「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SIDE STORIES -』

- Shop Flaurein Series -

【 Sachiko - The End of Karma - 】 Part_8

 

 

 

 

 

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 いち早く倉庫から脱出していたスドーは、遅れて到着したブラックショットと対面していた。ジュリアスが魔封牢を破ったとき、公園で気絶させて以来だ。

「止まれ」

 相も変わらず侮蔑と嫌悪の表情を浮かべながら、魔導銃をまっすぐ突きつけるブラックショット。

 待ち伏せをしていたわけではないだろうから、この出会いはまったく偶然と言っていい。逃げても構わなかったが…彼に背中を向けていたスドーはゆっくり振り返ると、濁った目つきでブラックショットを見つめた。

『…クロマル』

「そんなに変わり果ててしまったのなら、撃つ理由を探す必要はなさそうだ」

『撃てるのか。俺を』

 ブラックショットは答えない。

 彼の持つ魔導銃は通常弾が装填されたマシンピストルと、魔導弾が装填されたリボルバーの複合型で、二つのトリガーで撃ち分ける構造になっている。

 ブラックショットが張力の強い魔導弾用のトリガーを引く、と同時にリボルバーのシリンダーが回転する。上下に二本ある銃身から、スドーは彼が持つ銃の構造をそれとなく察した。

 スドーは微動だにしない。たんなる脅しだと考えているのか、それとも…

 バンッ、ド……ゴッ。

 照準がぶれたのか、弾は急所ではなく右肩に命中し、魔導弾の呪力によって純粋な破壊エネルギーへ変換されたγはスドーの半身を吹き飛ばした。

 ただの人間なら、いや、おそらくは狐魂であってもγ化していなければ即死していたであろう重傷を負い、スドーはその場に倒れる。炭化した傷口には火が燻っており、それはγであっても再生不可能な傷であった。

 実兄を撃ち斃したブラックショットはなおも警戒を解くことなく、銃口を向けたままゆっくりとスドーに近づく。

「…なぜだ」

『…… …… ……』

「なぜ抵抗しなかった。なぜ避けなかった。なぜ撃たれた」

『…… …… ……』

「なぜ、どうして…なんで、生き方を変えようとしなかった、兄さんッ!!」

『…… …なぜ?』

「そんなに僕が大事なら…僕を敵に回したくないなら…ヤクザなんか辞めればよかったじゃないか、それだけで、それだけで良かったはずじゃないか!なのに、カタギになろうともせず、気を遣われたって、いったい僕にどうしてほしかったっていうんだよ!」

『…できなかった。やれなかった。努力はしてみたんだ』

「……えっ?」

『ムショを出て…オヤジ(組長)に詫び入れて…指詰めて、一度はカタギになってみた。でも、駄目だった。あそこに俺の居場所はない。俺のようなやつは生きられない。どこへ行っても…何度、職場を変えても…やっていけなかった』

 それはブラックショットが初めて聞く話だった。

 足を洗った?カタギになった?あのスドーが?

『たとえ、元ヤクザだと知られなくても…自分の気持ちを偽り、自分の本性を偽り、ただ、周りに合わせるだけ…そんな生き方が、できなかった』

 口数が少なく、自分のことなど滅多に、いや絶対に話そうとしなかったスドーがいま、ブラックショットに半生を語っていた。おそらくスドーの脳内では、当時の光景が走馬灯のように駆け巡っているに違いなかった。

 スドーにとっては、もはやブラックショットの存在すら眼中になかった。彼が見ていたのは動揺する弟の姿ではなく、出戻った自分を呆れ顔で迎える組長の姿だった。

 しょーもねぇなア。開口一番、組長はそう言ったものだ。「スドーよう、おめえ、弟のために組ィ抜けたんだろ?ケジメつけるために指まで落としたんだろうが?出戻ったりしてみろ、それこそヤクザってもんが世間の笑いものにならァな、所詮はその程度だってな。戻ってこられても、かえって迷惑なんだよなァ」

 説教を続ける組長の表情は、どこか嬉しそうで…

『俺が俺として生きれる場所は、ヤクザだけだった。それだけだ。それだけだったんだよ』

 そう語るスドーの姿は、これまでブラックショットが見たことのない実兄の素顔だった。

 もとより付き合いが深いわけではなく、早いうちに生き方を違え、以後はたいして顔を合わせることもなかった間柄だ。互いに知らないことのほうが多いはずだろう。

 この男はクズだ、他人のためには生きられない、自分のためにしか生きられない男。

 その認識は今でも変わらない、それでも、なぜだろう…以前ほど、この男を憎めないのは?

 銃口を向けたまま、ブラックショットはとどめの一撃を躊躇する。

 どうせもう長くない…そんな考えがあったことも確かだ。

 そしてそれは、スドーにとってはまったくのお見通しだった。

『甘いな、クロマル…まだ甘い』

「…なっ!?」

 肉体が半壊したまま起き上がるスドー、その動きはまるで自身のダメージを意に介していないかのようで、ブラックショットは以前に公園で昏倒させられたこともあり、咄嗟に自分の身を庇った。

 だが彼のその反応もスドーにとっては予想の範囲内だった。

 アスファルトの地面を蹴り、ブラックショットの頭上を高々と越えて飛び去るスドー。

『まだ死ぬわけにはいかない。さらばだ、弟よ』

「しまった!」

 思わず舌打ちするブラックショット、スドーの向かう先は…市街地だ!

 いまから追っても間に合わない、しかし、このまま放っておけばどんな被害が出るかわからない。彼が手当たり次第に人々を襲うようなことがあれば…

 …彼がそんなことをするだろうか?

 希望的観測は無意味だが…ジュリアスと違い、スドーはγに侵されながらも、破壊衝動や攻撃性を発露させることなく、完全に意識を保っていた。

 そもそもあの男の目的はなんだ?なぜ黒い薬を製造していた?γを使って何をしようとしている?

 何もわからない、何も…

 

 

 

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 スドーは逃走、彼の手下はJJの手によって全滅し、すでに事態が収束しかかっているなか、そのことを知らないトランキライトは一人、施設の地下をさまよっていた。

 そこで目撃したのは、JJの報告にあった「黒い薬」の製造工場。

 γと呼ばれる得体の知れない物質を精製し、人間のみならず狐魂をも怪物へ変えてしまう、恐るべき存在。

 トランキライトはその詳細を知ることなく、また個人的な興味も関心もなかったが、全容を暴くことができれば組織への多大な貢献になるであろうということは理解していた。

 現地の捜査機関を出し抜き、すべての資料を持ち出すことができたなら?

 それが吉と出るか凶と出るかはわからないが、やってみる価値はあるとトランキライトは考えた。

 やがて巨大な隔壁を前に、トランキライトは制御パネルを操作して開放を試みる。

 暗証番号の見当はついていた。近くの壁に、それらしき番号が書かれた紙が貼られていたのだ。信じられないことだが、そもそもが侵入者の存在など予期していなかっただろうから、油断していたのかもしれない。

 FBIにも、モニターにPCのログインパスワードを書いて貼っておく職員が少なくないことは事実だ。

 かくして隔壁のロックは容易く解除され、核サイロかと見紛う金属扉…ミサイルでも防げそうだ…が轟音を立てて開放された。

 これほど堅牢な扉で守ろうとしているものはなんだ?

 ひょっとしたら、金塊でも隠してあるのではないだろうか…トランキライトは首を振る。ここはフォートノックスや、連邦準備銀行には見えない。

 どれだけ考えたところで、トランキライトは根本的な思い違いに気づくことができなかった。

 頑丈な扉というのは、外の脅威から中のものを守るためだけではなく、内に封じた脅威を外に解き放たないために用いられることもあるということ…

 煌々とした薄明かりのなか、トランキライトは培養液に満たされた巨大なシリンダーを前に言葉を失う。

 中で蠢く、黒い…生物?

 最初は不定形のなにか、クラゲのようなものが漂っているようにしか見えなかったが、やがてそれはトランキライトの気配に気づいたかのように動きを変えると、藤色の衣を纏った狐魂へと姿を変化させた。

 狐魂が…捕まっている?あるいは、保護されている?

 様々な可能性がトランキライトの頭を駆け巡るが、それでも彼女が思いついたのは拉致監禁といった類の超常識的な発想の範疇であり、軍事施設並の隔壁の奥に隠されていたこと、特殊鋼と耐圧ガラスで造られたシリンダーの中にいること、つい数秒前まで全く異なる形をしていたこと…そういった諸々のすべてを判断材料に使うことができなかった。

 どうしよう、助けるべきなのだろうか?

 もしここが本国なら、仲間に頼れるような状況であれば、応援が到着するまで現場の安全を確保するだけでいい。

 想定外の事態に正確な思考ができなかったが、それは異様な状況に違和感、いや、恐怖心を覚えていたせいかもしれない。

 ミスのないように仕事をこなさなければ。

 そう思いを新たにしたとき、ガラス越しに黒い狐魂が口を開いた。その喉から、この世のものとも思えない奇怪な異音が発せられる。

『ごめんなさい』

「えっ?」

『こんなはずじゃなかった。そんなつもりじゃなかったのに…』

 何を言っているのだろう…何に、誰に対して?

 黒い狐魂の言葉を捉え損ねたトランキライトは、突然、世界がばらばらになったような感覚に陥った。

 音が耳のなかでがらがらと絡んで崩れていく。

 すでに黒い狐魂はガラス越しの存在ではなくなっていた。培養液が世界の半分を満たしている。

 耐圧ガラスはとても分厚かった。これなら深海でも割れないだろう。当たったら壊れるのは自分のほうだ。

「…… …… …?」

 不意に、トランキライトは自分の思考が混乱していることに気がついた。

 黒い狐魂が手を伸ばしてくる。自分もその手を掴もうとする。互いの手が触れ合う。けれど、その手はもう自分の身体にくっついていない。

 世界が割れていた。頭の半分が目の前を流れる。

 きっとあの黒い狐魂を真っ二つにしても、中身も同じように真っ黒に違いない。自分の中身はピンク色。あちこちに広がっている。

 痛い痛い痛い痛い。

 混濁する意識のなかで…何かがひどく間違っているような気持ちを拭えないまま、トランキライトはそっと目を閉じる。

 黒い狐魂が破った耐圧ガラスの破片で肉体がばらばらになり、シリンダーから溢れ出した培養液に流されながら、トランキライトは突然、その生涯を終えた。

 

 

 

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「困ったことをしてくれましたね、JJ氏」

 すでに毒霧の影響が抜けた警官たちが右往左往するなか、ハクロウは疲れた様子で腰を下ろすJJに苦々しい表情を向けた。

 重態のサチコは救急車輌で搬送され、現場にはチバシティ警察の鑑識官たちが続々と到着している。

 本来であれば対怪異事件における総ての処理は霊能局の管理下に置かれるが、今回は初動からチバシティ警察が関わっていたこと、なによりJJが警官に危害を加えたことが問題となり、この一件に限り共同で捜査を行うということで一応の合意を得ることとなったのだ。

「あなたは現職警官に能力を行使した。これは、明確な敵対的攻撃行動です。ひとまずは事件捜査に関して市警に譲歩することで手打ちとなっていますが、それですべてが清算できるわけではありません」

「軽率な行動だったことは、わかっています」

 ただ、妻を助けるために。

 そんな言い訳が通じないことは、JJにもわかっていた。だが彼にとって、今回の行動にそれ以外の理由はなかったため、他に反論の余地もなかった。

 うなだれるJJの姿を横目に、ミレグラは思う。この男はサチコを救った、純粋に愛情からか?それとも、利用可能な情報源を守るためか?JJが徹頭徹尾、連邦捜査局に忠実なエリートであったなら、それくらいはやってもおかしくない。

 そのとき、ハクロウの無線機にブラックショットから連絡が入る。

『すいません、スドーを取り逃がしました。γ化した状態で北の市街地へ向かっています、すぐに追います』

「わかりました。念のため、警報を発令しておきましょう」

 どうしてこうも面倒が増えるのか…

 かぶりを振り、携帯電話で本部へ連絡を取ろうとするハクロウ。

 短縮番号をプッシュしようとしたそのとき、ハクロウは倉庫内から異常な気配を感知し、咄嗟に周囲を見回した。

 ミレグラやJJも異常を感じたらしく、三人の目が合う。

 あの倉庫にはまだ、何かが、いる…!

 警官たちを避難させなければ!

 そう思い、三人が建物内へ引き返そうとした、まさにその瞬間。

 

 巨大な『黒』が噴き出した。

 

 

 

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 いったい、何が起きたのか……

 まるで時間が削り取られたかのような無音とともに視界が奪われ、衝撃とともに、三人は吹き飛ばされていた。

 目を開けることができないまま、邪悪な気配に取り込まれそうになる。

 異音、不快なノイズ…この世のものとも思えない金切り声を全身に浴びながら、三人はどうにか霊力を昂(たか)めて身を守る。無数の虫が通り過ぎていくような感触を、ただ黙って耐えた。

 やがて衝撃が過ぎ去り、視界が開けると…三人は、まるで別世界に居るような錯覚に捉われた。

「これは、いったい…?」

 黒い海…そんな形容詞が真っ先に思い浮かぶ。

 アスファルトの地面が、飛び散ったガラスの破片が、スクラップと化したパトカーが泡立ち、脈打ち、不快な産声をあげている。まるで生きているかのように、そのすべてに意思を宿しているかのように。

 否、すべてはまやかし。

「この気配…これは、γ!?」

 かつて霊能局の魔封牢で感じた、この世ならざる存在の気配を感じ、ハクロウはゴーグルの奥で目を見開く。

 倉庫の奥、おそらくはJJが見落としたどこかにその根源があり、それが一気に噴出した…警官たちは全滅だろう。何の霊的防御も持たない人間に抵抗する術はない。

 周囲のもの総てがγに寄生され、取り込まれ、γと化していた。

 それはかつて、ジュリアスが暴走した魔封牢で見たのと同じ光景…そう、γは無機物にも寄生するのだ!

 しかも、その伝播速度、規模、爆発力はジュリアスが見せた能力の比ではなかった。いや、あの男は黒い薬を媒介することでしかγを拡げることができなかった。これはただγに寄生されただけの狐魂の仕業ではない。

 半径数kmにわたって地表のあらゆる物質がγと化し、三人の視線の先…東京湾の上に禍々しい姿を湛える巨大γクラスタが浮かんでいた。

「なんだよ、あれ…!!」

 ミレグラの声が震えている。

 街を、仁清を、そこに存在するあらゆるものを醜悪な同胞へ変えたモノの根源が、そこにあった。

 全方位から悲鳴が聞こえてくる。γの悲鳴、γと化した者の悲鳴、亡者の慟哭がコーラスとなって永遠のリフレインを謡い続けている。

 まるで地獄そのものだった。

 ハクロウとミレグラは身動きが取れない…仁清そのものがγを化したその瞬間に生じた衝撃でダメージを受け、さらに、霊力を昂めた状態を維持し続けなければγと化してしまうこの状況では身を守るのに精一杯だった。

 運が良かったのか、彼ら二人よりもダメージの少ないJJはゆっくり立ち上がると、巨大γクラスタに向かって歩きはじめる。

「おい、どうするつもりだよ」

「あれを止めます」

 一切の躊躇も迷いもなく断言するJJ、それを聞き違ったかとミレグラは訝るばかりだ。

 勝算があるのか?

 それよりも、気になることが…

「待てよ、色男…いや、JJ。これはおめーの仕事じゃねーだろう、連邦捜査局はそこまで望んでるのか?命を危険に晒してバケモノを退治するってことをよ」

「何か含みがある言い方ですね」

「わかってるんだよ、おめーが、うちの内情を探る目的でFBIから送り込まれてきたってことは。今でも、正式にはFBIのエージェントのままだってことは」

「ああ。まあ、そちらが勘づいていることも、薄々わかってはいましたが」

「サチコは?どうなんだ、ええ、あいつと結婚したのは、内部情報を引き出すためか?都合の良い情報源が欲しかったからか?」

 世界が闇に包まれたいま、この状況で、聞くようなことではなかったかもしれない。

 しかし、こんなことを聞けるのは、今しかないとも思っていた。

 足を止め、JJはゆっくりと振り返る。その表情には後ろめたさも、後悔も、不安も、怒りもなかった。清々しい顔つきだった。

「幸福を得るには…大切なものを、犠牲にしなければならないこともあります。僕には忘れられない過去も、望んでいる未来もなく…ただ、現在(いま)しかありません。それはずっと変わらない」

「…… …… …?」

「僕は、打算で人を愛したことはありません」

 ふたたび背を向けて歩きだすJJに、ミレグラは声をかけることができない。

「いま本部と連絡を取りました。全国規模で警戒態勢です、他県の支部にも応援を要請したので…我々は、事態の収拾に努めましょう」

 携帯電話を手にしたハクロウがミレグラに肩を貸してやる。

 JJはたんなる蛮勇や、希望的観測をあてに命を捨てに行くような男ではない。きっと、何か策があるのだろう。

 そう考えたハクロウは巨大γクラスタとの戦いをJJに任せ、自分たちは地域一体がγ化した仁清の浄化に当たるべきだと判断したのである。

 その判断を後悔する破目になるかもしれない、という、若干の予感めいたものを感じつつ…

 

 

 

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『予言は知っておろうジェイジェイ、一族を離れる者には災いが降りかかる。お前だけのことではない。一族を離れし者、それに関わるすべてに災いが訪れる。この先、お前の向かう道には死と破壊がもたらされるであろう』

 遥か昔…生まれ故郷を出るまえ、長老に言われたことを思い出す。

 まったくその通りだ、いまのところ、自分は人生をかけて予言を成就させ続けているようなものだ…JJは虚ろな笑みを浮かべる。

 いままでは気にかけたこともなかったが、しかし今は、不幸な目に遭わせたくない女性がいる。不幸であって欲しくないと思える存在がある。

 生き続ける限り不幸な存在を生み出し続けるのだとすれば、それを回避するために自分ができることは…

 JJの存在に気づいたのか、海上に浮かぶ巨大γクラスタがJJに触手を伸ばし、引き寄せようとする。

 それでいい、漆黒の触手に全身を絡みとられながら、JJは抵抗することなく内心で頷きかける。

 両足が地面を離れ、宙に浮いた状態で、JJはゆっくりと巨大γクラスタのもとへ引き寄せられていく。蜘蛛に捕食される直前というのはこういう気分なのだろうな、などとJJは考えた。

 そして、実質、巨大γクラスタに直接触れられているからか…JJの体内には、すでにγが入り込んできていた。

 肉体が食い破られる感覚。身体が壊れていく感覚。

 やがては巨大γクラスタと完全に同化する…いや、ひょっとしたら、第二のγクラスタへと変異するのかもしれない。

 だがお生憎様だ、とJJは牙を剥き出した。誰に対してか…

「スエノ・デ・ムエルトス(死者の眠り)」

 JJは両手を突き出し、巨大γクラスタに向けて一気に力を放出する。

 いままで…JJはこのワザを、「本気で使ったことはなかった」。

 あらゆるものを眠らせるこの力は、巨大γクラスタに浸透すると、構成するγ細胞の一片一片に至るまで作用し…休眠状態に陥ったγ細胞は活動に必要なエネルギーの一切を失い、死滅する。

 まるで古いペンキが剥がれるようにボロボロと巨大γクラスタの外殻が崩れていき、徐々に体積が小さくなっていく。

 その間もJJの肉体を蝕むγだけは止められず、想像を絶する苦痛とともに何度も意識が遠のきかける。

 身体が、心が、造り変えられる…苦痛だけではない、未知なる真理に到達したことを確信する快楽、全能感が心を満たしていく。

 自分だけが宇宙の真理を理解できているという優越感。

 なるほど、これはある種の人間、いや狐魂にとっては何より強力な麻薬に違いないな、とJJは思った。

 残念だな…JJは微笑む。その錯覚で、俺は止められない。

 やがて巨大γクラスタの中枢へと近づいたJJは、核を守ろうとする殊更に強力なγの波動を、ガラス球の表面の埃を払うように取り除く。

 それはあえて敵意を持たず近づいたこと、そしてJJ自身も気づいてはいなかったが、自身もほぼγ化し同類と見做されていたからこそ可能なことだった。

 闇のベールを取り除いた先に、黒い狐魂がいた。

 緋威狐…自らがγとなり、γを生み出し続ける存在。スドーの監督下で、黒い薬…のちにブラックダイヤモンドと呼ばれるようになる麻薬の原料を生成していた狐魂である。

 なぜそうなったのか、それは誰にもわからなかったし、おそらく本人も覚えてはいないだろう。

『ごめんなさい。こんなことになるなんて…こんな…私、こんなことを望んでたわけじゃ……!!』

 震える唇から零れるのは、ただひたすらに悔恨の言葉。

 おそらくは既に何を後悔しているのかすら忘れ、ただ強い自責の念だけが残っているに違いない。

 青白い頬に優しく手を添え、JJはそっと話しかける。

「大丈夫です、何も怖がる必要はありません。じきにすべてが終わります」

『終わる…終わる?何もかも…ようやく…すべて…』

「ええ。もうあなたが苦しむ必要はありません」

 そう言って、JJは緋威狐を抱き締める。

 この時点でJJも自分が何を口走っているのか、自分自身で理解できないでいた。

 γに全身を食い尽くされ、自我が崩壊をはじめていたのだ。

 だが、何をすべきかはわかっていた。

 JJは緋威狐を抱き締めたまま、彼女の首筋に魔導銃の銃口を突きつけると、引き金をひいた。

 

 

 

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 核爆発級の閃光は東京湾全域を一瞬だけ覆いつくすと、静かに砕け散り、巨大γクラスタの姿は跡形も無く消え去った。

 その光景は数多くの人々が目撃しており、都市区画ごと異形に変貌した仁清の封鎖とあわせて日本国内のみならず、世界的な注目を集めることになった。

 未知の怪奇現象か、それとも北の核実験か、などといった憶測が飛び交うなか、最終的に今回の事件はγクラスタの存在がはじめて白日のもとに晒され、それを霊能局が処理したと記憶される…通称「チバシティ・クライシス」として。

 だが、そうした形で事態が収束するのはもっと後のこと。

 

 

 

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 東京湾上空に出現したγクラスタが消滅してから三日後。

 すでに日本各地の霊能局支部から応援が到着していたが、仁清の浄化は遅々として進まなかった。

 そもそも規模が大き過ぎるのだ…これだけの汚染が一瞬にして拡がったことに、まず霊能局職員たちは驚愕せざるを得なかった。それと同時に、最近まで実在性に乏しい民間伝承の一種として扱われていたγクラスタそのものについての情報収集もはじめる必要があった。

 隙あらばヘリコプターを飛ばそうとするTV局、非常線を越えて内部に侵入を試みるジャーナリスト、何も考えずにドローンを飛ばしてくる民間人の対処も頭痛の種だった。

 すでに事態は機密保持の範疇を超えていた。

 ヘリやドローンがγ化し、非常線の外に出たら?感染があっという間に広まる可能性がある。だが、そんな事実を発表するわけにはいかない。国中が、いや、世界中がパニックに陥る可能性がある。

 仁清の異形化の真相、γの性質、その詳細は表沙汰にはなっていない…してはならない。

 不眠不休で心身ともに疲れ果てながらも、ハクロウは仁清浄化の陣頭指揮を執りながら、そう考えていた。

「課長、巨大γクラスタが出現した日の夜に妙な強盗事件があったという報告が」

「強盗?」

 非常線のすぐ傍に設置された仮宿舎で寝起きしていたからか、崩れた化粧を直すこともできずに疲れた表情を見せる他県の職員の報告を聞き、ハクロウはおうむ返しに尋ねる。

「深夜に店のシャッターを破壊し、商品を奪って逃げる不審な男がカメラに写っていたそうです。何も道具を使わず素手で、それも、とんでもないスピードだったとか」

「やらせではないんですか?」

「地元警察に確認をとりましたが、映像が細工された様子はなかったそうです。人間業じゃない、ということで、今回の一件と何か関係があるのでは、という話ですが…」

「他に被害は?」

「ないです。あ、えーと…現場に、幾らかの現金が撒かれていたそうです。おそらく犯人が残していったものかと…商品の代金、のつもりでしょうかね?」

「それは強盗と呼べるんですか?というか、何の店です?奪われた商品は?」

「強盗でなくとも、器物破損は免れませんね…ええと、キャラもののグッズを売ってるファンシーショップですね。上層エリアのモノレール駅のすぐ近くにあるお店で、女子高生に人気があるとか。盗まれたのはマグカップです」

「…わけがわからない。緊急性がないなら、保留案件としておきましょう。今は人材を回せる余裕がありません」

「あっ、それじゃあ書類にサインを」

 おそらく彼女自身も最初から事件そのものに興味はないのだろう、ハクロウは手渡された書類をナナメ読みしてから(警察の捜査協力依頼だった)、どうとでも取れる文面の返事を書き込みサインを入れる。

 書類を手にした職員と入れ替わりに、見覚えのある姿がハクロウの目に写った。

 入院しているはずのサチコだった。JJのコートを肩にかけ、全身に包帯や絆創膏を巻いた痛々しい姿で立ち尽くしている。医師の許可を得て外出しているようには見えなかった。

「サチコさん、どうして…」

「課長、なにがあったの?あいつは…ジョナサンは、どこに」

「落ち着いてください」

 サチコが病院に搬送されたのは仁清がγ化する直前だ。運が良かった…あと少しでもタイミングが送れていたら、救急車もろともガンマに取り込まれていただろう。

 彼女が仁清の惨事に驚いているのも無理はないし、まして、姿の見当たらない夫の行方については、それ以上に気懸かりのはずだった。

 いつの間にかブラックショット、ミレグラといった馴染みの面々も集まってきていた。

 皆の表情を見回し、サチコは確信を得る…そこにあるのは心配ではなく、諦め。行方が気懸かりだ、という雰囲気ではない。

「サチコさん」ブラックショットが重い口を開く。「彼は…JJは、亡くなりました」

「遺体は確認したの?」

「…… …… ……」

「…あるんだね」

「収容テントに安置されています。でも、見ないほうがいい」

「なんで?」

「…… …… ……」

「なんで」

 怒気を孕む…殺意ですらあったかもしれない、サチコの深く静かな怒りの声に、ブラックショットは動揺する。

「その…状態が。あまり、良くないので」

「あのねぇ」サチコはブラックショットに体当たりする勢いで近づくと、サングラスの奥の瞳を射抜くような視線で睨みつけた。「あいつはあたしの夫なの。あたしはあいつの妻なの。あたしは…あいつに、会う義務があるの!」

「しかし…」

「ブラックショット氏」ハクロウがブラックショットに首を振ってみせる。

 観念したようにブラックショットはため息をつくと、γ化の可能性がない遺体を収容する仮設テントへサチコを案内する。

 途中、直前まで浄化作業に携わっていた他県の職員とすれ違う。否…あれは霊能局の関係者ではない。

 少数だが、どこからか事態を聞いて応援に駆けつけた狐魂もいるのだ。腕に覚えがあるのか、霊能局職員と同等、いや、それ以上の能力を発揮して浄化作業を進めている。あまり認めたくないことだが、彼らの存在がなかったら仁清の浄化はもっと遅れていただろう。

 在野の退魔術師か、これも調べておく必要があるな…とブラックショットは考える。

 全身を覆うようにシーツがかけられた死体が大量に並ぶテント内は、まさしくモルグそのものだった。

 そのうちの一つにブラックショットは跪き、ゆっくりとシーツをめくる。

 そこにあったものは…

 それが何だか、最初、サチコにはわからなかった。流木か何かのように見えた。

 炭化し、異常な悪臭を放つそれは…顔の半分が抉れ、飛び出した肋骨が奇妙な方向に捻じ曲がった、JJの半身だった。

 枯れ枝のように節くれだった右手に、魔導銃が握られている。

「彼は巨大γクラスタにたった一人で立ち向かい…そして、これを倒しました。彼は英雄です。世界を救った」

「…だから、なに」

 膝をつき、JJの亡骸にすがりながら、サチコは大量の涙を流す。

 どうして……!!

 一方、こうなることを予期していたブラックショットは、いたたまれぬ気持ちでJJの遺体を見つめていた。

「(勝手な人だ、あなたは)」

 サチコが訪れるまえ、ブラックショットはJJの遺体に触れていた。「素手」で。

 能力を使い、JJの遺体から、彼の情報を読み取ろうとしていたのだ。

『野暮だね。よしてくれないかな、余計なことは』

 JJの声が聞こえた瞬間、ブラックショットは電気ショックを受けたようにのけぞり、壁に背をついていた。

 残留思念に話しかけられたことなど、一度だって経験したことがなかったからだ。

『このまま死ねば…僕は、幸せなまま死ぬことができるんだ』

「なんで勝手に死んでんだ、おまえっ…!」

 ほとんど絶叫に近いサチコの声に、ブラックショットも内心で頷かざるを得なかった。

「(本当に、勝手な人だ、あなたは。後に残された者のことも考えずに、自分の幸福だけ考えて逝くとは。何も残すことがないまま)」

 だが、ブラックショットは間違っていた。JJは遺(のこ)していたのだ。

 サチコは病院で意識が回復したとき、医者に言われたことを思い出していた。

「死ななかったのが奇跡なくらいですよ。少なくとも二~三ヶ月は運動を控え、安静にしているべきでしょう。それと、あなた…妊娠していますね」

 

 

 

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「まだ連絡がつかないらしい。いったい、どうなっているんだ?」

 深夜。

 仁清壊滅から一日が経過し、ミツアイ本社では姿を消したスドーの行方を求め、かつてスドーの直属の部下であったテツ課長と、スドーと仲の良かった社員の絵美里が奔走していた。

 通常業務の傍ら、仁清事件の情報収集と平行してレツ社系列の企業群と連絡を取り合うも、一向に足取りは掴めない。

「ウチの命令じゃないらしい。つまり、あの人は嘘をついたんだ、出張だなんて。だが…若頭は、自分の勝手で何かをやらかすような性格じゃない。ひょっとして、もっと上のほうから指示があったのかもな」

 テツ課長の言葉に、絵美里は返事をすることなく心配顔で俯く。

 そのとき…ガラスが粉砕される音とともに、非常ベルが鳴り響いた。

「オフィスからだ!くそっ、警備会社に不法侵入か?ナメやがって!」

 夜遅くまでの残業の疲れを感じさせない動きで二人は通路を駆け、デスクへ戻る。

 たどり着いたときには…人影は失せていた。粉々になったガラス片が床に散らばり、棚が倒れ、机がひしゃげた跡が残っている。

 その破壊跡は絵美里のデスクで途切れており、彼女の机の上には黒い血痕と、対人地雷ほどのサイズの白い紙箱が乗っていた。

「ブービートラップか!?」

 警戒するテツ課長、しかし絵美里は躊躇うことなく箱を持ち上げ、開封した。

 まるで白雉の行動だったが、絵美里には、こんな真似をしてこんなものを残す人物に一人だけ、心当たりがあった。箱の中身が危険物ではないということを確信していた。

 中身は…シマエナガの写真がプリントされたマグカップ。そして、カップの中に一枚の紙片が丸められている。

 紙片を広げると、かなり乱雑な字で…元から下手というより、正気を無くした様子で…一言、メッセージが書き殴られていた。

『約束は守れそうにない。すまない』

 

 

 

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