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「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SHOP SQUAD -』

- 2nd Season -

Chapter_05 【 γ侵食 - Black Diamond - 】 Part_7

 

 

 

 

 

**      **      **      **      **      **

 

 

 

 ベケット率いるチームγはこれまで、可能な限りγクラスタにダメージを与えてから焼却剤を使うことによって殲滅してきた。

 そしてチバシティ・クライシスのときは…霊能局のエージェントの一人が、いかなる手段を用いてかγクラスタを無力化し、すべての細胞を死滅させたという。

「ベーやん、準備は!?」

「マズイ……!!」

 逼迫した事態に焦るチャペル、しかし新兵器の起動準備にかかりきりだったベケットから思わしくない反応が返ってくる。

「リアルタイム照準モードだと時間がかかり過ぎるから、いま過去のシミュレーションデータを呼び出して仮想モードで照射範囲を計算してるんだが…なにせぶっつけだからよ」

「ちなみに、リアルタイム計算だとどれくらい時間がかかるの?」

「100時間」

「無理ゲー…」

「ひどいだろ」

「エクストリームでメタルギアRAY20機抜くよりきつい」

「わからん」

「そのあとのソリダスの首絞め連打のほうがきついけど」

「わからん!とにかく、もう少しだけ時間を稼いでくんねェかな」

 たったいまの会話は短距離レーザー通信波で行ったため、ベケットたち三人以外には聴こえないはずだが…

 肉塊の怪物が「何かを聞きつけたように」無数の瞳をぎょろつかせ、ベケットとチャペルのほうを見やると、なにやら得心したように不気味な笑みを浮かべた。

『なにか…企んでいるようだな』

「そりゃそうさ。いつまでも馬鹿みたいにヤリ合ってられねェもんよ」

 そう言って、ベケットは何を隠すでもなく怪物の瞳をじっと凝視する。

 真紅のレンズ越しに見返された怪物は興味深そうにベケットを観察していた。ベケットと、彼が構えるガトリングガン…それに付随する、異なる武器の銃口を。

『ほう…生きて帰る気でいるか。勝つつもりでいるのか』

「ちょっとばかり死ににくいからって調子に乗るなよ、スクラップル野郎。こっちだって、手段を選ばなけりゃあ殺す方法の二つや三つは揃えてあるんだ」

『興味はあるが、この身をもって試すほど余裕を持つ気にもなれないのでね。とりあえず、きみから始末したほうが良さそうだ』

「せっかちめ…」

 口先では軽く悪態をついていたベケットだったが、内心では相当に動揺していた。

 今回の任務のために用意した…というわけでもない、たんに装備更新のタイミングが良かっただけだが…新兵器をぶっ放すには、五分ほど姿勢を固定して照準装置に敵の姿を捉え続ける必要があった。本来なら百時間だ。

 ついでに言えば、すでに四分は経過していたから、残り一分もすれば、あの怪物を虚空の彼方へ叩き込むことができる。

 問題は、ターゲッティング・システムが照射範囲を測定している最中に著しく照準がブレた場合、すべてが無効になり、最初からやり直す破目になることだった。

 相手の攻撃を避けながら照準し続けることは不可能ではないが至難の業だし、当然、自衛のために反撃する余裕はない。

 ズドッ、ドゴッ、ドゴンッ!!

 クレインが連続して発砲した爆裂ダート弾が怪物に命中し、肉体の一部を破壊する。

 しかしいままでよりも再生能力が強化されたらしい怪物は即座に傷を癒し、欠損した部位を補填した。

 もとよりダメージを与えられるとは思っていない、ベケットから自分へ関心を移してくれれば…そう考えてのクレインの攻撃だった。

 そんな思惑は見透かされているのか、怪物はクレインのほうを見向きもせずベケットに巨大な腕を伸ばす。

 だが…ズシャアッ!!

 その腕はベケットに届くことなく、銀光の一閃とともに地面に崩れ落ち、青白い炎を噴き出し灰と化した。

「アージェントレーム」

『おのれ……ッ』

 ダングラールの一撃に怯みながらも、しかし怪物はベケットのほうを見据えたまま腕の再生を試みる。

 ふたたび怪物に斬りかかろうと飛び出したダングラールに、ベケットが大声で呼びかけた。

「準備完了だ、色男、すぐにそこから離れろッ!!」

「ムッ!?」

 すでに両足が地面から離れていたダングラールは空中で軌道を変え、直角に曲がってその場から退避する。

 銀色の銃身に光が集束し、そして…

 

 バズンッッ!!

 

 眩いまでの闇色の光が爆発し、さりとて銃身から何かが発射された様子はなく、怪物の周囲の空間が立方体状に輝いたかと思うと…次の瞬間には、怪物の姿がどこにも見当たらなくなっていた。

「なッ、これは……!?」

 ビリビリと放電したかのような光の筋が漂い、怪物がいたはずの空間にぽっかりと穴が…底なしの闇、合わせ鏡のように無限に光景が繋がっているさまを見て、ダングラールが呆気に取られたような声を出す。

 音もなく、声もなく、あの怪物は悲鳴を上げる間すらなく姿を消したというのか?

 手を伸ばして感触を確かめようとしたダングラールを、ベケットが制した。

「いまは自浄作用で空間が自動修復中だ、触るなよ。指ごと持っていかれるぞ」

「君はいったい…何をしたんだね?」

「マイクロ4Dブラスターだ。照射範囲を測定したあと、周囲の空間ごとヤツを亜空間に消し飛ばした」

「なんだと?可能なのか、そんなことが」

「信じなくてもいいぜ。オレは困らねえ」

 ガシャリ、マイクロ4Dブラスターの銃身をガトリングガンの本体に収納し、ベケットは徐々に歪みが収縮していく空間を見つめながら答えた。

 この兵器は外観こそ銃の体裁を取ってはいるが、その実は飛翔体を発射する類の物ではない。

 マイクロ4Dブラスターは事前に計算した指定座標の空間に直接作用する特殊なフィールドを発生させる装置で、ほんのわずかな一瞬、瞬間的な照射によって、フィールド内に存在するすべての構造物、分子、さらには原子までも…を消失させる。

 何も存在しない「無」の空間となった領域は亜空間トンネルとして機能し、触れたものをすべて別次元へと消し飛ばす性質を持つ。

 ただしいつまでもその状態が続くわけではなく、亜空間トンネルの活動を維持する働きが存在しない場合、空間の自浄作用によって自動的に修復がはじまり、最終的には元の状態へと戻る。時間はかかるが。

 この兵器のよって消し飛ばされた物質がどこへ向かうのか、その正確なところはわからない。実証のしようもない。

 開発者であるライアンがこの超兵器の機能と使途を極限定的に留めているのは、使用に膨大なエネルギーを消費することもあるが、その性質を完全に解明できておらず、いかなるデメリットを内包し得るのかを把握できていないためだ。

「これで…あの怪物の始末はついたということかね?」

「まあな」

 ダングラールの問いかけに、たぶん…とは言わないベケット。

 確実に始末できたのかどうかは、あの怪物が「たんにこの場からは消えた」というだけで、「実際にどうなったのか」を確認しようがないため断言はできないが、いまここでそのことに触れて無用な心配を抱かせる必要はどこにもない。

 二人が話しているあいだも、チャペルとクレインが周囲に飛散した怪物の肉片を焼却手榴弾で始末し、あらゆるγの痕跡を断っている。

 いかにγ細胞といえど、超高温で焼いてしまえばただの灰と変わりはない。

 やがてその動きにダングラールも加わり、彼は例の聖釘を手に怪物の残した残骸へ跪くと、祈りの言葉を口にしながら釘を刺した。すると、瑞々しい血の色をした肉片が乾燥して色を失い、やがてそれは白色の灰の塊となった。

 その様子を見て、ベケットが尋ねる。

「それは聖職者の御業か?それともハンターとしての、かな」

「どちらでも。化物狩りというのは、ただの力に頼った攻撃ではない。相手の破滅を願うようでは、それでは悪魔の所業と何ら変わるところはない。祈りなのだよ…哀れなる魂が、神の御許で安らぎを得られるようにと。肉体の破壊はその過程に過ぎない、おわかりかね?Mes ami(きみ)?」

「なんとね。オレも来週の日曜からは教会に行くとするかねェ」

「魂の安らぎを得るための対価としては破格だよ」

 マジで言ってんのかこいつ、とベケットは訝った。そんなことをはじめたら、信心深くなってしまう。

 一通りの現場の処理を終えてから、四人はエレベータへと戻った。あれだけ派手に暴れたにも関わらず稼動に問題はないようだった。もし故障していたら、ベケットが飛んで三人を上階へ連れ出すために往復しなければならなかったところだ。

 地上階に散乱しているγ中毒者の死体も同様の処理を施したあと、ひととおり建物の構造を調べたうえでクレインが爆薬を仕掛けた。この場所をこのままにはしておけない。

 爆破などしたら大層に目立つはずだが、それを言ったら、銃撃戦など起こした時点ですでに充分目立っている。警備に雇われていた兵士の持つ小銃、小口径ライフル弾の銃声はジェット機のエンジン音と同等の騒音を発する。ましてベケットのスーツが装備するガトリングガンの猛射に至っては言及するまでもない。

 爆破したところで完全に痕跡が消せるわけではないが…完全に痕跡を消す方法など存在するのなら、という話だが。といっても、実際のところ、なにもかもクリーンにする方法も、なくはない。

 一つはベケットのマイクロ4Dブラスターを使う方法だ。建物ごと亜空間へ消し飛ばしてしまえばいい。が、おそらく不可能だろう、そこまで広範囲にフィールドを照射するようには出来ていない。おそらくは照射範囲の計算に一年かかるか、出力系が暴走してエーテル・リアクターが爆発するかのどちらかだ。

 それでも理論的には不可能ではない…0.0000001%が不可能ではないと言えるのなら。

 もう一つの方法はチャペルのシールドガンに内蔵された衛星通信デバイスを利用することだ。

 それこそがチャペルの有する最終手段…軍が所有する武装軍事衛星とリンクし、指定座標にレーザー爆撃をぶち込んで地下施設ごとすべてを灰燼に帰す。もっとも、これも現実的方法ではない。

 件の武装軍事衛星は有事のため、数年前に軍が通信衛星に偽装して打ち上げたものだが、実際にレーザー爆撃を敢行しようものなら即座にその秘匿性が失われ、全世界にその存在を知られることになるだろう。

 たとえそうなってでも使うべき局面、大義名分があってこそ使用を許可されるものだが、今回はそうではない。

 奥の手は、本当の奥の手は、最後の最後まで取っておくべきだ。使わずに済ませられるのなら、それが一番良い。

 地上に出ると同時に強風に煽られ、ダングラールが帽子を手でおさえながら目を細める。一方で重い装備を身につけ、素顔を晒しているわけでもないベケットたちはわずかに揺らぐこともなく、カメラ越しに強力なストロボ・ライトの光を目の当たりにした。

 あちこちでくすぶっている火の手を掻き消す勢いで突風が吹き、草地が海面のように波打っている。

 どうやら地下で四人が怪物たちと戯れているあいだに到着したのだろう、ヘリコプターが待機していた。軍用のユーロコプターAS532だ。先に地上へ出て負傷兵と合流していたSAP隊員、無事に難を逃れた博士がすでに乗り込んでいる。

 いくらマカラハン・コーポの基地が国内にあるとはいえ、四人が地下に向かってから手配したにしては到着が早過ぎるから、おそらくは初めから指定の時間に到着するよう手筈を整えていたのだろう。

「タクシーで直帰かい。気楽でいいねェ」とベケット。

「なんなら乗せていこうか?領空内なら自由に飛び回っていいという許可を国から得ているから、多少の寄り道なら付き合うよ」とダングラール。

「いや、気遣いはいらねェよ。遠慮してるわけじゃねえ、こっちにゃこっちのプランがあるんだ」

「ならば、ここでお別れだね」

 ケープを翻し、背を向けてヘリに乗り込むまえ、ダングラールは腰のベルトにぶら下げていた皮のバッグから書類の束を取り出し、風で飛ばされないよう苦慮しながらベケットに手渡す。

「約束のものだ。ここに、あの連中が残した情報のすべてがある。我々には不要だからね」

「そんなこと言って、オマエ、きっちりバックアップは取ってあるんだろうが?」

「さあ、どうかな」

 書類を手にしながらも訝るベケットに対して、ダングラールはふっと笑みを浮かべ肩をすくめてみせる。

 コピーを取ったわけではないが、書類の内容はすべてカエルムの内蔵カメラに収めてある。もとよりダングラールたちアルシッドの兵隊にとって今回の任務は情報収集が目的ではないし、こうした資料の収集には必ずしも現物が必要とされるわけではない。 

 ダングラールが機内に乗り込み、スライドドアが閉鎖されるのとほぼ同時にヘリは高度を上げた。AS532は機首を北に向け、飛び去っていく。

 別れというのはいつもこう、あっさりしたものだ。

「変な連中だったな」

「うん」

 行きずりの戦友が見る間に遠く離れていくのを見ながら、ベケットとクレインが口々につぶやきあう。

 もっとも、変な連中…という感想は相手もご同様だろう。

 すでに空が白みはじめ、朝日が山頂の間から姿を覗かせつつある。あまりもたもたしている時間はない、漆黒の鎧が人目につくようになる前にここを脱出する必要がある。

「少佐、地上に仕掛ける爆薬の量だけど…」爆薬に信管と導線をセットしながら…こうした作業は必ず仕掛ける直前に行うものだ…クレインが尋ねる。

「もうそんなに手持ちもねぇべ?全部仕掛けちまおう、派手にいこうや」

「派手にやったらマズイんじゃないのかな」

「おいおい、建物を一つ吹っ飛ばそうってんだぜ?どのみち派手になるんだ、馬が鳴くか牛が鳴くかって程度の違いさ」

「どうせ泣かせるなら」フム、とクレインはわずかに間を空け、「女の子がいいね」

「オマエ、女に関しちゃ疫病神気質なくせによく言うよ」

「なんだって?」

「なんでもねぇ」

 それから三人は手分けして戦場跡に爆薬をセットしていき、あらゆる痕跡が排除されるよう工作を施す。

 起爆は時限式、タイマーは二時間にセットしてある。

 入り江に隠してあるボートまで辿り着くのに二、三時間はかかる。それまでにここへ爆発物の取り扱いに精通した人間が来て、爆弾を無力化するような事態は起こらないだろう。

 懸念があるとすれば、敷地内に張り巡らされた監視塔の警備兵が駆けつけてくることだが…たしか、全滅した本隊からの待機命令を最後に通信が絶たれていたはずだ。

 大人しく家に帰ったほうがいいと知らせてやるべきだろうか?

 そのためにはわざわざ対面せずとも、すでにチャペルが無線の傍受に成功しているから、こちらから呼びかけることも可能なはずだ。

 だが、まあ…そこまで親切にしてやる必要もあるまい。

 そろそろ日が昇るとはいっても、周辺はまだ充分に暗さを保ったままだから、C.O.N.アーマーの保護迷彩機能がそれなりに役に立ってくれるはずだ。見つからずに脱出するのはそれほど難しいことではないだろう。もちろん、油断さえしなければ。

 ふたたび稜線を回り込むようにして谷を越えるあいだ…それほど時間に余裕がある状況ではなかったが、直線距離を移動するなどもってのほかだ…ベケットはチャペルに言って、警備兵たちの無線をふたたび傍受できるか確認した。

『…(雑音)…駄目だ、さっきの銃撃戦があってから応答がねえ』

『まさか全滅したのか?様子を見に行ったほうがいいんじゃ…』

『よせよ、バケモノを解き放ったと言ってたろう。なにか、手違いがあってそいつらにやられたんだとしたら…あんなのの相手はゴメンだぜ』

 警備兵たちは相当焦れているのか、発言前にコードを名乗る標準的な交信ルールも無視して会話していた。

 しばらく愚痴に近い発言が続いたあとで、聡明な声が言った。

『夜明けまで待とう。朝になってもまだ状況が変わらんようなら…どうする?家に帰るか?』

『マジかよ、まだ前金しか貰ってないんだぜ』

『命とどっちが大事だ?それに、俺たちがやってたことと言やあ、こうしてつっ立ってただけだ…分相応ってやつだろうが、ええ?』

『チッ、仕方がねえ』

「よーし、いい子だ」チャペルからの中継を通して無線を聞いていたベケットがひとりごちた。

 ひとまず状況はこちらに有利な方向へ働いているようだが、安心するわけにはいかない。まだ任務は終わっていない、銃撃戦が終わって爪先が家のほうへ向いた瞬間にすべてが終わったような気になってしまうが、そんなのは錯覚だ。

 一時間半ほど歩いたあたりでダムが見え、そこから南へ向けて一本の川が伸びているのがわかった。

 それを辿れば、ボートを隠してあるプリングル湾の入り江へ真っ直ぐに辿り着けるはずだ。

「このまま川沿いを歩くかい?」クレインがベケットに尋ねる。

「いや、それはまずい。空が明るくなりはじめてる、西の住宅エリアから対岸のシルエットが見えるはずだ。川沿いを避けて、道路から離れて行こう。エンジン音に気をつけろ、まあ…すぐに伏せれば怪しまれないはずだ」ベケットが答えた。

 交通量は極めて少なかったが、それを無視するわけにはいかなかった。

 真夜中に明かりを消して走れるような土地ではなかったから、夜の間はエンジン音よりも先に、誘蛾灯のように目立つヘッドライトが車の存在を知らせてくれるため、警戒に苦労はない。

 だが夜明けは…ひょっとしたらライトを消して運転するワイルド気取りの無謀者、あるいはたんにライトの故障を直す気がないものぐさな貧乏人が出張ってくる可能性があるし、エンジン音にしても、ガソリンではなく電気だの水素だのを使うやつはえらく静かに走るから、近くに来るまで気づけない恐れがある。

 一番厄介なのは朝も早くからサーフィンや海水浴を楽しもうと考える酔狂な若者や観光客で、そういう連中は決まって好奇心が強いから、一度でも気を惹いてしまったら悶着は避けられないだろう。

 まして今のご時勢は誰でも携帯電話というヤツを持っているから、いつだって通報されたり、写真を撮られたりするリスクを考えなければならない。敵性地域での活動は、相手が民間人であっても、それらすべてが有能な情報伝達員と考える必要がある…肝心の当人に自覚があるかどうかはともかく。

 それが潜入任務の仇だな、とベケットは考えた。軍人時代はそこまで考える必要はなかった。

 こそこそする必要のない公的任務であれば、一般人が軍や警察に通報しようが、写真を撮影しようが、笑顔で手を振ってやっても良かったくらいだ。そういうのは大勢の仲間と軍のバックアップがあればこそだ。

 慎重に歩を進めていたからか、三人はこれといったトラブルに遭遇することもなく無事に入り江へ辿り着いた。

 カモフラージュ用のネットを剥がし、赤い船体のゴムボートを射光のもとに晒す。いかにもレジャー用といった見かけだったが、中身は特殊部隊が上陸作戦で使用するものとまったく変わりはない。

 フル装備の兵隊が四人乗っても平気なやつだから、C.O.N.スーツの重さで沈んだりはしないだろうが、それでも多少の恐怖感はあった。事前に訓練をしていても…だ。

 エンジンをスタートさせるとボートは快調に滑りだし、安定した走りを見せた。波が穏やかなのも幸いだ。

「それで、こいつでどこまで行くんだい少佐」

 水平線を遠目に見やりながらハンドルを握るベケットに、クレインが短距離レーザー通信波で話しかける。

 エンジン音と波が砕けるやかましいノイズが始終響くせいで、肉声で会話するとなったら、大声をはりあげる必要があるはずだ。拡声器を使ってもいいが、周囲がうるさい状況にあってもつぶやき声で会話ができるのは有り難いことだった。

「家へ帰るんだよ中尉、言ったろう。大海原を越えてな」と、ベケット。

「大西洋を横断して、赤道を越えて?直線距離でも15000km近くある、24時間トップスピードで飛ばし続けても丸六日はかかるよ」当然の疑問をクレインが口にした。

 それだけの長時間を、たとえ一度も大波にさらわれず運良く走り続けることができたとして、燃料が保つはずはなかった。それに三人は予備の食料さえ持っていないのだ。

 C.O.N.スーツには水の濾過機能が内蔵されているため、いかなる状況下でも飲料水に困ることはないが(それでも長期間の潜伏任務ではフィルターが劣化して使い物にならなくなるが)、食料となるとそうもいかなかった。ここは海のど真ん中だ、魚でも獲るか?

 撤退に関してはクレインもチャペルもベケットにプランを丸投げしていた、まさか彼は無謀なことを考えていやしないかと今になって不安になりはじめる。

 不安を募らせはじめた二人の様子がおかしかったのか、ベケットは思わず笑い声をあげ、先のことなどまるで心配していない様子で言った。

「なに、心配すんなって。気晴らしにラジオでもつけてみろよ」

「えー…」

 どことなく釈然としないままチャペルがガンシールドに内蔵された通信装置からラジオの電波を拾い、スピーカに接続して音量を上げる。

『…ザザ…現在、急増する海賊事件に対処するため、米海軍艦隊が南大西洋沖を哨戒中…ザ……一時はフォールス湾に接近し、南アフリカ政府はこれを不用意な挑発行為として非難…』

 適当に合わせたチャンネルから無機質なアナウンサーの声が響き、チャペルとクレインは顔を見合わせる。

 それはダングラール率いるSAP隊が麻薬密造施設に侵入したときに聞いたものとまったく同じだったが、二人にとってそんなことは知る由もない。関心のある話題なのか、ニュースチャンネルは繰り返し同じ内容の放送を流しているようだ。

 そしてそのニュースはたったいま広大な大西洋を漂っている自分たちにとってあまりにもタイムリーで、それはまるでタイミングを計ったかのように…

 やがて遠目に大型艦船のシルエットが浮かび、それがニミッツ級航空母艦であると判別できるくらい近くなると、ベケットがやたらに張り切った声をあげた。

「よぅッし、オマエら準備しろ。これからオレたちは海賊になるんだ、陽気に歌ってカトラス振って…最近じゃあカラシニコフとRPGがなけりゃあ海賊には見えんかな」

「いったい何を言ってるんだい、少佐」

「アレさ」

 ベケットが米海軍の誇る巨大な原子力艦のほうを指さしても、しばらくクレインにはその意図が掴めなかった。

 しかし間もなく空母から拡声器を通して警告が発せられ、クレインの思考は中断させられた。

『当艦の前を遊泳する不審船、及び武装した乗組員に告ぐ』声は言った。『我々は米第二艦隊所属のパトロール隊である。ただちに武装解除し投降せよ。攻撃の意志が認められた場合は容赦なく撃沈する、繰り返す。武装解除し投降せよ』

「いったい、なんだって…」

「聞いた通りだ中尉、余計な抵抗をすると即座にドカン!だぜ?」

 突然の警告に肝を冷やしたクレインだったが、ヘルメットの下でニヤニヤ笑いを浮かべるベケットに気づいたとき、これは、このシチュエーションの一切がジョークなのだということに気づいた。

 同じタイミングでそれとなく状況を察したチャペルが素っ頓狂な声をあげる。

「あらあら」

「少佐、キミってやつは…」

「楽しいだろ?」

「いったい」ギリギリまで接近したボートをクレーンで引き揚げの準備にかかる空母を見やり、クレインは言った。「連中に、どれだけ貸しを作ったんだい?」

「国家の安全保障のために便宜をはかるのは得意でな」

 ボートが甲板の高さまで上がったところで三人は降り、同時に数人の水兵が駆け寄ってきた。

 その表情は海賊と思しき不審者に向けるようなものではなく、正体を誰何する多少の疑念が浮かんでいたものの、相変わらず武装をつけたままの漆黒のアーマーに警戒を抱くでもなく言った。

「下士官居住区へ案内します、ミスター…」

「ベケットだ。先に艦長に会わせてくれないか?今後の予定について話し合っておきたくてね」

「了解しました。こちらへどうぞ」

 うやうやしく敬礼する水兵に敬礼を返すベケットを見て、クレインとチャペルの二人はこの展開に頗る合点がいった。

 つまりはそういうことなのだ。ボートで無謀極まりない船旅に乗り出したのも、第二艦隊が「海賊退治」と称して南大西洋まで出張ってきたのも、すべてが予定されたことなのだ。この瞬間のために。

 礼装に大量の勲章をぶら下げた艦長と親しげに肩を叩きあうベケットを見て、クレインとチャペルは互いに顔を見合わせ、肩をすくめる。

 ちょっとしたサロンの様相を呈する艦長公室に入ると、老齢のオルーク艦長はワイルドターキーのボトルとグラスを四つ棚から取り出した。ベケットたちに何を訊ねるでもなくタンブラーから角氷を手早くグラスに滑らせ、琥珀色の液体を溢れる寸前までなみなみと注ぐ。

 たしか海軍艦船上でのアルコールの飲用、及び持ち込みは一世紀前から全面的に禁止されていたはずだが、どうやってか艦長は個人的にバーボンを確保しているようだ。

 洋上の只中でさえ航空母艦には人の出入りがある。おそらく、気の利く誰かが持ってきてくれるのだろう。

 三つのグラスをテーブルの上に滑らせ、艦長は自分のグラスを顔の高さまで掲げると、二秒とかけず一気に飲み干した。

 各々ヘッドギアを外して素顔を晒すベケットたちに、オルーク艦長は自分のグラスにもう一杯バーボンを注ぎながら笑顔を見せる。

「任務達成に乾杯」

「乾杯」ベケットも口端に笑みを浮かべ、グラスに口をつける。

「どうだね海賊船長、漁はうまくいったかい、えぇ?アーミー時代からの宿敵を狩りに行ったと聞いたぞ」

「そこまでは言ってなかったはずだけどな。さすが艦長、耳が早い」

「いくらおまえさんの頼みでも、碌な確証もなしに空母を動かせるもんかね。おまえのお袋さんに聞いたのさ」

「バーサマ(ライアン)に?  」

 驚いた顔を見せるベケットに、オルーク艦長は不適にこたえる。

「案ずるな、この艦で事実を知っているのは俺だけだ。狐魂だの、γだの、そんなのは寝物語の絵空事だと未だに思っている偉いさんは多い」

「そのほうが都合が良いこともあるけどね」とクレイン。

「冗談じゃあねえ」オルーク艦長は嘆息した。「他人事じゃないんだよ、特に、それが脅威となる場合はな。俺の自慢の20mmバルカン・ファランクス砲をぶち込んでハイ終わり、とできるんならな、そう心配する必要もねぇわけだが」

「随分と弱気じゃないか、湾岸とイラクで活躍した艦長とあろう者が」

「政府の権威失墜と巨大企業の台頭、その煽りを受けて軍は縮小され予算も減る一方だ。弱気にもなる…ま、そんな愚痴はどうでもいいさ。とにかく、ああいう怪異に人間はとんと無力だ。でなければ、おまえさんがたにごつい装備をつけて世界中飛び回らせるなんて発想は出てこんよ」

「たいした力も持っちゃあいないんだがな、オレらは」

 そう言って、ベケットは自嘲気味に笑った。

 狐魂は先天的にγ等の脅威に対する感覚が鋭く、レーダーのような役割を果たす。またγへの耐性が強く、エーテル・エネルギー(東洋では霊力などとも呼ばれる)による自浄作用が働くため、人間や他の生物が細胞に深刻なダメージを受けるような汚染環境でも活動が可能だ。

 もちろん限度は存在し、自力で浄化しきれないほどのγ汚染を受けた狐魂はその性質を大きく変貌させる…と言われている。

 これらの情報はライアンがこの星へ来る前の活動から得られたもので、まだ地球上では、狐魂がγによって変化した例は報告されていない。すくなくとも、公式では。

 ベケットは胸部装甲の収納スペースを開放すると、ダングラールから受け取った書類一式をテーブルの上に広げた。

 さて、連中の悪企みの端緒を暴いてやろうか…

 オルーク艦長は今回の件そのものについては部外者で、本来ならば余計な情報を知られることは好ましくなかったが、彼はγの脅威を正確に認識している数少ない人間で、個人的に信頼もしている。

 という以上に、この書類が今後ベケットたちの行く先を決定するなら、場合によってはさらなる助力を請うことになる。そのとき、事情を知らせず協力だけしてもらう、というのはさすがに話が通らない。

 パラパラと書類を捲っていたベケットはふと手を止め、航海路のようなものが記されたマップを凝視する。

 すぐにチャペルのほうを向き、ベケットは言った。

「チャー公、いますぐ本部に直通回線を繋げられるか?」

「うん?暗号システムの同期に少しだけ時間がかかるけど、必要なら盗聴とか気にせずに話しができるわん」

「やってくれ。それと艦長…ここから、ナリタかヨコスカへ移動することは可能か?」

「なんだと?」

 唐突な提案にオルーク艦長は目を丸くする。クレインとチャペルもだ。

 ベケットは先刻まで自分が目を通していた書類を放り出し、誰の目にも見えるよう照明の下に晒してみせる。

 それはγを封入した、特殊なシールド処理を施したコンテナの輸送ルートに関するものだった。時間単位で細かくルートが区切られており、何か問題が発生した場合、時間から逆算してどこでそれが起きたのかを判断するためのものだったと思われる。

 線と線を結ぶ両端の一方はケープタウンのビクトリア&アルフレッド・ウォーター・フロント、もう一方はチバシティ…すでに隔離閉鎖されて久しい、仁清港へと繋がっていた。

 輸送には長距離用のタンカーか何かが使われたのだろうが、どう見ても正規の航海ルートではない。閉鎖された港から出航しているなどと…誰も気づかないはずはない、そのはずだが、相手がγやそれに与する者なら、どんな手を使っているのかわかったものではない。

「おおよそ事態は把握できたが、地球の裏側だぞ…わかってるのか、狐の小僧」

「無理を押してどうにか頼めねーかな。オレたちのやったことが、オレたちが向かうより先に地球の裏側に居る連中の耳に届くようなことがあっちゃあ困る」

「運がいいぞ」そう言って、オルーク艦長はニヤリと笑った。「オスプレイを使え、燃料タンクを増設した長距離航行用の改造型だ。一回か二回空中給油をする必要はあるが、それは手配しよう。それでもジャパンまで直行するのは無理があるがな」

「つまり?」

「オーストラリアを経由する。アリススプリングス空港へ降りたあと、輸送機でナリタへ向かえ。そうだな…C-17がいいだろう。おまえたちを乗せて飛ぶくらいならジャパンまでノンストップでいけるはずだ」

「恩に着るぜ、艦長」

「せいぜい世界を救ってこい、坊主ども。お嬢ちゃんもな」

 すっかり話が纏まりかけていたところで、クレインがやや気乗りのしないふうで言った。

「ボクらが直行しなきゃダメかな?本部にいる他のメンバーでどうにかできないかな」

「それをこれからバーサマに聞く。もっとも、今回の件に関しちゃあ未だにオレらの管轄内だし、オレたちが一番の“手馴れ”だ。鎧もそれほど傷ついちゃいないし、あとはオレたちが到着するまでに、向こうの基地に弾薬を揃えてもらえるよう頼めばいい」ベケットが答えた。「依存はねぇな?」

「選択の余地があるのかい?」

 そう言って、クレインはワイルドターキーを一気に飲み干した。

「おふっ」むせた。

「大丈夫、クーやん?」

「バーボンは飲み慣れてないんだ…」

 気遣うチャペルに、クレインは俯いたまま片手を挙げてつぶやく。

 顎鬚を撫でつつ何か言いたげにしているオルーク艦長を制し、ベケットが言った。

「気にするな色男、バーボンが飲めなくても世界は救える」

「ありがとう少佐。艦長、紅茶はある?」

「ライムジュースでも飲んでろ」

 

 

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「けっきょく、あれはどういうことだったんです?」

「さてな。依頼主にそれとなく探りは入れてみるが、深入りはできん」

 翌朝になり、リーダーのフィクスレイの家で酔い潰れていた傭兵たちは、ベケットたちの事務所の襲撃について今一度思い返していた。

 目標地点にターゲットの姿はなく、身代わりが置かれていた。襲撃を察知してか、あるいは別の理由があるのか。

 もし自分たちの行動がたんなる「失敗」と見做されたのならば、ふたたび似たような任務に就かされる可能性はあるのか?

 そういった無茶をやるなら理由くらいは知っておきたかったが、そんなことを許すくらいなら、依頼主はそもそも外部の傭兵を雇ったりはしないはずだ。

『…ザー……原因不明の爆発事故が…警察は……進展……』

「もうニュースになったのか。早いな」

 ラジオからノイズ交じりに聞こえてくる無機質なアナウンサーの声に、フィクスレイは既に何本空けたか知れないビール瓶をテーブルに置く。

 自分たちの行動がこうして報道されるのを聞くのは、いつだって妙な気分だ。そして誰も、それが自分たちの仕業だと気づくことはない。あってはならない。ギャングやマフィアなら箔がつくだろうが、傭兵にとってはただの命取りだ。

『ザザ…昨晩、コーゲルバーグ国立公園から巨大な爆発が…原因は不明…警察の捜査に遅れが生じている模様……』

「…?ちょっと待ってください、これ、俺たちのとは違うんじゃないですか」

「そうらしいな」

 怪訝な表情を浮かべて言う部下に、フィクスレイは相槌をうった。

 そういえば夜中に装備を始末しているあいだ、爆発音のようなものが聞こえたが…工事現場の発破作業か何かかと思ったが、よくよく考えれば、真夜中にそんな真似をやる阿呆な業者はこの界隈にすら居た試しがない。

 ただ、まあ…より大きな事件が起きることで、自分たちの行動が目立たなくなるのは幸運なことではある。

 そう傭兵たちは前向きに考えることにした。そしてラジオで報道された事件もまた、自分たちが巻き込まれた巨大な陰謀の一端であることを知る機会はなかった。

 

 

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「おそらくは、米国…政府機関の特殊工作員かと思われます」

 仏アルシッド・エレクトロニクスの南アフリカ支社オフィスでは、帰還したあとも休憩を挟まず報告書を仕上げ、窓のシェード越しにさす朝日を薄目で見つめるダングラールの姿があった。

 努めて甘いマスクを絶やさぬようにしている…ことに、女性スタッフの前では…ダングラールの、微笑むように降りた目蓋は普段と変わらぬ印象を支社長に与えたが、実際のところ、現在のダングラールがはっきりと目を開けていないのは単に寝不足からくる睡眠欲求を因としていた。

「現場から薬莢を回収しましたので、製造元と出荷先を追跡できれば正体がわかるかもしれません」

「あの国は頭文字で略された組織の数が異様に多いからな」支社長が頷く。

「現場に残した痕跡が証拠とならないよう、あらかじめ“消毒”してある可能性はあります。ただ、それならそれで手がかりになるでしょう」

「諒解した。その件については上のほうにも話を通しておく必要があるだろう、まずは我が社の研究員の安全が守られたことに感謝したい。査定が完了するまで最終的な評価は避けるが、あくまで個人的な意見を言えば、作戦は完璧に成功したものと思う」

「ありがとうございます。支社長?」

「なんだね?」

「今回の件でボーナスは出ますか」

「金に困っているのかね?」

「ノン。モチベーションに」

「考慮する」

 大きな仕事には相応の対価が必要だ。相応の対価を得ているという事実こそがプロフェッショナルとしての自覚を促す。

 普段ならばもう少し話を引き伸ばすのもやぶさかではなかったが、疲労が溜まっていたダングラールは早々にその場を辞退し、休憩室へ向けて足を伸ばそうとした。

 社員向けの宿舎へ帰ってゆっくり眠りたいのは山々だったが、おそらくはそこまでの暇は与えられまい。

 支社長は言及しなかったが、現地で遭遇した化物のこともある。いまのところ、ああいった怪異に専門的見地を持つのは社内で自分だけだ。任務はすでに完了しているが、続けて行われる会議のためにもう暫く労力を割くことになるだろう。

 いささかうんざりする思いで長い廊下を歩いていたところ、ダングラールの前に仁王立ちで立ち塞がる姿があった。

 ふさふさとした尻尾を苛立たしげに揺らし、顰めっ面でダングラールを睨みつけるのはブラストライズだ。

「任務完了ごくろうさま、ハニー」

「なにか、その…機嫌が悪そうだね」

「べっつに。徹夜は珍しいことじゃないし、それはお互い様だしね」

 企業警備部隊…法的にはそういう扱いになっている…の専属整備士というのは身なりに気を遣うような職業ではないが、それでも普段より艶をなくした髪を撫でるブラストライズの不機嫌な態度はダングラールの注意を惹いた。

 いったい、どうしたことだろう。

 もとより彼女は「自分が何もかも喋らなくても相手は察して理解してくれる」というような奥手ではなかったから、水を向ければ話してくれるだろうとダングラールは考えた。実際は彼が促すより先にブラストライズが口火を切ったが。

「あたしの子が…」

「僕らの子供が!?」

「そっちはまだできてない!カーエールームー!」

「ああ」

「なんであんなボロボロなのよー!?修理に手間がかかるのはともかく、あんまり酷い目に遭わせないでって言ってるでしょ!」

「すまない、だがあの状況でカエルムではなく人間を向かわせていたら、間違いなく死体袋をヘリに積んで帰還することになっていた」

「そりゃあ、そうかもしんないけど…いつも言ってるけど、無人兵器みたいな扱いはしてないよね?カエルムでも、内格ソウルコンテナを破壊されたら本当に死んじゃうんだから」

「わかってる。気をつけているさ」

「なら、いいけど…」

 ブラストライズが夜を徹する破目になったのは、クレインに再起不能にされたカエルムの修理につきっきりだったせいだろうが、彼女が不機嫌なのは仕事の手間を増やされたことに対してではなく、「我が子」と呼び可愛がるカエルムのダメージに心を痛めたからだろう。

 がさつなところはあるが、基本的に心根の優しい女性なのだ。

 残念ながらカエルムを一つの尊い命だと理解してくれる人間は少なく…あの見た目では…ブラストライズが懸念した通り、というか、その事実こそが彼女に懸念を抱かせているのだが、会社はカエルムを有用な無人兵器と見做している。

 尊い人命が失われるのを避けるための盾というわけだ。

 そうした、同属の命を無条件に格上として扱う人間の態度はしばしば狐魂たちの反感を買うことがある。

 本当にブラストライズの機嫌が悪いときは「人間と狐魂どちらの命が大事なのか」という不毛な議論を吹っかけられるが、今日はそこまでではないらしい。あるいは、まだ他に用事があるのか。

 表情に疲労の色が濃いブラストライズの髪を撫で、ダングラールが優しく声をかける。

「君もすこし休んだほうがいい。僕はこれから休憩室へ向かうところだけど、一緒に行かないか」

「ううん、あたしは整備室に戻らないと。ダングラール?」

「なんだい」

「その…いま、整備室が空いてるんだけど」

「ああ」

 休めるならどこでもいいので、ダングラールはブラストライズとともに整備室へ向かうことにした。

 ただ、彼女と一緒ではあまり休めないような気がしていた。

 

 

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 フィンランド北西部、シャーレクラフ城。

 愛狐教会の分派であるドミノ・シグナリアの本拠であるこの場所には巨大な礼拝堂があり、昼夜を問わず地元の信仰者が訪れる。しかしその日はたった一人、年老いた男が教祖セオとの謁見に臨んでいた。

「教祖様、人間とはかくも愚かしく…惨めで…哀れな存在。お見捨てになられたとて、それは仕方のないこと」

 こうべを垂れ、俯いたまま押し殺した声でつぶやく黒衣の老人を、セオはただ油断のない目つきで祭壇から見下ろしている。

 それは信者と教祖の立ち会いにしてはあまりに異質な光景だった。

 まるで何がしかの試練であるかのように…誰にとってのか…両者のあいだには緊張感がみなぎっている。

「しかし教祖様、どうか今暫くのご辛抱です。人間は変われるのです、この星に…狐魂との共存にふさわしい姿で…ともに道を歩める者として…」

 語り続ける黒衣の老人の表情に先刻までの逡巡はなく、わずかに歓喜の色が浮かび上がるのが祭壇の向こう側に立つセオからも見て取れる。

 やがて老人の全身を覆っていた黒衣が膨れあがり、老人の身体が破裂した…かに見えた。

 捲れた黒衣の下からは人ならざる無数の触手が蠢き、老人の顔つきもすでに人のものではない。裂けた口から裂けた舌を垂らし、六つの複眼を白く剥いて満面の笑みを浮かべる形相は幼子の見る悪夢そのものだ。

 声音までもが奇怪な金切り声と化している。

『きキキき奇キきき兇ょよ今日きオオオきょ教きょぉ尾ぉうう祖ソソそ素マさサササアアアマママママ』

 話す言葉ですらもはや人のものではなく、異形の怪物と化した老人はゆっくりとセオに触手を伸ばす。

 その刹那、老人の側からは見えぬ祭壇の向こう側から金属を撥ねたような「ピンッ」という鋭い音が鳴った。老人が目を見張る、その音に対してではない、セオの姿が一瞬にして消えたことに対してだ。

 しかし、ものを考える暇は与えられなかった。

 醜く爛れた老人の表情から不快な薄笑いが消えた直後、その顔は胴体もろとも寸断され、粉砕された。

 ズギャッ、キィィッ……ーーーィィィイイインンッ!!

 斬り裂かれた肉体から鋭い金属音が響き、老人の背後に奇妙な形状の刀を振り下ろすセオの姿が出現する!

 まるで何もない空間に突如として姿を現したかのように、その光景は誰にとっても予測し得ないものだった。

 そしてセオの表情。

 平素では決して人前で見せない顔つきのまま、彼は押し殺した呻き声をあげていた。その表情は明らかに憤怒で歪んでいた。

「くだらない力を…使ってるんじゃあないぞ……!!」

 ふたたびの一閃、手首をくるりと返し、セオは怪物と化した老人に鮮やかな一太刀を浴びせる。

 すでに両断され虫の息だった老人はとどめの一撃を受け…どうなったか?

 一連の様子を部屋の隅から窺っていたエラスティスは目を見張った。

 老人はさらに細切れになるでもなく、一切の血飛沫をあげることもなく…消えた。ただ、消えた。消え去ってしまった。

 セオの振るった刀が老人に触れた刹那、ストロボのような閃光が瞬いたかと思うと、次の瞬間には老人の姿がものの見事に失せ、かわりに老人の佇んでいた空間が歪み、収縮を繰り返していた。

 バチッ、バチバチッ…

 火花が散るような音を幾度か立てたあと、不安定な脈動を見せていた空間はやがて元通りになり、まるで何も起こらなかったかのように聖堂に静けさが戻った。老人が立っていた場所には、僅かな血痕が残るのみだ。

「教祖様、いまのはいったい…」

 この地に滞在するときのみ身に纏う清楚な尼僧服姿で、エラスティスが柱にもたれかかるような格好でセオに問いかける。

 おそらく彼女に一連の光景を見られたのは予想の外だったであろうが、セオは突如として声をかけてきたエラスティスの存在に驚いた様子もなく、刀をゆっくり鞘に戻すと、静かにつぶやいた。

「γです。まさか、こうまで人の世に浸透していたとは…」

 そんなことを聞いているんじゃない、という言葉を、エラスティスは寸でのところで飲み込む。

 異形の怪物と化した老人の正体についても疑問はあったが、目下の彼女の関心はセオ自身のことについてだった。

 エラスティスはセオとの仲を短いとも浅いとも思っていなかったが、それでも彼女はセオが戦えるということを知らなかった。

 セオが常に携えている刀は、鞘に収まっているときであらば祭儀用の杖にしか見えず、よもや鋭い刃が仕込まれていようなどとは考えたこともない。

 まして相手を消滅させた、あの…「技」?技、と呼ぶべきものだろうか?あれはいったい何なのか?

 刀を振るう直前に見せた素早い動き、一瞬で祭壇を飛び越えて浴びせた一太刀も謎だ。否、あれは高速移動などというものではない、とエラスティスは直感的に思った。

 高速ではなく瞬間、移動ではなく消失と出現…あれはそれだ、とエラスティスは理解した。

 おそらくセオは自らの戦闘能力について問われても語りはすまい、と察したエラスティスは質問の方向性を変えることにした。

「教祖様…セオ。γってなんなの?」

「γとは破滅の因子。世界の存在を否定する意志。我々の宇宙には数多の平行世界が存在し、そして異なる世界の存在を許さぬ意志の方向性がある。その力の流れがγを動かし、望まれぬ世界をγの闇が覆い喰らい尽くす…すべてが滅びるまで」

「どこでそれを?」

「私はかつて、大学で民俗学の研究に携わっていたのです。そのときにγの存在を知ったのですが…もっとも私自身はあまり研究に熱心ではなかったし、すぐに人道支援のほうへ活動の場を移してしまったので、あまり詳しくは知りません。それに、たったいまこの目で脅威を見るまでは存在を信じてもいませんでした」

 かつて在籍していたのは京都にある狐魂専用の大学であったこと、それゆえ彼の言う「民俗学」が実在の脅威や怪異に関する実際的な学問だったこと、そして、京都には狐魂の存在が世界的に公になる以前から宮内庁が庇護してきた狐魂のコミュニティが存在していたことなどをセオは口にしなかった。

 狐魂の存在を中心とする宇宙の神秘を紐解くうえで、平行世界の存在を前提とすることが必須であることもまた、いますぐにエラスティスが知るべきことではないとセオは考えた。

 短い間ではあったが、かつて共に民俗学を研究していたメンバーが現在の霊能局の中枢を担っていることも、また…

「とにかく、γの脅威がこのような形で世界に広まっていることを知った以上、計画の実行を早める必要が出てきました。私は人間のことを快く思ってはいませんが、私が望むのはあくまで主従関係を基幹とした共存であり、破滅ではありません」

「計画とは?」

 かねてよりセオが大きな計画のために組織を動かしていることはエラスティスも承知していた。

 しかしながら、その計画の内容はセオしか知らず…エラスティスも、他の近しい側近でさえも、誰も具体的なことは何一つ知らされていない。

「我が組織の教義、人員を数多の政財界へ浸透させてきたのは、すべて一つの情報を得るため。そう、たった一つの情報を知るための布石だったのです。この世界に必ず存在する、この地球に必ず存在する、『あるもの』を見つけるため」

 そう言ってセオはエラスティスに背を向け、祭壇を見下ろすように壁に嵌められたステンドグラスを仰ぎ見た。

 美しい狐魂の女神…それは愛狐教会に飾られているものよりは幾分扇情的な姿をしていたが…はだけたローブに無数の尻尾を纏わせ、女神が抱くのは時計。無数の文字盤、無数の針が幾何学的に配置された巨大な時計であった。

「この世界を修正するために…私は、八百万時計を見つけなければならない」

 

 

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 スプリングフィールド、米秘匿狐魂研究所。

 ノーマッド博士との個人的な会談を終えたライアンは、彼を見送る直前にあるものを渡した。

「もしもだが…私の身に何かがあった場合は、これを彼らに渡してくれ」

「これは…ハードディスク、ですか?」

 ずっしりとした質量体は、それそのものは変哲のない市販製品だったが、おそらく内蔵されたデータには最高度のプロテクトがかけられているはずだ。

「なにぶん隠微な状況だから、内部の人間には頼めなくてな」

「わかりました。賜りましょう」

 情報漏れを恐れて、味方と決まったわけではない者に頼むとは余程のものなのだろう、とノーマッド博士は内心で考えた。同時に、その程度には自分が信頼されていることに対し奇妙な安堵を覚える。

 何かが起きようとしている…

 ノーマッド博士が抱いたその疑問はしかし、当のライアンにも答えがわかっていなかった。

 

 

 

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