「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SHOP SQUAD -』

- 2nd Season -

Chapter_04 【 凍てつく瞳 - Eyes on the ICE - 】 Part_2

 

 

 

 

 

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「フゥ」

 翌朝。

 定刻通りに出社したブレイは、第一セキュリティ・ルームの制御卓を前に軽くため息をついた。

 かつて凄腕の傭兵チームに所属し、強化外骨格を身に纏い世界中を回ってγクラスタ討伐に参加していたブレイはいま、ILC社の保安部長という役職に就いている。

 社内セキュリティの常時監視を担当しているブレイが暇をもらえることは滅多になく、先日は久々の休暇だった。

「とりあえず社内ネットのチェックとセキュリティの再構築から…本当は昨日の夜からでもはじめたかったけど、あまり仕事人間だと思われるのも損だしね」

 そんなことを言いつつ、ブレイはローカルネットのウィルスチェックを進める傍らで保安部員の詰め所にコールをかけた。

「おはようございます。誰かそっちにいる?」

 しばらく応答待ちしたあと、詰め所に据付けの連絡用端末を通じて映像がブレイの視覚野に投射される。

 ビデオチャット・モードで応答したのは、保安部員のオロシだった。休憩中なのか、ブロックタイプの栄養食品を頬張っている。

『ブレイっち?復帰早いじゃん、もう二、三日休むかと思ってた』

「開きっぱなしのドアをそう長い時間放っておけないよ。先日分のセキュリティ・レポートが挙がってないけど」

『ひどいこと言うなぁ、もうすこし他の所員を信用してくれてもいいのにさー。レポートならアニキから預かってるよ、データ?書面?口頭?』

「休憩終わってからでいいから、一度こっちに出頭して。声が聞きたい」

『はいはい、声ね。わかった、装備点検があるから三十分後になるけどいい?』

「いいけど、あまりのんびりは駄目だよ」

『はいはーい』

 どことなく投げやりな返事をよこすオロシが中継を切断し、ブレイはふたたびセキュリティ・チェックに専念する。

 ただの報告であればメールの送受信で充分だが、ブレイは職員の仕事の内容だけではなく、職員がどのように仕事にあたっているのか、日常の業務における感想をも勘案して保安対策を構築している。

 たんにデータのやり取りだけでは、些細なヒューマン・エラーや異常事(とも言えない違和感)が発生しても見落としてしまう。そして近年のハッカーや企業工作員は、まさにそういったミクロレベルの盲点を突いて防御を切り崩してくるのだ。

 そんなわけなので、ブレイは雑談の域を出ない会話であっても職員とのコミュニケーションを重要視していた。

 あくまで趣味や気遣いではなく、保安対策の一環としてビジネスライクに…ではあったが。

 その後ブレイは午前中一杯を社内セキュリティのチェックと再構築に費やし、合間にオロシから近況を訊きつつ、このまま順調にいけば午後には通常の監視業務に戻れるな…と思った矢先に妙なものを発見する。

「なんだ、これ」

 会社の地下に設置されたサーバーの一つに、見覚えのない保全ノードが新設されているのを発見したブレイは、思わず首を傾げる。

「一ヶ月前にはこんなもの、なかったはずだけど…隔離されたデータ領域?随分雑な工作だなぁ。防壁プログラムまで走らせて」

 なにか嫌な予感を覚えたブレイは、慎重に作業を進めていく。

「保安部長のボクにアクセス権限がないだって?防壁のぶ厚さに反比例しておざなりな暗号化処理しかされてないから、その気になれば突破は可能だけど…その必要はないかな…こんなことをするのは外部の人間じゃないだろうし」

 一度作業を切り上げると、ブレイは内線から社長室にコールをかけた。

「おはようございます社長。社内サーバーに妙なものを見つけたので、報告に」

『また被害妄想じゃないだろうな。どうした』

 ILCの社長はれっきとした人間で、あまり機嫌の良くない声で応答した。

 ブレイの慎重な性格について社長はあまり快く思っていないようで、それが態度にありありと出ている。

 もっとも、そんな皮肉も聞き慣れたブレイは何事もなかったかのように報告を続けた。

「一ヶ月以内に新設された保全ノードに、厳重なセキュリティが施されたデータ領域が存在します。容量そのものは大きくありませんが、内容は不明です」

『妙だな。電賊にサーバー領域の間借りでもされたか』

「恐らく違うでしょう。ここに設定された防壁は軍用で、民間での使用は禁止されている対DNI用の殺傷プログラムが含まれています。ハッカーが入手できるような代物ではありませんし、また使いたがらないでしょう」

『ほう?』

「それにデータの暗号化自体は単純なもので、防壁のグレードに見合いません。これはハッカーの手口とは違います…社長は、なにかご存知ではありませんか」

『…いや。知らんな』

 知らん、と言うまでの間に、ほんの少しだけ社長が躊躇いを見せる。

 やっぱり、思ったとおりだ…ブレイはひとりごちる。社長は間違いなく何かを知っている。

 ブレイの確信を悟ったか、社長はやや慎重な口ぶりで言葉を続けた。

『それで、潜ろうとはしたのか』

「いえ。その気になればやれますが、どうしますか?」

『すこし待て』

 そう言うと、社長は一方的に交信を中断した。

 ふつう、社内サーバーに得体の知れないデータがあると知ったら、なんとしてでも排除しようとするか、少なくとも正体を知ろうとするだろう。

 そうしないということは、社長はデータの存在を知っていたか、あるいは社長自身がそれに関わっているか、だ。

 おそらく機密データでも入っているのだろう、保安部長の自分すら締め出すとは…と、ブレイはため息をついた。

 しばらくして今度は社長からコールがあり、ブレイはすぐさま通信を受ける。

『そのデータには触るな』

「詳細を訊いても?」

『検討中だ』

 それだけ言って、また社長は交信を中断してしまった。今度は再連絡もなかった。

 同時に、この社長の反応はブレイの推測の裏づけになった。

 おおかた裏取引か裏帳簿のデータでも隠してあるのだろう。べつに珍しいことではない。

 今日び健全な業務だけで食っていけるほど企業闘争は甘くないが(それも競争の激しいソフトウェア業界であれば尚のことだ)、それでも重役の隠し事好きな体質にはたまにうんざりさせられる。

「…セキュリティ担当に隠し事をして、どうやって社内の安全を守ればいいっていうんだ?」

 そんな当たり前の文句を口に出してみるも、「会社なんてそんなものだ」という現実にブレイはただため息をつくばかりだ。

 これで何か問題が起きたら自分のところに責任の追及が来るのだろうが、そんなことを心配しても仕方がない。それに一応、さっきの社長との通話記録は保存してある。気休め程度の保険ではあるが。

 たった一つの心配事を除いてセキュリティのオーバーホールを終えたブレイは、一つ大きな欠伸をしたあと、不意に部屋の片隅に飾られている服に目をやった。

 それはブレイがかつて戦場で身につけていた強化外骨格。白と黒のコントラストが際立つ髑髏をモチーフにしたスーツは鍵のついた強化ガラス製のコンテナに格納され、ひときわ目立つオブジェとして部屋の中でも異彩を放っている。

 もう着ることのない戦闘装備を私物として持ち込んだのはなぜだったのか、今となってはハッキリと思い出すことができない。

 狐魂の登場と時期を同じくして、世界中に存在が観測されはじめたγクラスタ。

 その存在が公になると同時に、かつて秘密裏に討伐活動を行なっていた狐魂たちが次々に名乗りをあげ、金でγクラスタ退治を請け負う傭兵集団が幾つも組織された。

 そのなかでも特に腕利きが集まるグループにブレイは所属しており、仲間とともにγクラスタ退治に明け暮れる日々に終わりが訪れることなど、当時のブレイはまったく考えもしていなかった。

 

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 あれはもう、何年前になるか。

「…あれ?」

 あるときブレイは、急激に訪れた激しい目眩に違和感をおぼえた。

 このところ激しい戦闘が続いており、疲労が蓄積している自覚はあった。だからといって休息を取ることなどは考えなかったし、少しくらい調子が悪くても、それは一時的なものだろうとタカを括っていた。

 しかし膝が震えだし、まともに立っていられなくなると、チームの健康管理と医療全般を担当していたアイルが血相を変えて駆け寄ってきた。

「ブレイ、あなた…!」

「ち、ちょっと前の日に飲み過ぎたかな?よっと…あ、あれ、れ?」

 仲間に無様な姿は見せられない、頼りないやつだとは思われたくない。

 その思いからブレイは気丈に振る舞っていたが、しかし意志の力だけではどうにもできず、身体を思い通りに動かすことができない。

 明らかに異常な行動を見せるブレイをアイルは抱きとめ、心配そうな瞳でじっと見つめる。

「だめよ、無理しちゃあ…」

「大丈夫だって、心配ないよ。そんな目で見ないでって、本当になんともないんだから」

「なんともないはずないじゃない、まっすぐ歩くことさえできないのに!少し休まなきゃ、数回任務を外れたって、誰も迷惑だとは思わないわ」

「いや、でも…」

 でも、ボクの居場所は戦場にしかない。

 それなのに、戦場に出ないなんて。戦場に出れない兵士にどんな価値があるっていうんだ?

「でも、それじゃあ、ボクは…」

 みんなの足手まといになりたくない。

 そう言おうとしたとき、ブレイはおびただしい量の血を吐いた。

「…ぶ、ご…ゴハッ、お、おご…ぅおごえぇぇえええぇぇぇぇ!ごほっ!ぶふっ、か、かはっ……」

「嘘…そんな、ブレイ」

「ぜはーっ、ぜはーっ…う、けほっ…あ、あれ……?」

 驚いたのは、ブレイも、そしてアイルも同じだった。

 なんだ、これ?

 しばらくの間ブレイは、自分の身になにが起きたのか気づかなかった。

 アイルが血まみれになったのを見て、最初はアイルの身に異変があったのではないかと思ったほどだ。

 しばらく意識が朦朧とし、何度か目を開けたり閉じたりしたあと、アイルが泣きながら自分の身体を必死に揺さぶっているのを見て、ようやくブレイは自分が吐血したことを認識した。

 瞳孔が開き、汗が止まらない。胸が苦しくなり、まともに呼吸ができない。

 苦しい……

「う…嘘、だ…こん…な……」

 こうなっては、もう…すでに、自分がまともに戦える状態でないことはブレイにも自覚できていた。

 アイルの腕の中で痙攣を繰り返しながら、ブレイは自分の不甲斐なさに涙を流す。

 そんなブレイの心中を知ってか知らずか、アイルはブレイを固く抱きしめながらつぶやいた。

「ごめんなさい、ブレイ。私がもっと早く止めていれば、こんなことには…!」

 その謝罪は、肉体を酷使し疲労を隠せていないブレイの異変に薄々勘付いていたがゆえの言葉であった。

 

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 しかし、このときにはブレイも、そしてアイルですら気がついていなかった。

 ブレイの状態が、二人が思っているよりも遥かに悪化していたことに。彼の容態の変化は、たんに肉体的・精神的な疲労だけが原因ではなかったことに。

 メタンフェタミン中毒。

 アイルですらその存在を知らなかった、ブレイの強化外骨格に内蔵されている覚醒剤注射が、ゆっくりと、確実に、彼の心と身体を蝕んでいたのだ。

 ブレイの強化外骨格には、戦闘前に感覚を鋭敏化させ戦闘本能を刺激するメス、負傷の際に痛覚を和らげるモルヒネなどの薬物注射が内蔵されている。

 メス(メタンフェタミン)やモルヒネ自体は戦場で兵士が携行することもあり、それ自体は珍しいことではない。

 そして残念ながら、薬物中毒に苦しむ兵士の存在は二十一世紀を過ぎても依然消えてはいないのである。

 戦闘行動中の薬物使用を軍が公にすることはなく、また兵士もわざわざ問題を表面化させるような告発はしない。特にメスは特殊部隊が携行することも多く、それは悪戯な濫用や快楽を目的に使用するわけではないからだ。

 とはいえ、薬物使用に関する危機管理が充分ではないことも事実だ。それはブレイも同様だった。

 ブレイはもう戦場に立てるような身体ではなかった。

 二度と。

 チームから離脱せざるを得なかったブレイは後の数年間を療養センターで過ごし、その後、世界中の企業にコネがあるアイルの紹介でILCの保安部長という職を紹介された。

 すぐに要職に就けたのはブレイが電脳改造済であったこと、電子機器やネットワーク技術に堪能だったからである。

 そんなことを、思い出しながら…

「まぁ、いまの生活も悪くないけどさ」

 いままで戦いの場以外での生き方を知らず、他に自分の居場所などないと思い込んでいたものの、いざ生死の関わらない平和な仕事に就いてみると、意外にもブレイは新しい環境にすぐ適応することができたのである。

 そうなると、これまで自分はなにを思い詰め、自らの可能性を閉ざしていたのかと自虐的に考えることもあり。

 といっても今の仕事には刺激が足りないと思うこともままあり、戦場で感じたような高揚感、充実感に欠けていることもまた、事実ではあるのだが…

「そんなこと考えても、仕方ないよな。もし、とか、また、なんて選択肢、もうないんだから」

 どのみち自分が戦場に立つことは、二度とない。

 未練がましく昔を懐かしむこともあるが、そんなときは、そう考えることで自分を納得させることにしている。

 基本的な機能を除き、ほとんどの兵装(いわずもがな薬物注射も)が外された強化外骨格を見つめ、あれは自分の写し身のようなものだと思い…牙(武器)を抜かれ(外され)た獣(兵器)、強化外骨格を飾ってあるのは、そのことを再確認するためだったろうかとブレイは思いながら、監視カメラのモニターに視線を移した。

「…どうしようかな」

 じつのところ、もう自分にやれる仕事はそれほど残っていない。

 施設警備を担当する部下の定時報告の処理、モニターの監視といった日常業務、それ自体は片手間でできるものだ(もちろんそれは、電脳をフル活用できるブレイだからこそである)。

「そういえば、あの…C-Code、チャペルと言ったっけ。アメリカから来たデモメーカー、あいつのデモをちょっと見てみようかな」

 本来は業務中にやるべきことではないが、たまにはいいだろう。

「社長に邪険にされたこともあるし、ま、根には持ってないけどサ。ファイルの解析でもしてみるか…どうやってあんな変態的な映像作ったのか興味あるし。あの鏡面反射、たぶん別の手法でそれっぽく見せてるだけだと思うんだよなー」

 そんなことを言いつつ、ブレイはチャペルがやったのとほぼ同じ手法で解析を進めていった。

「意外だな、圧縮ソフトは既存の出回ってるツールを使ってるのか。合理的なのか…シェア精神でもあるのかな?フフッ。ファイル展開完了、あとはソースコードのデコンパイルだけだね」

 それまで順調に作業を続けてきたブレイはしかし、ここで壁にぶち当たってしまった。

 さまざまなツールを使ってバイナリの解析を試みるものの、最初の数行だけプログラム言語を再現した後は支離滅裂な文字列が並ぶのみで、まともに読める状態にならない。

「仕方ない、手前のアセンブリ言語から検証していくか…」

 えらく難儀な作業になるが、と思ったところで、ブレイはあることに気がつく。

 …なぜ、最初の数行だけデコードが可能だった?なぜたった一部だけ?

 てっきり解析に失敗したものと思い、読むことすら考えなかった数行のコードをじっと見つめたブレイは、実際は解析に成功していたこと、冒頭の命令文の意味を理解し、背筋を凍りつかせる。

「え…?いや、これは…まさか。ウソだろ?ありえない」

 一見何の意味も成さないデタラメな命令文、そのあとに続く規則性のない文字列。

「これは…このコードは、独自のプログラム言語を認識させるための命令文か?このたった数行のコードが?あとの文字は…これもコードなんだ…既存のどれとも違う、おそらく彼女が組み上げたオリジナルの言語。Amiga500であれだけの映像表現ができた秘密の理由はこいつなのか」

 構造や法則が従来のものとはまったく異なるプログラムコードを睨み、ブレイはため息をついた。

「ダメだ…わからない。こんなコードは見たことがない。たぶんネット上で類型が流れたこともないんだろう、解析するにはぼくが一からやらなきゃ駄目だろうな。少なくとも、こいつを使って実機でデモが走った限りは…その価値はあるか」

 そうは言ったものの、ブレイは作業を継続するどころか中断し、深呼吸をする。

 これ以上の突っ込みは、片手間では済まなくなる。

 そう判断したブレイは、続きは勤務時間の終了後にやろうと思い、ひとまず仕事に専念することを心に決めた。

「ひさしぶりだな、この感覚…」

 まるで強敵に出会ったときのような、思いがけずライバルが現れたような、そんな感覚。

 こんなときは決まってアルコールが欲しくなるが、あれだけ好きだった酒も、今は飲むことができない。

 元ヤク中にアルコールは厳禁なのだ。シロップ入りのチョコレートですら。先日のデモパーティで炭酸飲料しか飲まなかったのも、それが理由だ。

 かわりにブレイはカフェイン・タブレットを口に含むが、それすら本来は奨められるものではない。

「ちくしょう…美味しそうに飲んでたよなあ、あいつ」

 話の合間にガバガバ酒を飲んでいたチャペルの姿を思い出し、ハァ、ブレイはため息をついた。

 

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 午後十時過ぎ、ルート20沿いの木陰には二輌の装甲車がカモフラージュネットをかけて隠してあった。

「闇市で仕入れたM113の型落ちだ。武装はなし、追加装甲もなし。スピードが欲しいからな」

 そう言ったのはベケットだ。派手な柄のアロハシャツを着ていたが、その下には漆黒のスキンスーツがぴったりと貼りついている。サイバースーツ用のアンダーウェアだ。

 彼の隣では、これまたトロピカルな柄のシャツを着たクレインが気乗りのしない表情で装甲車の外殻をコンコンと叩いている。

「ナム戦では鋼鉄の棺桶って呼ばれてたそうじゃない」

「地雷と銃口に囲まれたジャングルを走るわけじゃないからな。これで充分さ」

 二人は車体後部の昇降ランプから収容スペースに乗り込み、ベルトに吊られていたサイバースーツの装着にとりかかった。

「新型だぜ、表面処理と衝撃吸収剤の改良で7.65mmまでなら正面からでも止まるようになった。ま、過信は禁物だけどな」

「見た目はいままでとそれほど変わらないね」

「装甲を追加したわけじゃないからな、重量もいままでと変わらないから動きに支障が出ることもないって寸法よ」

「うん…」

「どうした」

 クレインの返事はなんてことのない、気が抜けたものだった。

 しかしベケットには、それがクレインが滅多にやらない類のため息だったこと、そしてそういう気の抜き方は本来、任務の前には絶対にやらないものだと気がついていた。

 まるで十年来の想い人から結婚式の招待状が届いたときのような、重く鬱屈とした感情。

 平時ならそれでもいい、部屋に籠もってクソ映画を鑑賞してるときなら。ただ、いまはまずい。

「おまえ、どうした」

「え?」

「おかしいぜ、ずっとな。ウクライナの任務のあとから…オレでなくともわかるぜ、そんなのは」

「だろうね。ボクも隠す気はなかったし…いや、気づいて欲しかったワケじゃない。ただ、思い煩いをするのに他人の目を気にすることはなかっただけさ」

「なにがあった」

 ベケットに説明を促されても、クレインはしばらく黙ったままだった。

 ただ…さっきも言ったように、クレインはウクライナでの出来事を仲間に隠していたわけではない。ただ、説明する機会がなかっただけで。

 そう、ここで口を閉ざす必要はない。自分で言ったことだ。そうクレインは思うと、任務前なので詳細を話す時間はなかったが、大枠をかいつまんで話した。あのとき、なにがあったのか。そのとき、自分がどう思ったのかを。

「他にやりようはあるはずだった。もっと別のやりかたが。うまい方法が。結果的にあの娘は助かったけど、あくまでそれは…結果だ。それも、ボクの手柄じゃあない。ただ、どうすればよかったのか…どれだけ考えても、わからないんだ」

「それは答えを急ぐものか?」

「でなければ、似たような状況に遭遇したとき、ボクはまた過ちを犯す…そんな気がするんだ。ひょっとしたら今回の任務でも、自分の望まない…結果を、自分が導き出すかもしれない。あるいは咄嗟の状況判断ができずに、それが原因で失敗するかもしれない。仲間を危険に巻き込むかもしれない。それは避けたい」

 その言葉を聞いたとき、ベケットは相棒が自分の考えていた以上に深刻な精神状態であることを察した。

 メビウスの輪、ろくでもない思考のループに嵌まってしまっている。

 いままでこうした悩みを見せなかったのは、おそらく、軍の作戦はスパイの任務よりもシンプルだったからだろう。「成すか、成さぬか」ではなく、「いかにして成すか」という問いは、CIAに籍を置くようになってからベケットにもつきまとうようになっていた。

 ベケットはヘッドセットのモニターをチェックし、火器統制システムの起動を確認しながら、クレインに言った。

「おまえはさ、ちょいとばかりアーティースト(凝り性)すぎるんだよ、クレイン大人。そんなことじゃ、早晩ボディバッグ(死体袋)に直行する破目になるぜ」

「胸が痛むよ、少佐」

「シンプルに考えろ、少なくとも今夜は…悩むなとは言わねぇよ、そりゃあ?だがな、そういう賢さってのが持て囃されるのは、鉛弾の飛ばない世界だけだ」

「金融業者が倫理の問題に関心があるとは思えないけど」

「ま、そりゃあ、そうだな。いまのはオレの失言だった」

 いまの話題には的外れだったが、それでもクレインの指摘に対して、ベケットは鼻を掻いた。

 しかしすぐ、フェイスプレートをパカパカと開けたり閉じたりしているクレインに対して、ベケットは言葉を続ける。

「ヒトにはそれぞれ領分ってモンがあんだろ。中尉は他人の心配をし過ぎなんだよ…身の丈を考えねェとな、あっさり死ぬ。いまオレたちが生きてるのは、そういう世界じゃねえのか」

「わかってるさ、それは。改めて言われなくても。ただ、いま少佐が言ったように…身の丈を考えずに死んだとして、それが、最悪の選択肢ってわけでもないだろう?ときには自分の命を顧みずとも、それで誰かが…何かが、救われるとしたら?」

 そう言うクレインの視線にはいささか挑発的な態度が含まれていた。

 我が身可愛さに道を選べと?クレインは無言のうちにそう言っていた。

 まったく…ベケットはため息をついた。こんなツラしてドラマチックな男だ、碌でもない映画ばかり観てるせいか?

「おめーが死んで、おめー一人が後悔するだけで済むなら、オレはこんな話はしねー」

「なんだって?」

「少なくとも、だ。中尉が平常運転でいられるなら、オレやチャー公が背中の心配をせずに済む。その役割についても、もちっとばかし考えてくれたって罰は当たらないんじゃねえかな」

「死ぬなら一人で死ね、と?」

「死ぬな、と言ってる」

「考えとく」

 いささか投げやりな口調でそう言うクレインを呆れ顔で見つめ、またベケットが口を開こうとしたとき、昇降ランプからチャペルが顔を覗かせた。

「やっほー、あら。もう揃ってるのね」

「オタクと違って、こちとら他にやることもないんでな」

「ぶーっ、アタシを暇人みたく言うのはやめるのだ。ずっと遊んでたわけじゃないよ?」

「本当かねェ…」

 おそらく男二人がシリアスな会話をしていたなどとは思っていないのだろう、少女のような膨れ面を見せるチャペルに、毒気を抜かれたベケットとクレインは互いに顔を見合わせたあと肩をすくめた。

 会話は中断されてしまったが、両者ともに言いたいことはすでに言ってしまったあとだ。

 賛意こと示さなかったものの、自分の言ったことをクレインは理解しているとわかっているベケットは、それ以上話を蒸し返そうとはせず、かわりにチャペルが胸に抱いている奇妙な生物について言及した。

「ところでそいつ、なんだ。犬?」

「うーんとね…狸?」

「アウッ、ヘッヘッヘッ…フウゥー、クーン…」

 チャペルが抱えている生物、それは一見ただの犬。どう見ても雑種の犬。その真実は狸。と見せかけてれっきとした狐魂。

 その名は…だいすけ!!

 ジャアァァーーーンッッッ!!

「うおっ、なんだこいつ!?」

 おもむろに自分の周囲に効果線を発生させるだいすけに、ベケットは思わずたじろぐ。

 犬かきのような動きで暴れるだいすけを腕と胸で押さえつけながら、チャペルが言った。

「このコは今回のアタシの助っ人なのだ」

「そいつがかぁー!?そういやこいつ、以前、中東の任務で一緒だった記憶があるな…もうよく覚えてないが…通信器持たせてたんだが、勝手にどっか行っちまっただろオマエ!」

 うーん、唸りながら軍人だった頃の記憶を手繰りつつ、だいすけを責めようとするベケット。

 だが、しかし!

 ジャアァァーーーンッッッ!!

「ぐおあああ~~っ!?」

 おもむろに効果線を発生させるだいすけ、そこから生じるなんだかよくわからないインパクトに、ベケットは手出しができない!

 これこそがだいすけの持つ固有能力、AD( Absolute Daisuke )フィールド!

 だいすけの心の中にある潜在的な欲望(平和に暮らしたい、めんどくさいのきらい)が世の面倒事を遮断する障壁となり、精神的・物質的障害をはねのける精神波として形成されたのが、このADフィールドである。

 目視できるほど強固なこのバリヤーはまるで漫画の効果線のように見えるのだ。

「なるほど、これは凄い力だ…」

 頭を抱えて呻くベケットを見て、クレインがもっともらしく頷く。

 ADフィールドの影響圏内に置かれた者は、ことごとくだいすけへの敵意や攻撃的意思を失ってしまうという。

 それを跳ねのけてだいすけに攻撃するには、凄まじく強靭な精神力か、害意なく対象に危害を加えることのできる子供の如き無垢な精神が必要になる。

 それゆえ、だいすけは子供がだいきらいなのだ!

「アタシもスーツ着るから、クーやん、だいすけ預かってて」

「おお」

 車内に吊られているもう一着のCONスーツに手をかけながら、チャペルがだいすけをクレインの膝の上に乗せる。

 上着を脱ぎ、ボディラインがはっきりと見える薄いスキンスーツ姿になったチャペルの肢体に見とれつつ、クレインは膝の上のだいすけの頭を撫でくり回した。

「よしよし」

「フワーッ、ハウハウ。コャーン」

「よしよしよし」

「ハフハフハフ。ハッハッハッ」

「よぉ~しよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし」

 ジャアァァーーーンッッッ!!

「グワーッ!」

 あまりにしつこかったためか、怒った(?)だいすけにADフィールドを展開され超エキサイティングにのけぞるクレイン。

 やがてチャペルが新型CONスーツの着用を済ませ、クレインの膝からだいすけを持ち上げたとき、三人の視覚野に通信窓が展開した。そこへかつて自分たちが訓練した後輩の顔が写る。

『お待たせしました。そちらは準備オーケイですか?』

「ひさしぶりだな、アン。調子はどうだい」

『上々ですよ。一緒に仕事ができて、光栄ですわ。兄さま』

 戦場に似つかわしくない、柔らかな女性の声とともに、AR上の顔…もう一輌のM113に乗っている、アンダーウッドが微笑んだ。

 二輌目の装甲車には、陸軍の対γ用特殊部隊…かつてベケットたちが所属していたガンマ・ユニットの後身である第一対怪異偵察制圧隊、通称ファースト・キャスター( First Counter Anomalous-entities Suppression TEam of Reconnaissance : 1st CASTER )のメンバーが搭乗しているはずだ。

 他にもバックアップ要員のソナー、ティーティーが同席している。

 今回はいつになく大所帯での作戦決行となるな、と考えながら、ベケットはここに至るまでの経緯を…事の発端を思い出していた。

 

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「ベケット、君はICE(アイス)を知っているかね?」

「なんだ、食いモンか?」

「そのアイスじゃない」

 一週間前、上司であるライアンに呼び出されたベケットは研究ラボの会議室にて、CIAを襲った脅威についての話を聞かされていた。

「ICE( Intrusion Countermeasure Electronics )…侵入対抗電子機器、と呼ばれる最新のネットワーク・セキュリティ技術だ。攻性防壁などとも呼ばれるがな」

「耳に馴染みがねぇ」

「これはNI用にプログラムされた、まったく新しいタイプのセキュリティだ。ネットワークに接続された脳に直接干渉することで、不正利用者にダメージを与える代物だ」

「脳に直接叩き込むブラクラみたいなもんか?」

「誤解を招きそうな表現だが、まあ、イメージ的には遠からず、だな」

「キーパンチャー(キーボード利用者)には効果ないんだろ?」

「ああ。だから、それほど広く普及しているわけではない。存在を知らない一般人も多いだろう」

 そこまで言って、ライアンはマルボロを口にくわえると、ベケットにも差し出した。

 室内禁煙の壁書きを横目にベケットがくたびれた紙パックから煙草を一本抜き取り、口にくわえると、ライアンが火のついたマッチをすかさず差し出す。どこから取り出し、いつ火をつけたのかベケットには見えなかった。

 手品のようにきらめく火に煙草の先を推しつけ、ゆっくり息を吸ってから紫煙を吐き出す。

「相変わらずだな、あんた」

「こいつは私が地球で見つけた最高の嗜好品だ。そうそう取り上げられてたまるか」

「で?その、ラッパーみたいな名前のセキュリティがどうしたって?」

「ICEには様々な種類があってな。健康には無害なもの、多少の精神的ショックを与えるもの、後天的な障害を残すものまで…中には人間を殺せるほどの、脳に強いショックを与えて、脳死状態にまで陥らせるほどの強力なものまである」

「ネットで死にたくはねーなあ。で、なんだ、職員の誰かがうっかりそいつに触れちまったか?」

「いや、そうではない。正確には、今回の案件はICEそのものが関係するわけではない」

「といっても、いままでのはただの有り難い与太話ってわけじゃあないんだろ?」

「ああ。数日前、CIAのデータベースがウィルス攻撃を受けてな、それ自体は珍しいことでもなんでもないんだが、今回のウィルスは特殊な新型で、対処が遅れたのだ」

「へぇ…」

「そいつはネットワークのセキュリティと一体化し、セキュリティになりすますタイプのウィルスで、既存のアンチウィルスソフトでは探知することができない。そして正規アカウントでログインした職員の脳にダメージを与え、フラットライン(脳波停止)に追い込む…いわば、殺人専門のウィルスだ」

「なるほど、つまりそいつは例のICEをベースに作られた改造ウィルスってわけか。ちょっと待てよ、さっき、対処に遅れた…と言ったな?」

「こいつの存在に気がつくまで、三人の優秀な情報官が命を落とした」

 そう言って、ライアンはサングラスの奥の瞳をわずかに細めた。

 CIAでは早い段階からDNIを導入し、格段に向上した情報処理能力を発揮してきた。NIを介したネットワーク技術はまだ未開拓の分野であり、今回の件ではそれが脳改造への倫理的な忌避感以上の問題となって立ち塞がった結果となる。

「それで、犯人の目星はついてるのか?」

「ウィルスの発信源を追跡したところ、この碌でもない代物はILCというインドのソフトウェア会社から送られてきたものだと判明した」

「インド?なんだってそんなところから」

「動機はわからん。だが、これはCIAへの挑戦であり、合衆国への明確な侵略行為だ。それを許すわけにはいかん」

 ライアンは短くなった煙草を握り潰し、ぎゅっと拳を固く締めたあと、手を広げた。灰と吸殻の姿はどこにもなく、手の平に若干の焦げ跡を残したライアンは、無表情のまま次の言葉を…指令を、口にした。

「潰してこい。我が国へテロ行為を働く輩に遠慮はいらん、徹底的にやれ」

「徹底的にっつったってなー。相手は企業だろ?オレたち三人だけでカミカゼの真似事をしろっていうのか?」

「今回は陸軍のバックアップがつく。事前調査で、企業の保安部隊に狐魂が数人所属していることが確認されたのでな。例の…γ討伐専門部隊、君の後輩がいる部隊から数人貸与される。狐魂との戦闘経験が少ないというので、実地訓練の名目でな」

 

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 おそらく相手は、ウィルス送信から一ヶ月足らずで武力による報復攻撃を受けるなどとは予測していないだろう。

 それが今回の作戦の重要な点だった。

 ちょっとした悪戯だろうと、政治的な意図のあるテロ行為だろうと、ユナイテッド・ステイツに敵対する者に容赦はない。そのことを明確に示すための襲撃作戦というわけだ。

『どうやら相手の保有する狐魂戦力は三名~四名のようです。奇襲をかければ制圧は充分に可能でしょう』

 そう言ったのは二輌目の装甲車に搭乗するソナーだ。チベットのときほどではないにしろ、幾つか専用の通信機材を積み込んでいるため、二輌目の後部スペースは多少狭くなっているはずだった。

 ちなみに同席しているティーティーはソナーの護衛役であり、襲撃には参加しない予定だ。また、ILC社ビルへの襲撃中に装甲車を守る役割もある。逃走の足を潰されてしまっては、無事に帰還することは容易ではなくなるだろう。

 そんなことを考えながら、ベケットはアンダーウッドに向かって言った。

「あまり無理はするなよ、敵狐魂の能力に関してはまったくわかってないんだからな」

『ええ、理解しています。こちらも新人を抱えていますし、今回の作戦では兄さまのサポートに徹するつもりですよ』

「新人?」

『最近訓練課程を終えたばかりの隊員で、実戦経験は今回がはじめてです』

「大丈夫なのか、そいつは」

『えーと、私は反対したんですけど。その、大佐が同行させろというので』

「どの大佐だ?」

『ライアン大佐です』

「ら…」

 ライアン大佐だと?

 あのババア、大佐階級なんか持ってたのか。

 自らの上司の知られざる一面を垣間見たベケットは、しばし唖然とする。

「…どこまで権限持ってるんだ、あのババア。まあいいや。その新人っての、そっちに乗ってるのか?」

『いえ、エデンとともに先行して敵地周辺に潜伏しています』

「つーことは、エデンの観測手ってわけか。意図はわかるが、あの気難し屋と一緒とはなぁ。本当に大丈夫か?」

『さあ…』

 

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 同時刻。

 ILC社ビルから500mほど離れた崖の上から、草木に紛れて偽装したエデンと、もう一人の重装狐が地上を見下ろしていた。

 狙撃ライフルに搭載された高倍率スコープを覗きながら、エデンがため息混じりにぼやく。

「なんだってあたしが、新人の面倒なんか見なきゃならないのかしら」

「そうボヤくなよギョロ目ガール。オレだって好き好んでおめーにウンコみたく纏わりついてるワケじゃねーんだ、文句ならライアンのバーサマに言ってくれ」

 エデンになじられた新人…スパーキィは、高倍率双眼鏡でビル周辺の様子を観察しながら、気分を害すことなく、そしてまったく物怖じせずに言い返した。

 かつてシールズの選抜試験を通過したものの、新部隊結成に合わせて無理矢理陸軍に転向させられたエデンの怨みは凄まじく、その戦闘能力とプライドの高さ、気性の荒さからエデンは隊内でも腫れ物扱いされている。

 それでも同じ分隊に所属するアンダーウッドとルイスの両名とはそれなりに折り合いをつけて付き合ってはいたが、それ以外の者は滅多に彼女と関わり合いになろうとはしなかった。エデンを怒らせたら、どんな目に遭わされるかわからないからだ。

 ところがこのスパーキィとかいう新人は、初日からエデンとタメ口を聞き、エデンから痛烈な罵詈雑言の嵐を吐かれても顔色一つ変えることはなく、またその後も態度を改めることなくフランクに接してきたのだった。

 言い方を変えれば、それはスパーキィがエデンを色眼鏡で見ない数少ない同僚の一人であるという証左でもあったのだが、エデンはあまりそのことを認めたくなかった。

 スパーキィ…彼女の素性についてはほとんどわかっていない。

 ある日突然ライアンが連れてきて入隊手続きを済ませ、今回の任務にも同行させるよう横車を通したのである。

 それにしても、とエデンは思った。

 はじめての任務だというのに、こいつは一切の緊張や不安の表情を見せない。

 たんに勘が鈍いだけだろう、場慣れしているということはないはずだが…

 初任務、という言葉が、あくまで「いまの部隊に所属してから」という意味であること、それが示唆するところをあまり考えないようにしてから、エデンはスパーキィに向かって言った。

「くれぐれも先走って余計なことはしないでよ。あんたはあたしの横でボーッと涎でも垂らしてればいいんだから」

「へぇへ、どうぞお嬢様の御随意に」

 そう返すスパーキィの口吻に、悪意はまったく含まれていなかった。あくまでエデンの辛辣な言葉を軽く流しただけだった。わずかに気分を害した様子もない。

 それが、エデンには気に喰わなかった。

 

「はじめての実戦だから、前線に投入せず後方支援を…それも、スナイパーの助手をってわけか。ま、妥当な配置ではあるわな」

 あれでエデンは任務には忠実だし、自分が失態を演じないために相方のケツはちゃんと持つから大丈夫だろう、とベケットはひとりごちる。

 そこまで考えたとき、ベケットはあることに気がついた。

「…そーいやぁ、通信機の調子がやけに良いな?」

「ノイズも少ないしラグもほとんどないね」

 と、これはクレイン。

 感心する二人に、チャペルが得意そうなポーズでこたえた。

「あっ、わかるゥー?」

『通信ソフトに大幅な改良を加えたんですよ、ね、チャペルさん』

「そッ。以前はエミュレートを介して独自言語を読んでたから処理が遅かったけど、今回のはプログラムの頭に直接独自言語を読めるコードを組んであるから、処理の早さが段違いなのだわさ」

 ソナーの言葉に続けて、解説を加えるチャペル。

 それがブレイの見た、amiga用のデモプログラムと同じ技術を使っているなどとは、ベケットとクレインには知る由もない。

 腰に手をあてて胸を反らすチャペルの頭をぐりぐりと撫でながら、ベケットが一言。

「まったく、いい仕事してくれるぜ。普段は遊んでるようにしか見えないのにな」

「えへへー。ひとこと余計なのだ」

 びしびし。

 照れ笑いを見せつつも、チャペルはベケットの首筋にチョップを連続で繰り出す。

「あいてて。さて面子も揃ったことだし、そろそろ出発するか…中尉、運転頼む」

「アイアイサー」

 指示を受けて運転席へ乗り込むクレインの後ろ姿を見ながら、ベケットはふと疑問を覚えた。 

 別段気にするほどのことでもなかったが…

「そういや、向こうの車輌は誰が運転してるんだ?」

 

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 ブレイが監視カメラのモニターに奇妙なものを発見したのは、一般従業員がすべて退勤し、ちょうど保安部員が休憩で入れ替わるタイミングでのことだった。

「…なんだろう…?」

 建物の周囲をかこむ金網フェンスに併設された監視カメラの一つが、二輌の装甲車の姿を捉える。

 色は都市迷彩用のダークグレー、武装はなし、かなりスピードを出して飛ばしている。

 なにより所属する軍や部隊のマークが一切描かれていないことが、ブレイの警戒心を掻き立てた。

 このテの車輌の扱いは民間人では有り得ないので、ブレイは相手の所属先をすぐに割り出せるよう、各国軍の徽章を脳内メモリのデータバンクに登録していた。もっともブラックマーケットで流れていたものであれば、部隊章と利用者の素性が一致しない可能性もあるのだが…

 しかし件の車輌はマークの類が一つもない。見落とし…ではないだろう。ブラックオプス?あるいは、テロリスト?

 まだ自分の会社に関わりのある事案に発展するかどうかを判断できる状況ではなかったが、それでも、捨て置けるほど呑気に構えていられるような代物でもない。

 ブレイが社内放送で保安部員に警戒を呼びかけようとしたとき…

 ガッシャーーーーァァアンッッッ!!

「…ッ!?なんだって!?」

 ILC社の正面ゲート付近で急カーブした装甲車輌が、金網フェンスを突き破って敷地内に侵入してきた!

 続けて後部ハッチが開き…あれは…ロボットか?

 ルビー色に輝くカメラ・アイを覗かせながら、漆黒の鎧を身に纏った兵士が左腕に装着したロケットポッドの銃口を突き出し、おもむろに発砲する!

 ズドッ、ズドドドドッッーーーン!

 爆発音とともにビルがぐらつき、ブレイはその場でよろめいた。

 なんだ、これは…いったい、なんなんだ!?

 突然の襲撃に動転しながらも、ブレイは非常ベルの赤いボタンを拳で叩きつけ、社内放送のスイッチを入れると大声で叫んだ。

「全職員に告ぐ、繰り返す、全職員に告ぐ!現在我が社は正体不明の武装勢力の襲撃を受けている、相手の所属、数、ともに不明!全力で追撃体制に入れ…リーサル・ロック(殺傷設定)、解除!」

 モニターの中で装甲車が百八十度ターンし、続々と漆黒のアーマーを身につけた兵士たちが降車する様子を見て、ブレイは思わず毒づいた。

 くそ、いったいなんだっていうんだ!?

 

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「随分派手にやったね」

「初手はインパクトが大事だからな。プロ相手には効果ないだろうが…」

 やや気が引けたような顔でおどけるクレインにそう言いながら、ベケットは銃口から煙を噴いているロケットポッドを取り外し、荷台に立て掛けてあった予備を装着した。

「なんたって今回は弾の余分も多く揃えてあるからな。ひさびさの撃ちまくり( Run and gun )だ、目立つように暴れてやらんといかんぜ」

「まあ、本来の任務を考えれば花火はでかいに越したことはないけどさ…」

「本当は従業員の退勤時間に合わせて襲撃仕掛ければ一番効果的だったんだがな。ま、さすがに非戦闘員を確信犯で巻き込むのは悪趣味も度が過ぎるからよ」

 一般従業員の往来が出入り口に集中しているところへ攻撃を仕掛ければ、場は大混乱に陥るはずだ。

 武装した保安要員も、一般従業員の安全確保や負傷者のフォローに回らざるを得なくなる。奇襲のセオリーと言おうか、大きな効果が見込めるのは間違いない。だが、それは間違いなく道義に反する行為だ。

 すくなくとも企業に所属する武装警護兵は、敷地内の治安を守るためのいかなる権利も法律で保障されており、また他企業の工作員からの襲撃を防ぐために雇われている戦闘のプロフェッショナルだ。交通整理で赤色灯を振っている 警備員とはわけが違う。

 だからといって無碍に殺していいわけは勿論ないが、死人を出さずにいられるほどベケットたちは全能ではなく、また穏便に問題を解決できるほど世界はピースに溢れているわけではない。残念なことに。

「よし、ここからは二手に分かれるぞ。アンとルイスは俺がさっきロケットでぶちあけた壁の穴から侵入、オレたちは裏口から回る。聞こえてるな、アン?」

『了解です、兄さま』

 そう応えるアンダーウッドの声は、先刻までの飴が溶けたような甘い口調とはうって変わり、戦場に立つ兵士の凜とした声に変わっていた。

 演技や見せかけではなく、自然と態度が変化したのだろう。彼女は状況によってスイッチを切り替えるのがうまい。

 まあ手のかからない妹だよな、と思いながら、ベケットは装甲車を運転するクレインと、もう一方の装甲車に向かって言った。

「中尉はこいつを停めてから合流してくれ。それと、くれぐれも…あーっと、そっちの運転手も聞いてくれ?装甲車をILCの敷地内から『出すな』。敷地内でドンパチやってる分には軍は干渉してこねぇ、治外法権だからな。だが少しでも民間区域に被害が及んでみろ、たちまちインド陸軍がすっ飛んでくるぞ」

「インド人は怖いからねー。火を噴いたり、腕を伸ばして攻撃してくるから」

「ぶつかりそうになったらアクセル全開!インド人を右に!」

「馬鹿野郎そうじゃねぇよ。挟み討ちは御免だって話だこのアホンダラども」

 インド陸軍、と聞いてたちまちボケはじめるクレインとチャペルに、ベケットが悪態をついた。

 ガトリングポッドの予備弾薬を担いでカーゴランプから降りた途端、無数の銃弾が周囲に降り注ぐ。ICL保安部員による反撃だ。まだ距離があるから牽制以上の意味はないが、この段階でこちらの位置を把握されていることは大きなアドバンテージだった。

 ジャギッ、カッ!カッ、カシンッ!

 何発かの銃弾をスーツの表面装甲ではじき飛ばしながら、ベケットはカメラアイ越しにILC本社ビルの様子を観察する。ズーム機能で視野を拡大し、窓から銃撃してくる保安部員の装備をチェックした。

「服装はデザートパターンのBDUに抗弾ベスト、厚みからすっとクラスIIか?事前に偵察衛星でチェックした通りだな、銃は…サブマシンガン?いや短縮型のサブコンパクトカービンか?銃弾はインドの独自規格の軍用弾だな、設計はPDWに近いようだ」

 ILC保安部員の拡大写真と、空中を飛翔している弾頭を捉えた映像を送りながら、ベケットは無線で仲間たちに次々と情報を伝えていく。

「おそらく軽量のボディアーマーなら貫通するだろうが、幸いオレたちのスーツにはあまり効果がないようだな。新鋭装備が仇になったか、特にアンやルイスの第二世代型ならハナクソみたいなもんだろ。ま、センサーやカメラに当たったら難儀するから、慎重にやるに越したこたぁねーがな」

『事前にスーツの装甲、替えといてよかったね。一つ前だったらそれでも厄介だった』

 すでに肉声が届く位置にいないクレインの声が無線越しに聞こえた。

 こちらの目的がたんなる嫌がらせなら相手の射程外から射的でもやればいいが、今回の任務は性質上、ILC本社ビルの内部に突っ込む必要がある。

 いくら相手の主装備が豆鉄砲とはいえ、接射を受けたら無事でいられる保証はない。それに他の武器を持っていないとも限らない。なにより、いまはまだ姿を見せていない狐魂戦力の存在も気になる。

「まずはアンとルイスを無事に届けないとな。それまで、せいぜい…頭を下げていてもらおうか!」

 そう言うと、ベケットはフル装填済のロケットポッドの銃口を向けて次々と発砲した!

 パ、パ、パ、パッシュゥゥゥーーーーーウウウッッ!

 小型のロケット弾頭が白煙の尾を引きながら飛翔し、ビルの窓へと飛び込んでいく。

 ドガッ、ドッ、ドッ、ズズゥーーーゥゥウン!!

 爆発音が連続して響き、コンクリートや硝子の破片が周囲に飛び散る。

 炎とともに黒煙を噴き出しはじめた建物を見つめながら、だいすけを抱えたチャペルが口を開いた。

「いきなり飛ばしすぎじゃない?」

「いや逆だ、逆。こいつ、建物に入ったら使い途(みち)がないからな。何があるかわからんから何発かは残しとくが、ぶっちゃけ今くらいしか出番がねぇ」

「ほえ~。システム関係に異常が出てないといいけど」

「サーバールームは地下にあるんだろ?チャー公の仕事は減らんと思うぜ」

 チャペルの仕事はILCのデータベースに侵入することで、セキュリティの無力化だけならビルごとぶっ潰せば済む話だが、そうでなければシステムを物理的に破壊してしまうと、ちとまずい。

 金庫を開けるのに、金庫ごと潰してしまうと、中身を取り出すのに難儀する。たとえ中身が無事だとしても。

「さーて、鉄火場へ飛びこむとするか」

「クーやんは待たなくてもいいの?」

「相手に考える隙を与えたくないからな。それに中尉は迷彩があるから、オレたちよりは楽に侵入できるだろうぜ」

 そう言いながらベケットは視界に周辺地図とILCビルの見取り図を重ねて表示させ、チャペルとデータをリンクさせた。

 今回の作戦は実行前に入念な下準備を行なっている。偵察衛星から撮影した写真の解析にはじまり、建物の見取り図の取得、元ILC社員や『現』ILC社員の買収まで、その成果は多岐に渡る。

 それで何が有利になるかといえば、「敵がそこまで知っているはずがない」という動揺を相手側に誘うことができるのが一つ。

 社員の勤務状況、保安部員の警備パターン、エトセトラ。他にも幾つかあるが、細かな情報を元にした行動の展開が、『いきなり装甲車で突っ込みロケットをぶっ離した脳筋テロリスト』とのイメージの剥離を生む。そこに隙ができる。

「アンたちとオレたちの侵入経路は真反対だ。当然、警備を二箇所に割くだろう。狐魂戦力もな…ここからが見ものだぜ」

 できれば、あまり強くないほうが有り難ぇがなー…そう内心でこっそり思いながら、ベケットはヘッドセットの内側で舌なめずりをした。

 

 

 

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