「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SHOP SQUAD -』

- 2nd Season -

Chapter_02 【 処刑人 - Enigma Punisher - 】

 

 

 

 

 

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 2021年6月、オランダ。

 アムステルダム北西部ウェストポールト地区の港湾ドックにて、瀟洒な身なりの三人の狐魂たちが口々に言葉を交わしている。

「スクイちゃん、本当に大丈夫なの?」

「へっへっへっ、任せなって。俺様の作戦に間違いはねえよ」

「そういう貴様の言動に何度騙されたことか…」

 港湾作業員はすでに帰宅したあとなのか、人影のまったく見えない現場で話し込む狐魂たち。

 かつて想狐の称号を持ち、人間社会の影で生きてきた者たち…その名はサスライ、スクイ、チカイ。彼らは五百年以上の時を、ときには賢人、魔術師、あるいは騎士として人類の傍らに寄り添い、その文明の発展を見守り続けてきた。

 そんな彼らは現在…いかなる偶然によってか三人ともに行動するようになった彼らは、なぜかマフィアの幹部となり、そしてその地位を追われていた。

「そもそもなんで逃げてんの、ボクら?」

「この男が組織の金を使い込んだからだ。我らには口触りの良いことを言っておいて、私腹を肥やすなど…」

 かつて故郷を焼き払われたサスライ、そして忠義を尽くす相手を失ったチカイは、失意のうちに世界を放浪していた自分たちを組織に引き入れた男…一人満面の笑みを浮かべるスクイを横目に苦言を呈する。

 賢人として近隣住民に貢献していたサスライに対しては「マフィアが金を取り立てるのは悪党かクズ相手だけだから、そうやって稼いだ金を社会福祉に役立てれば世の中クリーンになるぜ!」と、騎士として王家に仕えていたチカイに対しては「犯罪組織を潰すなら内側からだ。高潔な魂を持っているからこそ、お前が憧れるべきはギャング・スターだぜ!」などと吹聴したわけであるが、当の本人は二人の狐魂としての能力を利用して金を稼ぎたいだけだった。

 とにかく他者の煩悩や理想を見下し、それを本人に気づかれないよう利用し裏切ることに至上の喜びを見出すスクイはマフィアの幹部連すらをも騙し、数回に分けて大金を個人口座に移していたのだが、些細なミスでそれが露見。

 組織全体を敵に回したスクイはなし崩し的にサスライとチカイを巻き込み、現状に至るのであった。

 もしやとスクイの口上を疑いはじめていたチカイにとってはまったく面白くない展開であり、彼は口をへの字に曲げながら言った。

「それで、どうするつもりだ?いくら我々が種族的に秀でているとはいえ、組織を敵に回しては戦うことも逃げることも難しいぞ」

「そうそう。ボクは戦いは苦手だし」

 もっともらしく頷くサスライ、根っからの善人である彼はこの状況をあまりよく理解していない。

 一方で口八丁と悪知恵においては絶対の自信を持つスクイは相変わらず不敵な笑みを浮かべながら言った。

「へっへっへっ、まあ聞きなって。おまえら、UFSOって知ってるか?」

「UFSO…狐魂権利保護団体とかいう、国連傘下の組織か」

「そう。そこは狐魂の保護活動にも熱心なんだが、犯罪事件を起こして捕獲された狐魂の管理もしているんだな。しかも、狐魂の管理施設に関してはあらゆる法執行機関や軍も手出しできねぇ(アンタッチャブル)…つまり、組織も追ってこれねぇってわけさ」

「UFSOに保護してもらえば命は助かるってわけだね?さっすがスクイちゃん」

「それはいいが、まさかこの先一生窮屈な施設暮らしを強いられるわけじゃあるまいな?」

「なァに言ってやがる、そんなもん、ほとぼりが冷めてからテキトーに脱走すればいいんだよ」

 そこまで言ったとき…ザッ、三人の背後に迫る人影があった。

 第三者の存在に気づき身構えるチカイ。

「何者だ?まさか、組織の追っ手か」

「剣を収めなよチカイ、あれは俺らの味方だぜぇ」

「なに?」

「なんでわざわざ、こんな辺鄙な場所にお前らを連れ出したと思う?あらかじめUFSOに連絡はつけておいたんだよ、すぐにでも保護プロセスを完了してもらうためにな。ここは、そのための待ち合わせ場所なのさ」

「そういえば彼女、どこかで見たことある気がする」

 訝しげに顎に手を当てるサスライの目前で、ローブを着た女性…シロッコが真紅の義眼を輝かせた。

 

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 五日後…

『このところ急増している狐魂への襲撃・殺傷事件について、UFSO当局は遺憾の意を示すと同時に、現地警察と協力して犯人の捜索に当たっています』

 アムステルダム市内のビジネスホテルの一室で、シャワーを浴びたベケットは冷蔵庫から安物のルートビアを取り出すと、起きてからつけっぱなしにしていたテレビの映像に目をやった。

 いまセットしているのはニュース専門チャンネルで、そこではUFSOへのインタビュー映像が映し出されている。そこではローブを着た狐魂の女性、たしかスポークスマンのシロッコといったか…彼女が普段と変わらぬ無表情で事件の重要性について語っていた。

『人間であろうと、狐魂であろうと、このような非道が許されていいはずはありません』

 そう言うシロッコの背後のスクリーンに、海上…港湾エリアの近くだろうか…で全身をズタズタに切り裂かれた凄惨な姿でプカプカと浮いている狐魂の死体が投射されていた。

 ここ最近、オランダ国内…特にアムステルダム市内での狐魂襲撃事件が多発している。

 わざわざベケットが馴染みのない国に派遣されてきた理由がそれで、しかも急を要する事態ということで、別件でイングランドの任務に当たったあと、本国に帰ることなく直接オランダに入国したのだった。

 それというのも、どうやら今回の襲撃事件に関わった、というか、犯人に殺されかけたところをどうにか逃走に成功したらしい狐魂が、どうやってかオランダに駐在していたCIAのエージェントに接触し、保護を要請してきたらしい。それで狐魂のエキスパートたるベケットが交渉その他を担当することになった、というわけだ。

「クッハー、このわざとらしいサルサパリラ味!」

 原則として任務中のアルコール摂取を禁止しているベケットはルートビアを飲み干しながら、複雑なため息を漏らした。

 このところ、仲間たちと会っていない。

 チャペルはチベットでの任務の傷がまだ完治しておらず、クレインは別件でウクライナに派遣されている。それでもチャペルとはたまに機密回線を通じて雑談したりはするのだが、実際に会うことがないとやはり寂しいものである。

 まぁ、諜報機関で活動するようになってから、こういうことは珍しくもなんともなくなっているのだが…

「あ~、めんどくせぇ」

 死んだ魚のような目でルートビアの空き缶をテーブルの上に乗せ、ベケットはふたたびベッドの上に倒れた。

 今回の件のめんどくさいところは、保護対象がエージェントとの接触後に行方不明になった、ということだ。

 こういうケースではベケットの到着までエージェントが保護対象を匿うのが定石なのだが、どういうわけか保護対象自身がそれを拒否してきたらしく、ベケットは先方が指定してきた接触時間になるまでやることが特にないのであった。

 一時的な保護を拒否した理由は、担当者以外のエージェントを信頼できないから、らしいが…どうにも「組織」というものに対する猜疑心が異様に強い狐魂だったらしいのだが、それにしたって、もっとやりようがあったと思うのだが。

「部屋で腐っててもしゃーねぇか」

 ガバッ、ベケットは勢いをつけてベッドから飛び起き、ジーンズにポロシャツというラフな格好に着替えると、本革製のボマージャケットを肩にひっかけてホテルを出た。

 ターゲットが指定した時刻まで、まだ余裕がある。それまでに洒落たランチを楽しんでもバチは当たらないはずだ。

「さすがにオレだって、毎日ウドンってわけでもないからなァ。たまにはシャレオツなランチでキメるってのも悪かない」

 この国の料理がオレの口に合えばいいがね…そんなことを口の中でつぶやきながら、ベケットはスパイ通りをのんびりと歩く。

「スパイ通りねぇ、いまのオレにはぴったりだな。カフェで軽くブランチもいいが、今日はガッツリ食べたい気分」

 レーリ運河沿いを散歩がてら歩くベケット、もちろん耳と尻尾を隠し姿を人間に偽装している。

 ベケットの変身能力は多分に特注製義体の特質を利用したものだが、昔から人間社会に溶け込んで生きてきた狐魂はたいていその術を心得ているという。ベケットにとってはそういう、本来狐魂が持ち得る特殊な能力が自身に備わっていないことがコンプレックスになっていたが、無いものを羨んでも仕方がないと思うことで納得するようにしていた。

「こういうのってなぁ、後から訓練しても身につくモンなのかねぇ。今度シェンあたりにでも聞いてみるか…ゲームのついでに」

 やがてベケットは、オランダ国旗が掲げられた瀟洒なレストランに辿りついた。

 店に入ろうとしたところを、ベケットは支配人らしき男に止められる。

「あの、失礼ですが…」

「なんだ、表には営業中の札がかかってたぜ」

「いえ、お食事して頂くぶんには問題は御座いません。ただ…ただいま、TVの撮影中なのです。お食事なさる場合、お手数ですが撮影の邪魔だけはなさらぬようお願い致します」

「オレが野次馬に見えるってのか?まあ、目立ちたがりはどこにでもいるけどさ」

 タキシードに身を包んだ初老の紳士に軽口を叩きながら、ベケットはこのレストランに入るのをやめるべきかどうか思案を巡らせた。

 職業柄、どういった些細な形であろうと自身の姿が衆目に晒されることは好ましくない。あるいは自分の写った映像や写真がどこぞの資料保管室の片隅に置かれることになる、などというのは。

 もしTVカメラの片隅に自分の姿が少しでも捉えられるリスクがあったとして、果たして他所の餌場…もとい別のレストランに変えるべきだろうか?

「(参ったな…こんなこと予測してなかったから、随分のんびりと行動してたが…いまから別のレストランなんか探してたら、予定の時間に間に合わなくなるぞ)」

 時間にルーズなわけではなかった。ただ、すこしのんびりしすぎた。

 そんなとき、誰だってあるよね。

 諜報機関員としてのプライドと空腹を天秤にかけ…ベケットは、支配人に言った。

「オレはただ、腹が減っているだけなんだ。余計な真似はしないさ」

「恐れ入ります」

「ところでその、カメラってのは客席は撮るのかい?そもそも、どういうネタなんだい」

「私は撮影スタッフではないので、詳細は存じませんが…狐魂の料理研究家が当レストランの取材に来たという名目だそうです。紹介用の店内風景の撮影などはすでに済んでおられるそうで、残念ながらお客様の姿がTVに映ることはないと思いますね」

「なるほど、そいつぁ結構。ああオレ、けっこう恥ずかしがりなもんでね」

「左様で」

 そんな会話を交わしながら、ベケットは案内されたテーブルにつく。

 渡されたメニューを熱心に見つめる「フリ」をしつつ、ベケットはそれとなく撮影風景を観察した。

 レストランの支配人が撮影スケジュールの詳細を知らないことは残念だったが、それ自体はそれほど珍しいものでもない。そもそも、撮影の趣旨を明かさず当日に現場で無茶を言うことなど日常茶飯事なのだ、メディアというやつは。

 あとで余計な尾ヒレなんかつけられなきゃいいがね…そんなことを考えながら、ベケットは料理研究家というよりまるでアイドル扱いの狐魂たちに目を向けた。

「オランダには伝統的な料理がいろいろありますが、その幾つかは過去の歴史のなかで、他国との文化的交流…あるいは戦争の過程で取り入れられたものも数多く存在します。さらには地域による特色の違いも大きく、たとえばこのヴルストブローチェ、ソーセージをパンに挟んだものなどはドイツの食文化の影響が色濃いと思われます」

 TVカメラのメインフレームに収められた三人の狐魂、そのなかでも特に小柄なヨモギ色の髪の少女が訥々とオランダ料理の歴史について語っている。

 彼女たちは、狐魂随一の料理研究家として知られているケープ、アカネ、スナギの三姉妹だ。

 もともと人間の姿を借りて表の世界で活動していた彼女たちは、「狐が死んだ日」…ベケットたちが死を偽装したあの事件のあとに、もっとも早い段階で自らの正体を明かした狐魂だった。

 さまざまな批判に晒されながらも、種族間の軋轢や衝突を無くすべく平和的活動に勤しむ彼女たちは、いまではお茶の間のアイドル的存在としてすっかり定着している。

「なるほど、狐魂の有名人ね…まさかこんな場所で会えるとは」

 適当に見繕ったランチメニューを注文しながら、ベケットは少々まずいことになったかな、などと考えた。

 どれだけ容姿を人間に似せていても、同属から見ればその正体はバレバレだ。明らかに人間のものとは異なるオーラを放つ存在を、狐魂の鋭敏な感覚はすぐに察知することができる。

 現に、三姉妹の一人…アカネが、早くもベケットの存在に気づき、興味深そうな目つきでじっと見つめていた。

「参ったなあ…なんか余計なこと言われないといいんだが」

 そんなベケットの心配は杞憂だったようで、三姉妹は食事が運ばれてくると、ベケットには見向きもせずカメラを意識したトークをはじめた。

 調理法について解説するのは、世界でも指折りの料理人として認められる次女のケープ。彼女は世界中のあらゆる料理に精通し、彼女にできない料理はないと言われるほどである。

 料理に使われている食材について解説するのは、三女のスナギ。彼女は食材の特徴、生育場所、調達法に精通しているだけはなく、栄養学のエキスパートでもある。

 そして…

「んむんむ、うまーっ!これ美味しいねっ、ワインに合うー!」

 目前の料理にひたすら舌鼓を打つ、一見無能に見える長女のアカネ。しかし三姉妹のうち同業者にもっとも恐れられているのは彼女であり、一度料理を口にしただけで、いかに巧妙に隠された隠し味の存在をも見破り、材料や調味料の分量をグラム単位で正確に言い当てレシピを看破することから「料理人殺し」の異名を持っている。

 なんにせよ、料理を美味しそうに食べる女の子ってのはいいもんだ…などとオヤジ臭いことを考えながら、ベケットも運ばれてきたエルテンスープとニシンの塩漬けに手をつけた。なんでも、ニシンはちょうどいまの時期が旬らしい。

 ベケットが食事を終えるころ、ちょうど撮影も終わりに差し掛かったようで、撮影クルーが慌しく移動をはじめていた。

 また、三姉妹の一人アカネがふたたびベケットのことに視線を向けてきており…

「早く出たほうが良さそうだな」

 食後の余韻もそこそこにベケットは席を立つと、会計を済ませさっさと店を出た。

 これから仕事だというのに、余計なトラブルは避けたいもんだ…そう思ってのことだったが、しかし、少しだけその判断が遅かったようだ。

「あのー」

「うん?」

 肩にかけていた革のボマージャケットの裾をグイグイと引きながら、ベケットに声をかけてきた少女。

 くりくりとした大きな目を丸くしながら、アカネはベケットに向かって言った。

「あー、やっぱり」

 やっぱり、狐魂だ。

 そんな言葉が出てくるのだろうと思っていたベケットの予想は、しかし意外な方向に裏切られた。

「やっぱり、あのときの軍人さんだぁ!」

「なんだってぇ?」

 アカネの口から飛び出した「軍人」という言葉に、ベケットは思わず素っ頓狂な返事をしてしまった。

「軍人ってなぁ…どっかで会ったかい?」

「ほら、憶えてないかなぁ?むかし、アメリカの陸軍基地の食堂で。あのときはあなた、もうちょっと小さかったけど」

「陸軍基地?」

 もうちょっと小さかった、だって?

 そういえば、とベケットは思い出した。自分が米陸軍のタスクフォース所属だったころ、まだ人間に姿を偽装して活動していたアカネが「ミリメシ取材」だかなんだかで、どうやってか軍上層部の許可をとりつけて基地の食堂に来たことがあったのだ。

 そのとき食堂の片隅で仲間と馬鹿話をしていたベケットを発見したアカネは、その存在について口止めされていたように記憶している。もちろんベケットたちガンマ・ユニットの面々とは会話らしい会話もしていなかったはずだ。

「おいおい、あれって七年も前のことじゃないか?それに、どうやってあのちんちくりんがオレだってわかったんだ」

「匂いがおなじだったもの。狐魂の匂いやオーラって、みんな違うんだよ?」

「そうなのか。オレってヤツは犬みたいな外見のわりに、鼻はあんまり利かないもんだからな」

 しかしこんな有名人が、わざわざ声をかけてきたのはどういう風の吹き回しだ…そんな憎まれ口を叩こうとして、ベケットは思わず口をつぐんだ。

 なぜなら、アカネの顔に浮かんでいたのは「安堵」の表情…そして、その瞳がわずかに濡れて潤んでいたからだ。

「生きてたんだ…よかった」

 それはもちろん、たんなる同胞愛以外の感情ではなかったのだろう。

 しかしこんな美少女に、泣きそうな顔でこんなこと言われたら勘違いしちゃいそうだ…そんなことを考えながら、ベケットは彼女の肩を抱いて言った。

「まさか、アカネちゃんに心配かけてたとは思わなかった。悪いことしたな」

「あのニュースを見たとき…あの酷い死体の映像を見たとき、すごいショックだったんだよ?なんで、こんなことになっちゃうんだろうって…人間と狐魂はわかりあえないのかなって、でも、そんなのイヤだから、このままじゃいけないって思ったから、わたしも、みんなも、正体を明かして…」

 そうか。

 当事者としては意識が低くなりがちだが、テロリストによって狐魂が殺された(と言われている)あの事件が世界に与えた影響は、平和な世界で暮らしていた三姉妹に勇気のいる決心をさせるほど大きなものだったのだ。

 狐魂に対する理解が広まった現在でさえ、人間の狐魂に対する偏見は強いままだ。人間による狐魂への襲撃事件も年々増加しており、そういう環境になる前から世界に先駆けて正体を明かすというのは、本当にリスクの高い、真に勇気のいる行為だったと言えるだろう。

 三姉妹の行動は、純粋に人間と狐魂の親善のためだったのだろう。一般に売名行為だのと揶揄される行動の真意を悟ったベケットは、たとえ不可抗力だったにせよ自らの過去が周囲に与えた影響に責任を感じずにはいられなかった。

「こんなこと、オレが言う資格はないが、本当に…すまなかった。そして、ありがとう」

「ううん、いいんだよ。わたしも、みんなも、自分がしたことに後悔はしてないから。ところで、あのとき隣にいたお友達も無事なの?」

「ああ、あいつらもオレと同じように姿を変えて生活してるよ。もっとも、いまはワケアリで別々に行動してるけどな」

「そっか。よかった、本当に」

 そうやって、二人がいい雰囲気になりかけたとき…

「おいおい、女連れとは羨ましい限りだなァ?」

「!?」

 二人の姿をじっと観察していたらしい、派手派手なファッションの男が野卑な笑みを浮かべて近づいてきた。

 蛇皮のコートにトライバル模様のシャツ、宝石が埋め込まれたネックレスやごつい指輪は銀かプラチナか…見るからにカタギの男ではない。

 そしてなにより、この男、ベケットと同様に偽装してはいるが狐魂だ。

「あの…?」

 不安そうな表情でベケットの反応を窺うアカネ、その上目遣いの顔つきがまた可愛いのだが、いまはそんな眼福に目尻を下げている場合ではない。

「あー、その…なんだ。仕事仲間だ、ビジネス・パートナーってやつ。待ち合わせしてたんだよ、な?」

 そう言って、やくざ者のような風体の男にそれとなく調子を合わせるよう視線を送るベケット。

 とはいえこんな見るからに怪しい男を仕事仲間と言い放つベケットに対して、アカネが不審な感情を抱いたのは言うまでもない。少なくとも、まともな仕事をしているようには思われないだろう。

 もっとも今は「近寄り難い」と思われたほうが都合が良い。

「そんなわけだからアカネちゃん、ちょいとお暇させてもらうぜ。今度会ったときはウドンでも食いに行こう、もちろんプライベートでな」

「あ、はぁ」

 軟派なウィンクは通用しなかったらしい、眉間に皺を寄せるアカネにこれ以上余計な詮索をされないよう、ベケットはやくざ者風の男を引き連れて足早にその場を離れた。そういえば、もう軍人じゃないっていうことすら話すことができなかった…妹たちに余計なことを吹聴しないといいが、そこまで心配しても仕方がない。

 しばらく無言のまま川沿いを北に歩いた二人はやがて教会前の広場で足を止めると、改めて向き合った。

「どうやら悪いタイミングで居合わせちまったみたいだなぁ、ジェームズ・ボンド(プレイボーイ)の旦那?」

「オレは紅茶を海に捨てるほうだぜ。変な気を回さなくてもいい、あんたが連絡のあった狐魂だな?」

「あぁ、俺はスクイってんだ。よろしく頼むぜ」

 そう言うと、やくざ風の男…スクイは煙草を唇に挟む。

 火をつける様子がないのでベケットはライターを差し出しかけたが、すぐにそれが本物の煙草ではなく、シガーチョコであることに気がついた。

「この国のメシはそれほど美味くないが、チョコレートはなかなか大したもんだぜ。気に入ったよ」

「甘党なのか。ツラに合わないぜ、おっさん」

「ギャップ萌えと言ってくれ」

「フガッ」

 スクイの口から飛び出してきた言葉に、ベケットは思わず鼻水を吹きかける。

 見るからにむさいおっさんが、自らを萌えと評する光景はなかなかに破壊力のあるものだった。

「勘弁してくれ…でーあんた、この界隈で頻発してる狐魂襲撃事件の犯人を見たんだな?」

「おうよ、しかとこの目に焼きつけたぜ。殺されかけたが、なんとか逃げてきた」

 いま二人が立っている広場は露店市場が有名なのだが、今日は閉まっているらしく、おかげで人通りが少ない。

 そもそもベケットがこの国に来た理由でもある、CIAに保護を求めてきた狐魂…それがスクイだった。大使館を通して現地に駐在していたエージェントと渡りをつけ、襲撃犯の情報と引き換えに身柄の安全の保証と幾許かの現金を要求してきたが、その際にどんなペテンを使ったのかはベケットの知るところではない。

 身元も確かではなく、注意が必要な相手だった。

「相手がただの殺人狂なら、ウチが金出してまで買うような情報じゃあないんだがな」

「へっへっへっ、まぁ慌てるなよ。損はさせねぇ、なんたって相手は狐魂だったからな。それも、表で活動してるヤツだ」

「なんだと?」

「たぶん、あんたも見覚えのあるヤツじゃないかね。政治的な配慮が絡む…だろうと思ったから、他ならぬミスター・スターズ・アンド・ストライプスに話を持っていってやったんだぜ?むしろこっちが感謝してほしいくらいだ」

「本当にそう思ってるなら、勿体ぶるのはやめて本題に入るんだな」

「へっへっ、今日びのスパイはせっかちでいけねぇ。まず…」

 そこまで言いかけて、スクイが急に声を失う。その視線はベケットを通り過ぎ、そのずっと後ろに向けられていた。

 なんだ?つられてベケットも背後を振り向く。そこには、どこか見覚えのある服装をした…たしか、狐魂権利保護団体のローブ…少女が立っていた。その背中からはヨモギ色の羽が広がり、ハーフリムの眼鏡の奥からは真紅の義眼が光を放っている。

「あんた、たしか…」

 シロッコ。UFSOのスポークスマンだ。今朝、テレビのニュースでその姿を拝見したばかりである。

 それにしてもなぜ、こんなところに?偶然居合わせたのか?

 今日はやたらと有名人に遭遇するな、と思ったとき、ベケットはスクイの顔が恐怖にひきつっているのを見て、さっき彼が言った言葉を思い出した。犯人は、表の世界で活動する狐魂。

「こ、こ、こ、こいつだ!」

 ギャキィッ!

 スクイが指をさしながら叫ぶと同時に、シロッコが幅広の袖から三連回転式ブレードが仕込まれた義手を展開させた。

 ガタタガタガタ…モーターが振動するけたたましい音とともに鋭利な刃が回転をはじめ、地面を擦った刃先から火花が飛び散る。

 一方で危険を察したベケットも、隠し持っていた折り畳み伸縮式の特殊トンファーを両手にかまえた。強化プラスチック製のこの武器は一見すると工具か何かにしか見えないが、ひとたびリリースレバーを操作し持ち手を振れば実戦的なトンファーに変貌するのだ。

 油断なく武器をかまえながら、ベケットはシロッコに向かって言い放つ。

「自己紹介くらいはしてくれるんだろうな、お嬢さん」

「あなたはその男の仲間ですか」

「そうだ、と言ったら?」

「殺します」

「オイオイオイ、マジだわあいつ。なんだってテレビの有名人がこんなオッサンを狙うんだ?個人的な怨恨か、それとも組織絡みの動きなのかね、こいつは」

「…あなた、警官?」

「当たらずも遠からず、だな。いちおう税金でメシを食ってる身でね」

 この国の税金じゃないが…とは、ベケットは言わなかった。

 こんなことならさっさとセーフハウスにスクイを匿っておくんだった、とベケットは内心で舌打ちする。もとよりベケットの役目は情報提供者の身柄の確保であり、彼を襲撃した犯人と接触する予定はなかった。それは後で上司が考えればいいことであり、事件に深入りするつもりは最初からなかったのだが。

 一方で官憲のような物言いをするベケットに不信感を抱きつつも、シロッコは慎重に間合いを取りながらつぶやいた。

「あなたは、その男が何者か知っているのですか」

「ああ。甘党のペテン師だ」

「その男は犯罪者です。マフィアの幹部で、組織の金を使い込んだのがばれてUFSOに保護を求めてきました。仕留めそこなったのは、仲間二人を盾にして逃げたからですよ」

「オイオイオイ!」

 シロッコの口から漏れた事実…それが事実だったとして、だが…にベケットは思わず声を荒げる。

 そう、争いが苦手なサスライはともかく、かつて騎士として数多の戦いに身を投じたチカイがなす術もなく惨殺されたのは、スクイの裏切りによるところが大きい。彼は自分が逃げおおせるため、仲間を捨て石に使ったのだ。

 どうにも気まずそうに苦笑いを浮かべながら、スクイは手をひらひらと振る。

「いや、まさか素性が割れてたとはなぁ。まいった、まいった」

「おーまーえーなー!とんでもねー野郎だ、やたら警戒心が強かったのはそういう理由かよ!」

「へっへっへっ、しかしまあ、まさか美人さんに尾けられてたとは思わなかったぜぇ。現役の諜報員と一緒にいれば平気だと思ったがね」

 スクイが口にした「諜報員」という言葉に、シロッコが機敏に反応する。

 この野郎、なんてこと言いやがる…焦るベケットに、シロッコが不快感を露わにした表情で言った。

「それで、この男を庇うのですか?」

「サメの餌にしたいのは山々だがよ、そういうわけにもいかないんでな」

 スクイの正体はわかったが、しかしシロッコが彼をつけ狙う理由がわからない。

 なにより、いままで襲撃を受け殺された狐魂も皆シロッコの手にかかったものなのだろうか?そうだとして、共通点はなんだ?

 ええい、考えるべきことが多すぎるぜ…ベケットがそう思ったとき、不意にシロッコが目を見開いた。

「いま、なにをしたのです!?」

「え?」

 いまのシロッコの台詞は、ベケットに向けられたものではなかった。

 ふとスクイのほうを向くと、なにやら彼がトランシーバーのような小型の携帯端末を手にニヤついている。目立つよう中央に配置された赤いスイッチは、すでに押された後だった。

 いまやシロッコとベケットをおなじ目で見つめるスクイを前に、ベケットは背筋に寒いものを感じた。

「なんだよ、そいつは」

「万一の保険さぁ」

 そう言って、スクイは小型の端末…携帯用のビーコンを放り投げた。

 ガシャン、アスファルトの地面に叩きつけられた小型ビーコンの外装が砕け、制御板が飛び出す。と同時に、ずっと近くに待機していたらしい制服姿の男たちがいっせいに集まってきた。

「KLPD(オランダ国家警察)だ、武器を捨てて地面に伏せろ!」

「…ッ、なにいィィィィ!?」

 あいつ、警察にまで渡りをつけてたのか!?

 どうやらとことんまで混沌とした状況を作るのが好みらしい、スクイは両手を振りながら後ずさりし、二人からそそくさと離れていく。

 犯罪を犯した狐魂の扱いはUFSOが一任しているため、警察が許可なく狐魂を逮捕することはできない。しかし容疑者を一時的にせよ拘束する権利は持っており、見たところ警察官たちはやる気満々のようだった。

 法的に蚊帳の外に置かれがちであった従来の状況を打破すべく、狐魂犯罪における成果を上げたいのだろう。

「犯罪被害の通報は市民の義務だからなぁ~、あとは頼んだぜぇ~」

 無責任にそう言い放ち、足早に立ち去るスクイ。

 いったいどういう条件でオランダ警察を丸めこんだのかは知らないが、自分に都合の良いように他者を扱うペテン術はたしかに見るべきところがある。が、そんなことを言っていられるのは自分が嵌められるまでだ。

 9mmや12ゲージといった無数の銃口に晒され、ベケットはこの状況をいかに打破するかについて頭を巡らせる。

 しかし先に行動を起こしたのはシロッコだった。

 はじめはただの耳鳴りかと思った…が、言葉で形容し難いなんらかの「異常」に気づいたベケットは、やがてシロッコがその翼を微振動させていることに気がつく。

 やがてベケットは、シロッコがやろうとしていること…空気の微細振動によって起こす衝撃波の発生…に気づくと、そのエフェクトが起こす可能性に思い当たり、サッと血の気が引くと同時に、警察官たちに向かって大きく腕を広げた。

「おまえら、逃げろ!」

「なに?」

 唐突に切羽詰った声を出すベケットに、警察官たちは銃をかまえたまま頭の上に疑問符を浮かべる。

 まるで動こうとしない彼らに舌打ちしながらも、ベケットは「やはりこうなるか」と諦めにも似た感想を抱いていた。わかっていたのだ、容疑者を目前に、現場に居合わせた不審者の声に耳を貸すはずなどないと。

 そして、いまから逃げてももう遅い、ということを。

 バハッ!

 シロッコがその両翼を大きく広げるとともに、大きな破砕音を立ててアスファルトの地面に裂け目が走る!

 そして…ズバフッ、ガシャアッ!

 周囲に立ち並ぶ木々に茂る葉がいっせいに散り、教会の窓ガラスが吹き飛んだ!さらには近くに停留してあった自動車のタイヤがパンクし、窓ガラスが砕け、フレームがひしゃげ全体が変形する!

 もちろんベケットも、そして警察官たちも無事で済むはずがなかった。

「ぐあああっ!?」

 頭を抑えてその場に転がるベケット、すぐに全身を庇う姿勢を取ったものの、あちこちの皮膚が裂け、目と耳から血が噴き出す。

 まともに衝撃波の一撃を受けた警察官たちはドミノ倒しのように次々とその場に倒れ、なかにはおびただしい量の血を吐く者もいた。

「あのメスガキ…やりやがった!」

 その場でじっとしていたい衝動をこらえ、気持ちを奮い立たせたベケットはすぐに立ち上がると、出血はしているものの眼球と鼓膜に深刻なダメージはないことを確認し、逃げ出したシロッコの後ろ姿を発見した。

 どうやら先に逃げたスクイを追っていったようだ。

 ひとまず警察官に駆け寄ったベケットは、酷い怪我を負っているものの致命傷になった者はいないことを確認して安堵のため息をつき、近くに落ちている拳銃を拾おうと手を伸ばし、そしてやめた。

 ただえさえ事態がこじれまくっているのに、警官の銃を無断で使用したとなれば、さらにややこしいことになる。

 それになにも、この状況で必ずしも拳銃が必要になるわけではない。

 そう判断したベケットは周辺住民を不必要に警戒させないよう特別仕様のトンファーを収納すると、シロッコを追って教会前の広場を離れた。

 

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 もとより足があまり早くないシロッコに追いつくのにそれほど時間はかからなかった。

 教会から西へ移動し、ウェスター運河を跨いだ先の公園で立ち往生しているシロッコを発見したベケットは、ふたたびトンファーを組み立てながらゆっくりと近づく。

 どうやらスクイを見失ったらしいシロッコは落ち着かない様子で周囲を見回し、そしてベケットを発見すると、苦虫を噛み潰したような表情で言った。

「こんなに早く動けるようになるなんて…」

「あんなふうに人間を巻き込むのは感心しないぜ、お嬢さん。それにあの程度の力なら、初見でもそれなりの対処はできる」

「なぜ私の邪魔をするのです?」

「なんであのオッサンをつけ回す」

「あなたには関係のないことです」

 キッ、シロッコはベケットをまっすぐ睨みつけると、すっかりエンジンの温まった回転式ブレードを振りかぶり、ベケットに襲いかかってきた。

 ガリガリガリッ、鋼鉄製の刃が強化プラスチック製のトンファーを削る凄まじい音を立てる!

 激しく散る火花に顔をしかめながら、ベケットは一度シロッコの身体を突き放す。もっとも金属骨格を持つシロッコの身体は非常に重く、鍛えられた肉体を持つベケットが両手を使って全力で押し返さなければならなかったが。

「…… …… ……っ!?」

 ただしシロッコのほうは腕力で押し切られるとは思っていなかったのか、後退するとき僅かに姿勢を崩してしまう。

 そしてその隙を逃すベケットではなかった。

「シャアッ!」

 ガキンッ!

 トンファーでシロッコのこめかみを殴打するベケット、しかしヒットした部位から発せられる硬質な金属音に思わず片眉を上げた。

 一方…ヒュ…カシャン!

 顔を打たれた衝撃でシロッコがかけていた眼鏡が吹き飛び、地面の上を転がり落ちる。

「…なんということを……!」

「なんだ、眼鏡がそんなに大事だったか?」

 相手の隙を誘う狙いでわざと挑発的に言うベケット、しかしそれに対するシロッコの反応は予想を大きく超えたものだった。

「…いまのであなたのことを個人的に許せなくなりました。刻ませてもらいます」

「おいおいガチギレかよ。参ったな」

 シロッコにとって、すでにベケットの素性はどうでもよくなっているようだ。彼を見つめる瞳から疑念の色はなくなり、かわりに明確な敵意がはっきりと浮かんでいる。

 ビュン!

 轟と唸り声をあげて三段回転式ブレードがベケットの頭上を掠め、稲刈り機のように髪の先端を削り取る。

 しばらく反撃せずに防戦一方だったベケットは、やがてシロッコの大振りの一撃をかわすと、踏み込んでからの強烈な突きを彼女の鳩尾に入れた。

 ドゴッ!

「うぐっ!?フゥ……!」

 ギュン!

 思わぬ反撃を受けたシロッコは息を詰まらせながらも、回転式ブレードを横薙ぎに払ってベケットを退かせ距離を取る。

 機械の身体は痛覚こそ鈍いもののダメージが通らないわけではないようだ…そう確信したベケットはふたたびトンファーを握り直し、ファイティング・ポーズをとった。

「おまえ、ちゃんとした戦闘訓練を受けたことはないな?」

「なにを…」

「しかも不意討ち専門、正々堂々と戦ったこともないんだろう。動きに無駄が多すぎる…普通の肉体だったら秒殺できるレベルだ、もっとも義体の性能に依存しきってる時点で脅威じゃあねーがな」

「無駄口を!」

 ベケットの挑発に乗せられ、シロッコが鬼のような形相で襲いかかる!

 しかし先の短い時間でわざと攻撃を入れず見(けん)に回っていたベケットはすでに彼女の動きを読みきっており、間隙をついて正確に打撃を叩き込んでいく!

「(私の攻撃が当たらない…なぜ!?)」

 この時点で冷静さを欠いていたシロッコは回転式ブレードによる斬撃がことごとくかわされ、なす術もなく打たれ続けるこの状況が理解できなかった。

 当たりそうで当たらない、シロッコはそう考えていたが、実際は動きを完全に読まれているがゆえに「余裕をもって」ギリギリの動作でかわされていたのだ。要するに、完全に舐められていた。

 頭部への打撃によって軽い脳震盪を起こすシロッコに、さらに追い討ちがかけられる。

『よぉーお嬢ちゃん、苦戦してるみたいだなぁー?』

「…その声は!」

 突如として聞こえてきた、脳内に直接響く声。

 そもそもの当事者でありながら、まるで無関係な事件の野次馬に立っているような声で語りかけてきたのは、他ならぬスクイだった。

「いったい、どこに…!」

『わりと近くだぜぇ。まあ、おっかねーから姿は見せないけどな、へっへっへっ』

 スクイは他人を自分の思うがままに操る天才的詐術もさることながら、その真の能力は「記憶を読み取り、思考に直接干渉すること」。たいていは嫌がらせが目的で自身の存在をアピールするが、もちろん相手にそうとは悟らせず無意識レベルで暗示をかけることもできる。

 もっともいまシロッコに干渉しているのは、単純に嫌がらせが目的のようだった。

『いやーけなげだねぇ、泣かせるねぇ、敬愛する博士と?同胞の名誉を守るために、犯罪に手を染める狐魂を自らの手で処刑していたとは。しかし今回は相手が悪いねぇ、おまけに警官隊を敵に回したとあっちゃあ、もうあんたの人生もおしまいだねぇ。それだけならまだしも、組織や博士にもどえらい迷惑がかかるね、もしこの事件が報道されたら…』

「うるさい…黙れ、だまれぇっ!」

『へっへっへっ』

 ヒステリックに喚き散らすシロッコに、しかしスクイが物怖じすることはない。

 さらに、さっきよりも輪をかけて隙だらけになったシロッコの様子に不審なものを感じながらも、それを見過ごすベケットではなかった。

「カァッ!」

「…… ……っ!?」

 ブオォン!

 左手のトンファーで首許をおさえ、右手のトンファーを足首に引っかけるようにしてシロッコの動きを封じたベケットは、そのまま遠心力を用いた捌きでシロッコの重い身体を軽々と宙に飛ばす!

 ギャン、ドサァッ!

 宙空で一瞬回転したのち、大きな音を立ててシロッコが地面に倒れた!

 ベケットは追撃の手を緩めることなくシロッコを拘束し、そして…

 ボギャッ!

「…あ…っ……!!??」

 頭を刺し貫くような強烈な痛覚と、それ以上に生々しい生理的嫌悪から、シロッコが目を見開く。

「さあ、大人しくしやがれ!」

 これ以上抵抗できないよう、ベケットはシロッコを拘束する力をさらに強めた。

 しかし激しく抵抗してくるだろうと思っていたベケットの予想は外れ、シロッコの全身から力が抜ける。それはまるで、「抜け殻」という形容が正しいと思われる感触だった。

 ベケットは自分の行為が、シロッコに致命的とも言える精神的ショックを与えたことに気がついていなかった。

「…あ…ああ……」

 地面に転がる、レンズの割れた眼鏡。

 義眼越しにそれを捉えたシロッコは、スクイに言われるまでもなく自覚していた自らの行為への応報と、そして失ったものに恐怖し、絶望した。

 ベケットは、シロッコの翼を折ったのだ。

「う、ふぇ…ふぇぇ…っ……」

「…なんだ?」

 急に抵抗の意思をなくしたシロッコに、ベケットは眉をひそめる。もちろん、自分の行為がもたらした意味に気づくこともなく。

 先刻まで殺意を漲らせていた少女はいま、子供のように大声をあげて泣いていた。

「うっ、うぇっ…うああぁぁぁぁぁあああ…わあああぁぁぁぁぁ……」

「おいおい…」

 只々無力に泣きじゃくるシロッコに、ベケットは思わず罪悪感を覚える。

 …なんか、オレが悪いことしたみたいになってないか?

 ひとまず殺戮者の無力化には成功したが、そもそも想定外のこの事態にどう収拾をつけようか。

 ベケットがそう考えたとき、何者かがベケットに向かって言った。

「彼女を放してもらおうか」

「!?」

 ドゴォッッ!!

「…っぅぐおあぁっ!?」

 突如として強烈な衝撃波に襲われたベケットの身体がシロッコから離れ、ビュウと吹き飛ばされて近くの木に激突する。

「ごはっ」

 背中をしこたま叩きつけられたベケットの肺から空気が押し出され、ベケットは苦しそうに咳き込む。

 そして彼に向けて衝撃波を撃ち放した男…UFSOオランダ支部附属研究所長のノーマッド博士が、展開していた自らの義腕(フュージョン・ブラスター・アーム)をガチャリと音を立てて収束させつつ、シロッコに向かって歩いていく。

「ひぐっ、う、うぅぅ……」

 ノーマッド博士を見上げ、シロッコは怯えにも似た表情を見せる。

 それは彼のためを想ってやったことが、結果として彼と、UFSOの地位と名誉を地に失墜させる可能性があることに思い至ったからだろう。

 それを知ってか知らずか、ノーマッド博士は腰を下ろしてシロッコの翼を検分し、静かに口を開く。

「大丈夫だ、この程度の骨折ならすぐに治る。心配はいらない」

「…うっ…うう…っ…ぐすっ……」

 一方でいきなり攻撃を受けたベケットはどうにか態勢を立て直し、ノーマッド博士に向かって言い放った。

「いきなり痛いじゃねーか、なんなんだ手前(てめぇ)!」

「申し遅れた。私は彼女の保護者だ」

 そういえばシロッコ同様こいつもTVで何度か見たことがあるな、と思いながら、ベケットは普段のローブ姿ではなく装甲板に覆われたサイバネティック・ボディを惜し気もなく晒しているノーマッド博士を観察した。

 こいつがシロッコの義体を造ったことは知っていたが、まさか自身も義体だったとは…

 これとまともにやり合うには生身ではなくサイバー・スーツが必要になりそうだ、などとベケットが考えているとき、またしても異常事が発生した。

 ボゴゴゴ…ゴヒュウッ!

 突風とともに青色のペンキのようなもの、液体とも気体とも見分けがつかない物質が軌跡を残しながら収束し、やがてそれが獣のような姿となってベケットの前に立ちはだかる。

「ガルル…」

 唸り声をあげベケットを威嚇したのち、その獣はふたたび溶けて風と交じり合い、今度は青年の姿を纏って登場する。

「随分と好き勝手してくれたじゃねえかニーチャン、ただで済むと思ってんだろーなぁ!?」

「あぁ?なんだてめーわ」

 姿を見せて早々にメンチ切ってくる青年…見たところ彼も狐魂のようだ…に、ベケットは嫌そうな声をあげる。

 そこへ間髪入れず、ノーマッド博士が合いの手を入れた。

「ウルペース君…私は君についてきてほしいと頼んだことも、ましてや謹慎処分を解いた覚えもないのだが」

「なに言ってんだムッツリ博士、身内の危機にオレサマが手を貸さねーでどうすんだよ!」

「ムッツリ博士はやめてくれ。念押しして言うようだが」

 ベケットとノーマッド博士の間に割って入ったのは、自己変容能力を持つ狐魂ウルペース。

 生来の悪戯好きな性格から、各地で暴れていたところをUFSOに確保されたウルペースはその後もたびたび能力を使って悪事を働き、厳重な観察態勢のもと収容施設にて保護されていたのだが、どうやら無断で脱出してここまでやって来たらしい。

 身内の危機と言ったが、彼はUFSOの職員でもなんでもなく、まして普段は職員と衝突してはトラブルを招いている問題児である。

 それが今回に限ってこのような物言いをするのは、やや捻じ曲がった正義感によるものだろうか。

 少なくとも打算や良からぬ下心があるわけではなく、その心理は「祭りと聞いてたまらず駆けつけた」というような賑やかしの色が強い。

「これで三対一だぜ!ボコボコにしてやんよ!」

「やれるもんならやってみろやゴラァッ!三人だろうが三十人だろうがぶちのめしてやるよ!」

 やたらにカンフーめいたポーズをとり挑発するウルペースに、もとより下町っ子で血の気が多いベケットも負けじと声を返す。

 しかし内心では非常にまずい状況に陥っていることを自覚しており、すでに戦闘不能に陥っているシロッコはともかく、ウルペースとノーマッド博士を同時に相手して勝てる自信は正直あまりなかった。

 もっとも、この場でどうしても喧嘩したがっているのはどうやらウルペースだけのようだったが。

「ウルペース君、ステイ。そこの…君が何者か正確には知らないが、アメリカ政府の職員だということは聞いている。間違いはないかね」

「…誰に聞いた?」

「さきほどアメリカ大使館から連絡があった。巷で問題になっている狐魂殺傷事件に関する情報とともに、どうやらまずいことが起こりそうだと…シロッコ君を止めるよう、できれば身内が説得してほしいという話だった。信じたわけではなかったが、こうして見ると嘘ではなかったようだな」

「大使館から?」

 ノーマッド博士の言葉を疑う理由はなかったが、今回の件でベケットは大使館に連絡を取ったことはなく、また狐魂事件とベケットの活動に関して大使館がそのように積極的な動きに出たことに疑念を覚えずにはいられなかった。まして動きが早(タイムリー)すぎる。

 だが…ノーマッド博士とウルペースの視界の外から、いったいどこに隠れていたのかスクイがいやらしい笑みを浮かべてこちらに手を振っているのを見て、ベケットはなんとなく事情を察した。

 どうやらスクイが大使館を唆したか、あるいは大使館の名を騙ったのか。その詳しい手段を知る手掛かりはなかったが、いずれにせよ彼がなんらかの工作をしたのは確かなようだ。

「で、どうすんだ、この状況」

「君にはひとまず退いてほしい。今回の騒動と、そしてシロッコ君のこれまでの行為に関しては政府レベルでの協議が行なわれることになった。アメリカ政府もすでにそれを承認している」

 それとも…そう言って、ノーマッド博士はふたたび右腕のフュージョン・ブラスターガンをガチャリと音を立てて展開させ、「ここでどちらかが死ぬまでやりあうかね?」と脅しをかけてきた。

 もっともシロッコは身元が確かである以上、おいそれと逃げることはないだろうし、事件の確証をすでに得ている限りベケットが無理に彼らの身柄を確保する必要はない。

「騙したらどうなるか、わかってるんだろうな?確実な証拠なんかなにもない…なんて思ってたら、痛い目見るぜ」

「その心配はない。今回の事件は私にも責任がある…口先だけで誤魔化すつもりはない」

 そう言って、ノーマッド博士はシロッコの鋼鉄の肉体をひょいと抱きあげた。

「なぜ私に相談してくれなかった、などと言うつもりはない。君には君の考えがあったのだろう、だからせめて罪滅ぼしには私も付き合わせてもらうよ」

「……すいません…博士…」

 優しく語りかけるノーマッド博士に、一度は泣き止んだシロッコがふたたびその瞳に涙を浮かべ、消え入りそうな声でつぶやく。

 殴り合いを期待して出張ってきたウルペースは不満そうな顔をしていたが、その光景を見て口笛を吹くのは忘れなかった。

 かくして…シロッコを抱きかかえ、ウルペースを連れてUFSO支部へと帰るノーマッド博士の後ろ姿を見つめながら、ベケットはなんとなく釈然としないままつぶやいた。

「これで一応、事件は解決…なのか?」

「いやぁー大変だったねぇCIAの旦那?へっへっへっ」

「あっ、おまえ!よくノコノコ顔出せたもんだなオイ!?」

 UFSOの面子が立ち去ったのを見届けてから現れたスクイに、ベケットは思わず掴みかかる。

 それをひょいとかわし、スクイはヘラヘラと笑った。

「おぉーっと、腹を立てるのはお門違いだぜぇ?むしろ礼を言ってほしいくらいだぁ」

「礼だとォ!?警官隊なんか呼びやがって、どの口でそんなこと言ってやがる!」

「アレはたんなる時間稼ぎだって、保護者が鳥のねーさんを連れ戻すまでのな。言ったろぉ、万一の保険だって…それに、たかが人間の警官風情に引けを取るようなら、アンタは信用に値しなかったってことさぁ」

「オレを試したのか?喰えない野郎だな…ともかく、もうオッサンが逃げ回る必要はなくなったわけだ。オレの仕事も終わったってことだな」

「なに言ってんだ、アンタの仕事は俺様の身柄を保護することだろぉ?むしろ、これからが本番なんだぜ」

「保護だぁ?だって、シロッコはもう…」

 そこまで言いかけて、ベケットはシロッコの言葉を思い出した。

『その男は犯罪者です。マフィアの幹部で、組織の金を使い込んだのがばれてUFSOに保護を求めてきました』

「…あ~…そっちが本題か?」

「他に何の用があると思ってたんだぁ?この際だからハッキリ言っておくが、俺様が求めてるのはアメリカへの亡命だよ。新しい身分、経済的な支援、エトセトラ。ちょっとした気遣いってやつさね…そら、なんて言ったっけ?FBIがやってるようなのをさ」

「証人保護プログラムか?」

「そう、それ」

「あの税金の無駄遣いか。まあオレの腹が痛むわけじゃないしなぁ…せいぜい上にかけあっちゃあみるが、あまり期待はすんなよ?」

「まぁよろしく頼むぜぇ。へっへっへっ」

 数日後…狐魂連続殺傷事件に関する米蘭両国とUFSO間の協議が非公式に開催されたことを知らされると同時に、セーフハウスに身を潜めていたベケットとスクイはラングレー本部からの帰還命令を受け一途合衆国へと向かった。

 もっとも航空機内で、ベケットは「なんでファーストクラスじゃなくてビジネスクラスなんだ」だの「てっきりプライベートジェットくらいは用意してあると思ってたのに」といった、スクイの戯言に始終付き合わされる破目になったが。

 

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「乙カレー、べーやん」

「…おまえ、太ったな」

 バージニア州スプリングフィールドのセーフハウスにて、相変わらずPCモニターにかじりついているチャペルに向かって、ベケットは苦言を呈した。

「もうすぐ療養期間も過ぎるだろうに、その体型はちょっとまずいぞ」

「ぐえー」

 太ったといっても、それほどあからさまに立派な脂肪がついているわけではない。毎日の主食がピザとポテトチップスとダイエットコークだったにしては。

 けっきょくシロッコが引き起こした狐魂連続殺傷事件の全容が明るみに出ることはなかった。

 年々増加する狐魂犯罪に対し、当の狐魂が危機感を抱き独自に対処しようとしたことを大衆に認知させるべきだという意見があった一方で、反狐魂団体による狐魂への襲撃を正当化し助長させる恐れがあるとして、一切の情報公開を禁止する方向で決着がついた。

 事件の犯人であるシロッコは厳重な保護観察処分を受けることになるが、UFSOのスポークスマンとしての職務は以前と変わらず遂行し、さらに羽への負傷を「狐魂襲撃犯から受けたもの」というカバーストーリーをつけることで彼女への嫌疑は避けられた。

 KLPD(オランダ国家警察)への被害については、今後発生が予測される狐魂犯罪の共同捜査における譲歩を認めることで不問とされ、またUFSOの失態に関する米政府の関与に対しては機関の研究内容の提示を条件に口止めを約束させた。

 帰国後にそれらの報告を受けたベケットはスクイの処遇を上司に丸投げし、報告書を纏めたあとで仲間の待つ隠れ家へと戻ってきたのである。

 普段は自室で引き篭もって映画を観ているクレインも、その日は珍しく居間のソファでぼーっとしていた。その傍らに、赤頭巾をかぶった小柄な狐魂の少女がちょこんと腰かけている。

「珍しいなクソ映画、おまえが人目に触れる場所にいるなんて」

「え、ああ…」

 クレインは心ここにあらずといった感じで、たったいまベケットの存在に気づいたかのように、気のない返事をした。

 これも珍しいことだ。普段はセンスに欠けるジョークか、さもなければ皮肉の一つでも言ってくるものだが。

「どうした、恋人でも寝取られたか。なんだ、そのお子様は」

「任務でいろいろあったんだってさ。そっとしといてあげてー」

 クレインの返事を待たず、チャペルがPCモニターを見つめたままベケットに呼びかけた。

 そういえばベケットがイングランドとオランダを股にかけている間、クレインは東ウクライナで消息を絶ったエージェントの捜索に向かっていたと聞いていた。ウクライナは七年前の紛争を経て東西に分裂し、現在も各国政府や武装勢力の思惑が入り混じった不穏な状況が続いている。

 見覚えのない少女は任務の際に連れ帰ってきたのだろうか、狐魂の保護(書類上では「確保」とされる)は自分たちの活動理念に適っているものだから余計な口出しをするようなことではないが、それでも無用なトラブルや他人の世話を嫌う消極的な男にしては似合わない行動だ。

 なにか気の利いた言葉をかけたものか?

 ベケットが普段は使わない頭を捻ろうとしたとき、場の雰囲気にそぐわない軽薄な声が聞こえてきた。

「やぁーなんだ、辛気臭い職場かと思ったら美人サンもいるんじゃあないの。へっへっへっ」

 特徴的な笑い声に、ベケットは思わず顔をひきつらせる。

 美人さん、と呼ばれて満更でもない表情を浮かべるチャペルとは対照的に、ベケットは眉間に皺を寄せながら、不意の訪問客…スクイに向かって言った。

「…なんでおめーがここにいるんだ!?」

「なぜっておいおい、新しい仕事仲間に向かって随分な言い草だなぁ?」

「仕事仲間だぁ!?誰がおまえなんか…」

 そこまで言って、ベケットはふと声を止めた。

 その言葉が意味することに思い当たった、ある可能性について吟味する。

「…おい、まさかその、仲間ってのは……」

「ずっと人間社会に溶け込み、裏社会の事情に精通し交渉術に長けた狐魂。そいつをスカウトしない手はないだろぉー?それにあんたが提出した報告書と併せて、実地での俺様の優秀さが認められたって寸法よ。へっへっへっ」

「ウソだろ…」

 得意そうに語るスクイに、ベケットは絶句する。

 どうやらCIAは、対狐魂用のエージェントとしてスクイを抜擢したらしい。

 もとより多くの狐魂は自立志向が強く、人間社会に適合したり、まして組織に従属しようとする者は少ない。潜在的に人間への不信が強いこともあり、それが結果として人間と、人間社会への無知に繋がっている。

 だからこそ人間社会のルールを熟知し、機知をもって立ち回れる狐魂の存在は貴重だ。上司がスクイに目を留めるのも頷ける。しかし悪知恵が回りすぎるスクイを手の内に飼っておくのは、身内を危険に晒しかねないというのがベケットの本音だった。

 その心情を察したかのように、ベケットが携帯していたポケベルが小刻みに振動し、メッセージの受信を知らせてくる。

 この古式ゆかしい端末は一見ただのジャンクに思えるが、実際は高度に暗号化されたメッセージを受信と同時に高速でデコードして表示する機能性の高い代物だ。それでも個人の所在地や名前などを含むやり取りが行われることはない。

 ピッ…小型のスティック型端末に、短いメッセージが流れる。

『その男から目を離すな』

 それを目にしたベケットは、ハァ…とため息をついた。

 スクイの持つ潜在的な危険性については本部も認識しているらしい、たしかにこの男は金のために組織や身内を売りかねない。しかし、その目付け役を押しつけられるとは。

 なにやらチャペルと談笑しているスクイを見つめながら、ベケットはうんざりしたような表情でつぶやいた。

「なんつーか…面倒ばっかり増えてないか」

 

 

 

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