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「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SHOP SQUAD -』

- 2nd Season -

Chapter_05 【 γ侵食 - Black Diamond - 】 Part_1

 

 

 

 

 

**      **      **      **      **      **

 

 

 

 ダングラールは憂鬱だった。

 アルシッド・エレクトロニクスの警備顧問として、南アフリカ支部への転属を命じられたのが半年前。

 もともと所属していたチベット支部の状況が安定したため、さらなる活躍を期待されたダングラールは労働力の確保、および研究開発の進捗が思わしくなかったこの地への異動命令を受け取ったのだが、彼が事前に渡された報告書の供述がかなり「優しい表現」を用いて書かれたものであることを知るのにそう時間はかからなかった。

 海路で搬入されてくる積荷は頻繁に海賊の襲撃を受け、地上の輸送隊は三日に二度は銃撃やIED(即席爆発装置)による攻撃を受ける。社内の警備要員だけでは手が足りず、襲撃による部内の損耗もあり、あまり信頼の置けない民間警備会社に業務を委託せざるを得ない現状があった。

 敵は企業を狙うテロリストだけではない。政府軍、反政府ゲリラ、武装強盗団、警察機構、治安維持のために組織された自警団までもが物資を狙って襲撃を繰り返してくる。もちろん、妨害目的で他国企業に雇われた者もいるだろう。

 公的機関からの襲撃に対し、抗議は無力だ。変装したテロリストの仕業で自分たちは無関係だと言われるか、さもなければこちらが先に違反行為を犯したとして襲撃を正当化されるのがオチである。

 先日も遺伝子工学研究所が謎の武装グループの襲撃を受け、研究員が拉致されるという事件が起きている。由々しき事態だった。

 たかだか一部門の長が解決できる問題の範疇を軽く飛び越えるスケールの大きさにダングラールが胃と頭を痛めていたところへ、通路の向かい側から女性が足早に近づいてきた。

「どうしたの、顔色悪いよ?」

「いっそ爆弾で吹き飛ばされたほうが気を楽にできるかもしれないな」

「珍しいじゃん、アンタが弱気になるなんてさ」

「職務への忠節だけでは癒せない心もある」

「忠節ねぇ…あと、給料?」

「ウィ、セレーア。こんど本部にボーナスの交渉でもするとしよう」

「呆れた。明日は大雨だねぇ、きっと」

「恵みの雨さ。みんな喜ぶ」

 珍しく弱気な発言を重ねているな、と自分でも思いながら、ダングラールはブラストライズの透き通ったエメラルド色の瞳を見つめた。

 警備部門のメンテナンス担当としてチベット支部でともに働いていた彼女は、ダングラールへの辞令が発行された時点ではチベットへの残留を命じられていた。

 ブラストライズが進めていた、チベットで接触した謎の装甲部隊の調査はダングラールの指揮によるものだったため、彼女は機材一式を纏めて同行するつもりだったのだが、その必然性の薄さと、移動にかかる時間のロスを考慮した上層部によって拒否されたのだ。

 そのため最初の一ヶ月はメールで進捗を報告していたのだが、やがて南アフリカ情勢が当初の想定を遥かに上回る危険なものであることが確認されると、汎用狐魂ユニット「カエルム」の大規模投入が検討され、カエルムの開発者であるブラストライズのチベット残留命令が解かれ南アフリカへの異動命令が下ったのである。

 もともとカエルムは誰にでも簡易メンテナンスができるようシンプルな構造になっているのだが、それでも一度に大勢の整備や製造の必要があるとなると、ブラストライズが出向かざるを得ない。

 それはカエルムの核…動力ユニットに低級狐魂を使用するという、現代科学では解明できないブラックボックスに触れることができるのはブラストライズしかいないという事情もある。

 こればかりは、構造を理解していれば誰にでも、というわけにはいかない。

「それで、例の調査に進展は?」

「半分は解析が完了したけど、これ以上は破損が酷くて手が出せないかもしれない」

 ブラストライズは右手に持っていたヘルメットのようなものを振ってみせ、ハァ、とため息をついた。

 高速で飛来する質量体と衝突し、破損した…と思われる「それ」は、チベットで大連工業公司の工作員コン=ホーと交戦したクレインが、彼女の蹴りを受けた際に破壊されたヘッドセットの残骸だった。

 反政府ゲリラの殲滅作戦を終えたあと、所属不明の勢力同士が交戦しているという報告を受けたダングラールの部隊が現場付近を捜索した際に発見、回収したのである。ほかにも破損した武器の一部や薬莢などを回収したものの、いずれも大した情報は得られなかった。

 重装狐隊…ダングラールにとっては正体不明の連中が、レーダー上では米企業マカラハン・コーポレーション警備部隊として認識されていたのは確認済だ。しかし、それが事実であるなら不審な点が多すぎた。

「独自規格のOSが使われてるね。バージョンはかなり上がってて、試験運用段階だとしたら凄い完成度だよ。気になるのは…戦術データリンクシステムがマカラハンのものとも、米軍のものとも異なるってこと」

「第三勢力?」

「そうじゃないんだ。使用者は最高レベルのセキュリティに守られたうえで、既存のシステムにアクセスできる権限を持ってる。手法としてはハッキングそのもの、おそらく正規のデバイスじゃない。でも、海賊商品でこんな高性能なものは存在するはずがない」

「そんな代物が現存していて、表沙汰にならないのはおかしいな」

「うん。企業であれ軍であれ、テロリストであれ、こんな万能ツールを持っていれば、絶対派手になにかやらかす。むしろ、目立たない使い方しかしない、なんていうのは宝の持ち腐れだよ。でなければ…」

「……ブラックオプスか」

「そういうこと。これ、かなりヤバイ代物だね」

 こんな力を秘密裏に、自分たちだけのものにしておこう、などと考えるのは、政府所属の特殊部隊以外には有り得ない。

 だとすればそう、こんなものの存在が発覚しないのも、その存在を許せるはずがない連中がこっそり使っているからだと考えれば何の不思議もない。

 であれば、深追いは危険だ。

 確たる目的もなしに調査を進めると、余計な焼けどを負いかねない。

「あと、ダングラール、これ人間用じゃない」

 そう言って、スポッ、ブラストライズはヘッドセットの残骸をダングラールの頭に被せた。

「ほら、サイズが合ってる」

「狐魂用の特殊兵装?なんだか荒唐無稽だな」

「今年の春に米軍が狐魂の部隊を使ったはじめての合同演習を公開したでしょ。あれ、たぶんこの技術の応用だよ」

「応用?どっちが鶏で、どっちが卵だったのかな」

「鶏より卵のほうが優秀だったりしてね。恐竜の卵だったりして」

「モンスターが生まれる前に潰しておいたほうがいいかな。でも、その判断は僕の分を越えるよ」

 物騒なことを言ったようだが、しかし現実問題として、いま他国の暗部に首を突っ込んでいられる余裕はなかった。

 そう、問題といえば。ヘッドセットの残骸を頭から引き剥がし、ダングラールは質問した。

「ブラストライズ、カエルムの整備状況は?」

「50%はすぐに使えるよ。残り30%も簡単な調整で投入可能、あとの20%は要調整。換装ユニットもだいたい揃ってる、けど、なんで?」

「数日前に遺伝子研究所の職員が拉致された。おそらく身代金目的だろうけど、犯人グループから連絡がない」

「身代金を要求されたら、払うの?」

「まさか」

 ブラストライズの問いを、ダングラールは一笑に伏した。

 金を払いたくないとか、金がないとか、逆に、金を払えば簡単にカタがつくとか、そういうレヴェルの問題ではない。

 ここアフリカで、身代金を支払うということは、この先ずっと楽な獲物、カモとして狙われ続けることを意味する。プライドやポリシーの問題ですらない。はじめから選択肢などないのだ。

 コカコーラ社は身内が誘拐されたとき、傭兵を雇い誘拐グループの親族のリストと死体の指を送って逆脅迫したそうだ。それ以来、アフリカでコカコーラに喧嘩を売るやつはいない。いや、あれはアフリカではなく南米だったか?いずれにせよ、有名なゴシップだ。それが真実かどうかまでは、ダングラールは知らなかったし、調べようとも思わなかったが。

「先方の思惑如何で対処は変わる。もし職員の誘拐そのものが目的なら…いずれにせよ、一週間がリミットだ。それまでに必要な戦力の配置を終えておきたい。カエルムも必要になる」

「わかった。けど、ねえ…」

「なんだ?」

 勿体のある語尾が耳につき、ダングラールはブラストライズの顔色を窺った。

 先ほどまで明朗な言葉遣いだったブラストライズは視線を床に落とし、そのうえ目がすこし泳いでいた。頬が上気しており、呼吸もやや乱れている。風邪だろうか。

 いや、そうではない。

「あの、さ…いま、格納庫が空いてるんだけど」

「はン」

 整備クルーはみな出払っているのだろう、休憩時間だ。自分もアスピリンを処方してもらうために医務室へ向かうところだったのをダングラールは思い出した。

 上層部の指示も待たずにブラストライズがダングラールを追って南アフリカまで行こうとしたのは、たんに仕事熱心だったからというだけの理由ではない。それを知っていたからこそ、本社も最初はストップをかけたのだ。

 私的な理由での勝手な異動は認められない、と。ひょっとしたら嫉妬だったのかもしれない。

 いまもブラストライズはあまり感情を表に出さないようにしているが、せわしなく尻尾をばたばたと振っているあたり、公私の分別や感情の割り切りが苦手なのは見た目通りだった。

 潤んだ上目遣いを見せるブラストライズの頬を愛おしそうに撫で、ダングラールは優しく彼女を抱き寄せる。

 気晴らしが必要だ。互いに。この土地は心の磨耗が早い。

 

 

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 2022年8月、米秘匿狐魂研究所。

 ライアンからの呼び出しを受けたベケットは気を揉みながら通路を歩いていた。

 いま、自分たちを取り巻く環境が大きく変化しようとしていた。

 CIA局内の狐魂調査チームが解体され、新たに大統領直轄の組織として再編成されるかもしれない。

 理由はさまざまだった。

 すでに狐魂調査チームの活動はCIAのカバーする業務範囲から逸脱しつつあり、そのうえ複雑な命令系統により素早い行動が取れず任務に支障をきたしていることから、トップを大統領のみに絞ることで迅速な任務遂行を可能にする、そのあたりを今一度整理し組織のスリム化を目指すというのが一つ。

 また狐魂調査チームの規模が拡大し、影響力が増大するにつれ、CIA内部の権力構造に歪みが生じたというのも一つ。予算配分然り。

 しかしそれで素直に話が通るなら何の苦労もない。

 そもそも狐魂調査チームがCIA局内に設立されたのは、強大な力を持つ得体の知れない知的生命体…生命と定義できるのかさえ怪しい…を厳しい監視下のもとで運用することで暴走を抑制するという、重要な大義名分があったからである。

 それを規模が拡大したいまになって独立した組織として再編するというのは、これは叛意があると下種の勘繰りをされても仕方のないことだった。むしろ国家の安全保障という観点からすれば当然の反応だ。

 このアイデアを提出したのは狐魂調査チームのリーダーであり、研究主任のライアンだった。

 基本的に話が実現する方向で進んでいるのはそのためだった。

 ベケットは詳しく知らないが、彼女はすくなくとも60年代の後半から国家の安全保障に関わっている。半世紀ものあいだ秘密裏に狐魂を運用し、国益に還元してきたライアンの発案だからこそ実現に向けて具体的に話が進んでいるのだ。

 そうでなければ初めに案を提出した時点で却下されていただろう。

 だが、いかなる結果を伴うにせよ感情的な問題は残る。最終的に実現はしなくとも、過去そういう提案がなされたという事実が忘れられることはあるまい。あまり良くない感情とともに。

 頭の痛いことだ、とベケットは思う。自分が考えても仕方のないことだとわかってはいるが。

 所長室ではライアンが本日二箱目の煙草を開封しているところだった。

 ベケットは壁を見やり、すっかりニコチンで黄ばんだ「火気厳禁」のステッカーに目を細める。思えばライアンの喫煙に関するクレームがまったく耳に入らないのも、一種のミラクルだ。

「よく来てくれた。コーヒーの一杯でも入れてやりたいところだが、あいにく浄水器が故障していてな」

「そんなもの電話一本で解決するだろう?ものぐさなんだよなあ…話は、例の件か」

「例の件?なんの話だ」

 違うのか?

「うちがCIAから独立するって話」

「なに?ああ、そんなことか。話は順調に進んでいる、何も心配することはない。文句を言いたいやつには言わせておけばいい、そんな連中に影響力なぞない。それより、見てほしいものがある」

 そう言うと、ライアンはぶっきらぼうに数枚の大判写真をテーブルの上に放った。

 おそらく口ほどには順調ではないのだろう、珍しく顔に疲労の色を滲ませるライアンのことが気になったが、ベケットは「何も心配することはない」という彼女の言葉をひとまずは信じた。我が多難多忙な上司は、助けが必要なときはきちんとそう言う。

 写真の画質や精度はモノによってまちまちだった。衛星写真を拡大したもの、暗視装置を通したと思しきモザイクがかったものから、手ブレが激しいもの、そして高価なレンズと腕に覚えのある撮影者がショットしたらしい鮮明なものが混じっている。

 シチュエーションも異なっていた。被写体の背景だけではない、撮影者自身の素性も…それは写真の状態を見ればわかる。

 話題の渦中となるべく飢えた目つきで携帯液晶端末を握り締める一般人、プロのカメラマン、軍人…つまり写真の出所は一箇所ではないということだ。

 肝心の被写体はといえば、じつに奇妙なものだった。

 一見すると人間のようだ。人型で、服を着ている。いまのところ地球では、これに類する生物は発見されていない。

 ただし人間とは大きく異なる特徴もあった。長く伸びた牙、四肢の増殖、極端に発達した筋肉、なかにはまったくカテゴリの異なる生物の特徴が発現している者までいる。それぞれ特徴はバラバラで、共通しているのは理性を失った狂気的な瞳、人間を襲ったという事実が伝わる血痕や死体が一緒に写っていることだ。

「映画のスチル写真か何かか?」

「チャペルやクレインが喜びそうなことを言うな。それは各国の情報関係者にあたって回収したものだ、報道機関にはすでに通達を送って規制を敷いているが、こう誰もが撮影した写真を即座にインターネットへアップロードできる環境が整っていてはな。幾つかの画像はすでにネット上に出回っている、いまはまだヤラセや冗談で済まされているが、このままではそうもいかなくなる」

「なんなんだ、これ。人間なのか?」

「人間『だったもの』だ。数ヶ月前から、世界中で発見報告が相次いでいる。突然変異というやつか…いままで普通に生活していた人間がある日体調を崩したかと思うと、肉体が大きく変化し、理性を失って目についた人間を片っ端から襲いはじめる。そういう事件が起きている」

「情報統制する理由は?事実は事実として、好きなように騒がせておけばいいじゃないか」

「おまえ、本気で言っているのか。いや、まあ、冗談だろうな。理由が訊きたいのだろう?原因がわかっているからだよ、そして、それが表に出るようなことがあっては困るからだ」

「困るって、誰が。オレたちが?」

「そう、私たちが、だ」

 ライアンは卓上のスクトゥム型マイクロPCをスリープ状態から復帰させ、パチリと指を鳴らした。部屋の照明が消え、壁のプロジェクタ・スクリーンにデスクトップ画面が写しだされる。

 コャーン、コャーンという独特なHDDの回転音が静かな部屋に響いた。

「この突然変異現象は、最近になって流行りだした、ある麻薬が原因だ。黒い結晶体で、ブラック・ダイヤモンドという俗称で呼ばれている。広く出回っている粗悪なものはタールのように真っ黒だが、純度の高いものは高い屈折率を持ち、紫色に輝く。摂取すると多幸感、強力な覚醒作用があるという」

「どうやって使う?」

「多くの場合は鼻からの吸引、ないし経口摂取だ。そのほうが効果が薄い…ヘロインのように静脈注射をするのがもっとも効果的だが、重度のジャンキーでもまず試したがらない。混ぜ物だらけの粗悪品でも、効果が強過ぎて脳がぶっ壊れるからだ」

「後戻りのできない幸福ってわけだ。お花畑から帰れなくなるわけだな」

「その通り。そして脳が無事なままでも、体内に残留したブラック・ダイヤモンドは潜伏期間を置いて細胞を変質させ、やがて肉体の変異現象を引き起こす」

「いったいなんなんだ、その麻薬の正体は。既知の化学物質じゃないのか?」

 ベケットの質問には答えず、ライアンはスクトゥム型PCをじっと見つめ、信号を発信する。彼女もチャペルと同様に脳を機械化しており、電子機器の遠隔操作が可能だった。

 コャャャ、コャーンというHDDの回転音とともにスクトゥム型PCの目がチカチカと発光し、スクリーン上に複数の画像が展開される。

「我々が入手した最高純度のブラック・ダイヤモンドの解析結果だ。このマイクロスコープを使って撮影した画像を見てみろ、いったい何に見える?」

「これは、まさか…!?」

 スクリーンに映し出された写真を見て、ベケットが驚きの声を上げる。

「まさか、結晶化したγ細胞か!?」

「そうだ。おそらく高純度のブラック・ダイヤモンドを人間に注射すれば、瞬く間に突然変異を起こすだろう。いま闇で出回っている物の99%強は不純物が多い粗悪品だが、だからこそ麻薬として機能しているとも言える。原因の特定が難しかったのは、少量のγ細胞では変異現象を引き起こすのに時間がかかるからだ」

「人間にとってγは未知の領域だから、真相の究明はほぼ不可能だろうな。そこは不幸中の幸いだが、しかし被害が拡大すればそうも言ってられなくなる」

「すでに潜在的なγ汚染者は数多く存在しているだろう。γ細胞は決して体外に排出されることがなく、人間の免疫機能では殺すことができない。融合した物質と強固に結びつくため、直接摂取しない限り感染しないのは不幸中の幸いだが、いまのところ対処法は、感染者が変異するのを待って処分するしかない」

 γクラスタを構成する物質、γ細胞と便宜的に呼ばれてはいるが、実際は細胞とウィルス両方の特性を持っており、その構造はライアンが長年の研究期間を費やしてもなお解明できていない。

 そういう未知の物質がいかなる方法で結合し、γクラスタという単一の構造体として活動できていのか、その原理すらわかっていないのだ。

 生物、非生物を問わずγクラスタはあらゆる構造物に寄生し、作用する。その性質がγ細胞の研究を困難なものにしていた。

 γは存在そのものが人類にとって、狐魂にとっての脅威だ。

 それが人類に知られるようになったのは五年前、突如として東京湾上に現れた大型γクラスタによってだった。

 そのγクラスタはベケットたちがこれまでに観測したどの個体よりも巨大で、周囲を汚染しながらチバシティに接近。霊能局が討伐に成功したが、海岸沿いの仁清地区が大規模なγ汚染に晒され、特別編成された焼却部隊によって「滅菌処理」された。

 たしか霊能局も、刑事が一人犠牲になったはずだ…元連邦捜査官だったか。

 γクラスタの存在が表沙汰になったことで、その性質の究明と同時に、狐魂との関連性も疑われる結果となった。γクラスタの出現は、狐魂の存在が明らかにされたのとほぼ同時期だったからだ。

「いまも根拠のない幼稚な理論を盾に、γと狐魂の間に関連性を結びつけて排除を目論む団体の活動が活発化している。あとはその、なんだ、人口を抑制するための政府の陰謀とかどうとか…迷惑な話だ、これ以上余計な疑念を持たせるわけにはいかん。それにγの対処は、人間では荷が重かろう」

「で、なにをやればいい」

「エージェントの調査でブラック・ダイヤモンドの出所がわかった。南アフリカ共和国南端、コーゲルバーグ自然保護区に隠された密造工場がある。方法は任せるから調査して、潰してこい」

「敵の正体は?」

「不明だ、目的も。どこでγの存在を知ったのか、どうやってγ細胞を入手し、結晶化の方法を発見したのか。出来る限り情報を集めてほしい」

「使える戦力は?」

「ソナーとティーティーは国内のγ汚染者の排除に当たっている最中だ。スクイは地域ギャングへの潜入作戦を継続中だが、なにか協力できるかもしれん」

「どのみち旅行に誘えそうにはないな。ひさしぶりに三人でやるか」

「詳細な補足データはチャペルの脳に転送してある。今回は問題のスケールが掴めない、無茶はするな」

「無茶やるかどうかは相手次第さ」

 スクトゥム型PCの映像投射機能が停止し、ライアンの手振りとともに部屋の明かりがつく。

 ベケットは退出しようとライアンに背を向けかけたとき、飾り棚に置いてある「あるもの」に目が止まった。

 ODカラーのフルフェイス・ヘルメット。バイザー部分は破損してヒビが入っており、全体的に傷だらけで、汚れや塗装剥げがひどい。なんでこんなものが?

 いや違う、ヘルメットではない、改めて観察したベケットは自らの目を疑った。

 破損したバイザーの奥に見える電子装置、レンズ、たっぷりと中身が詰まったそれは言うなればマシーン。首との接続部はぎざぎざと歪な切り口になっており、それがヘルメットではなく、頭の一部であることがわかる。

「なあ、ボス…それ、なんだい」

「話せば長くなる。興味があるようなら、そのうち話してやろう」

 ライアンの返事はそっけなかった。そのことがかえって、ライアンにとって些事ではないことをベケットに直感させる。

 いま話している時間はない、興が乗らない、話したくない…いずれも正解ではあろうが、であれば一言、端的に説明すればいいだけの話だ。そうしないのは、そうしたくない…一言で片づけたくない、こと、出来事、記憶、思い出、だからだろう、とベケットは思った。

「予定が詰まってるらしいな」

「人と会う。昨年からずっと連絡を取り続けてきたが、ようやく都合がついた」

「外部の人間か?へぇ…」

 彼はそれ以上は尋ねず、部屋を出て行った。その後ろ姿を見送ったあと、ライアンはベケットが気に留めた「それ」を見つめる。

 昔の戦争。まだ地球に来る前、別の星でγクラスタと戦っていたときのことだ。多くの命が失われた。

 勇敢な戦士の命、その魂も。

「スターリング…」

 ライアンは薄汚れたマシーンの頭部を撫でる。愛おしそうに。

 そして過去に想いを馳せる。いまは物言わぬ残骸となった存在が、かつて「始祖重装狐」と呼ばれていたあの頃を。

 

 

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「ヌーン、なぁんかイヤあな予感がするのだわさ」

「しょうがないだろ、仕事なんだから。オレだって本音を言やぁ気が進まねーよ」

 スプリングフィールドのセーフハウスにて、渋面を見せるチャペルをベケットが諭した。

 リビングの中央には南アフリカの全体図を模したホログラフ映像が投射されており、それはチャペルの持つ携帯端末から出力されたものだ。端末はチャペルの脳にケーブルで接続されており、思考次第で自在に拡縮が可能だった。

 気が進まない理由としては、任務内容が不透明なことやγ絡みであることが挙げられるが、なにより単純な問題として、現地の治安が悪過ぎた。

「そもそも、南アってなんでこんなに治安が悪いのよさ」チャペルが尋ねる。

「決定的になったのは90年代、マンデラ政権下でのアパルトヘイト(人種隔離政策)廃止だろうね。あれのせいで周辺国から大量の移民が都市部に流入して犯罪率が激増、疫病の蔓延と、さらなる貧富の格差が生じたわけさ」と、クレイン。

「民主化といっても、経済は綺麗事じゃ済まんわな。数百万人規模の失業者が社会の最下層を形成し、地元住民との軋轢を生む結果になった。もともと政治闘争で大量の死人が出るような土地柄だから、肌の色が同じだからって仲が良いわけじゃない」ベケットはため息をついた。

「でも確かマンデラさんって、格差を縮めるための経済政策を実施してなかったっけ」

「してたさ。ただインフラ整備はほとんど進まず、熱心に進めていた住宅建設も達成できたのは当初掲げていた目標の5%以下で、それも都市部に集中していた。けっきょく人種間や地方の経済格差は埋まらず、アパルトヘイトの廃止で新しい未来が切り拓けると思っていた国民の失望は大きかった。それも治安の悪化に拍車をかけた」

「詳しいのねぇ」

「おめーが勉強不足なんだ。アパルトヘイトはレイシズムの生んだ悪法だったと決めつけるのは簡単だが、冷戦期に独立したアフリカ諸国の末路を考えると、リベラル派や民主主義のやることもずいぶん残酷なもんさ」

 冷戦終結後に南アフリカが同じ轍を踏んだのは皮肉な話だ、とまでは、ベケットは言わなかった。共産主義勢力の支援を受けて独裁政権を打ち立てたジンバブエ(旧ローデシア)のムガベ政権などとはまた事情は異なるので(当時それを国際世論が支持した、というのも奇妙な話ではあったが)、一概に同一視するわけにもいかないが。

 もっとも、マンデラの所属政党であるANC(アフリカ民族会議)の武装勢力を訓練していたのがソ連の軍事顧問だったのは事実だ。

「第三世界を覆う混沌の原因は貧困と差別だ。アフリカは差別によって貧困への不満を押さえつけていたが、そこで差別だけを取り去ったらどうなるか…てことさ」

「似たようなことをイラクで繰り返してるあたり、学習能力ないよねぇ。そういえば南アフリカでも、イスラム系テロ組織がずいぶん勢力を伸ばしてるんだっけ?ヤバイヤバイ」クレインが茶化すように手を振る。

「いま南アフリカに住むイスラム教徒の数は120万人だ。90年代後半から過激派の動きが活発化しはじめ、地元の自警組織と手を組んで西欧企業への攻撃を繰り返してる。最近になって経済開発に乗り出した外国企業を襲ってる主犯格はこいつらだろう」

 なんにせよ、楽観視できる状況にないのは確かだ。

 身の振りを一歩間違えたら、任務遂行どころではなくなる。特に、外国人は襲撃を受けやすい…平時では人間に姿を偽装して活動することになるだろうが、そもそも人間ではないベケットたちは人種間における対立というものが理解しにくく、危機の察知が遅れる可能性があった。

 もちろん狐魂の姿のままでいるよりは安全なはずだが。

「さて、問題は入国方法だが…何か案あるか?」冷蔵庫から335ml瓶入りのルートビアを取り出しながら、ベケットは仲間に視線を向ける。

「いっそのこと、正直に申請しちゃうのは?アメリカの特殊機関から、麻薬撲滅のために出向してきましたーって」頬杖をついたまま、チャペルが半ば投げやりに言う。

「アホか。それで許可取れれば苦労はしねーわ…それにチャー公よう、公的な作戦にしちまうってことは、何もかも記録に残して、それを公開する必要があるってことだぜ。なんでオレらがスパイの真似事やってるのか、考えてみろ」

「敵の正体がわからない以上は、こちらの身許が割れるような方法は避けたいね。現地に通信社は?」クレインが尋ねる。米通信社の支局があれば、協力を仰いで身分証を発行してもらうことができるからだ。それは諜報機関員にとって有用なカバー(偽装)となる。

「ない。各国企業が経済開発に乗り出した直後の段階ですべて撤退した、まるでクーデター前夜だな。フリーのジャーナリストを装うこともできるが、あらゆる勢力から徹底的にマークされるだろう」事前に現地情勢をある程度調査していたベケットが告げた。

「観光客として入国するのは?」そのチャペルの問いに、ベケットは苦笑いした。

「馬鹿正直すぎるぞ。だけど、いや、だからこそ悪くない…やっぱり駄目だ、装備の問題がある。今回の任務では、おそらくスーツが必要になる。そいつを持ち込むための理由が欲しい」

「米マカラハン・コーポの支社がなかったっけ?そっちの伝手でどうにかならないかな」とクレインが提案。

 企業の協力を得て身分を偽称するのは昨年春のチベットの任務ですでに使った手だ。

「ほかに代案がなければその線でいこう。ただ、目的がはっきりしていて、行って帰ってくるだけだった前回とは事情が違う。できるならもっと自由に行動できるカバーが欲しい…なに、もうすこし考えてみようじゃねーか」渋面を崩さず、慎重にベケットはつぶやいた。

 そのあともしばらく話し合いが続き、けっきょく現地企業の協力を仰ぐという案は否定された。

 まず三人は中古車の輸入業者として入国、そのためには倉庫兼事務所となる建物を先に確保しておく必要がある。その後海路から搬入された中古車を引き取る算段だ。

 取り扱う中古車の荷台をあらかじめ改造し、そこへCONスーツを隠して持ち込むという計画だった。海路は空路や陸路よりもチェックが甘くなる。

「ところでベーやんクーやん、車両運搬車の運転なんかできる?」だしぬけにチャペルが尋ねた。

 それに対する返答は造作もないもので、「ああ。牽引第二種持ってるから、国際免許のほうな」「ボクも。まあ免許証自体は別名義のを使うことになるだろうけど」ベケットとクレインが口々に返答する。

「チーちゃんは?」

「う…ふ、ふつーめんきょ…」

「おめー、ちょっとプロ意識が足りないのと違うか」ベケットは咎めるような、というより、呆れたという表情を見せた。

「だーってだって、免許取りに行くの面倒臭いじゃん!」

「おめーなー!?」

「オフの日にこのアタシを部屋の中から引きずり出すというのか!太陽の下に出すというのか!この鬼畜!」

「わかったわかった…おめーが本当にダメなのはよっくわかった」

「ちぇー。せっかくスーツのバージョンアップしてやったのにー」

「なんだ、それ」

「ファームウェアのアップデートぉ。今回のはかなり大掛かりな改造だったから、ソフト面でもハード面でも、アタシとライアンのおばーちゃまが寝ずに頑張ったのだ、特にベーやんのは。ダメ人間扱いは心外なのだ」

「今回の任務に合わせてか?へぇ、そいつは楽しみだ」

 率直に言って、実戦でどのような活躍ができるかは訓練や経験よりもスーツの性能にかかるウェイトのほうが大きい。

 百戦錬磨の達人でも拳銃で戦車は破壊できない。そうした場合、通常任務であれば戦車を回避すれば済む話だが、戦車の破壊そのものが目的だった場合は手詰まりだ。

 もっとも…戦車の場合は対抗兵器がなくとも小細工で破壊そのものは可能だが、そうした理論は揚げ足取りというものだし、話の趣旨からはズレる。

 道具は無いより有ったほうがいいに決まっている、それがいままでのものより無条件に有利に働くなら、なおさらだ。

 それにしてもライアンは本当に大忙しだな、とベケットは思う。

 狐魂対策チームが抱えるすべての作戦行動の管理に、重装狐用装備の製造と整備、さらに現在は組織独立のための働きかけと調整…自分ならどれか一つだけでも手一杯になるところだ。

 そういえば、とベケットは思い出す、ライアンが多忙を理由に不満を漏らしているところは見たことがない。

 仕事に誇りを持っているわけでも(星条旗に魂を捧ぐなんてガラじゃない)、高給に支えられているわけでもないだろうに(そもそも私財という概念があるかすら怪しい)、研究所に寝泊りし、起きている間はずっと仕事をしているライアンの私生活については真面目に考えたことがなかった。

 趣味らしい趣味もなく、仕事そのものが趣味といった感じで…そこまで考えて、ベケットはかぶりを振った。

 いままでライアンに接してきた限り、彼女が仕事を趣味のように考えているとは到底思えない。いつのときも淡々と物事を処理していくあの目つき、あれは仕事を楽しんでいる者の目ではない。

 あれが趣味などであるものか。

 たとえるなら、あれは使命感。執念に近い使命感の為せる行動ではないだろうか。

 なにが彼女にそうさせるのか、もっとも重要なその部分はまったくベケットの与り知らぬ領域であった。

「たまにはバーサマを食事にでも誘ってやるか。今回の件が片づいたらみんなで呑みに行こうぜ」

「お年寄りは労わってあげないとね」おそらくベケットの言葉の意図までは把握していないだろうクレインが頷いた。

「アタシはぁ?ベーやん、アタシも労わってほしいなあ」

「へっへっへっ、呑みなら俺様も付き合うぜぇ」

 チャペルが不満を漏らした矢先、いつからそこにいたのか、ミルクの入ったグラスを片手にスクイが軽薄な笑みを浮かべて言った。

 呑みといったって、アルコールが苦手なくせになに言ってやがる、とベケットは思ったが、口をついて出たのはそれとはまったく関係ない質問だった。

「オッサン、潜入任務中じゃねーの?地元ギャング組織だっけ、それってFBIの管轄じゃねーっけか」

「へっへっへっ、俺様の仕事は組織の摘発じゃねぇのよ。犯罪組織にどれだけ狐魂が浸透してるかっていう、言ってみれば観察だな。だから深入りはしてないし、それだけ行動の自由もきくってわけよ。末端だからな、いちおうFBIと協力はしてるが、地元警察には知らせてないねぇ」

 かつてスクイはマフィアの幹部だった過去があり、裏社会の事情には明るい。

 そもそもCIAにスカウトされたのは彼自身が組織を追われて保護を求めたのがきっかけで、狐魂ながら人間の犯罪組織の権力構造に詳しいという特異性が認められエージェントとして採用された経緯がある。

「ワルにしちゃトウが立ってるから、あまり派手に動くと目立ちすぎるしなあ。それに、ああいうところとコネを作っておくと、色々役に立つのよ。キレイな銃やアシの手配とか、都合で自分の手を汚せない仕事を任せたりとかな。へっへっへっ」

 スクイと関わるギャングとしては回してもらった仕事を金で片づけるだけだが、まさか国のために働いているとは思いもよらないことだろう。

 キレイな銃、というのは、使っても痕跡を辿られない未使用(あるいは未登録)の銃を指す。同様にアシ(車)も、書類上は廃棄されたはずの車や盗難車に偽造ナンバープレートをつけて使い捨てにするのが「仕事」の常套手段だ。

 米国内では年間百万に近い数の車両が盗難被害(通報件数の統計、未遂含む)に遭っており、法執行機関の規模縮小と合わせ、捜査の優先順位が低く熱心な追及を受けることは滅多にない。

 こうした統計データは発表する機関によって内容が大きく異なるし(盗難車両に関しては米司法省の全国犯罪被害調査、および全米保険犯罪局…非営利団体だが政府組織ではない…の調査報告など)、州によって傾向がだいぶ変わるので一律にどうとは言えないのだが。

 そんなことを考えながら、ベケットはふと思いついたようにスクイに話を振った。

「なあオッサン、海上ルートを持つ窃盗団とコネクションはあるかい?」

「んん、一つか二つはな。何度か荷積みに立ち会って、俺様自身も数回自動車泥棒の真似事をしたことはあったが、それがどうかしたかい」

「今度アフリカでの作戦で中古車の輸入業者を装って潜入することになったんだが、いまから正規のルートでブツを揃えるとなると時間と金がかかりすぎる。迷彩が必要だからな…そっちのコネクションを利用できれば早いし、面倒がなくていい」

 なにより、いまの南アフリカ情勢では外国人のバイヤーがビジネスを始めるなど無理な話だし、その判断そのものが正気の沙汰ではない。

 しかしそれが半ば非合法的な…いわゆる「やんちゃな連中」であれば危険の中で金を稼ごうとしても不思議はないし、かえって目立たず好都合だ。

 現地での潜入活動において、なにより恐れるべきは他国の政府職員(警察官や諜報機関員)ではないかと疑われることである。であらば現地の法執行機関に目をつけられるほうがリスクが少ないし、その事実こそが犯罪組織に対して自分たちの身許を証明する安全装置になる。

 犯罪組織の人間は大なり小なり警察官を買収しており、警察がマークしている容疑者のリストくらいは把握しているに違いなく、そこに名のない「ワル気取り」は相手にする価値もない小物か、さもなくば囮捜査官だと判断するのは明白だった。情報収集に際して、どちらにしても致命的なのは言うまでもない。

「フーム…書類を揃えて、税関の職員を買収して、だな。ブツもこっちで用意するかい?」若干の思案ののちにスクイが質問する。

「いや、それはオレたちがやる。二、三日で適当に集めてくるよ、そっちは輸出の段取りをつけてくれればいい」

「それじゃあ、俺様がかき集めた盗難車両を知人のバイヤーに流すってシナリオでガキどもには説明をつけておくぜぇ。この件はいつでも摘発できるように書類を残しておくから、そっちは追われても問題ない身許を使ってくれよ?それと金をケチるだとか、相手を下に見るような態度は控えておきな。ヤツら、サツの匂いには何より敏感だからなあ、俺様の立場が悪くなるようじゃあ立つ瀬がないぜぇ」

「あくまで数多くある仕事のうちの一つにしておきたい、ってことだろ?オレたちも素人じゃない、制服が皮膚に貼りついたような連中と同じようなミスはしないさ。予算は機密費から出るし、問題はない」

 機密費だから問題はない、というのは、その使途が書面の詳細に残らないという意味だ。

 特別任務とはいえ、いくらでも使って問題がないわけではない。もしそうなら、そもそもこんな回りくどい小細工をする必要がない。

 ただ、この案に対してクレインは少々ナーバスになったようだ。

「ちょっと待ってくれ少佐。キミが言っているのは、その、ボクらが一般市民の車を盗んで、それを自分相手に売りつけるってことかい?」

「なにが言いたいかはわかるぜ中尉。オレに車を盗まれたせいで生活が破綻して、一家離散、破滅に追いやられる人間だっているかもしれないと思ってるんだろ?だが、それは必要な犠牲ってやつだ。オレだって気紛れやイヤガラセでやるわけじゃねぇ、他に方法があるなら教えてくれよ。善処するから」

「…いや。少佐の勘を信用するよ」

「よくもまあ不満そうな顔してそんなこと言えるな」

「顔のことを言うのはマナー違反だと思うよ」

「そういう意味で言ったんじゃ…いや、いい」

 戦場では極力相手を殺さないようにする一方で、他人の不幸にはあまり頓着しないベケットの姿勢は、一見すると矛盾しているようにも思える。もっともインドでの作戦で、ベケット自身にとってはそれが何らポリシーに反しているわけではないことを知ったクレインには、それ以上の追求をする意味がなかった。

 要するにベケットにとって、行動の判断基準は任務遂行における優先度に左右されるものでしかないのだ。

 任務遂行に必要とあらば躊躇なく殺す、しかし生殺与奪における重要性の比率が五分ではない、どちらかといえば生かすほうに傾いているのは、職業柄、生かしておいたほうが(というより、殺せる状況で殺さなかったという事実が)今後有利に働く可能性があることを知っているからだ。

 要するに敵を生かすという行為は打算の産物でしかなく、そこに生かすのが善いとか、殺すのが悪いだのといった二元論的なモラルの討議が入り込む余地はない。

 なぜなら、任務というものは善行によって為される必要はないからだ。たとえ、それが世界平和のためであっても…だ。

 もちろんベケットの行動のすべてが打算によるものだなどとクレインが本気で考えているわけではない。

 幾らかは善意やモラルに因るところもあるのだろう。なぜならベケットは機械ではなく生き物で、生き物というのは気紛れなものだからだ。

 心というのは、複雑なものだ。

 小学生の算数のように簡単に割り切れれば、いったいどれだけの苦労が不要になるだろう。

 また、それとは別に、これはそもそもモラルの問題ではないのかもしれない、とクレインは思った。

 これは昔から心の片隅に引っかかっていたことなのだが、おそらく自分とベケットは、人間というものに対する認識が異なるのだろう、という気がしている。

 自分は普段から映画ばかり観ていて、ややもすると登場人物たちに感情移入することがあるため、自然と人間の立場でものを考えることも多いのだが、ベケットの場合はもうすこしドライな視点で人間という異種を観察しているようなのだ。

 それは人間が狐魂を見る目とおなじだ。

 近しい部分はある。あるが、種として、生物としてはまるで異なる存在だ。性質も、ルーツも。

 それに対して、ときによっては恐れを抱き、またあるときは疑いを持ち、そして、「区別」する。決して同胞を見るような目で見ることはない。

 これは差別主義などという次元の問題ではない。そもそも違う生き物なのだから。

 無意識のうちに区別することが危険なのか、あるいは区別「しない」ことが危険なのか?

 いずれにせよ、とクレインは考えた、どちらの場合でも、思考の異なる自分かベケットが対処できるはずだ。思考が異なればこそ、だ。

 チャペルはどうなのだろう?彼女は、そのときその一瞬が楽しければ他のことはどうでもいいふうだが。

「残る問題は事務所の手配だな。どんなあばら家でもいいから一軒、ガレージつきの建物を確保しておきたいんだが」

 クレインが物思いに耽る一方で、ベケットが次々に計画を進めていく。

 ときおりチャペルが口を挟みながら。

「商売するなら豪華な建物がいいなぁー」

「なに言ってんだ、どうせ作戦が終了したら破棄するんだぞ?火をつけて、そうだな、武装勢力に焼き討ちにされたとかいう名目にしてさ。保険金をたっぷりかけてやろう、いい臨時収入になる」

 それこそまさしくマフィアの手口だったが、なにかを言い返すよりも先に、そもそもベケットはどこでそういうやりかたを学んだのだろう、とクレインは疑問を感じた。

 軍属時代はここまで小器用な男ではなかったはずだが。

 

 

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 一週間後、三人はケープタウン国際空港のターミナルに立っていた。

 入国審査を済ませて税関を通り、ロビーで合流するまでのあいだ三人は別々に行動していた。出国前から、である。これは監視の目を…あるとすれば、だが…分散させるための最低限の保安措置だった。

 またバゲージ・クレームで荷物を待つようなこともない。

 用意するものといえば下着と洗面用具くらいのもので、その程度であれば小型のショルダーバッグで機内に持ち込める。

 国外の任務では機密性のあるもの、武器類の危険なものは別ルートで調達し、絶対に人員と一緒に運ばないのは鉄則だ。いつ厳重な荷物チェックや身体検査を受けるともわからず、わざわざそんな危険を冒す理由がない。

 またそれとは別に、空港での荷物のトラブルというのは非常に多い。これは場所にもよるのだが、大抵の国では荷物の扱いやトラブルへの空港側の対応がぞんざいであるため、そんなものに任務の成否を委ねるのは狂気の沙汰である…と、これはいかな諜報機関の教本(マニュアル)にも記載されていない一般論だった。

 ともあれ。

「なぁんかピリピリしてるのだわ」

 空港を出るまえに三人はコーヒーショップで軽食をとることにしたのだが、小さなカップから湯気のたつエスプレッソに口をつけながら、チャペルはガラス越しに見える重武装の警備員をじっと見つめていた。

 要所に配置されている警備員はロシア人が着るようなブルーの迷彩服の上に抗弾ベストを着用し、自動小銃を手に油断なく周囲を見回している。

 これが軍人ではなく、民間の警備要員とは。

「十年ほど前までは、治安が悪いとはいえ観光で栄えていたんだがな。企業紛争が激化してからはすっかり客足が遠のいたみたいだぜ」

 それでも南アフリカ政府が多国籍企業を積極的に誘致しているのは、多額の経済支援と、自国での技術開発を見込んでのことである。

 もとより資源に恵まれている南アフリカにとって、観光業へのダメージなどは何ほどのものでもなかった。アパルトヘイト施行時に国連から経済封鎖を受けたときなど、経済断交していた周辺諸国のほうが困窮したほどだ。

 大陸中に民族独立の嵐が吹き荒れていた60~80年代、数多の国が南アフリカの民族指導者を支援し南ア経済を我が手中のものにしようと画策していた。エジプト、イラン、シリア、キューバ、パレスチナ、イスラエル…そしてロシア、アメリカ。

 しかしアパルトヘイトが廃止されてからも、周辺諸国が積極的に南アフリカ経済に介入することはなかった。それだけ国内の状況が不安定だったのだ。それが強大な軍事力を保有する多国籍企業の台頭により成されるなど、いったい誰に予測できただろうか。

「観光…あっ、アタシ、ケープペンギン見たい!」

「おまえねぇ…」

「それにしてもみんな、そんなにアフリカの資源に興味があるのねぇ。やっぱり石油かしらん」

「おめーは本ッ当に不勉強だな。南アは石油出ねぇよ?」

「エッ、じゃあエネルギー資源は?中東から輸入?」

「そうだったら四、五十年前のアパルトヘイト施行時の経済制裁で南アフリカはボロボロになっちまってるよ。他国が南アフリカの扱いに手を焼いてたのは、この国が経済封鎖を受けても自活できる体制を整えていたからさ。もちろん、エネルギー問題も例外じゃない」

 ケニア産の豆から淹れられたコーヒーの香りを鼻から大きく吸い込み、できたてのベーコンエッグトーストにかぶりつきながら、ベケットはまったく雑談する休日のビジネスマンといったふうで説明した。

「昔から、南アフリカは石炭を石油に精製する技術を持っているんだ。だから経済封鎖で石油を輸入できなくなっても、エネルギー危機による困窮とは無縁だったわけだ…たとえば真珠湾に突っ込んだ、どこかの島国とは違って。自活できるんだよ、この国は。これだけ国内情勢が混乱しているにも関わらず、アフリカ大陸随一の経済大国の座が揺るぎもしないのは偶然じゃないんだぜ」

「金にダイヤ、プラチナ、ウラン、南アフリカは稀少鉱物の宝庫だからね。それらが占有できれば、それはもう世界を支配するに等しい…にも関わらず、誰もアフリカのカオス(混沌)を統治し自分のものとすることができなかった」

 ハーブ入りのルイボス茶を飲みながら、クレインが言葉を継いだ。

「アフリカの歴史は被支配者の歴史さ。古くは古代ローマ帝国からトルコのオスマン帝国、そして植民地主義の欧州各国…第二次世界大戦まではね。冷戦がはじまると同時に民族独立の名を借りた米露の代理戦争がはじまり、そして誰もこの暗黒大陸をコントロールできなくなった…」

「いまじゃあ企業紛争の影で、イラクやシリアから流れてきた傭兵たちが暗躍してる。そこへ元からいた部族の義勇兵、犯罪組織、テロリストが絡み…ホットだぜ、ここはよ。火傷しそうにな」

 周辺国も紛争続きで、難民や亡命者までもが流れてきている…とまでは、ベケットは言わなかった。

 90年代以後の移民流入と多国籍企業の経済開発が招いた混乱により、2022年の南アフリカはニューヨークばりの人種のるつぼ、他民族国家と化している。

 いまでは「南アフリカでは何でも手に入る」などという噂まで、まことしやかに囁かれる始末だ。ちょうど日本の、チバシティ港湾地区、仁清スラムのように。

 そういえば仁清は、五年前のγクラスタ事件で壊滅したのだった…と、ベケットは思い出した。

 軽食もそこそこに三人は立ち上がると、会計をクレッド(電子)マネーで済ませ、空港を出た。

 世界共通のクレッド・マネー使用は政府が管理する社会保障番号と密接に紐付けられており、社会保障番号を持たぬ者は使用することができない…つまり、合法的な商取引の一切を禁じられることになる。

 そのため現在は非合法とされる旧貨幣への依存は、政府が認識している以上に根強い。社会保障番号を持たぬ移民や犯罪者のみならず、非合法的なブツを欲しがる一般人、あるいは非合法でなくとも、他人に知られたくない買い物をしたいときに…クレッド・マネーを使った取引はすべて記録に残るからだ。

 それらの記録は管理業務を委託されている多国籍企業のもとへ届き、本来は公的な機関にしか知らされないはずの個人情報を握ることで、企業は今日(こんにち)に至る強大な力と富の礎としたのである。

 身分証明カード…本物だが名義の異なる、『複数あるうちの一枚』…をポケットにしまいながら、ベケットは各国の言語で案内を読み上げるスピーカの声に耳を傾ける。面白いのは、アフリカ由来の十近い母国語が淡々と流れてくることだ。国際化が進んでいるどんな国でも聞かない言葉である。

 語学に堪能なベケットでもアフリカーンス語が半分聞き取れるか、といったところだ。ズールー語、ソト語、スワジ語といったバントゥー諸語についてはサッパリだった。

「さすがに空港はクレッド・マネーだな。主要交通機関もそうだろうが、どこまで通用するかな」

「ここいらで流通している旧貨幣は米ドルだったかな。用意はあるのかい、少佐?」

 クレインがベケットに尋ねる。今回の作戦において、装備の手配はすべてベケットの担当だったからだ。

 武器や危険物でこそないものの、機内への持ち込みは不可能だった。厳戒態勢下にある南アフリカでは荷物の中身はすべてチェックされ、禁制品である旧貨幣は没収される目算が高かった。

 税関職員に賄賂を渡して回避する方法もあるが、モノが現金だとチェックが厳しくなるうえ、その場で見逃されたとしても、あとで警察や軍に連絡されないとも限らない。

 そういったことを脳内で反芻させながら、ベケットは答えた。

「いますぐには手に入らない。ケープタウン・ベイで中古車の引き渡しと同時に受け取れるようセッティングしてある」

「それじゃあ、ケープタウンまではクレッド・マネーを使うしかないわけだ」

 とクレインはショルダーバッグを抱えなおして言う。

 そのうしろで、チャペルが日焼け止めクリームを塗っていた。税関のチェックで唯一、見咎められかけた物品だ。爆薬にでも見えたのだろうか。

「移動はバス?」

「いや、タクシーを使おう。この国の公共交通機関はトラブルが多い、外様(ソトサマ)が利用するもんじゃない」

「異文化コミュニティというわけにはいかないわね」

 国外任務で重要なのは現地に溶け込むことだ。だが、どれだけ努力したとて現地人になれるわけではない。その微妙な認識の差異は、時に命取りになる。

 

 

 

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