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「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SHOP SQUAD -』

- 2nd Season -

Chapter_05 【 γ侵食 - Black Diamond - 】 Part_6

 

 

 

 

 

**      **      **      **      **      **

 

 

 

「君にはわからんだろう。ともあれ、この場においてこれ以上の議論は不要だ」ダングラールが言った。「工場内で発見した見取り図によると、この先にある貨物用エレベータで地下まで行けるようだ。おそらく、そこに麻薬製造設備があるのだろうと思う」

「そういえば地上階ではそれらしいシロモノを見かけなかったな」

「我々の探している人物も、おそらくは地下に捕らえられているのだろう。連中の行動の動機については、こちらも関心がある…なぜ我が社の研究員を誘拐したのか。ただ殴って済ませる、というわけにはいかない」

 ダングラールは医者が患者のカルテを読むような事務的な口調で…あなたは糖尿病が原因でもうすぐ死にます。でも、それはあなたの生活習慣に問題があったからですよ。とでも告げるように…そう言ったが、冷静であろうとする本人の意識とは別に、その声には若干の感情がこもっているのをベケットは察知する。

 犯行グループの動機を探るのは会社の意向ではなく、個人的な関心からだろう。

 ただの仕事人間というわけではないのか…そのときはじめて、ベケットはダングラールという個人に興味を覚えた。

 ダングラールは部下たちを地上階の安全確保のため現在いる場所に待機を命じ、その間先を歩いていたベケットたちとすぐに合流した。そのすぐ背後に、クレインが破壊したやつとは別のカエルムが続く。

「あれはオタクの会社の製品なのか?」カエルムを指してベケットが訊ねる。

「いや、あくまで特殊作戦用に我が部隊の専属技師が開発した装備だ。売りものではないよ」

「へえ。ところで、あいつは…どこの技術だ?」

「というと?」

「地球で造られたモノなのか?悪ィ、意図のわからん質問に聞こえたなら流してくれ」

「どうだろう。彼女…ああ、いや、うちの技術者について、そこまで深く追求したことはないから。少なくとも、僕は生まれたときからこの惑星の地に足をつけたままだよ」

「ふーん、アースノイドだ」チャペルが口を挟んだ。「アタシたち、スペースノイドだもん」

「宇宙から?ということは、見た目より若いのかな」

 チャペルの口から飛び出した、日本のロボットアニメに登場する用語をまさか知っていたはずはないだろうが、おそらくは語感から言葉の意図を察したのだろう。

 狐魂の外観は精神年齢に大きく左右される。

 人間と同じく6~70年で老人になる者もいれば、まったく子供のような性格と外観をしているのに数千年も生きている、という者もいる。このあたりはそれぞれの個体が持つ『気』の力による影響も大きいが、必ずしも力が強ければ若い姿を保っていられる、というわけでもない。

 そのなかでも、人工義体を利用しているベケットたちはとりわけ珍しいタイプと言える。

 ダングラールの質問には答えず、ベケットは鸚鵡返しに尋ねた。

「オタクは?見た目より歳食ってるのかな」

「どうかな。彼らよりは…」そう言って、ダングラールは部下たちを残してきたほうを顎で指した。「ヴェテランだけどね。僕は彼らの先輩に当たるんだよ。先輩というか、まあ、OBかな」

「元軍人ってことか。まさかナポレオン時代から剣を振ってたとか言うんじゃあるまいな」

「さすがに、そこまでは」ダングラールは苦笑した。「我々の部隊はリージョン出身者が多くてね。そのことは、君も知っているかもしれないが」

「リージョン…フランス外人部隊か」

「それに、実を言うと剣を使いはじめたのはつい最近なんだよ。それまでは…たとえば、初めてモロッコで実戦に参加したときはルベルを使っていたよ」

「ルベル?ライフルか?モロッコって、まさかリーフ共和国じゃなかろうな」

「ウィ」

「たいしたヴェテランじゃねーか、おい」

 リーフ戦争…正確に言えばフランスが参戦した第三次リーフ戦争は、第一次大戦後、当時スペイン王国領だったモロッコを巡って地元のベルベル人部族と衝突した戦いのことだ。

 ベルベル人部族はスペインを相手に宣戦布告し、開戦から間もなくモロッコから独立しリーフ共和国を樹立させることに成功したが、その後国境に展開していたフランス軍部隊に攻撃を仕掛けたため(当時フランスはモロッコでの戦争に消極的だったが、展開していた部隊が偶然にもリーフ共和国の補給線を塞いでいた)、フランスの報復を招いた。

 正確な数は知られていないが、総数約8万人と言われた当時のリーフ共和国軍に対しフランスは30万人の部隊を率いて上陸作戦を敢行し、毒ガスを用いた容赦ない戦法でこれを討ち破ったという。

 フランス外人部隊は当時のモロッコ侵攻における主力であり、スペインはこれに触発されて後に外人部隊を設立している。

「リーフ共和国…こみパか東鳩メインの同人サークルの名前カシラ」チャペルがつぶやく。

「意味はわからねーが大体言いたいことはわかる。そうじゃねーから。まあ、5年も保たなかったドマイナー国家だけどな」とベケット。

「専用の貨幣もあったのだけどね。紙幣と硬貨が、まあ、あまり質は良くなかったが」昔を懐かしむようにダングラールが言った。

 そこで四人の言葉が一度途切れた。

 というのも、地下フロアへ降りるためのエレベータに到着したからだ。それは大型貨物用の開放型で壁はなく、落下を防止するのは腰ほどの高さの手摺りのみという、あまり安全とは言えない代物だった。

 コントロール・パネルの下降ボタンを押すとデッキ全体が振動で揺れ、百年間眠りっぱなしだったところを起こされた巨人のように億劫そうな呻き声をあげると、エレベータはゆっくり動きはじめた。

「途中で止まったらどうしようって思わないかい?」

 そう言ってわざとらしくおどけてみせるクレインにダングラールは一瞥をくれるが、特にコメントすることなく視線を逸らす。

 その反応にクレイン自身も思うところがあったようで、なんとなく空気が気まずくなり…

「どうしたんだ、オマエら」

 …なりかけていたところで、ベケットが間を取り持った。

 クレインとダングラールは互いに居心地が悪そうな態度を見せてから、咳払いしつつ口を開く。

「その…」と、クレイン。

「なんだ」と、ダングラール。

「なんというか」と、クレイン

「うん…」と、ダングラール。

「「キャラが被るような気がして」」二人の声がハモる。

「はぁ?」ベケットが素っ頓狂な声をあげた。

「なんとなく」と、クレイン。

「そう」と、ダングラール。

「「気に食わなかった」」またしても二人の声が重なる。

「な」と、ダングラール。

「うん」と、クレイン。

 その掛け合いを見て、ベケットはやれやれとかぶりを振った。

「いったい、なに、考えてんだか…」

「そういえば二人とも、ちょっと雰囲気が似てるかも」

 チャペルの言葉に、クレインとダングラールが機敏に反応した。そして一言、「「やっぱり」」と。

 そんなくだらないやりとりをしているあいだに、エレベータが最下層まで到着した。特に映画的なトラブルが起きることもなく。

 周辺に雑に積まれた貨物や機械部品を避けながら、四人は警戒しつつ前進をはじめる。

 人の気配はなかった。つい先刻までの乱痴気騒ぎが嘘のように…機械の稼動する規則正しい駆動音と、ときおり電灯が明滅する「バチバチ」という音が聞こえるだけだ。静かだった。

 だが、機械が動いているということは…誰かが動かしているということだ。

 これは死の静けさではない、廃墟の静けさではない。この施設は、たしかに「生きて」いる。

「チーちゃん、上階で保安システムにアクセスしたとき、ここの情報はあった?」クレインが尋ねる。

「あっ、そういえば…見なかったわん。ネットワークが遮断、じゃない、独立してるのカシラ」

 そう言ってチャペルは配線を探ったが、一見してネットワークケーブルらしきものは見当たらなかった。

 ひょっとして、社内ネットでの管理を前提としない旧式の機械を使っているのだろうか?もちろん、麻薬の製造にハイテク機器が必要と決まったものでもないが…

「わからねぇな」ベケットがつぶやく。「連中、どうやってγを仕入れた?アレを扱うなんて…結晶化させるなんて、それこそ高位の能力者でもなければ不可能だ。まして人間なんぞに出来る所業じゃあねー」

「ここでγそのものを生成しているのでなければ、どうやってか安全な方法でここまで持ち込んでいるということだ。地元の麻薬組織にそこまで出来るものかな?」クレインも疑問を口にした。「少なくとも、ここにいる人間だけで全部を行っているようには見えないね」

「外部に協力者がいるってこと?」チャペルが尋ねた。

「たぶんな」

 そうベケットが言ったあと、ダングラールがふと口を開いた。

「ここにいる連中は、麻薬組織なのかい?地元の?」

「と、思われてる」

「そう思う根拠は?」

「たんなる推測さ。確証はない」

「それで、もしそれが本当なら…その、麻薬組織の構成員はどこにいるんだね?」

 そう言われて、ベケットたち三人は黙ってしまった。

 ここに来てからマトモな人間はただの一人として見かけておらず、それはダングラールたちも同様らしい。

 いたのはγによって変異したバケモノどもだけ。だが、施設の環境は明らかに人間のためにこしらえたものだ。怪物の巣という風情ではない。まるで休憩時間中に人が出払っているような、そんな光景だった。

 待ち伏せか?あるいは、もっと別の何かか…

 だいたい、変異した元人間たちの素性がわからなかった。あれは麻薬組織の構成員の末路だろうか?

 味方をあんなふうに変異させる必要があるのか?…なぜ?

 現時点ではわからないことが多過ぎた。

『コャーン。コャーン。ピココココ』

「なんだ?」

 そのとき、宙で滞空していたカエルムが奇妙な音を発した。赤い目が点滅している。何かを知らせたいようだ。

 クレインが素早くソナー・センサーと聴覚センサーを展開し、検知結果を他の仲間たちに送信する。現在進行形で何者かがこちらへ近づいてくる…人型、やや小柄、武装はしていない…表面上は。

「誰か来る。警戒を」ダングラールの肩を軽く叩き、ベケットは注意を促す。

「敵かい?」

「わからん。民間人かも」

「まさか…?」

「おいクソ映画、赤外線センサー」

「やってるよ。目標補足、行動予測シミュレート…もうすぐ角を曲がって鉢合わせる。三秒前、二、一…」

 クレインがカウントダウンをはじめ、ベケットが素早く死角へ移動する。

 相手を取り押さえられるように…万が一の可能性ではあるが、相手が爆薬を見につけており、接触と同時に自爆する恐れがある。そうなった場合、ベケットのスーツの装甲で押さえれば、無傷ではいかないにしろ被害は最小限に抑えられる。 

 センサーなど使わなくても足音と、相手の息遣いが聞こえた、その瞬間に。

「掴まえたっ!」

「博士!?」

 ベケットが曲がり角から飛び出してきた対象者を背後から拘束した…と同時に、ダングラールがその正体を判別する。

 やや白髪が混じった七三分けの黒髪に、細いメタルフレームの眼鏡。白衣を着た初老の男、アジア系だ。中国系か、それとも日系か。酷く取り乱していた。

 取り押さえられて硬直していたが、ダングラールの顔を見た途端、一寸だけ警戒が和らぐ。

「あんたは…警備部の。どうしてここに…いや、それは愚問か。私を、その…」

「助けに来た。社員に危害を加えるような命知らずは許しておけないよ。会社のプライドに関わるしね」

「その…なんだ。社内機密と、安全保障に関する懸念は…」

「なにを考えているんだ?君の身柄は我が社が責任をもって保護する。事後の処理や手続きに面倒な部分はあるだろうが、君の身の安全を脅かすようなことは起こらないよ」

「…そう、だな。ああ、まさか自分の身にこんなことが起こるとは思っていなかったから。動転しているんだ」

「無理もない」

 博士と呼ばれた男の身体から力が抜け、ぐったりと肩を落とす。

 そのとき博士をじっと見つめていた…見ていたのではない、X線センサーでボディをスキャニングしていたのだ。本来ならば当人の許可を得ずそのような行為に及ぶのは倫理的に問題がある…クレインが、ベケットのほうを向き赤外線不可視光レーザーを発射した。

 通信用の短距離レーザー波だ。

『オーケイだ。何も持っていない』

『そうか。ちゃんと身体の中も見たろうな?』

『胃も腸も、爆薬どころかカラッポだよ。こんな環境では食も進まないんだろうね…膀胱に溜まってるのはコーヒーだろうな』

『そっか』

 ベケットが博士を拘束する手を緩め、ゆっくりと解放する。

「ところで、彼らは…」

 横目で黒の装甲服を盗み見ながら、躊躇いがちに博士がダングラールにたずねる。

 無理もない質問だ。ただ、ベケットたちがアルシッド保安部の一員ではないとすぐに理解したということは、多少は保安関係と付き合いがあるのかもしれない。

 どうやらこの博士は、見た目通りの情けないオヤジというわけでもなさそうだ。

「どう説明してほしい?」

 ダングラールが意地の悪い笑みを浮かべる。

 べつに、この期に及んで本音を言ってもよかったが…オレたちはCIAのエージェントで、特殊なヤクを売り捌いてるイカレたバイニンどものケツを蹴っ飛ばしに大西洋を渡ってやってきた…誰がそんな与太を信じる?

 余計なことを言うくらいなら、何も言わないほうがましだ。

 だからベケットは無言も同義の意味のない言葉を口にし、肩をすくめてみせた。

「通りすがりさ。善意の」

「随分な重武装だ。海でも陸でも空でも、持ち込むのは容易ではなかったろう。それとも、この国のアーミー(軍隊)かね?」

「詮索はそのへんにしときなよ、おとっつぁん。むしろ、聞きたいことが多いのはこっちなんだ」

 無意識のうちにベケットが声にドスをきかせる。

 脅すつもりはなかったが、いつまでも和気藹々と駄弁っているわけにもいかなかった。

「オタク、ずっとここにいたんだろ。遺伝子工学の専門家らしいが…この場所の、この有様はいったいどういうわけだ?それに、なぜオタクだけが無事でいられた?疑うわけじゃないが、単純に理由が知りたい」

「ずっと、というか、半月ほどだが…彼らの思惑について、詳しくは知らない」

「彼ら?」

「正体はわからない。この工場の所有者で、あの麻薬を作っている連中だ」

「麻薬…結晶化したγを加工したものだな」

「そうだ。彼らはあの麻薬を世界中に広めようとしている」

「麻薬を商売にするなら、まあ、そりゃそうだろうな」

「ところが、違うんだ。彼らがやっているのは、たんなる麻薬の密売ではない」

「どういうことだ」

「コストがかかりすぎるんだ。それに、危険すぎる。わざわざ新しい商品を売り出すメリットがない…たんに、金のためだけにやっているなら。そうではない、彼ら…というより、『彼』の目的は、人間をγ化させること、そのものだ」

「ここにいた連中のように、か」

 いったい、やつらの目的はなんだ。パンデミックを起こして世界でも滅ぼすつもりか?

 しかし博士はまたも首を振ると、ベケットの懸念を否定した。

「最終的にはそうだが…あれは違う。この施設にいた変異体、いま世界中で増殖しつつあるものも含め、あれらは失敗作なんだ。薬はまだ完成していないんだよ。だから私がここへ連れてこられたんだ」

「ヤクを改良するためにか」

「そうだ。少なくとも、『彼』はその必要があると思ったらしい…私が選ばれたのはまったく偶然なのだが」

「それで、連中のために何をした?」

「なにも」

 そう言って、博士はがっくりと肩を落とした。

「なにもできなかった。というか、なにもしていないに等しい。あのγとかいう物質は、地球上に存在する既存のどの物質とも違っている。『彼』はたんに遺伝子工学の専門家さえ呼べば改良できると考えていたようだが、それは無理な相談だ。まずは基礎研究の段階から取り組まなければならない、と私は言ったよ。そして、『彼』はそれに同意した」

「何か危害を加えられるとか、そういったことは?」

「ない。あるはずがない。『彼』にとって、私は大事な客だったのだから。彼の目的を達成できる、おそらくは唯一の協力者だったのだから」

 それから博士は、自分はずっと研究室に篭もりきりだったこと、そのせいで、この場所で何が行われていたのか大半は知らないこと、今日になって急に外が騒がしくなったので様子がおかしいと思い、タイミングを見計らって研究室を飛び出してきたことを伝えた。

「それで」ベケットが質問を続ける。「ここにいた連中の正体は?あの、変異しちまった連中だが」

「麻薬組織の構成員だ。だが、彼らが変異したのはたんなる事故と言っていい…彼らは、自分たちが取り扱っている物の正体を知らなかった。たんに数多くある麻薬の一種類だと思っていたんだ」

「で、自分たちが扱ってる商品に手を出したってわけか?」

「そんなところだ。止めるべきだとは思った…その手立てはなかったが」

 それはそうだろう、とベケットは思った。

 人質として連れてきた人間に、その麻薬は危険だからやめろと言われても、犯罪組織の構成員が聞き入れるとは思えない。麻薬というのはどれも危険なものだし、安全だと思って使う者もいない。

 ひとまず、いまのところ想定している以上の事態の悪化は抑えられそうだ…ここですべてを終わらせることができれば。

 だからこそ、博士には最後の質問に答えてもらう必要があった。

「博士、アンタの言う『彼』とは、誰のことだ?」

「名前は知らない。組織のボスらしい、といっても、最近までは他の国にいて、組織とはほとんど関わりがなかったらしい。たしか、そんな話を聞いた」

「そいつがγをここに持ち込んだんだな?」

 博士は言った。「そうだ。そして、彼自身もγによる変異を起こしている。症状は他の変異体とそう違いはない、が、度が過ぎている…身体全体が大きく肥大化し、まるで象か…恐竜ほどのサイズにまで巨大化している」

 博士は言った。「彼には…自我が残っている」

 ベケットは信じられない思いで訊き返す。「ウソだろ…」

 博士は言った。「本当だ。彼には人間的な自我が、意識が残っている。まるで他の人間となにも差がないかのように。理知的で、聡明な物言いをする男だ。声だけ聞いていたら、麻薬組織のボスだとはとても信じられない」

 そこで博士は一拍置いた。周囲の面々を見回し、自分が言ったことが充分に伝わっていることを確認してから、ふたたび口を開く。

「彼の目的は…すべての人類を彼自身のようにすることだと言っていた。目的はわからない。聞いたが、理解できなかった。彼が言うには、この世界は偽物で、γを使って変異することで真実の世界へ向かうための階梯を登れるとか、どうとか」

「まるで新興宗教の教祖様だな」

 そう言って、ベケットはチラリと前回の事件の黒幕…ドミノ・シグナリアを思い浮かべた。

 まさか今回の件も、あの連中が仕掛けをしているんじゃあるまいな。

 もっとも、とベケットは考えた。あの連中が狂信的なのは確かだが、こんな手段を取るだろうか?なんのために…

 そもそもドミノ・シグナリアはその行動の真意が掴めない。良からぬことを企んでいるのは確かだが。

「少佐」クレインがベケットに呼びかける。

「なんだ」

「壁の向こうに巨大な熱源体がいる」

 それを聞いてベケットはクレインが指したほうを…ついさっきまではただの壁だと思っていたが、実際はただの壁ではなかったものを見つめた。隔壁だった。巨大な隔壁だ。銀行の大金庫か核シェルターにでも使われていそうな、大層な代物だった。

 どうやらあれが大魔王の城への入り口らしかった。

 ようやく諸悪の根源とのご対面というわけだ。だが、このままでは少しばかり余計なオーディエンスが多過ぎた。

 ベケットはダングラールのほうをチラと見やり、懸念を表す。ダングラールは勘の良い男だったから、その視線の意味をすぐに察し、博士に向かって言った。

「ここは僕たちに任せて、博士は地上階へ向かってください。すでに部下が待機しています。念のためカエルムを護衛につけましょう」

「あ、ああ…わかった」

 ダングラールに促され、博士…けっきょく名前は聞かなかった…は先導するカエルムのあとをついていき、やがてベケットたちの視界から消えた。

 とはいうものの…

 当たり前のようにこの場に居残っているダングラールに、ベケットは苦笑を漏らした。

「博士は無事に救出できたんだ、そっちの用はもう済んだろう。資料とやらをとっととオレたちに渡して、帰っていいんだぜ」

「いまさら除け者扱いはなしだよ、mes ami(きみ)。我々も連中の動機は知っておかなければならないし、社に向かって中指を立てられた手前、ただ博士を連れて帰るというわけにはいかない。すでに言ったようだけど」

「年寄りはガンコでいけねえ」

「それに、君たちがきちんと自分の役割を果たせるのかどうか、見届ける必要もあるし」

「舐められたもんだ。ヤバイことになっても、オタクのことは庇ってやれんぜ?」

「心配してくれるのかね?優しさに涙が出そうだ、年を取ると涙脆くなっていけない」

「クソジジイ」

「どういたしまして。クソガキ」

 そう言って、しばらく二人は互いにしかめっ面で睨み合っていたが、それも長くは続かなかった。

 すぐに二人は笑いだし、その直後、チャペルが制御パネルの操作を終え、仰々しいサイレンの音とともに隔壁が開きはじめる。

 戦車砲ですら防げそうな、鉛と鋼鉄とコンクリートで覆われたぶ厚い隔壁がスライドし、暗闇に覆われた内陣からひんやりとした冷気が漏れてきた。

 部屋の向こう側は真っ暗で、通常の視界ではなにも見ることができなかった。

 ベケットたちが暗視装置に切り替えようとした矢先、ダングラールが二本の発炎筒を取り出して同時に点火し、無造作に放り投げる。

 目の前の空間が朱色に染まり…皆の前に、ぞっとするほど生気のない青白い肌が浮かび上がった。

『おお…おおお……真実の担い手よ。真理の体現者よ…』

「なに、あれ」

 闇の最奥から響く地鳴りのような呻き声に、チャペルがおそるおそる反応を示す。

 天井までが異様に高い、なにもない空間で…ひょっとしたらこの部屋は、もともとミサイルサイロだったのか?…醜悪な肉塊が蠢き、巨大な目玉をぎょろつかせながら四人と相対した。

 怪物、そう形容するしかない巨体の「何か」はゆっくり息を吐き出すと、目を細めて四人の姿を凝視する。

『素晴らしい、よく、よくぞここまで…歓迎しよう、狐魂たちよ』

「オメー、なにもんだ」

 不思議と、というか、不気味にも敵対の意思を見せない怪物に、ベケットはいつでも火器を発射できるよう注意しつつ尋ねる。

 目の前の怪物は遠来の客を相手にくつろぐ家の主といった風情で、ことさら緊張しているようにも、気分を害しているようにも見えない。ベケットたちが敵対意思を持つ侵入者であることをわからぬはずはないのだが。

 どうやら、それを理解したうえでの反応らしかった。

『わたしは人間だよ。いや、もとは人間だった存在だ。γによって変化したいまのこの姿を、何と定義すれば良いのかはわからないが』

「それは自分でやったのか?」

『いや、これは不可避の事故の産物だ。だが、わたし自身はこうなって良かったと思っている。こうして、きみたちの存在に近づくことができた…素晴らしい。じつに』

「何を言いたいのかわからねーな」

『性急な物言いだね。お喋りは嫌いかな…怪物の話など聞きたくもないかな」

「内容によるさ」

『きみたちはわたしを殺すつもりでいるね。わたしのしたことが許せないか、あるいは、わたしのような存在が許せないのか、はっきりと理由はわからないが…差し支えなければ、すこしのあいだ昔話をさせてくれないかね?』

 異形の存在の口からもたらされた奇妙な提案に、思わずベケットたちは顔を見合わせた。

 こいつはいったい何を企んでいるんだ?

 あるいは何も、罠に嵌めるとか、応援を待つといった一切の下心なく、本当にただ話がしたいだけなのかもしれなかったが…聞くだけの価値があるのかどうか。

 特殊作戦のマニュアルに沿うなら、敵対分子の言葉に耳を傾けるほど馬鹿げたことはない。

 いますぐに最大火力で攻撃し、相手を抹殺するべきだろう。

 だが、たとえそれが可能だったとして、相手の正体も動機もわからず、活動の規模や実態もわからないまますべてを闇に葬り去るには、あまりにも情報が少な過ぎた。

「(話したいっていうなら、話させてやろうよ)」

 表面上は無言のまま、クレインが短距離レーザー通信でベケットとチャペルに提言する。

「(そのかわり、すこしでも怪しい動きをすれば…そのときに攻撃しても、まあ、遅過ぎるってことにはならないだろう。たぶん)」

「(どうだかな)」

 ヘッドセットの下でベケットは顔をしかめ、暗闇のなかで赤く照らされたダングラールをチラと見やった。

 目を細めて怪物を観察するダングラールはまるで緊張していないようで、身体に力が入っていない自然体だ。だが、だからといって油断していないということはない。動くときは抜く手も見せないだろうと、ベケットは思った。

 まもなくベケットの視線に気づいたダングラールが振り向き、軽く肩をすくめてみせる。どうやらクレインと同意見らしい。すこし意外な反応だった。

「話を聞こう」ベケットが一歩前に出た。ガトリングガンの銃口を下ろして。相手の警戒心を…そんなものがあるようには見えなかったが…解くために。だが、ベケットの背後には別の三つの銃口が控えている。

 こんなちゃちなまやかしに騙されるほど相手は愚かではなかったが、それに対するリアクションは特になかった。靴にへばりついた蟻を振り払うまでもない、とでもいうように。

『わたしは人間だった。ごく普通の、善良な。密入国者ではあったが、まっとうな労働者だった。あの場所はまさしく悪の坩堝で、わたしのような環境にいる者はみな悪に染まったが、わたしはそうではなかった。もっとも…そのことで、なにかが変わったわけではなかったが』

「あの場所?」

『ニンセイ』

 そうつぶやき、怪物はしばらく黙っていた。まるでその名前が特別なものであるかのように、その名前を口に出しただけで、おおよその事態が把握できるとでもいうかのように。

 ニンセイ。仁清。悪徳の街。

 住民のほとんどを不法入国者が占める、チバシティ港湾地区のスラム。五年前、γクラスタの襲来によって壊滅した場所だ。未だ除染作業中で、隔離措置が解除されていないはずだ。

『わたしはこの地元で生まれ、育ち、妻と結婚し、子をもうけた。そして貧しい生活から脱するため、日本に出稼ぎに出た…あのニンセイへ。そして五年前、あのγクラスタと呼ばれる存在が現れ…すべてを飲み込んだ…』

 チバシティ・クライシス、γクラスタの存在がはじめて公になった事件。

 こいつはその被害者なのか?

『あらゆるものがγの影響を受け、わたし自身もγによって変質するなか、この身が変わり果てるその直前に、わたしはあるビジョンを見たのだ』

 怪物は目を細め…無数の目を。顔だけじゃない、腕や肩にびっしりと埋まった眼球でどこか遠くを見つめながら、話を続けた。いまなら簡単に不意を突けそうだった。

 もちろん…ベケットはターゲッティング・システムをフルに展開しながら、うっかりとトリガーを引かないよう注意を払った…簡単にことが進みそうなときほど用心しなければならない。でなければ、結果として「うっかりミスをした」というだけのことになりかねない。

『異なる世界の風景。いま我々が存在し、暮らしている世界に似ているが、別の世界。多元宇宙、平行世界、そういったものの存在をわたしは見たのだ』

「平行世界(パラレルワールド)?」

『そうだ。そして驚くべきことを発見した、数多の世界はみな、それぞれが等しい価値を持っているわけではない。たった一つの世界を除いて、それ以外のすべては偽物に過ぎないということを知ったのだ。そう、この世界でさえも』

「いま…オレたちが存在している、この世界が偽物だと?」

『そうだとも。恥を知らぬ、醜穢な人間と、その文明が地上を覆う哀れな地球。なぜそんなものが存在できるのか?なぜ、そんなものの存在が許されるのか?それは、そう…この世界が、薄っぺらな偽物の世界に過ぎないからだ』

 もったいつけて、なにを言い出すかと思えば…

 きっとこいつは頭がぶっ壊れているに違いない、見た目通りに。ベケットはそう思った。

 だったら?

 早く撃って、殺して、始末して、帰って寝てすべてを忘れる。そして朝を迎え、いつも通りの生活をはじめる。そうするのが最善のように思えた。「健全」と言い換えてもいい。朝に起きて、夜に眠るのと同じように…それも、飲みすぎないうちに。

 だが、どういうわけだ…ベケットは目前の怪物を睨みつけたまま、自分がトリガーを引けないことに気がついた。

 なぜなら、僅かに…ほんの僅かに…自分が動揺していることを自覚したからだ。率直に言って、怪物の言葉に不快感を覚えていた。ただの無価値な虚言なら、そんなふうに感じることはないはずなのに。

 動揺しているのは他の三人も同じようだった。もしかしたら、これがあの怪物の能力なのかもしれない。

『そしてわたしは、この世界が偽物であることを知っただけではなく、本当の世界の姿を…真の地球の姿をも垣間見ることができた。真実の世界に、人間など存在しなかった。そこにいたのは、γと…そして、そう、君たち狐魂だ』

「どうやって見分けたんだ、その、本物だの偽物だのってのを?」

『感覚だよ。直感と言ってもいい。理屈ではない、素晴らしい芸術作品を目の当たりにしたとき、感動と圧倒が心を押し潰すような、そういった感覚だ。きみたちに今ここであの光景を見せられないのが残念なくらいだ…見れば、きっと理解できるに違いないだろうに』

 そう言って、怪物は心底残念そうに肩を落とした。

 そんな言葉に何の信憑性がある、とベケットは思ったが、口には出さなかった。いまここで水掛け論をやっても意味がない。

『わたしは強く願った、真実の世界へ行くことを。この穢れた偽りの世界ではない、真に正しい唯一つの世界へ行くことを。あれは異なる次元に存在するのかもしれないし、それとも未来の光景なのかもしれない。いずれにせよ、人間の存在を消す必要があった』

「……!?まさか…ッ!」

『人間は狐魂にはなれない。だが、γになら…γを取り込み、γと一体化し、γそのものとなれば…そうすれば、人間でなくなった我々は、真実の世界に存在する権利を得られる…γとして!』

「テメエ、イカレてんのか!?」

『そうかもしれない。すべてはわたしの妄想の産物なのかもしれない。だが、そうでないとしたら?狂気にまみれたこの世界で…わたしただ一人が真実を見、認識できた、唯一の正気な人間なのだとしたら?どちらであれ、わたしがやるべきことは決まっている。その原動力が正気であろうと、あるいは、狂気であろうと』

「だとしたら」

 ベケットは他の三人に目配せをすると、ガトリングガンの銃口をふたたび怪物の身体の中心に向け、銃身を回転させた。あとほんのワンアクション、撃てと頭の中で命じただけで、秒間40発の弾丸が瞬時に吐き出されることになる。

 それは明確な攻撃の…敵対の意思表示だった。

 モーターの回転音だけが不気味にこだまするなか、ベケットが厳然と言い放つ。

「だとしたら、オレたちはオマエを殺さなきゃならない」

『それは残念だ』

「オマエの正気を問題にしてるわけじゃあねぇ。というか、オマエが自分の言う通りに徹頭徹尾マトモだったとしても、あるいは、ただの気のふれたイカレ野郎だったとしても、そんなことは問題じゃない。要するに、全人類をγ化するなんぞという計画を実行させるわけにはいかんということだ」

『わたし一人では意味がないのだ!すべてを救わなければ!わたしは人間を愛している、だからこそγによる救済を広めなければならない!わたしは偶然にも適合できただけだが、必ず…必ず、総ての人間が意思を保ったままγとして生まれ変わる方法があるはず!彼はそこまでは望まなかったが…』

「彼?」

『わたしに協力してくれた賢者だ。滅び去った仁清の地下深くでわたしを救い、世界の真実を見せてくれた狐魂』

「そいつの目的はなんだ!」

『偽りの世界を滅ぼすこと。ゆえに、きみたちが真理を否定し…この偽りの世界の守護者たらんとするなら、たとえ狐魂であろうと、わたしはきみたちを滅ぼさなければならない』

「なるほどな。つまり、意見が一致したわけだ」

『そのようだ』

 ズドガガガガガガンッッ!!

 怪物が身動きを取ろうとした刹那、ガトリングガンの容赦ない猛射による弾丸の雨が降り注ぐ!

 おどろおどろしい肉塊が裂け、はじけ、抵抗する間もないまま怪物の身体が削り飛ばされていく。そこにチャペルのシールドガン、クレインの爆裂ダート弾による攻撃も加わり、凄まじい轟音のなか一面に血と肉の破片が飛散する無残な光景が展開された。

 そんななかで…

 ドカッ、ドカッ、ドカッ。

 ダングラールは懐から抜き出したリボルバー…見たところ、かなり古式のようだ…を連射する。しかし、他の三人に比べると火力に見劣りがあるのは明らかだ。

「銃、使うんだ」

 状況に似合わぬ緊迫感のない声で問うチャペルに、ダングラール。

「さすがに、この弾雨のなか剣で斬りかかる気は起きないからね」

 そもそも火力制圧を前提とした重装甲兵と比較すること自体が野暮な話ではあるが、当のダングラールはあまりそのことを気にしている様子はない。ここで張り合っても意味がないと考えているのか。

 全員が一通りの射撃を終えたときには、先刻まで辛うじて人間らしい形を保っていた怪物は精肉場に吊られた豚よりも酷い有様になっていた。どろりとした血が地下のサイロを覆い、とてつもない悪臭が漂う。

 まさしく中世の屠殺場のような有り様だ。

 この血や肉、見た目こそ人間や他の動物とさほど変わりはないが、確実にγ細胞を取り込んでいる。一度ほかの細胞と結びついたγ細胞は繁殖も二次感染もしないので、触れたところで害はないはずだが。

 それとて完全に仕組みが解明されたわけではないので、油断は禁物だった。

 実際のところ、γの脅威というのはγクラスタあってこそのものだ。γクラスタが無尽蔵にγ細胞をばら撒き爆発的速度で汚染を広めることが脅威なのだ。仁清が滅びたのもそのせいだ。

 しかし奇形化したとはいえ、プラントとしての性質を持たない単一のγ汚染者にはさほどの脅威はない。

 喋る口も、考える脳も失った怪物の姿を見つめ、ベケットが言う。

「早いところ灼いっちまおう。クソ映画、サーメイトの用意だ。オレのは切らしちまった」

「了解、ボス」

 わざとらしい丁寧口調で答えながらクレインは超高温の焼却手榴弾を取り出し、一つ、二つと連続で放る。

 ピン、という小気味良い金属音とともにレバーが外れ、転がったのち、炸裂音とともに発火炎が爆発的早さで広がった。

「延焼の可能性は?」リボルバーに弾丸を装填しながらダングラールがたずねる。

「すぐに消えるからダイジョーブよん。超高温で一瞬で焼いちまうのだ」彼のほうを向いてチャペルが答える。

「なるほど。こんな場所で僕たちもろとも丸焼けは願い下げだからね」

 実際にはそれほど心配していない様子でつぶやくダングラールを、チャペルは興味深そうに見つめた。

 彼の持つリボルバーは右側にスウィングアウトする珍しいタイプで(そのためダングラールは銃を左手で扱っていた。右手でいつでも剣を抜けるよう空けておくためだろうか)、一世紀以上も前のモデルだが、たんに懐古趣味というよりは、昔から扱い慣れているという感じだった。

 弾丸を装填し、シリンダーを戻してローディングゲードを閉じる直前…チャペルは瞬間的に撮影した画像を拡大解析し、ダングラールの扱う銀色の銃弾がアルミ合金や胴被甲にニッケルメッキを施したものではなく、純銀製であることを確認した。

 銀の弾丸?

 銀は鉛よりも比重が軽く、初速は上がるが貫通性や威力は落ちるはずだ。コストを度外視したとしても、実用面から通常の鉛(銅被甲)弾頭より有利になるということはない。

 初陣はリーフ戦争だったというが、そこから現在に至るまで彼は何をしていたのか?

 そのことを尋ねてみようかとも思ったが、当のダングラールの関心はチャペルではなく焼却される怪物のほうへ向かっているようだ。

「しかし、凄まじい高温だな。肉塊がみるみるうちに溶けていく」

「…なんだって?」

 何気ないダングラールの一言に、しかしベケットが耳を立てて機敏に反応した。

「どういうことだ」

「何か問題が?」

「肉を超高温で瞬間的に焼いたんだぞ。普通は炭化するもんだ、いままでも例外なくそうだった。『溶ける』ってなんだよ?」

 ざわっ……

 四人の間に動揺が走る。

 酸素を必要とせず、水中でも燃えるサーメイト焼却弾の燃焼時間は非常に短い。炎が消え、でこぼこに変形したコンクリート床に広がった肉色の液体がゴボゴボと音を立て、噴水のように隆起をはじめる。

 ガチャリ、四人はふたたび一斉に銃を構えるが、トリガーを引くまでには至らない。

 あれを撃って意味があるのか?

 吐き気を催す異臭を放ちながら、ガボガボ、ドロドロと変形を続ける肉液の一部が奇妙なうねりを見せ、げっぷのような音を立てて大きく開いたかと思うと、そこに乳白色の歯が並び、巨大な口が形成された。

『お…ああ……おごあががが』

 やがて口だけではなく、どこからともなく目玉や手足が再生され、はっきりとしたフォルムに形成される。

 …人間とはまるで異なる位置に。

 怪物は奇異な唸り声をあげながら、2つの口、16の手足、36の目玉を伴う異形となって復活した。

 足にびっしりと揃った吸気口から、キッスのような淫靡な音をたて床や壁に飛び散った血液を吸収していく。あまりのグロテスクさが、この世の光景とは思えなかった。

『お…おお……身体が…うまく動かない…神経の接続に…問題が、あるようだ……』

「この野郎、この見た目で理性が残ってんのかよ…!」

 二つの口からステレオで発声する怪物に、ベケットは絶句する。

「バケモノめ…!」

『真実への…到達は…人を捨てることで、はじめて…実現する…人間らしさへの…執着も…恐れはない。後悔も』

 そう言って、ギョロリ、怪物は36の目をいっせいに動かし、ベケットを見つめた。

 体毛のない肉体の表面で無数の血管や神経が蠢き、まるでそれ自体が意思を持った生物かのような動きを見せる。やがてそれがあるべき位置に収まると、怪物はひときわ大きな唸り声をあげた。

『おおおおおおおおおおおッッ!!』

 ドガガガガガンッッ!!

 ふたたびベケットたちは発砲を開始し、怪物の息の根を止めるべく無数の弾丸を叩き込む。

 肉体を破壊されながらも、怪物は背中を隆起させて管のようなものを浮かび上がらせる。自動二輪のマフラーのような形状をした突起物から、ベジャッ、ヘドロのような汚物が噴出し、天井を黒く塗り潰した。

 なんだ、あれは?

 四人が誰何するよりも早く、粘性の高い液体が垂れ、落下し、漆黒の球体はそのまま地面に落下…することなく、宙に浮いたまま、徐々にその液体は固体へと硬化していった。

 まるで磨き上げられた鉱石のような輝きを放つ球体、それはベケットたちにとっても見覚えのあるものだった。

「分散型γクラスタ!?」

 あの怪物が自力で生み出したのか!?

 γスポア…巨大γクラスタや、重度のγ汚染を受けた狐魂が稀に持つ特性だ。体内でγを生成し、分散型クラスタとして放出する。

 だが先刻まで、この怪物にそのような真似ができる気配、兆候はなかったはず。

 もしや一度完全に破壊された肉体を自力で再構成した過程で突然変異を起こしたのか?

「マズイッ!」

 一旦射撃を中止し、ベケットは高速で飛来する分散型γクラスタの体当たりを避ける。

 ベケットの動きを捉えきれなかった分散型γクラスタはそのままコンクリートの床に激突し、砕け散った。ボゴンッ、という破砕音を立て、床に巨大なスプーンで掬い取ったような跡が残る。

 間もなく分散型γクラスタが残した汚泥のような液体が地面に染みわたり、突如、黒く染まった部分が脈打ちはじめた。

「なんだ、あれは!?」驚きの声をあげるダングラール。

「クソッタレ、中尉、サーメイトだ!」

 半ばダングラールの質問を無視するような形でベケットが叫ぶが早いか、クレインが素早く麻酔銃の弾倉を焼夷弾装填のシリンダーへ切り替え、血管のようなものが浮かび上がった床の穴に向かって発砲する。

 バジュゥウウ、ボゴン!

 注射器型の焼夷弾頭が着弾とともに破裂し、瞬間的に地面を焼き払った。

「γクラスタは純粋なγ細胞の集合体だ。破裂と同時に撒き散らかされたγ細胞があらゆる物質と結びつき、γ化させる…生物も無生物も、有機物も無機物も関係なく、な。そうやって際限なく汚染を広げていくんだ」

「つまり、ここでアレを食い止めることができなければ…」

「仁清の二の舞ってことだ」

 5年前のチバシティ・クライシスでは、東京湾上空に出現した巨大γクラスタが無数の分散型γクラスタを放出し港湾地区一体を大規模汚染した。それでも…巨大γクラスタ本来の性質からすれば、被害は最小限に抑えられたと言ってもいい。

 ただ攻撃を加え破壊すればいい、というものではない。

 扱いを間違えれば…適切な対処ができなければ、下手をすれば南アフリカ全土に被害が広がる恐れがある。

『どうしたのかな、もう撃ってはこないのかな?』

「ヤロォ…」

 不死身だからって、調子に乗ってやがる。

 縦に裂けた口を微笑んだように歪める怪物の態度には余裕がありありと表れている。自身の不死性に絶対の自信を持っているのだろう。粉々に吹き飛ばされたうえ、4000℃超の高温で焼かれた状態から再生できたのだ、それも当然のことだった。

 このまま無闇に攻撃を続けてもジリ貧だ、こちらの弾薬が尽きてしまう。それに、焼却剤にも限りがある。

「アレを使うしかねえ」

「あれ?」

「オレの新兵器」

 新型スーツに搭載された新兵器。

 チャペルのドローン、クレインの催幻ステルスフィールドと同様に、ベケットも新しい装備を身につけていた。

 そもそも今回のベケットの新型スーツは駆動系からすべて取り替えてあるのだ。

 ベケットのスーツは他二人のものと比べて高いパワーを有する反面、多量のエネルギーを必要とするため予備動力に小型のロケットエンジンを搭載していたが、今回からは新たに開発されたエーテル・リアクターを搭載し、従来より高い出力と膨大なエネルギーを生み出すことができる。

 燃料となるエーテルの最大の利点は質量を持たないことだ。そのため気体化したエーテルは燃料スペースに無尽蔵に封入が可能であり、事前に充分な補給がなされていれば、ほぼ無尽蔵にエネルギーを使用することが可能となる。

 エーテルとは何か?

 それは狐魂が持つ霊的エネルギー。所謂、「霊力」と呼ばれるものとほぼ同一のものである。

 そしてベケットのスーツに搭載されたエーテル・リアクターの燃料は、狐魂研究所で命を落とした狐魂たちの最期の灯火から得たもの…綺麗事では、世界は救えない。

 ガチャリッ!

 ガトリングガンの一部が展開し、白銀に輝く銃口と、照準装置があらわれる。

「狙いをつけるまで…発射準備が整うまで、時間がかかる。それまで、なんとかアイツの動きを止められるか」

「やるしかないでしょう」

 たいして深刻なふうを装うでもなく、クレインが投げやりに答える。

 その隣でシールドガンの弾倉…最後の予備だ…を交換するチャペルに、ダングラールが訊ねた。

「いったい彼は何をするつもりなんだね?」

「ヤバイ攻撃。まだ試作段階だから、上手くいくかどうかわからないけど」

「時間稼ぎが必要みたいだが」

「うん。ただ、ねえ、気をつけてね?合図したら、すぐに逃げてね。本ッ当に激ヤバだから」

「留意しておこう」

「本当はアタシもすんごい装備あるんだけど、残念ながら今は使えないのよね」

「どうして?」

「国際問題に発展しちゃうから」

「なにそれ怖い」

 緊張感のない声で答えつつ…ダングラールは鋭く目を細めると、唐突にチャペルのボディを抱きかかえ、その場を飛び退いた。

 間もなく、グシャアッ!

 粘液の跳ねる音とともに、巨大な軟体生物の足のようなものが振り下ろされ、コンクリートが抉られる。

 すこし離れた位置で軽やかに着地したダングラールは、ゆっくりとチャペルを地面に下ろしてから、ケープに跳ねた破片を払いのける。

 あくまで優雅な所作を崩さないダングラールに、チャペルが一言。

「アタシ、重くなかった?」

「鎧のぶんはね」

「最近、その、ちょっとお腹まわりが気になって…ダイエットを考えてたところだったんだけど」

「まだ少し早いんじゃないかな。ただ、まあ…美を意識する女性は美しい」

 グジ、グジュルッ!

 ふたたび天井の巨大な染みから分散型γクラスタが出現し、ターゲットを見定めるように振動をはじめる。

 そこへダングラールが懐から取り出した銀製の釘を投擲し、分散型γクラスタに命中させる。しかし残念ながら攻撃は弾かれ、金属音を立てながら釘はクレインの足元に転がった。

 たまたま近くに落下した「それ」を拾い上げ、クレインは小首をかしげる。

 小型の杭とも、大型の釘とも言えるそれは見たところ純銀製であり、表面には文字が彫られている…そう、彫られている。鋳抜かれたものでも、機械的に加工されたものでもなく。職人技だった。

『Repens-toi donc de ta méchanceté, et prie le Seigneur.(己が悪事を悔い改めよ、主に祈るがよい)』

 フランス語で彫られた聖句だ。

「キザなやつ…」

「さすがに、そのままでは通じないか」

 口端を歪め苦笑するダングラール目掛けて、複数の分散型γクラスタがいっせいに飛びかかる。

 『あれ』を受ければ…分散型γクラスタの体当たりを受ければ、接触を受け一体化すれば、著しくγによる侵食を受けることになる。ほとんどの場合、それは致命打になり得る、たとえ一回の接触であろうとも。

 ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ!

 しかし焦る様子はなく、冷や汗の一つもかかず、ダングラールは狙い澄ました射撃でリボルバーの弾丸を一発づつ分散型γクラスタに命中させていく。

 だが孔を穿たれ、衝撃を受けたガラス球のようにヒビが入ろうとも、飛来する分散型γクラスタの勢いが止まることはない。

 ダングラールは…

「Que si toutefois vous souffrez quelque chose pour la justice, vous êtes bienheureux(たとえ義のため苦しむるとも、汝ら幸いなり)!」

 ふたたび手にした数本の釘を同時に投擲、それらは分散型γクラスタに命中し…銃弾によって傷ついた部分に突き刺さり、分散型γクラスタは粉々に砕け散った!

 しかし。

「まずい…ッ!」

 クレインは慌てて焼却手榴弾を手にした、飛散したγクラスタはγ細胞となって有象無象を区別なく汚染する。

 焼却手榴弾の安全ピンを抜きかけ…クレインはそのひと引きの動作を押し留めた。

 砕け散ったγクラスタが…白く輝いている……!?

『ほう…』

 蠢くピンク色の塊が感嘆の声をあげる。

『そうだ、わたしが見たかったのはそういう力だ』

 銀の釘が回転しながら落下し、塵と化したγクラスタが吹き散らばる。

 それが床や壁に付着しても、先刻のような汚染は起こらなかった。

 さりとて分散型γクラスタの攻勢はそれで終わりではなく、銃弾や釘を逃れた個体が旋回しながらダングラールに接近する。

 釘の予備がどれだけあるかはわからないが、リボルバーにはあと弾が一発しか残っていない。これでは足りない!

 キィィ……ィィイインッッ!!

 ダングラールの身の安全が危ぶまれたその刹那、彼の右手から銀光が迸る。

 鋭い刃の一閃とともに分散型γクラスタが次々と両断され、灰となって霧散した。ダングラールの手に握られているのは、一振りの細身の剣。

『Dans les derniers jours, dit Dieu, je répandrai de mon Esprit sur toute chair.(主は言い給う、末世に至りて我が霊を総ての人々に注がん)』

 刀身に聖句が刻まれたその剣こそ、およそ半世紀にわたってフランスの闇に蠢く怪物たちを狩り続けてきた至宝の霊剣『サンテ=エスプリ』。

 それを振るうは長年をヴァンパイアやワーウルフといった人ならざる者の殲滅に身を捧げてきたダークハンター(闇の狩人)、ダングラール。

「姿、形が変わろうとも、化物(あやかし)はみな等しく我が剣の前に塵へと還るのだ」

 襲い来る分散型γクラスタをすべて屠り、ダングラールは地面を蹴って怪物の懐へと跳躍する。

 グリンッ、無数の瞳がダングラールを一斉に凝視し、怪物は巨大な口を開いて彼を飲み込もうとする。口腔内が蠢き、鮫のように幾重もの列を成した歯が波打つように起立、形成された。

 ダングラールはそれを避けようとするでもなく、その表情に僅かの動揺を浮かべることもなく数本の聖釘を取り出し怪物の口内に投擲する。

 そのまま彼は怪物の口の中に飛び込み…音もなく消化されたかに思えた。あの怪物に消化器官などというものが存在するなら、の話だが。ひょっとしたら、あの口の中は直接に冥府へと続いているのかもしれなかった。

 だが冥府への扉が開かれることはなく、眩い光が闇を掻き消す。

 ズシィギィィァァアアアアアァァァッッ!!

 おびただしい出血と肉の爆ぜる音がし、銀剣を携えたダングラールが怪物の背中を裂いて飛び出してくる!

「Je ne violerai point mon alliance Et je ne changerai pas ce qui est sorti de mes lèvres.(我が誓い破らるることなく、己が唇より出(いで)たこと変えることもなし)」

 そして…グジャアッ!!

 ダングラールの着地と同時に怪物の頭頂部が吹き飛び、青白い炎が噴き出す!

「邪悪を焼き尽くす聖なる炎だ。貴様とて再生できまい」

『グ、クッ……カカ、クカカカカカカ!!』

 肉体を灼かれながらも、しかし怪物はもう一方の口から嘲笑にも似た笑い声をあげ、ショベルカーのアームに似た巨大な一本腕を振り上げる。

 筋繊維と骨と神経が剥き出しになった指で燃える頭部を鷲掴みにし、そのまま力任せに引きちぎった!

「なっ……!?」

『原始的な対処法だ、患部の摘出は医療の初歩の初歩だ。なにを驚いているのかね、白痴の化物に慣れ過ぎているのかね?ヴァンパイア・ハンター!』

 巨大な掌が燃える肉塊を打ち棄てるのと同時に、抉られた頭部からモコモコと血肉が膨れ上がり、新たな頭部が形成される。

『切断された断面からの再生が不可能なら、その断面をちぎって捨てればよい。人間ならそう簡単にはいかんだろうが、見ての通り、わたしは化け物だ。造作もない』

「知恵者め…ッ!」

 いままで、こんなにも単純な方法で再生不可能な傷に対処した敵はいなかった!

 こうなったら直接核を破壊して殺すしかない。だが、この怪物の核はどこだ!?

 脳か?心臓か?それとも…魂か?

 否、γ細胞に取り憑かれた者…γと化した者は、その細胞のすべてが核なのだ。

 おそらく、あの怪物はほぼγクラスタと同質のものになっている。見た目は一個の生命体だが、その実は膨大な数の生きた細胞の集合体、郡体なのだ。

 すべての細胞を同時に破壊しなければならない!

 そんなことが可能なのか?

 

 

 

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