少しでも多く敵にダメージを与えなければ…!

 ダン、ダン、ダン、わたしは指切りで狙点のあたりに弾をばら撒いていく。

[[こちら第3班、狙撃に失敗…負傷した!この場から離脱する、オーヴァ]]

『おいナターシャ、脱出だ!聞こえなかったのか?これ以上ここにはいられない、すぐにこの場を離れるんだ!』

[[第2班より、こちらの位置がばれた。作戦の継続は不可能と判断、撤退する!以上]]

 当たらない、なぜ、なんで!?

 銃火の勢いは弱まることなく、敵のグループは離れた距離にいるわたしたちに向けて繰り返し発砲を続けてくる。

 なんで、どうしてなの、なんでなの!?訓練のときはあんなに上手くいってたのに!?

 わたしは混乱したまま、闇雲に引き金をひきまくった。

 ダン、ダン、ダン、ダン、ダン!

 もう弾が当たっているかどうかを確認することすら忘れて、わたしはひたすら弾倉が空になるまで撃ち続けようとし……

 ガツッ!

『なっ…え、えっ?』

 衝撃とともにスコープが視界から消え去り、手に馴染んでいた銃の感触が失われる。

 迷彩服のフードを掴まれて無理矢理立たされたとき、ようやく、わたしはネームレスに銃を取り上げられたことに気がついた。

『な、ちょ、えっ…どうして!?』

『1発撃って当たらんやつが、100発撃ったって当たるか!?』

 異議を唱えようとするわたしに、ネームレスが顔をぐいと近づけて言い放つ。

『自分はまだできる、なんて考えるな。死に急ぐだけだ、俺はそんなことのためにお前を連れてきたんじゃない』

 そう言って、ネームレスはわたしの背中を押し、無理矢理走らせた。

 背中を押して…そう、ネームレスはわざとわたしの背後に回っていた。弾丸が飛んでくる方角に回っていた。

 もし弾丸が正確にこちらに向かってきたら…弾が、ネームレスに当たったら。

 わたしは不意に戦慄を覚え、その場に踏み留まろうとする。

『ちょっと待って…待ってください!話を聞いてください、こんな無理矢理…』

『いいから走れ、なにも考えずに走れ!口を開くな、なにも言うな、命令だ!』

 ガスマスク越しに伝わるくぐもった声は怒気に満ち溢れていて、それは普段のネームレスの飄々とした態度からは想像もつかないものだった。

 一切の反論を許さない、断固とした口調。

 結局わたしはその迫力に気圧され、言われるがままに走り続けるほかなかった。

 銃声がすこし遠ざかり、相手からこちらへは射線が通らないだろうと判断したのか、しばらくしてネームレスがわたしの背中を押していた手をどけて、そしてすぐにわたしの肩を掴んだ。

 それをストップの合図だと判断して足を止めたとき、わたしはふっと力が抜けて膝から崩れてしまった。

『は、はぁっ…はぁっ……はぁ』

 しばらく荒い息を吐き続けながら、わたしは混乱した頭を整理しようとする。

『あ、あのっ…わたし、あの、任務、その、えぇと……』

 ばらばらになった感情を繋ぎ合わせようとしながら、どうにか言葉を口にしようとするものの、無意味な接続後しか出てこない。

 第一、なんて言えばいいんだろう?

 ごめんなさい?あるいは、自分はまだやれた、余計な手出しをする必要はなかった、とでも言うつもりだったのだろうか?

 舌がうまく回らずあたふたしているわたしを目前に、ネームレスは正面から相対すると、わたしと同じ目線で話せるようそっと腰を屈めた。

『理由は聞かない。わかってるつもりだ…だが、あれは2度とやるな』

 もう一度わたしの肩に手をかけて「ぐい」と自分のほうへ身体を引き寄せながら、ネームレスは淡々と、そしてはっきりと、そう言った。

 なるべく優しく言ったつもりかもしれない、冷静に受け止めることができるよう……

 一方でわたしは頭が真っ白になり、次いで、自分がなにを「やらかして」しまったのか、その点について考えた。

 そして導き出された答えは、一つ。

 自分は与えられた役割を果たせず、ネームレスの期待に応えることができなかったのだ。

『……ふ、ふえぇっ…』

 不意に、涙が溢れてきた。

『なに泣いてんだ。責めてるわけじゃない、誰にだって失敗はある。それにあの状況じゃ、ああするしかなかった。わかってくれるよな?』

 わたしを慰めるように、ネームレスが頭を撫でてくる。

 でも優しくされると、今度はミスを犯した自分自身が許せなくなり…余計に、涙がこぼれてくる。

 今回は訓練なんかじゃなく、実戦だった。ミスは許されないはずだった、それなのに…!

 もし、これがもっと違う状況だったら?たとえばネームレスが人質に取られていて、1発で相手を仕留めなければならないような状況だったら?そんな状況で外してしまったら、ネームレスは……

『うぇ、うえぇぇぇっ…ひぐっ、ひっ、ひん…ぐす、ぐすっ』

『泣くなって。たいしたミスじゃない、こんなの』

『で、でもぉっ…こんなんじゃ、わたし、ぐすっ、いつまで…たっても、あなたの役に、立てな……』

『…… …… ……』

 泣きじゃくるわたしを見つめながら、ネームレスはこれ以上言葉をかけるのを諦め、そのかわり、そっとわたしの細い身体を強く抱きしめてきた。

 ただ、ネームレスは本当のことを言っていなかった。

 実際はわたしのミスが、フリーダムにおける自分たちの立場を危ういものにする可能性がある、ということを。

 

 

**      **      **      **      **      **

 

 

「連中、狙撃されたとわかった途端、遮蔽物に身を隠して円周防御を敷きはじめた。的確にこちらの位置を把握し、素早く反撃してきた。腕も良かった、普通ならカラシニコフであんな距離は当ててこない」

「…言い訳は、それで全部か?」

「まぁ、そうなるな」

 単発式のグレネード・ランチャーを装着したAK74を抱えながら、俺はフリーダム基地でのチェコフとのやり取りを反芻していた。

「実際のところ、おまえを当て込んでいたのは確かだ。部下から聞いた話だと、たいした失態を犯したそうだな、え?」

「ミスは認める。だが、必要以上に責められる謂れはないな」

「私がわざわざ外部の人間を雇った理由を考えてくれ…仕事を確実なものにするため、腕利きに頼んだということだ。それだっていうのに、私の面目が潰れたことに対してフォローはしないってわけか?」

 あの、尊大な面構え。思い出しただけで苛々してくる。

 まったく、間もなくドンパチがはじまるっていうのに…俺はセイフティを外したライフルをかまえた状態で、大きくため息をついた。

 ダークバレー北部の操車場に展開している、フリーダム部隊の指揮官チェコフに誘われて参加した狙撃作戦。

 南部の農場を拠点にしているバンディットの幹部が護衛を連れて移動しているという情報を得たフリーダムは、道中で襲撃を仕掛ける計画を立てた。その内容は、丘陵地帯に潜伏してからの奇襲・狙撃。

 狙撃手と観測手の2名で構成された狙撃班3つを実行部隊として展開させ、そのうちの1つに俺とナターシャのコンビが組み込まれた。

 ナターシャを狙撃手に推薦したのは、他ならぬ俺だった。

 先日の訓練の仕上げ、実地訓練のつもりで、経験を積ませるために…距離はせいぜい200m、やってやれないことはない。そう思っていた。

 見通しが甘かったのは俺のほうだ。俺にナターシャを責める資格はない。

 実戦に勝る訓練はない、と言うが、それにしても急き過ぎた。

 そして、俺はいま…失態の尻拭いをさせられているところだった。

[[こちらハウンド1。ディンゴ、位置についたか?]]

「敵の目の前にいるよ。だから、でかい声を出すな」

 俺は緊張の面持ちで、ヘッドセットのマイクに向かって鋭く囁きかけた。

 音声はガスマスクの内にこもるはずだから、そうそう外には漏れないだろうが……

[[なんだよ、機嫌悪いなディンゴ?ババ引いたのは自業自得だって聞いたぜ]]

「やかましいよ。いま10倍にして返すから待ってろって、まったく…」

 無線越しの仲間に向かって言い放つ。

「それで、コヨーテ分隊はどうなってる?」

[[準備OKだとさ。あんたの銃声が聞こえたら、頃合を見計らって突入を開始する]]

「…了解」

 俺は深呼吸すると、グリップをきつく握る手をすこし緩めた。

 尻拭いの手筈はこうだ。

 数日前、操車場南の建物をバンディットが占拠した。そこはフリーダムの兵士数人が歩哨に立っていた場所で、それほど警戒していなかったこともあり、さしたる抵抗もできずに全滅したという。

 現在バンディットの巣窟となっているその場所を奪還すべく、今回フリーダムは大部隊を投入して襲撃する計画を立てた。

 ゾーンを巡る勢力争いにおいて、今回の作戦に戦略的な価値は低く、どちらかというと仲間のための弔い合戦…アンド、バンディットへの示威行為としての意味合いが強い。

 そして、今回の作戦で一番最初に敵の勢力下へ突っ込むのが俺の役割、というわけだ。

 建物北側の廃墟から突入し場を引っかき回し、敵の注意を俺に向けたところでフリーダムの本隊が別の場所から突入、一気に制圧する…というのが筋書きである。

 もし、フリーダム部隊の突入が遅れたら?考えたくもない。

 俺が度胸をなくして逃げようとしたときのために、チェコフは丁寧にも「逃亡者は銃殺刑」というオプションまでつけてくれた。つまり俺がケツをまくって逃げ出したら、そのときはフリーダムの賞金首リストに名を連ねるということだ。

 さすがに、フリーダムという組織を個人で敵に回したくはない。

 そういう隠微な状況だから、今回の作戦にナターシャは連れて来なかった。

 フリーダムの基地に待機させている…件の狙撃に失敗して以来、どうにも精神的に不安定な状況が続いているためだ。そうでなくとも、今回の作戦はかなり危険なもので、半人前の少女が同行するには荷がかちすぎる。

 もし俺がしくじったとしても、ナターシャが追求を受ける可能性はほとんどないだろう。バンディットならいざ知らず、フリーダムは見せしめに関係者をどうこうするほど落ちぶれちゃいない。

 やれやれ、こんなことを考える羽目になるとは!またぞろため息をつくと、俺はマイクに向かってつぶやいた。

「こちらディンゴ、突入する」

 しかし、今回の作戦に使用するコードネームがディンゴに、ハウンドに、コヨーテか…犬ばっかりだ。どうせならチワワとか、シバイヌとかにすればいい。

 そんな下らないことを考えながら、俺はバンディットの領域に足を踏み入れた。

 

 大きく開放された車庫の入り口から侵入し、息を潜めて周囲の様子を窺う。

 あまり警戒していないのか、それとも立地や建物の構造をよく理解していないのか、バンディットの部隊はあまり広範に展開していないようだ。そういえば、歩哨の姿もほとんど見えなかった。

 とすれば、人員のほとんどは建物の中にいるということか。

 篭城されるとやっかいだな…俺は内心で舌打ちする。

 南の工場へと続く煉瓦造りの宿舎は縦に長く、小部屋が多い。おまけに地下もあると聞いている。攻める側にとっては不利な構造だ。

 小部屋をすべて捜索している余裕はなかった。時間的にも、人員の面でもそうだ。

 恐れるべきは、クリアしたはずの部屋に敵が残っていた場合だ。背中から撃たれでもしたら、それを回避する術はない。

 不慮の事態を避けたいなら、感覚を研ぎ澄ますほかに方法はなかった。

 俺は階段を上りながら、手にしているAKのセレクターが一番下にセットされているのを確認する。つまりセミ・オートだ。

 カラシニコフ系のライフルのセレクターは上がセイフティ、真ん中がフル・オート、下がセミ・オートだ。世代や型、生産国が違ってもそれが変わることはない。そのことさえ知っていれば、咄嗟にセレクターの位置を確認したとき、たとえ刻印がキリル文字だろうと、ハングル文字だろうと、あるいはヘブライ文字で書かれていようと、慌てることはない。

 今回セミ・オートにしてあるのは、無駄撃ちを控えるためだ。たいていの人間は1発撃たれればショック症状で動けなくなるし、入り組んだ建造物内での交戦でもっとも恐ろしいのは弾切れだ。

 それに、フル・オートで撃ったからといって、それだけ弾が当たりやすくなるわけじゃない。

 1発づつ撃つのと、連続して何発も撃つのと、コントロールが容易なのは前者に決まっている。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、というのは間違いではないにしろ、無駄弾は少ないに越したことはない。

 宿舎に通じる渡り廊下を進みながら、俺はふと窓の外に目をやった。

 南側にある工場の正門には、数人の歩哨が配置されていた。AK47らしき銃を手にぶらぶらと歩く姿から真剣味は感じないにしろ、フリーダムの部隊の接近に気がつかないほど間抜けではないだろう。

「こちらディンゴ。コヨーテ分隊が突入予定の南側入り口だが、歩哨が数人立っている。武器は旧式のカラシニコフ」

[[こちらハウンド1、了解。伝えておくよ…ところで、そっちで歩哨を排除することはできないか?]]

「そいつはサービス外だ」

 そこまで面倒見きれるか、と思いつつ、ここいらで多少恩を売っておくのも悪くはないかもな、と考え直す。

 俺は窓を銃床で叩き割ると、銃口を突き出しておおざっぱに狙いをつけた。

「(すこし遠い…が、狙えない距離じゃあないな)」

 AKのハンドガード下に装着されたGP25(擲弾発射器)の小さなグリップに左手を添え、引き金をひく。

 ズボンッ、やや間の抜けた独特な発射音とともに、グレネード弾が白煙を上げて飛翔した。

 爆発するのを待たずに窓から離れると、俺は遠くで爆発音がするのを聞きながら再装填を行なう。最初から1発しか撃つつもりがなかったから、結果が変わるわけでもないのに爆発の瞬間を悠長に見届ける意味はない。

 この攻撃は本来予定にない行動だったが、フリーダムに恩を着せるほかにも、陽動になれば…という目論見からだ。

 ただ悪戯に相手の警戒を煽るだけの可能性もあるから、あまり褒められたものではないが。

 きちんと装填できたのを確認してから(以前、押し込みが足りず弾が銃身内の中途半端な位置で止まってしまい、いくら引き金をひいても発射できず「故障した」と勘違いしたことがある)、俺は身を翻して宿舎内に突入した。

 吹き抜けになっている階段に到達したところ、急に飛び出してきた誰かと身体がぶつかってしまう。

 …まさか、味方じゃあないよな?

 そう思って引き金をひこうとしたとき、相手が俺のかまえているAKの銃身を掴んできた。

「なっ!?」

 突然の相手の行動に驚きながらも、俺はそのまま引き金をひく。

 ダン、ダンッ!

 銃身を掴んだまではいいが、銃口を逸らすことにまで意識が向かなかったらしい相手の胸部に向けて連続して銃弾を撃ち込み、その手を振り払った。

 必要あらばとどめの銃弾を撃ち込むつもりで、倒れた相手の姿を観察する。

 全身を黒のカラーで統一した装備、肩に刺繍された髑髏の部隊章はたしかにバンディットのものだ。目出し帽の奥の瞳が、哀願するように俺に向けられている。

 ダン。

 倒れた男の眉間に銃弾を撃ち込んでから、俺はその身体をまたいで先へと進んだ。

 確実にとどめを刺すのは、過去に一度、殺したと思った相手に背中を撃たれて以来の習慣だ。あのときはまだ「ネームレス」ではなく、ゾーンのルールに染まっていもいなかった。いま思えば、あれが転機の一つだったのかもしれない。

 そんなことを考えながら、崩れた足場に乗せられた渡し板に足を乗せたとき、「ギイイィィィッ…」と不穏な音がした。

 おいおい、壊れて底が抜けるんじゃあないだろうな。

 いまの俺は4階ほどの高さを歩いている、落下したらひとたまりもない。いや、それより今の足音で……

 ダダダダダダッ!!

 咄嗟に壁際に隠れたのとほぼ同時に、俺がさっきまでいた場所に銃弾が撃ち込まれる。

 位置がばれたか。まぁ、当然か……

 銃声の軽さと着弾のインパクトの小ささから察するに、ライフル弾ではないな。サブマシンガンか、ボルトの動くがちゃがちゃした音がしなかったから、MP5か?

 意外に思われるかもしれないが、ヨーロッパ製の工作精度の高い、高価な銃として有名なMP5サブマシンガンは、ゾーンではかなりメジャーな火器だ。というのも、いまなお各国の法執行機関に配備されているMP5ではあるが、そもそも生産がはじまったのが1960年代であり、ゾーンで使用されているのは、装備更新によって払い下げになったジャンク同然の使い古しが、第3世界を回りまわって流れてきたものなのだ。

 そういうわけだから、本来の命中精度など期待できるはずもなく、もともと部品点数が多い繊細な構造だから、いつ故障してもおかしくない。それに、ゾーンで活動する無頼者の多くはメンテナンスに頓着しないから、倍率ドンだ。

 もっとも交戦中に相手の銃の故障を期待するほど俺は楽観的ではないが、それでも自分が使いたいとは思わない火器の1つではある。

 ダン、ダン、ダン!

 壁越しに銃口だけ突き出して数発撃ち込み、様子を窺う。

 すると、即座にフルオート火器での弾幕の応酬があった。銃弾が煉瓦の壁を削り取り、細かい破片や粉塵があたりに飛び散る。

 相手との距離はかなり近い。

 こいつは使えないな…俺はGP25の銃口を一瞥し、ベストのポーチから手榴弾を1つ取り出した。

 ロシア製のRGD5。設計自体は60年以上も前のものだが、現代でも紛争地帯などでよく見かける代物だ。

 遅延信管は…3秒から4秒。正確にどっちか、ということはない。まったくロシア人め、なんて大雑把なんだと俺は毎回思う。バリエーションとして遅延信管が10秒以上もあるものから、ブービートラップ用に1秒しかないものまで存在する。

 そういった変り種にお目にかかることはそうそうないのだが、厄介なのは、そういう性能の違いが外見から判断できないということだ。

 せめてアメリカ製なら、こんなくだらないことで悩む必要はないんだが…などと思いながら、俺は安全ピンを抜いてレバーをはね飛ばした。

 敵との距離は非常に近い、投げ返されたりしないようギリギリまで投擲するのを待つ必要がある。

「ワンサウザンド・ワン…」

 俺はアメリカ式に秒数を数えてから、壁越しに手榴弾を放り投げた。

 そのときの俺は気付いていなかったのだが、実は壁の向こう側にいるバンディットの1人も、こちらに向かって手榴弾を投げようとしていたのだ。

 信管を作動させてから爆発するギリギリまでの時間を待ってから投擲する、などという知識のないバンディットが手榴弾のピンを抜き、即座に投げようとしたそのとき、俺の放った手榴弾がそいつの足元に転がりこんだ。

「…やべェ、落とした!?」

 まさか「先に投げられた」などと考えもしないバンディットが、自分が手にしているのと同型の手榴弾が爪先に「コツン」と当たったのを目にし、次いで自分が後生大事に握り締めているモノを見つめ、「はてな?」と首をかしげる。

 しかし、そいつの周りにいたバンディット達はいち早く状況を理解したようだった。

 急に逃げ惑う様子を見せる仲間の背中を見つめながら、とりあえず自分がピンを抜いた手榴弾を投げようとしたそのとき、そいつの足元に転がっていた手榴弾が破裂した。

 ズドンッ!

 まともに爆風の煽りを喰らったバンディットは、背中から体当たりをぶちかまされたみたいに正面に向かって吹っ飛び、俺の真横を通り過ぎて吹き抜けから階下に落下していった。

 落ちながら、崩落した床にかけられていた渡し板に激突し、そいつを突き破ってさらに落下していく。

 全身に木片が突き刺さった状態で、血を流しながらバンディットが地面に激突する。まともに頬から接地したせいで首がおかしな方向にひしゃげ、そのままぴくりとも動かなくなった。

 手榴弾が期待通りの効果を発揮したことを確認した俺は、すぐさま壁から飛び出そうとした。だがそのとき、さっき横を通り過ぎて落下していったバンディットが投げ損ねた手榴弾が床に転がっているのを目視し、慌ててその場に伏せる。

 ズドンッ!

 2度目の爆発は俺のすぐ近くで起きた。

 爆音と衝撃波で鼓膜が悲鳴を上げ、激しい耳鳴りとともに聴覚が仮死状態に陥る。

 破裂した手榴弾の破片というのは、上方に向かって飛散する性質がある。だからこそ「伏せる」という動作は極めて有効的な対処なのだが、それでも至近距離で爆発が起きれば、負傷せずにいられる保証はない。

 混濁する意識をハッキリさせるため、俺は自らの頭を拳で乱暴にガンガン叩きながら、なんとか立ち上がった。

 フードの端が切り裂かれたものの、手足はくっついている。細かい外傷はあるかもしれないが、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。

 とりあえず五体満足でいる俺とは対照的に、バンディット達は酷い有り様になっていた。

 金属片でずたずたに切り裂かれ、衝撃波で肉体がぼろぼろになったバンディットの頭部に的確に銃弾を送り込んでいく。一時的な聴覚障害に陥っているせいで銃声が聞こえないが、閃光とともにバンディットが血飛沫を上げてぐったりする様子を見る限り、不発は起こしてなさそうだ。

 近くにいるバンディット全員を冥土送りにしたあと、俺は自分が今まで何発撃ったか数え忘れていたことに気がついた。

 AKはボルトのホールド・オープン機構がないから、弾切れを起こしてもすぐにそれとは気がつきにくい。ビデオゲームのように頻繁に再装填を繰り返すわけにもいかない以上、西側の銃と比べて残弾の把握はそれなりに重要になってくるのだが……

「…まぁ、なんとかなるか」

 どちらかというと、残弾云々に心を煩わせるあまり、こんな場所で足を止めることのほうが危険だ。言うまでもなく。

 聴覚も徐々に元に戻ってきているし、このまま一気に制圧といくか…そう考え、足を踏み出そうとした俺の背後で、手榴弾の被害から逃れていたバンディットが銃を構えていたことなど、気がつくこともなく……

 バシッ!

 不意に背後から炸裂音がしたのを聞いて、俺は慌てて振り返る。

 そこには直立したまま顔の半分を失い、無くしていない方の顔が「いったい何が起きたんだ?」と問いかけてくるような表情で俺を見返しているバンディットの姿があった。その手には、安全装置の外れたUZIが握られている。

 立ち居地からして、窓の外から狙撃されたのだろう。もう少し後ろに下がっていたら、窓の外から見えない位置にいたとしたら、死んでいたのは俺のほうだ。

「この傷…大口径ライフル弾か」

 おそらく、7.62mm…39?いや、銃声のタイミングが遅かった。39は狙撃に使うような弾じゃあない。だとすると、54Rのほうか。モシン・ナガンか、ドラグノフ…ドラグノフだって?

 そもそも、なんで狙撃要員がこの作戦に参加しているんだ?

 答えは一つ。狙撃手が、そもそも最初から作戦に組み込まれていない人員だからだ。

『…大丈夫?』

『ナターシャ……』

 ヘッドセット越しに聞こえる少女の声に、俺はどう答えていいかわからなかった。

 なぜここにいる、俺がわざわざ基地で待機しているよう指示した理由を考えなかったのか…そう怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られたが、俺は寸でのところで言葉を飲み込んだ。

 ナターシャ自身に悪気はないのだろうし、なにより今の射撃に俺が命を助けられたのも事実だ。

 それに、ナターシャもわかっててやっているに違いないのだ…自分が、決して褒められるような行動を取っているわけではない、ということを。

 だから俺は控え目に、兵隊が兵隊に対して言うように、言った。

『良い腕だ』

『あ、あの…』

『だが、よく聞いてくれ。俺はこれから工場内部に侵入する。狙撃手が的を狙えるような立地ではないし、外に逃げた敵の掃討は、別方向から展開しているフリーダムがやってくれるだろう』

『でも』

 食い下がろうとするナターシャに、俺は苦笑しながら話を続けた。

『どうせ観測手もつけてないんだろう?そこにいても危険なだけだ、基地に戻ってろ。そうだな…この作戦も、もう詰めの状況だ。俺もすぐに戻るさ』

 その台詞には、多少の嘘が含まれていた。すぐに終わる、というのは根拠のある発言ではない。

 当然、ナターシャもそのことを見抜いたのだろう。バレバレの嘘だ。ヘッドセット越しに彼女の不満と不安が入り混じった息遣いが聞こえてくるが、それでも、彼女は俺の意向を尊重することに決めたようだ。

『わかりました、これから撤収します。あなたも…早く戻ってきてくださいね』

『ああ。後でな』

 そう言って交信を終え、俺は銃を構えなおす。

 そのとき、外から妙な音が聞こえてくることに気がついた。何かの唸り声のような…違うな。もっと機械的な「何か」だ。

 考えるまでもなく、すぐにそれがヘリのローター音であることがわかった。間もなく音がうるさいほど近くなり、さらにそれとは異なる炸裂音が鳴り響く。

 ドガドガドガドガッ!

 炸薬入りの機関砲弾が周囲に着弾し、破砕された煉瓦片が飛び散る。粉塵で視界が奪われる中、俺は弾が自分に当たらなかったことを幸運に思いながらも、まだ形を保っている壁の影に飛び込んだ。

『ネームレス、大丈夫!?ねぇ、ネームレス!』

『おう。まだ生きてるよ』

 必死の形相で叫んでいるに違いないナターシャに向かって、俺は軽く答える。

 それにしても、いったいどこの誰だ?あんなデタラメな攻撃を仕掛けてきたのは?フリーダムの仲間か?

「こちらディンゴ、なんだいまの攻撃は?建物には俺もいるんだぞ!?」

[[こちらハウンド1、アレは俺達のじゃねぇ!あのクソはデューティのだ!]]

「デューティだと!?」

 俺は驚愕の声を上げる。

 デューティといえば、「ゾーンに秩序をもたらす」を標語に活動している、元軍人ばかりで組織された集団のことだ。規律をなによりも重んじる彼らは、自由奔放なフリーダムとは犬猿の仲として知られている。

 しかし、それがなんだってこんな場所にいやがるんだ?

 少しだけ壁から顔を覗かせ、俺はヘリの機影を見つめる。軍用のハインドP型。

 しばらく上空を旋回したのち、ふたたび建物を正面に捉えて静止したハインドの拡声器から、デューティのものと思われる声が周囲一帯に響き渡った。

[[アナーキストにバンディットども、このゾーンに巣食う蛆虫各位に告ぐ!ただいまより我々デューティが、貴様らに向けて正義の鉄槌を下す。地獄の底で神に詫びるがいい]]

「まったく…恐竜並にデカくてハードなクソだな」

 俺がそう言った瞬間、ハインドの両翼に装備されているロケットポッドが一斉に火を噴いた。

 ズドドドドガガガガガンッッッ!!

 無遠慮に放たれたロケット弾が周囲一帯を火の海に包み、なにもかもを薙ぎ倒し破壊していく。

『えっ?わ、わっ……』

 ナターシャの慌てる声を耳にした直度、ヘッドセット越しに爆音が響く。続いて、「ザーーー」という雑音。

『おい、ナターシャ!?』

 まさか、流れ弾を喰らったのか!?

 そう思った直後、俺自身も爆風に煽られて吹っ飛び、乱暴に地面に叩きつけられた。爆発に巻き込まれるのは、今日はこれで2回目だ。

『畜生め、なんだってんだクソが…』

 思わず日本語で悪態をつきながら、俺はずれたヘッドセットの位置を直すためにガスマスクをかなぐり捨てた。

『なんだよこのマスク、ボロッボロじゃねぇか』

 どうやら爆発のときに損傷したらしい、愛用のガスマスクはゴムの部分が裂けてまったく使い物にならなくなっていた。さらにベルトも何本か千切れており、レンズも損傷している。もう修理して使い回せるレベルじゃない。

『畜生、ガスマスクも結構高いんだぞ…』

 だが何よりも今は、ナターシャの身の安全が気になる。

 ふたたびナターシャとの通信を試みようとしたとき、別の声が聞こえてきた。

[[こちらハウンド1、ディンゴ生きてるか?]]

「死んでるよ。お前、どうやって地獄にいる俺と会話できてるんだ」

[[ふざけてる場合か!いま基地のほうでありったけのRPGとスティンガーを集めてる、あの空飛ぶ戦車はこっちで何とかするから、お前、動けるようなら工場にいるバンディットのリーダーを始末してこい]]

「なんで俺なんだよ、コヨーテはどうした」

[[コヨーテはいまの攻撃で甚大な被害が出てる、おまけに脱出路を確保するために建物から出たバンディットの大多数と鉢合わせて火の車だ。いまなら工場内は手薄だし、お前は単独だから身軽に行動できる。こういうのは得意だろう]]

「ダメだ、急用ができた。俺はいますぐここから離脱する」

[[それは許可できないディンゴ、コヨーテと合流前に建物から出たら銃殺刑だぞ。なにか理由があるなら言ってみろ]]

「…クソッ、ウチの若いのがさ…援護狙撃してくれてたんだが、さっきの攻撃に巻き込まれたらしいんだよ。たぶん、南東の丘だと思う。PDAの信号受信コードを教えるから、探してもらえないか」

[[なんでそんな面倒臭いことになってるんだ?まぁ、いい。対空チームも丁度その場所に集まる予定だったんだ、見つかるよう出来るだけ努力はしてみる]]

「頼むよ」

 フリーダムとの交信を切り、俺はふたたびナターシャとの通信を試みる。だがスピーカから聞こえるのは、相変わらず単調なノイズだけだ。

 PDAから位置情報を確認してみたところ、俺の予想通りナターシャは南西の丘陵から狙撃していた。だが、信号が動く気配がない。まさかまだ留まって狙撃を続行するわけはないし、やはり殺られてしまったのか。

『クソッ』

 俺が壁を殴りつけると、先の爆撃で脆くなっていたのか、ばらばらと砕けて散ってしまった。

 とにかく、今はバンディットのリーダーを片づけるしかない。俺は少し躊躇ってからAKの弾倉を交換し、ぼろぼろの身体を抱えて立ち上がった。顔のあちこちから出血していて、鼻も血で詰まっている。やたらと呼吸が苦しかったが、我慢するしかなかった。

 粉塵と瓦礫、火と死体。歩いていて目につくのはそんなのばっかりだ。

「こちらディンゴ。なあ、ハウンド1」

[[なんだ、ディンゴ]]

「人間の焼ける匂いと豚肉料理の匂いが同じだって言ったの、アンディ・マクナブだっけ?」

 返信はなかった。ナイーブなやつだ。

 俺は渡り廊下を駆け抜け、工場内部へと侵入した。

 バンディット達はついさっきまで俺達を迎え撃つために手ぐすね引いて待っていたはずだが、今では混乱の極みに達していた。このどうしようもない状況の中でぎゃあぎゃあと喚き立てながら、早く逃げるの、逃げないのと言い争っている。

「なあおい、早くズラからないとまずいって!このままだとフリーダムの連中に殺られるまでもなく、火に巻かれてオダブツしちまうぞ!」

「ダメだ、まだボスが資料をかき集めてる最中なんだからよ」

「だいたいなんだ、その、資料ってのは。金になんのかよ?」

「俺が知るかよ。なんでも、X研究所?だかって…政府の秘匿研究所に関する資料らしいけどな。ボスはインテリだからよ、なんかスゲー考えでもあんだろ」

「モスクワ大学出だっけ?それにしても、そんなのがなんだって俺らのボスなんかやってんだかなぁ」

 バカでかい声で話してくれるおかげで、煙と粉塵で前が見えなくても、バンディット達がどこにいるのかが丸わかりだった。

 それにしても、ちゃんと目的があってこの場所にいたとはな。X研究所?なんだ、それ?

 俺は素早く移動しながら、こちらの正体がバレるギリギリの位置まで連中に接近した。この際、多少の物音を立てても怪しまれることはないだろう。

 視力が役に立たない以上、バンディット達には直前まで俺が味方の1人か、そうでないかの判断ができないはずだ。それに対し、俺には付近にいる全員が敵だとわかっている。数の差さえ考えに入れなければ、俺のほうが有利だ。

「よぉ、兄弟」

「なんだ?」

 声をかけられて振り向いたバンディットの顎に銃口を突きつけ、引き金をひく。

 ズダンッ!

 下顎を撃ち抜かれたバンディットは四肢が硬直したように固まり、そのまま床にバッタリと倒れた。

 その動きに合わせるように俺も床に伏せ、ごろごろと転がりながら移動する。

「おい、なんだ今の銃声は」

「誰が撃った!?」

 いいぞ、連中はまだ今のが誤射か襲撃なのかが判断できていない。

 続けて目についた何人かに銃弾を浴びせる。

 ダダン、ダダン、ダダン、ダダンッ!

 指切りで2連射づつ、棒立ちのまま周囲を警戒しているバンディット達をダブルタップで沈めていく。

「クソ、敵か!」

 バンディット達はようやく敵襲だと理解したようだ。だが、まだ甘い。煙で足元が見えないからといって、そもそも地面を見ようとしていない。視線が高い位置のまま、それじゃあ俺は見つからない。

 おまけに、ズドン、俺が転がっている場所から離れた位置で銃声が聞こえる。この視界の悪さでついに同士討ちまではじめたようだ。

「おい、お前の後ろにいるぞ!」

「エッ?」

 ダン、ダンッ!

 俺の言葉に惑わされたバンディットの背中に銃弾を叩き込む。

 もう、だいぶ数を減らしたはずだがな…俺はそろそろと立ち上がり、周囲を警戒しながら前進した。

「あっ、お前!」

 ダン。

 俺の姿を見て驚くバンディットを素早く撃ち倒し、床に転がったそいつの身体を跨いでロッカールームを抜ける。

 フリーダムの連中から事前に聞いた話では、この先に所長室があるはずだった。まだゾーンが存在せず、この工場が正常に稼動していた頃に、この工場で一番偉い人間がふんぞり返っていた場所、ということだ。

 もともと上の立場の人間が使っていたというだけの理由ではあるが、かつてこの場所を占拠していた幾多のグループのリーダー達は、例外なくその部屋を私室として利用していたという。もちろん、深い考えがあってのことではないだろう。

 そういうわけだから、現在この場所を占拠しているバンディットのリーダーだけが例外的に所長室を利用していない、というのは有り得なかった。頭が良かろうが悪かろうが、人間なんてのはそうそう考えることは変わらない。

 俺が所長室に突入しようとしたとき、幾つもの「シューッ、シューッ」という音と同時に凄まじい爆音が響いた。

 ズガシャアーーーーンッッッ!!

 壮絶な爆音とともに地面が揺れ、俺はもんどりうって倒れてしまった。AKが手から離れる…スリングが回転し、肩にかかっていたAKが背中に回ってしまう。

 立て続けに、ゴン、ゴン、ゴン、巨大な金属板が地面を繰り返し叩く音がした。

 どうもあれは…ヘリが墜落したっぽいな。いま聞こえてるのは、回転するローターが土を掻き出してる音か。

 とすると、その前に聞こえた「シューッ、シューッ」って音はロケット弾の飛翔音だろう。どうやらフリーダムの対空チームがデューティのヘリを片づけてくれたようだ。

「よっ、と……」

 起き上がろうと身を起こした俺の視界に、所長室で倒れている男の人影が写る。

 男の周囲に散らばる、大量の書類。何かの図面か、設計図のようなものも見える。男の服装は黒のレインコート、フードの奥の瞳が、俺を見返している。

 目が合った……

 呆気に取られていた男の目つきが鋭くなり、右手に握られていた小型のマカロフ拳銃の銃口が動く。

 俺は倒れたまま、背中にごつごつした感触を与えるAKの存在を思い出し、右手を素早く動かした。

 本能は背中のAKではなく、コートの上に着用しているアサルトベスト前面のホルスターに収められたブローニング・ハイパワーに手を伸ばした。拳銃のグリップが手に馴染む、と同時にストラップを外した左手を添え、両手保持で引き金をひいた。

 パン!

 パカン、パカン、パカン、パカン、パカン!

 最初に撃ったのは黒いレインコートの男…バンディットのリーダーのほうだった。ずんぐりしたマカロフ弾は俺のはるか頭上、ロッカーの側面に命中し、甲高い耳障りな音を立てる。

 その直後、バンディットのリーダーがもう少し俺に近い場所を狙って発砲しようとしたとき、俺が立て続けに放った9mmパラベラム弾がそいつを襲った。2発が胴体に、もう1発が顎に命中する。

 顎に命中した弾はそのまま喉頭を突き抜け、脊椎を避ける形で首筋から突き抜けていった。

「ガァ…あがっ、が、がぁはああぁぁぁぁ……」

 喉に穴が空いたバンディットの男は大きく目を見開いたまま、喉元をおさえて大量の血を吐き出し続ける。どうにかして呼吸しようとしているのだろう、が、無駄なあがきだ。

 そのまま自分の血で溺れ死ぬか、それともどうにか我慢して失血多量で死ぬか。

 だが、さすがにそこまで待つのは残酷だし、悪趣味だ。たとえ、死は逃げないにしても。

 俺はむっくりと起き上がり、ブローニング・ハイパワーをホルスターに差し込むと、背中に回っていたAKをくるりと回して持ち直した。あまりの苦しさに目がかすみはじめているバンディットのリーダーの即頭部に向け、1発。

 ダン。 

 排出された黄土色の空薬莢が木製の床タイルの上に落ち、カツン、コロコロ、という乾いた音を立てる。

 それが、任務終了の合図となった。

 足元でどんどん血の染みが広がっていく書類の数々を見つめていたとき、俺の後ろでドカドカと重武装した男たちが踏み込んできた音が聞こえた。金属板入り軍用ブーツが立てる独特の音だ。そして、ガチャリ、と銃をかまえる気配。

「フリーズ…プリーズ」

「笑えない冗談だな。俺だ、ディンゴだよ。全部片付いた」

 おそらくフリーダムのコヨーテ分隊だろう、緑色の迷彩服に身を包んだ男達に、俺は軽く返した。

「思ってたより早かったな。階下の連中は全員片付いたのか?」

「ああ。全員パニくった状態で出てきたからな、射撃の的には丁度良かった」

 そう言って、ニヤリ、笑みを浮かべると、男…コヨーテのリーダーは銃を下ろした。

 手にしていたのは西側のM16だった。見たところ旧式のA3のようだが、東側の火器が多いゾーンでは珍しい。もっとも入手の利便性云々よりは信頼性の問題であり、大半のゾーン滞在者は頑丈で故障しにくいAKを選ぶからだ。MP5のような例外もあるし、M16もAKと同じくらい紛争地ではメジャーな火器なので、レアものというわけではない。

 そういえば、フリーダムの武器が西側仕様で統一されているのはスポンサーの意向だと聞いたな。詳しくは教えてもらえなかったが…などと考えていると、コヨーテのリーダーがじっと俺のことを見つめていることに気がついた。

 違う、俺じゃない。俺の背中、バンディットのリーダーだ。

 そこで俺は、少しトチッたかな、と不安になった。書類のことだ。いま血まみれになって読めなくなっている書類の数々は、バンディットのリーダーが土壇場で持ち出そうとしたものだ。もし価値のあるものなら、フリーダムもそれを狙っていた可能性がある。

 コヨーテのリーダーが俺の脇を通り過ぎ、大股でバンディットのリーダーの死体に向かっていく。

 すぐそばまで行って屈み、バンディットのリーダーの頭を掴んで一言。

「胸に2発、喉に1発、頭に1発。やり過ぎだぜ」

「そうか?」

「こいつ、喉押さえてんな。窒息しかけてたのか。わざわざトドメ刺したのか、おせっかいなやつだなあ」

 そう言ってコヨーテのリーダーは、バンディットのリーダーの血塗れた頭を床に叩きつける。血が飛び散り、書類がさらに血まみれになった。

 どうやら、さっきの俺の心配は杞憂だったようだ。

 俺はなるべく素顔を見られないようフードを目深に被ってから、工場を出た。死傷者を運び出し、バンディットの死体から戦利品を漁っているフルーダムの隊員達を厳しい目つきで睨みながら、俺はロケット擲弾を背負っている奴がいないか探しはじめた。

 忘れるはずもないが、まだ俺にとって任務は終わっていないのだ。

 しばらく蛇のように目をぎょろつかせていると、先方のほうから俺を見つけてきた。

「あんた、ネームレスか」

「ああ。俺の小さい相棒は見つかったか?」

「いや」

 ばかにでかいカール・グスタフを背負ったフリーダムの兵士は首を振ると、俺に右手を差し出してきた。その手には泥で汚れたPDAと、ナターシャがいつも頭にかけていたゴーグルが握られている。

 よくよく相手の表情を慎重に観察しながら、俺は彼に問いかけた。

「見つかったのはこれだけか?」

「ああ。だが、死体も見つからなかった。すぐ近くにロケットが着弾したらしい、地面が大きく抉れていたよ…おかしいよな。普通は血とか、身体のパーツとかさ、何らかの痕跡は残ってるもんだろ?でも何もなし、さ」

「そうか」

 どうやら相手は嘘を言っていないようだった。

 ろくに調査もせず適当に誤魔化そうとしていたら全力でブン殴ろうと考えていたが、その必要はないらしい。

 俺はPDAとゴーグルを受け取り、フリーダムの対空チームのメンバーに礼を言って別れると、さっそくPDAのスイッチを入れた。間違いなくナターシャのものだ、ということはすぐにわかった。だが、それ以上の手掛かりは何もない。

 現場から離れた…自力で脱出したわけではないだろう。恐らく、何者かに保護されたに違いない。

 在野のストーカーか、あるいは、最悪の場合デューティでもいい、そういう連中なら面倒や間違いが起きることはないだろう。

 だが、そうでないとしたら……

 不吉な予感を拭いきれないまま、俺はフリーダム基地にいるハウンド1に連絡を取った。

「こちらディンゴ、ハウンド1…頼みがある」

[[なんだディンゴ、お前の相棒ならさっき対空チームに…]]

「いや、それはいい。それとは別に、いま周辺に展開しているフリーダム以外の部隊がいないかどうか、調べることはできるか?」

[[ダークバレー各地にいる仲間に連絡を取れば、だいたいは把握できるはずだが…なぜだ?]]

「バンディットの撃ち漏らしがいないかと思ってね」

 俺のその一言は、単なる方便でもなかった。ただ、一番考えたくない可能性ではあったが。

 

 

**      **      **      **      **      **

 

 

 はじめて耳にした銃声は、とても甲高く、そして不快なものだった。

 怯えるわたしのすぐ目の前で、後頭部に風穴を空けたドミトリが血を吹きながら倒れる。わたしが生まれてからずっと、母とともに面倒を見てくれていた彼は、たった1発の銃弾で、物言わぬ亡骸になってしまった。

 

 わたしの父は、モスクワを拠点とするマフィア・ファミリーの長だった。父は愛人だった母との間にわたしという子を儲けると、すぐに母とわたしを日本に移住させた。

 それはなにも、世間体を気にしてとか、母を愛していなかったとか、そういうわけじゃない。

 敵対組織と抗争中だった父は、なによりも母とわたしの安全を優先して距離を置いたのだ。なにより、父が一番信頼していた部下のドミトリを護衛につけたのだから、間違いはない。

 わたしたち母娘の移住先に日本を選んだのは、安全な場所だったからというのもあるし、父が親日家だったこともある。

 父はたまに日本にいるわたしたちに会いに来てくれた。父は優しく、わたしの目からはとても犯罪組織のボスには見えなかったのを今でも憶えている。たどたどしいロシア語で話すわたしに、父は流暢な日本語で返してくれたっけ。

 しかし父の訪日も、年を追うごとに回数が少なくなっていった。組織間の抗争の激化がその理由だった。

 そして半年前、父は死んだ。敵対ファミリーによって捕らえられ、処刑されたのだという。その一報を受けたドミトリは、学校から帰ってきたばかりのわたしに「いますぐこの国を離れなければならない」と言ったのだ。

『すでに、我々の所在は敵対組織に露見しています。すぐにでも出国の準備をしなければ』

 その言葉に、わたしは納得ができなかった。

『父が死んだのなら、なぜわたしたちが逃げなければならないの?だって、もうファミリーの指導者がいなくなったのなら、敵対組織も目的を果たしたんじゃないの?』

『その通りです。しかし、マフィアの抗争というのは、それだけでは済まされないのです』

 できることなら、答えたくない疑問だ…そんな思いを秘めているかのように、ドミトリは苦々しく吐き捨てる。

『見せしめが必要なのですよ、今後何者も逆らおうなどという気を起こさせないように。そして、そのためにもっとも有効的な手段が、容赦のない、徹底した、血の一筋も残さない一族郎党皆殺しなのです』

『そんな、ひどいよ…私たち、なにも関係ないのに…!』

『そう、そしてボスも、お嬢様と母上のイレーナ様を決してビジネスに関わらせないよう、細心の注意を払っておりました。我が身になにが起きても、お二人だけは巻き込まないようにと。しかし…』

 そこまで言って、ドミトリは言葉を詰まらせた。

 そして、わたしたち2人は日本を出ることになった。母は…日本に残った。どうにかして一緒に日本を出ようと説得したけど、母は耳を貸そうとはしなかった。

『あの人がいないのなら、もう、この世界に私の居場所はないから』

 わたしは、母と父の馴れ初めを知らない。だから、母が何を想ってそんなことを言ったのか、わたしには理解できない。すくなくとも、わたしやドミトリのことを考えてこそ日本を脱出しよう、という気はまったくないようだった。

 悲しみと混乱の只中で、わたしとドミトリは機上の人となった。向かう先はウクライナ北部、「ゾーン」と呼ばれる隔離区域。

 ゾーンとは2006年に2度目の爆発事故が発生したチェルノブイリ原子力発電所周辺の俗称で、高い濃度の放射線が周囲一帯を覆っているほか、突然変異を起こし凶暴化した野生動物や、数多くの怪奇現象が確認されている謎の多い場所と言われている。

 もっとも、日本で普通の学生として暮らしていたわたしには、ゾーンが実際どんな場所なのか正確に把握していなかった。とにかく危険な場所、ということだけはなんとなく知っていたのだけど。

『ゾーンは危険な場所ですが、危険だからこそ敵対組織の殺し屋が追ってこれない唯一の場所でもあるのです』

『危険だからこそ安全、っていうこと?』

『そうですね。もちろん、ずっとゾーンに留まるわけではありません。すでにボスの腹心だった男がゾーン経由で安全な場所に移住できる手筈を整えているはずです。ゾーンにいる彼に会えばすべてが解決します』

 そう言って、ドミトリは笑みを浮かべた。

『だから、協力者である彼に会うまでは私が貴方を全力でお守りします。ナターシャ』

 その笑顔は、わたしを安心させるためのものだったのかもしれないし、また、そうやって自分自身も安心させようとしていたのかもしれない。

 すべては順調で、なにも心配はいらない。

 そう思いたいのは、わたしも同じだった。だから、わたしもドミトリに笑いかけた。

 だけど、やっぱり現実はそれほど上手くいかなかった。協力者がいるはずの場所には殺し屋と、殺し屋に雇われた武装強盗グループ(たぶん、現地の案内役も兼ねていたのだろう)が手ぐすねひいて待ち構えていた。

 かつて父の腹心だったらしい協力者は、どうやらとっくに敵対組織の仲間入りをしていたらしい。殺し屋の口から彼の裏切りを聞いたドミトリは激昂し、そしてその直後に、呆気なく撃ち殺された。

 すべては計画通りだったのだ。

 あとはわたしを殺せば、すべてが上手く収まる。それにはあと一度引き金をひけば済む話で、それはとても簡単なことのように思えた。わたしは逃れられない死の運命を予感してきつく目を閉じた、けど、銃声のかわりに口論が聞こえてきて、わたしは閉じていた目をそっと開けた。

 目の前には、ドミトリの死体。

 そしてその先には、殺し屋が、自分の雇った武装強盗グループ…バンディットと呼ばれる連中と言い争いをしている姿が目に映った。もっとも喋っているのはロシア語だったから、わたしにはほとんど理解はできなかったけど。

「このガキはすぐに始末する。それが組織からの指示だ、余計な真似は許さんぞ」

「いいじゃねぇか、少しくらい楽しんでも?ガキでも女は女だしよ。ここいらじゃ貴重なんだ、わかるだろ」

「駄目だ。女をレイプしたなどと知れたら、それこそ組織のイメージに傷がつく。我々を貴様らのような下衆なチンピラどもと一緒にされるようなことを、我々のボスは決して許さない」

「おい…あんた、俺らの姿が見えてねぇのか?こっちは5人いて、あんたは1人きり、言うこと聞いたほうがいいのはどっちか、すぐにわかろうってもんだがな」

 そして、互いに銃を向け合う。

 仲間割れか…でも、そのことはあまり、わたしにとっての慰めにはならなかった。

 1人でも生き残れば、きっとわたしは無事では済まされない。殺されるか、犯されてから殺されるか、それが複数人によるものか1人によるものか、その違いがどうして慰めになるだろう。

 最後に残った2人が同時に急所を撃ち合いでもすれば助かるかもしれないけど、そんな映画みたいなことが現実に起きるなんて、とても考えられなかった。それにもし助かったところで、こんな場所で1人取り残された状態で、どうやって今後生き抜いていけばいいんだろう。

 どのみち、わたしが助かる方法なんて、ないんだ。

 そう思った瞬間、銃声が聞こえた。やがて殺し屋とバンディットたちが撃ち合い、バンディットが全員倒れると、殺し屋も血を吹いて倒れた。

『……え?』

 それはほんのすこしの間の出来事で、わたしはいま何が起きたのか、理解できなかった。

 全員、死んでいた。殺し屋も、バンディットも。

 まさか本当に、同時に撃ち合って倒れたんじゃあ…そう考えたとき、もう誰もいないはずの空間で銃声が響いた。

「大丈夫か?なにがあったのかは知らないが…というか、ずいぶんと奇妙な服装をしてるが…立てるか?」

 そう言ったのは、OD色のロングコートに身を包み、ガスマスクで顔面を覆った奇妙な男だった。

 片桐冬哉、別名ネームレス。

 ちょっとした運命の悪戯で、ストーカーとしてゾーンで活動するようになった、日本の元セールスマン。

 そういえば、わたしはあまり彼のことを知らない。そのことに対して不満はあまりない、わたしもあまり自分のことは話さないし、それでもわたしたちはいつも一緒で、あの日助けてもらって以来、冬哉は(やや過保護気味ではあるけど)わたしのことを大事にしてくれている。

 なにかあれば、いつでも助けてくれた。

 なにか危険があれば、いつも矢面に立ってくれた。

 だから、わたしは、時々すごく不安になる。

 もし、冬哉が死んだら。もし、冬哉が遠く離れた場所に行ってしまったら。

 いつそうなってもいいように冬哉はわたしを訓練してくれている、それはわかっている。だからわたしも、冬哉の期待に応えられるよう努力して、すぐに一人前のストーカーとして1人でも行動できるよう、頑張ってきたつもりだった。

 でも、それで…わたしは、本当に一人前になれたのだろうか?

 

 

**      **      **      **      **      **

 

 

『トーヤ…』

「おい、こいつ、いまなんか喋ったぞ」

 長い間気を失っていたような気がする。

 薄い靄がかかったようなぼんやりした意識のまま、すぐに脳が「いま目を開けちゃいけない」と警告してきた。「自分に何が起きたのか思い出すのもやめておいたほうがいい、すぐに目を閉じて、また眠るんだ」とも。

 自分の身体がぐらぐら揺れていた。うっすらと目蓋を明けた視界に映る天井、感覚、頭。「かちかち」と歯が鳴り、口の端から唾液が垂れる。

 どうやら、誰かに揺すられているみたいだった。最初は誰かがわたしを起こすために身体を揺すっているのかとも思ったけど、すぐにそうじゃないとわかった。

 誰かを起こすなら、頭か、上半身を揺するはずだった。下半身ではなく。

 身体がすこし肌寒かった。わたしを揺すっている男の手が、わたしの肌に直に触れる感触がして、どうやら服を脱がされたまま横たわっているらしい、ということを思い出した。

「もう何週目だっけ?」

「知るか…おい、乱暴に扱うなよ。ここじゃあ女は貴重品なんだからな、お姫様のように丁寧に頼むぜ」

 すこしだけ聞き覚えのあるロシア語が聞こえてきて、わたしは自分の身になにが起きたのか、はっきりと思い出した。

 デューティの操縦する武装ヘリコプターからの攻撃で、ロケットが近くに着弾したときの衝撃でわたしは動けなくなった。外傷はなかったはずだけど、衝撃波と爆音で頭が麻痺して、身体がまったく言うことをきかなくなったのだ。

 しばらくして、倒れているわたしに近づいてくる影があった。

 それはフリーダムの部隊が工場を襲撃する直前、工場を占拠している勢力から離反して脱出していたバンディットのグループだった。

「おーい。なんか見つけたぞ」

「なんだこいつ、ストーカーか?まだガキか、なにか良い物でも持って…おい。こいつ女じゃねぇか?」

「マジでか?なんてこった、こいつはまさにモノリスからの贈り物ってやつだぜ、アーティファクト並の貴重品だぞ!」

 そう言って、誰かがわたしを担ぎだす。逃げたかったけど、身体がまったく動かなくて、ほんの少しも抵抗ができなかった。

 そのうち他の連中がわたしの荷物と、そして近くに落ちていたPDAを拾い上げる。

 どうか、それも一緒に持っていって…わたしは心の中で強く念じた。

 PDAさえ近くにあれば、冬哉がそれを追跡することができる。どうせこれから隠れ家にでも戻るのだろうから、そこへPDAを持ち込んでくれれば、きっと冬哉が助けにきてくれる。

「おい、これ持って帰ろうぜ。なんか貴重なデータとか、電子マネーとか入ってるかも」

「やめろよ。こんなガキが1人でゾーンをうろついてるとは思えねぇ、仲間がいるはずだ。追跡されるぞ」

 やれやれだ、とため息をついて、男はあっさりPDAをその場に放り投げた。

 それで。

 それで……

 その後のことは、あまりよく憶えていない。

 地下へと続くバンディットたちの隠れ家へと運ばれ、意識を取り戻しかけたとき、抵抗しようとしたわたしに誰かが注射を…なにかの、薬品を打って、それで、わたしはまた意識が遠のいて。

 身動きがとれないまま服を脱がされて、唇を唇で塞がれて。冬哉以外の人とは、誰ともしたことのなかったキス。でも、それはまだ手始めでしかないってこと、わたしも、相手もわかってて、それがすごく嫌だった。

「いいか、暴力はナシだ。お前らが娑婆でどんだけ悪さをしてきたかは知らねぇが、ここじゃあ女はすぐに交換がきかねーからな。高級なお人形さんのように扱うんだぜ、丁寧に。丁寧にな」

 その言葉を聞いて、わたしは少しだけ安心した。けど、すぐにそれが、どんな暴力よりも酷い言葉だということに気がついた。

 こいつら、わたしを殺す気はないんだ。

 わたしはこれからずっと、こいつらに弄ばれ続けるんだ。

 そう思ったとき、なにもかもが真っ暗で、この世界には救いなんかない、絶望しかない、そんなことを思って、気を失ったんだった。

 あれから何時間、いや、何日が経ったのだろう。

 わたしを攫ったバンディットは自分たちだけで楽しむ気はないようで、すぐに「お友達」を呼んでパーティに参加させた。その見返りに金や麻薬でも貰うのか、わたしには知る由もなかったし、知りたいとも思わなかったけど。

 ときおり、わたしの口にも白い粉が擦りつけられたり、口移しでウォッカを飲まされたりして、そのたびにまともな思考ができなくなったりして、いまはもう、なにもかもがどうでもよくなっていた。

 心が麻痺しているからか、思っていたよりも自分が動揺していないことに、自分自身でも驚いている。

 本当はもっと傷ついたり、悲しんだり、泣き叫びたかったけど、いまはただ、わたしと身体を密着させている男の姿をぼんやりと見つめながら、おそろしく冷めた態度で成り行きに任せるだけ。

 …そのうち、わざと抵抗して、わたしを撃ち殺してくれるよう仕向けようかな。

 そんなことを考えて、わたしはへらへらと笑う。どうやら薬が効いていると思われたのか、男が下卑た笑みを浮かべると、またぞろ熱心にキスを繰り返してきた。

 そもそも、なんでこんなことになったんだっけ。

 冬哉の言うことを聞かずに行動した、たぶん、そのせい。もちろん正しいことをしたとは思ってない、でも冬哉のことが心配で、じっとなんかしていられなくて、それで、ドラグノフを掴んで丘を駆け上がって。

 敵を撃った、今度はちゃんと当てられた。

 間違ったことをしたんだと思う、でも、もしわたしがあそこで撃たなかったら、きっと冬哉はそいつにやられていて、だから…だから、それはもう、それで、いいんだ。

 今度ばかりは冬哉も助けには来れないだろう。最初出会ったときにわたしを助けてくれたときみたいに、脈絡もなくヒーロー登場なんてことには、きっとならない。

 でも、仕方ないよね…世の中って、大概そんなものだし。

 今はただ、思考能力が欠如しているせいで、感覚が鈍っているせいで、まともに心が傷つくこともできないのが、ただ、ただ無性にありがたかった。

 

 やがて…コンコン、地下室の戸を叩く音が聞こえる。

「おい、また誰か来たみたいだぜ」

 どうやらまた、こいつらの「お友達」が来たみたいだ。

 もういいや、とわたしは投げやりに考える、どうせ誰が来たって、自分がされることに変わりはないわけだし。

 扉を開けながら、「ところで誰を呼んだっけ?もう全員来てるんじゃ…」とバンディットの1人が呟いたとき、突然、銃声が響いた。

 ガガガガガガガガガガガッッッ!!

 いままで裸同然の格好でわたしを犯していたバンディットたちが無抵抗のまま撃ち殺され、瓦礫のように折り重なって倒れる。

 さっきまでわたしを抱いていた男も、身体に無数の穴を空けて、わたしと繋がったまま、わたしの胸にがくりと顔をうずめる。さっきまで活発に動いていたのが嘘のように、微動だにしなくなった。

 チャリ、チャリン……

 急に静かになった地下室で、薬莢が跳ねる音だけが微かに聞こえてくる。体液の匂いで充満していた鼻腔を、硝煙の刺激臭がツンと刺した。

 ガチャン、重い銃を落とした音が聞こえ、誰かがわたしと繋がっている男の死体を強引に引き剥がし、汚いものを捨てるような動きで床に放り出す。わたしの視界に、見覚えのあるOD色のロングコートが映った。

『おまえが嫌がるだろうと思ったから言ってなかったが、おまえの服の襟にはずっと発信機が仕込んであった。ただ発信する電波が弱かったせいで、居場所を特定するまでにかなり時間がかかっちまった。すまない…本当にすまない』

『トーヤ……』

 わたしを助けてくれたのは、他でもない冬哉だった。

 ガスマスクを装着していない彼の顔は奇怪で、醜くて…そして、とても、すごく悲しんでいるようで、そのせいで余計に歪んで見えた。

 おそらくいま、冬哉は自責に苦しんでいた。こんなことになったのは自分のせいだと。

 そんなこと、ないのに。

 一方でわたしは、自分の見られたくない姿を、一番見せたくない人に見られているこの状況で、それでも自分がさっきまでと同じように動揺も傷心もしていないことに気がついた。そのことに、わたしは妙に安心してしまう。

 冬哉の顔を見たとき、自分がひどく動揺してしまったらどうしよう、そのせいで余計に彼を混乱させたり、悲しませたりしてしまったらどうしよう、と考えていた。でも…ああ、たぶん、大丈夫だ。

 わたしは傷ついてなんかいない。

 そもそも、この程度の不幸でいちいち傷ついてたら、いつまでも一人前のストーカーになんか、なれないんじゃないか。

 だから、大丈夫だ、自分は大丈夫なんだ。

 そういう、ぼんやりとした思考と根拠のない自信に満たされたまま、わたしは冬哉に声をかけた。

『そんなに、悲しそうな顔、しないでよ』

『ナターシャ…』

『わたしは大丈夫。なんか、いま、そんなに傷ついてないから。それにこいつら、どうせ放射能でやられて種無しなんだろうし。どうってことないよ、こんなの』

 そう言って、わたしは微笑みかける。

 軽口が言えるくらいには余裕がある、そのことに自分自身でも安心しながら。

 安心…そう、本当はそれで安心していいはずなのに、冬哉は一層胸を締めつけられたように辛そうな顔をすると、ぎゅっとわたしを抱きしめた。強く。とても強く、力強く。でも、不思議と痛くはなかった。

『そんなこと言うなよ』

『…トーヤ?』

『俺には本音を言っていい。強がる必要なんかない』

 その冬哉の言葉に、わたしは首をかしげた。

 強がってなんかない、わたしは本当に大丈夫で、べつに傷ついてなんか……

 そう言おうとしたとき、いままでずっと忘れていたこと、犯されていたときの記憶、無くしていた感情、不安、悲しみ、怒り、そういったものがすべてが、突然、押し寄せてきた。

 嫌悪感で胸が満たされる。『強がる必要なんかない』…その言葉が引き金になったように、いままで私の頭に充満していた恍惚のような感情が消え失せ、意識がはっきりしてくる。それは、バンディットの連中にさんざん盛られた薬の効果が切れたせいかもしれなかった。

 吐いた。

 涙が溢れて止まらない。自分が何をされたのか、冷静に考えることができるようになると、途端に冷静ではいられなくなった。身体が震える。寒かった。

 自分の全身にまとわりついている、自分のものではない体液、いままで平気だったはずなのに、今はもう何もかもが耐えられない。いままで自分がされたこと、そのときの記憶が鮮明に浮かび上がってきて、忘れたい、振り払いたいはずなのにそれができない。

 そして何よりも、冬哉の言ったことが許せなかった。

 あの一言のせいで、いままで自覚していなかったこと、忘れていたものを呼び醒まされたような気がして。

 あの一言のせいで、いままで耐えることができていたはずのことが、耐えられなくなったような気がして。

 見当違いな怒りなのはわかってる、でも急に冬哉のことが憎くてたまらなくなって、それで、わたしは冬哉の胸を叩きながら、狂ったように叫んだ。

『そんな言い方、しないでよ…そんなこと、言わないでよ。そんな、こと…言わないでよぉおっ!』

『ナターシャ…』

『そんな、いままで、わたし、大丈夫だって…平気だって…このくらい、なのに、トーヤ、酷いよぉっ…!』

 頭が真っ白になって、なにも考えられなくなって、それで、自分でもおかしなことを言ってると思いながら、わたしはひたすら子供のように叫び続けた。

『もうやだ、こんなのやだぁ、こんなところやだぁっ!帰りたい、日本に帰りたい、帰りたいよぉっ!みんな嫌い、大嫌い、ゾーンも、ゾーンにいる人間も、トーヤだって…みんな、みんな!大嫌いだよ!』

『…… …… ……』

『こんなことなら…こん、な…ことに、なるんだったら…あのとき、助けて欲しくなんか、なかったよ…あのとき、死んでればよかったよ…殺して欲しかったよ……!』

 そうやって。

 そんなふうに、泣き叫び続けるわたしを、冬哉はただ黙って抱きしめ続けてくれて。

 そのことが結局、わたしは冬哉に甘えているだけなのだと思わされているような気がして、それで余計に自分のことが嫌になって。

 でも、一番嫌だったのは…たぶん、自分の言ったことが、本当はすべて、全部、本音だっていうこと。

 それが、嫌で、嫌で、仕方がなかった。

 

 

 

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  [ 続く ]