「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SIDE STORIES -』

- Shop Flaurein Series -

【 Sachiko - The End of Karma - 】 Part_7

 

 

 

 

 

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 良くも悪くも、その日が二人にとって人生の転機になったことは間違いない。

 (当人たちが思うには)ゆっくりと丁寧に時間をかけて互いのことを知り合い…精神的にも、そして肉体的にも…愛情を育んでいったわけだが、それはほぼ一日中ずっと一緒にいるという環境が少々長く続いたためであり、第三者の目から見れば、てんやわんやの状況のなかで突然二人がくっついたようにしか見えず、だからγ汚染を受けた霊能局ビルが復旧したあと、いかにも二人がつがいのように寄り添っているのを見て、ハクロウとブラックショット、そして無事退院したミレグラでさえ中身の入ったコーヒーカップを落とさざるを得なかったのである。

 三人が改めてじっくり観察する機会を得たサチコとJJは、まさしく最初からそのようにパッケージングされたセット商品としか言いようのないものだった。靴下や手袋のようだった、と言い替えてもいい。アルファベットのHを横に伸ばしたような白い留めるやつでくっついているようなものだ。

 入院しているあいだに積もった鬱憤など吹き飛んでしまったミレグラは言ったものである。

「おまえら…どうした」

「なにが?」唐揚げには当然レモンかけるっしょ、みたいなノリで答えるサチコ。

「いやなにがやあらへんがな」そんなわけないだろ勝手になにしてくれてんだ、という口調で言葉を重ねるミレグラ。

「なんで関西弁?」

「入院中ヒマだったんで、よしもと新喜劇のDVDを一気観…んなこたあどうでもいいの!」

 サチコとJJの感覚が麻痺していたことも事実で、一定期間、人目憚らずいちゃついていたため、二人で一緒にいるのが普段通りだと錯覚していたのだが、他の同僚たちからすればそうではないと気づくのに一週間ほどかかったのは、普段の二人の勤務態度からすれば実に異様なことだった。

 そんなわけで週明けの月曜日、同僚たちが二人のラブラブ光線にすっかり慣れきったころに突然恥じらいを覚えだしたのは、それもまた冗談のような光景だった。

 気まずそうにオフィスに入ってきたサチコとJJに、先週までと違う気配を感じ取ったミレグラが声をかける。

「どうした?早くも倦怠期か?」

「いや、なんというか。いま気づいたんだけどさ、あたしら、馬鹿みたいじゃん…」

「いまさら言うか!?」

 はじめこそ反省していたサチコ達だったが、季節が変わり秋になるとふたたび人目を気にせずベタベタとくっつくようになり、11月に有給を使ってデートをする頃には、その熱愛ぶりに注意を払う者もいなくなった。

 それでも翌月に二人が結婚し、JJが日本に残るためFBIを離職し霊能局の正式職員になるとわかったときにはちょっとした騒ぎになったものだ。

 結婚したといっても盛大な式が行われたりはせず、JJが帰化したあとに入籍して指輪を交換したくらいである。仕事の忙しさに紛れたというのもあるし、それ以上にサチコの実家が面倒な家柄だったこともあり、あまり目立ちたくなかったというのもあったらしい。

 その後サチコが一人で実家へ戻り一応の報告をしたが、父と大喧嘩になったそうだ。

 とはいえ、そうしたトラブルを除けば二人の結婚生活は円満そのもので、ハネムーンへ行く暇もないと愚痴を言いつつ仕事の上でもパートナーとして行動するサチコとJJは、まったく似合いの夫婦であると言えた。

 ジュリアスの一件は、二人の幸せの影に隠れるようにひっそりと忘れ去られようとしていた。

 しかしながら、二人の幸福を見た目通りに受け取れない者もいた。ミレグラは二人の幸福が本物であるか、その熱愛ぶりを日頃から目前でまざまざ見せつけられてもなお疑っていた。

 それは彼女が、JJの追跡を続けていたからだった。

 勤務時間外でときおりJJが人目憚らず出会っていた狐魂の名はトランキライト。かつてFBI時代にJJのパートナーを務め、主に本部との連絡役や事務処理を担当していた女性である。

 彼女はたびたび滞在先を変えていたが、この国で外国人が姿を隠しながら活動を続けるのは容易なことではない。

 いずれも場所を変えてから間もなく霊能局の調査網に引っかかり、居場所を特定されていた。本来ならば長期の潜伏作戦をおこなう場合、現地の協力者の存在が不可欠なのだが、そこまで頭が回らなかったのだろうか。

 あるいは、そこまでの支援が得られなかったのかもしれないな、とミレグラは思う。

 霊能局でのJJの活動内容の把握はFBIが実行する任務のなかで上位に食い込んでいるとは考え難い。もし注目に値する案件であるなら、もうすこし別の方法を採っていただろう。

 サチコとJJが結婚して半年ほど経過したころ、黒い薬に関する情報を持っているかもしれないという人物と接触するため単独行動をはじめたJJを尾行していたミレグラは、彼とトランキライトが仁清の倉庫外で接触している場面に出くわしたのだった。

 相手は用心深いので、一人で会う必要がある…そんな言い訳をしていたのだったか。

 いかにもバレバレな嘘だったし、そのせいでサチコまで単独で調査をはじめたのは少々気懸かりだったが、それでもこの微妙な時期に相手の思惑を知れるチャンスを見逃すことはできなかった。

 このあたりは身を隠せる場所が多かったので、念のため義手に仕込んだボイスレコーダーを起動しておいたものの、盗聴器の類を使う必要はなかった。むしろ、その類の機器はノイズが多いせいでかえって役に立たなかっただろう。

「わかっているとは思うが、実際はいまでも君はFBIの正式な職員のままだ。念のため」

「二重に給料が貰えるなら、これほど楽な仕事もないな」

 相変わらず不機嫌そうな態度で煙草をくゆらせるJJに、トランキライトが向き直る。

 浮浪者のふりをして建物の間に縮こまっていたミレグラからは二人の様子がよく見えなかったが、あまり友好的な会談でないことは確かだった。

「形式としては潜入捜査と同じ扱いになっている。もっとも犯罪者の摘発が目的ではないから、活動内容を仔細に記録しておく必要はない」

「裁判の証拠に使うわけではないから、か」

「それにしても、組織の中枢へ食い込むために結婚までするとは。君がそこまで仕事熱心だとは知らなかったな」

「そうしろと言ったのはそっちじゃなかったか?」

 抑揚のない声で答えるJJの言葉を聞き、ミレグラの表情は険しくなった。

 やっぱり、そういう裏があったか…あの署内でのノロケが演技だったとは思いたくないが、その可能性が高くなったことを認識せざるを得なかった。

 疑問に思うべきは、そうまでしてFBIは霊能局の何を知りたいのか?ということだ。

 ここでトランキライトの口から、思ってもみない名前が飛び出した。

「ブラックショット…いや、スドー・クロマルについての報告を窺おう」

「彼がスドー・カラスマの実弟であることは事実のようです。しかしミツアイ・セキュリティ、あるいはレツ・カンパニーと情報共有しているような動きは見られませんでした」

「課長のハクロウについては?」

「あのひとの動きを探るのは難しい…未だ調査中です。何らかのコネクションを持っていることは確かなようですが」

「他の職員について、何か怪しい動きはあるかね?」

「特には。ミレグラ・ワイズマリー、サチコ・クガワラ…いや、サチコ・ギブソンの両名については何れも特異なバックグラウンドが存在しますが、行動にムラが多いのはたんに各人のパーソナリティに因るもので、何らかの組織と結託している様子は見られません」

 余計なお世話だ…「行動にムラが多い」という言葉に反応しつつ、ミレグラはどうにか冷静さを保とうとした。

 動揺したのは個人的な評価を下されたせいでは勿論なく、彼らの会話内容が何を意味しているのかを理解したからである。

 どうやらFBIは、霊能局が企業の…はっきり言ってしまえば、レツ社の手先なのではないかと考えているようだ。

 中小を含むあらゆる企業が平然とセキュリティの脆弱なチャットシステムで会議の重要な部分についてやり取りをするインターネット全盛の昨今において、ほぼすべての捜査資料をオフラインのローカルなメディア…つまり紙の書類…に保存している霊能局の存在は、アンクル・サムにとって実に不気味な存在に写ったことだろう。

 結界で守られた文書保管庫に積まれた、見るのもうんざりする紙の束が相手では、エシュロン・システムでさえ弾の入っていない銃ほどの役にも立ちやしない。

 そうした秘匿性が、FBIに好ましからざる疑念を抱かせたことは意外ではない。

 なにせレツ社は尊法遵守が社訓というわけではないし、FBIが関心を抱くような悪事を幾つかやらかしていたとしてもおかしくはない。なにより前進がヤクザなのだから、何も疑われないほうがおかしいというものだ。

 そこへきて、狐魂を含む怪異に対処するための専門機関が存在するとあっては、両者の関係性を調査しないわけにはいかなかったのだろう。

 おそらく彼らに疑念を抱かせた直接の原因は、ブラックショットの存在。

 JJの口ぶりからして、ブラックショットがスドーの実弟であることは予め知っていたようだ。おそらくはそこが霊能局への不信の端緒だったのだろう。

「(なんにしても、ご苦労なことだ…)」

 他国の特殊機関に入り込んでまでその内情を知ろうとする、その理由の「俗」っぽさに、ミレグラはかえって胸を撫で下ろす。探られて痛い腹があるわけでもないが、わけもわからず周辺を嗅ぎ回られるのはやはり気持ちの良いものではない。

 勝手に手間をかけて茶番をやるのは結構。…そう言い切れないのは、やはり、サチコのことがあるからだった。

 彼女を篭絡したことがFBIの調査の役に立ったとは思わないが、であれば、JJはいつまでサチコとの夫婦ごっこを続ける気でいるのか。あるいは、いつかそれを止める時がくるのか?

 あの男がサチコを悲しませるようなことがあれば…ただではおかない。ハクロウはそこまで望まないだろうが、JJの行動如何でミレグラは自ら手を下すつもりでいた。何をどうするか、具体的なことは何も考えていなかったが。

 しかしすぐに、そんなことを考えていられるような状況ではなくなった。

 サチコが消息を絶ったのである。

 

 

 

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 仁清の海岸沿いには幾つかの人工島があり、物流関係の倉庫が立ち並んでいる。

 昼のあいだはひっきりなしに大型トラックが出入りし、仮にも日本に居ながら一度も日本語を喋ろうと考えたことのない外国人労働者たちの喧騒で溢れている。しかし、労働者が帰宅し静まった夜のほうが遥かに危険だ。

 このあたりの業者は企業保護法の恩恵を真っ当に享受しており、浮浪者や武装強盗から倉庫の品物を守るべくライフルで武装した守衛が八時間の交替制で24時間はりついている。

 倉庫のなかには、表から見ただけでは何を扱っているのかわからない建物もある。看板の字が消えていたり、看板の字が日本語ではなかったり、あるいは看板の文字から連想するのが難しいような突飛な商品を扱っていたりする。

 または、とっくに操業停止しているのに、入り口には守衛が立ち、建物の中では四六時中誰かが忙しそうに出入りしていたりする。そのことを気にかける人間はいない。間違った場所に押し入り、標的を誤ったことをその瞬間に悟る強盗以外は。

 フォークリフトがラックに衝突したような音が連続して鳴ったが、それは紛れもない銃声だった。

「これで何人目だ?」

 窓ではなく換気口から侵入したらしい、油と血にまみれた賊徒の死体を見下ろしてスドーがつぶやく。その手には、ベネズエラ製のオートマチック拳銃…チェコで製造されている官憲用モデルのコピー…が握られている。

 このあたりで銃声はそう珍しいものでもない。他の工場の守衛たちの武装がただのアクセサリーでないなら…とはいえ、できることなら目立つことは避けたかった。

 すかさずスドーのもとに舎弟が駆け寄り、穴の空いた死体を担ぐ。死体への怖れや忌避感はないようだ。

「場所、変えます?なんなら候補地、探しておきますけど」死体を抱えながら、舎弟が訊く。

「いや、いい。設備の移転が難物だ…なにより、そのほうが目立つ」スドーが言った。

「できれば移転じゃなくて、二箇所構えたいんすけどね。一箇所でずっと篭ってると、鼻のきく相手なら目立つっしょ。予算、出ねっすか」

「出ない」

「そっすか」

 それだけ言うと、舎弟はそれ以上異議を唱えるでもなく死体を捨てに行った。下水道あたりに放り込めば、ドブネズミにとって良いエサになるだろう。ネズミが増えても、それはそれで困るが。

 この工場で作業しているスドーの舎弟たちは、レツ社系列の社員ではなかった。組の企業化を受け入れることができず、事務所の解体と同時に袂を分かってくずれた連中に声をかけて集めたのだった。

 もしスドーがミツアイの命令でここに居るのなら、彼らは協力しなかっただろう。

 ここでこうして、勝手に会社を離れて「黒い薬」などを作っているのは個人的な事情によるものだった。すくなくとも、舎弟たちはそう知らされていた。その詳しい理由については知らない。彼らにとって、かつての兄貴分が個人的な理由で頼ってきたという、それだけで充分…いや、それこそが重要だったのである。

 自分はなぜこんなことをしているのか、と自問することもある。だが、そうした疑念が長く続くことはない。なにせ、彼らは正しい人生を歩めた試しがない。

 スドーの目の前を別の舎弟が通り過ぎようとした。上階に監禁している、「ある人物」の監視を任せていた。交替の時間なのだろう、だいぶ疲れた顔をしている。

「彼女の様子は?」スドーが呼び止める。

「様子?変わりないですよ」

「変わりない、か…」

 食事も水も与えず、投薬を開始して四日が経つ。

 これはただの実験であり…そして、必要な儀式でもあり…個人的な感情、たとえば恨みや何かがあってやっているわけではない。

 言ってみれば、ラットを使った実験のようなものだった。

「タフな女だ」

 そうつぶやき、スドーは手すりにもたれかかる。老朽化した空調から吹いてくる濁った冷気を浴びながら、冷房を新調したいな…などと、呑気なことを考えていた。

 

 

 

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 しくじった。

 とうに感覚のなくなった手足、朦朧とした頭を垂らしながら、サチコはぼんやりとそんなことを思った。

 余計なことを考えていたのは確かだ。JJが…結婚して一年も経っていない夫が、自分に隠れて人と会っていることには薄々気づいていた。相手が女だということにも気づいていた。自分以外の女の匂いというのは、微かであれ鼻につく。

 それでも、浮気をしているのだとは考えていなかった。

 自分には内緒で…あるいは、嘘をついて…出掛けるJJのあの様子は、浮ついた気持ちで女に会いに行くような態度ではなかった。それに、新婚だというのにすぐ浮気ができるほど器用な男ではないだろうと思っていた。

 あるいは自分が知らないだけで、JJはそういうことが平気でできる男なのだろうか?

 そうした諸々の感情が、サチコを捜査の先行へと駆り立て…仲間の手の届かない場所で、深い穴に落ちたまま退き時を誤ったことを思い知らされたのだった。

 仁清の怪しい工場を片っ端から当たっていたとき、行方をくらませていたスドーとまったく不意に対面したサチコはすぐに魔導銃を抜いたが、スドーの反応のほうが早かった。鳥が飛び立つように軽やかに地面を蹴ったスドーはあっという間にサチコを打ちのめし、武器を奪い、単純な痛みとダメージで彼女を気絶させた。

 そして、今だ。

 飢えと渇きに苦しみ、スドーから与えられたダメージも癒えぬまま、荒っぽく椅子に縄で縛られたサチコは体内に打ち込まれた「黒い薬」…γ細胞の浄化に全精力を注ぎこんでいた。

 一見すると無抵抗のままうなだれているだけのサチコは、半ば麻痺した聴覚が「高純度」「間もなく変化が…」といった単語を拾ってくることに気づいていた。

 それらの言葉が具体的に何を意味するのかはわからなかったが、すくなくとも、自分にとって愉快なことにならないのは確かだろうと思った。

 それに、自分を捕まえた連中が気づいていないことが一つある。

 拘束を受けてから間もなく、サチコは言魂を飛ばしていた。なけなしの霊力を放出し、受け取った者がサチコの見た映像…スドー・カラスマが率いる謎の工場を捉えたビジョンが脳裏に浮かぶように仕込んである。

 霊能局の仲間か、すくなくともそのビジョンが何を意味するのかを理解できる法執行関係者のもとへ届くよう指向を組んであるため、運悪く一般人が受け取るようなことがなければ、早晩何らかの救援が到着するはずだった。

 問題は、それまで自分の身が保つのかどうか、ということだった。思考や集中といった言葉とは無縁にある今のサチコに、その見通しは立たなかった。

 

 

 

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「いやに外が騒がしいな」

 スドーは訝った。普段、このあたりでは聞くことのない音が密集していたからだ。

 彼の懸念を裏づけるかのように、工場での作業に従事する数十名の舎弟たちがざわついていた。この音、この雰囲気の正体は彼らも知っている。

 パトカーだ。一輌や二輌ではない、それも、サイレンを鳴らして。

 普通、警察はこんな場所にまでは立ち入らない。仁清には踏み込まない。移動中にたまたま通りがかった…そう思いたいが、そんなわけはないな、とスドーは思った。

 十輌前後のパトカーは工場の前に集まると、一斉にスピードを落として停車した。サイレンは鳴らしたままだ。

「官憲っていうのは、どこに居ても自己主張が強いな」

 たいした用もないのに勝手に家に上がりこんできた仲の悪い親戚を見るような目つきでスドーは窓の外を眺める。

「兄貴ぃ、やばいっすよ!ポリ公ども、なんだってここに…!」舎弟の一人が指示を仰ごうとスドーに近づく。

「そうだな。穏便に済みそうにないな。どうすればいいと思う?」スドーが問う。

「どう、って…」

「投降するか?白旗振って、丸腰で表に出て行くか?」

「や、有り得ネっす。絶対イヤです」

「じゃあ、やる事は一つだろう」

 そのとき、舎弟は震えた。

 スドーの雰囲気が変わった。普段の気だるさはそのままに、散逸していた心が一箇所に集っていた。

 それは過去数回だけ他人に見せた顔だった。敵対組織や、縄張りのなかで調子こいているチンピラを血祭りにあげるときの顔だった。狩りをする狐の貌(カオ)だった。

 舎弟は震えていた。恐怖からではない、感動からだった。

 兄貴分が、今後一切その顔を見せることなど無いと思っていたから。心のどこかで、奥底で。本能的に。素晴らしい映画を観たときのような、心地よい裏切りの味わいだった。

 舎弟は言った、昔のように。

「道具、持ってきます」

 

 

 

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 一方で、工場前に集結した警官たちは半信半疑だった。

 昨年に行方をくらましたスドー・カラスマが、この場所に潜伏して何事かを謀っているという。しかも、それを知らせてきたのは普通の通報ではなかった。

 数日前にサチコの放った言魂を受け取ったのは霊能局の職員ではなく、市警察の警部だった。

 土地柄、ある程度階級の高い警官は狐魂の持つ能力や霊的な存在について関知しており、霊能局とは別にその研究と対策を進めていた。サチコからの言魂という、組織犯罪検挙のための出動理由としては極めて薄弱な根拠が信頼を得たのも、そうした背景からだ。

 もちろん、その行動原理の根っこにあるのは縄張り争い以外の何物でもない。

 超常現象が絡む、というだけで霊能局に我が物顔で大きな態度を取られるのは、市警察としてはまったく腹に据えかねるものだった。そうやって、たんに自分たちに都合の良い形で好き勝手やっているだけなのではないか、という疑念が拭えない限りはなおさらだ。

 霊能局の活動の正しさを保証するのはいったい誰なのか?

 司法組織同士の縄張り争いなど、市井から見れば醜さの最たるものだが、当事者にとってはプライドがあり、餅は餅屋…というわけにはいかないのが実情だ。

「施設内の従業員に告ぐ、こちらはチバシティ警察!これより施設内の捜索を行う、従業員は速やかに退去されたし!繰り返す、こちらはチバシティ警察!ただちに施設から退去せよ!」

 拡声器越しに声を張り上げる警部。彼はサチコの言魂を受け取った当人である。

 一方、出動に駆り出されたものの状況を把握できていない警官たちは半信半疑の面持ちでことの成り行きを窺っていた。

「警部、本当にスドーがこんな場所に居るんですか…?」

「たぶんな。確認してからじゃあ逃げられてただろうが」

「仮にスドーが居たとしても、いったい何の罪状で捕まえるんです?」

「少なくとも現役の霊能局刑事一人に危害を加えてるし、その刑事を拉致してる可能性もある。傷害罪、逮捕監禁罪、せっかくなら銃刀法、凶器準備集合とか結集罪もつけたいところだな」

「そういう暴力団向けの法律、たぶん企業保護法で跳ねられると思いますけど」

「チッ、運の良い連中だ。ヤクザ風情が調子こきやがって…しかし反応がねぇな、シカトこく気か?」

 忌々しげにつぶやき、警部が顔を上げたとき。

 上階の窓ガラスが割られ、細長い銃口が突き出された。ライフルだ。

 閃光と同時に爆音が発せられたとき、いっせいに伏せた部下たちとは違い、警部は警戒を抱かなかった。たとえ相手が訓練を受けた軍人だったとしても、構えてから撃つまでの感覚が短すぎる…いかにもな威嚇射撃が当たることはそうそうない。まして、相手は素人だ。

 そう思ってはいたが、脇に停めてあった車輌のパトランプがはじけ飛んだときはさすがに肝を冷やした。

 はじけ飛んだプラスチックの破片が頬をかすめ、皮膚を切り裂く。だが、それが終わったときには警部は心中で安堵していた…それがパトランプの欠片ではなく跳飛した弾丸なら、もっと深刻なダメージを負っていたかもしれない。

「警部、伏せてください!顔に怪我を…」

「騒ぐな、ガキの喧嘩だってもうちょっと酷い傷がつくだろうよ。ところで、一つ訊きたいんだが」

 心配そうな表情を向ける部下に、警部はたずねた。

「あいつら、まさか企業保護法を盾に正当防衛を主張する気じゃああるまいな?」

 

 

 

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「普警が仁清に?いったい、なぜ…なるほど。ええ、たしかに数日前から…わかりました。報告、感謝します」

 電話に向かって深刻そうに頷きかけるハクロウに、ミレグラとJJが何事かと顔を向ける。

「いましがた、警察にいる知人から連絡が入りました。捜査課の警部が部下を引き連れて仁清の浮島にある工場へ向かったそうです。標的はスドー・カラスマ」

「そいつは奇妙だぜボス、普警はスドーの行方の捜査なんかしてなかったはずだ。まして、仁清は普警にとっちゃアンタッチャブル(不浄の聖域)だろう。なんだって、そんな有り様になってんだい」ミレグラが問いかける。

「どうやら、今回の出動に関してはかなり異例の決定が成されたようです。誰もが出動のことを知りながら、その根拠については周知されていない…私に連絡を寄越してくれた知人も、詳しくはわからないと言ってました。秘匿性があるというより、手柄を立てた後でないと公表できないような理由ではないかと」

「それでも動いた。自分達は確信を持ってるが、他人に信用させることはできねぇ、そういう理由かい」

「ええ。もうすこし探りを入れてみます、そのうち事情を知っている人物から話を聞くことができるでしょう。彼らは秘密主義的でありながら、その実、話したがりでもあるのです。それほど難しい仕事ではないでしょう、それと、JJ氏?」

「はい?」

 努めて会話に加わろうとしなかったJJが、だしぬけに呼ばれて素っ頓狂な声を出す。

 まるで関心がなさそうな素振りを見せていたJJに、ハクロウは釘を刺すように言った。

「別途指示があるまで、決して動かないように」

 

 

 

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 自分はこのまま死ぬのだろうか、とサチコは思った。あるいは、それよりも悪い何か…γに取り込まれ、自分でも自分のやっていることがわからないまま、かつての仲間に処分されるようなことになるのかもしれない。

 すでに気力は残っておらず、体内に侵食をはじめたγを浄化することもできない。

 指一本動かすことができず、目は虚ろに開いたまま瞬きもせず、呼吸すら忘れて…要するに、死ぬ寸前だった。

 どうしてこんなことになったのだろう?

 幸せな結婚生活を送っていたはずだった。

 …本当にそうだったろうか?

 自分だけがそんなふうに錯覚していただけだったのでは?

 わからない、わからない…

『随分と酷い姿になったものだ、我が愛しの巫狐よ』

 そのとき、サチコの心の中に直接語りかけてくる声があった。聞き覚えのある声だ。

 禍々忌(マガキ)。サチコの実家、狐釓神社に祀られている邪神。

 その声は遠くからではなく、もっと身近な…自分の内側から語りかけてきているようだった。

「懐かしい声ね。ああ、あんた…そんなところにいたの」

『不始末に終わった交感の儀のさい、一部を植えつけておいたのだ。あのときは己の欲求に性急すぎたがばかりに、おぬしを手の届かぬ場所へ追いやる破目になってしまった。でなければ、今頃も…』

「おかげであたしは自由にやれてるけどさ。なによ、サユキねーちゃんじゃ不満?」

『あれは娼婦だ。なにもかも完璧で、だからこそ、満たされぬ欲求もある』

「生娘がお好み?相変わらず、趣味悪ィの。で、なんか用?あたし、これから死ぬ予定なんだけど」

『もう現世(うつよ)に未練はないというのか?それとも、怨念として我と一体化するか?残念ながら、おぬしにその気はないようだな』

 自らの欲求を隠そうともしない禍々忌の物言いに、サチコは思わず笑いそうになってしまった。

 禍々忌の目的は全生命体の死滅。殺した生命を怨念として取り込み、単一の意識共同体として巨大なネットワークを築くこと。それこそが禍々忌の理想であり、彼なりの楽園の設計図だ。

 彼にとって死は高次を目指すための過程に過ぎず、怨念となるための意識すら残さず精神を破壊するγとは相容れない。

『狗錷禊の巫狐よ』

「その名前で呼ばないで。もう違げーッつってんじゃん」

『男血筋が何言わんと、我にとって巫狐は巫狐よ。今一度依代となり、我にその肉体を委ねてみる気はないか』

「昔とおなじ失敗をしろっていうのは、あまり上手い提案じゃないんじゃないの」

『あの時とは状況が違う。おぬしは生命の危機に瀕しており…我が力を利用し、危地を脱するのは理に適う判断だと思うが』

「あんたの個人的な欲求を別にすればね」

『それを否定はせぬ。隠す気もない。なに悪いようにはせぬ、この世を滅ぼすのは我が役目…外宇宙の真理なぞに邪魔立てはさせぬ』

「…好きにすれば……」

 すでに正常な意識を保てなくなっていたサチコは投げやりな言葉を残し、気を失う。

『その言葉、了承と受け取った』

 そして、禍々忌…正確にはサチコの精神の外側に寄生していた、禍々忌の思念体…が覚醒をはじめる。

 怨念がサチコの肉体を侵食し、彼女の肉体(カラダ)と精神(ココロ)を求めて這いずりまわる。

 狗錷禊家が代々執り行ってきた、交感の儀…その根底にあるのは、「これ以上現世で悪事を働いてくれるな」という「否定」の感情。

 しかしサチコは違った。サチコだけが違った。

 苦痛の果てに命を落とし、現世に居場所を無くし、なおも否定され続ける存在…サチコはそれに手を差し伸べた。

 大丈夫。

 怖がらないで。

 私はあなたを否定しない。

 私はあなたを見捨てない。

 サチコは怨念を自らの内に受け容れた…そのために自らを依代として差し出し、ほんの一瞬ではあったが、禍々忌は完全なる復活を遂げた。それこそが、サチコが巫狐としての資格を失った原因。

 世界を滅ぼす優しさ。

 

 

 

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 警察の突入に備えて再武装していた見張りたちは、監禁部屋の中がやけにうるさいことに気づいた。

 彼らは定期的にサチコに高純度の黒い薬…γ細胞を投与し、その経過の観察を任されていた。とはいえ、肉体に異変が生じたら報告せよと命ぜられたのみで、γについて詳しい知識があったわけではなかったが。

「覚醒したのか?」

 金属製の扉を開け、見張りの一人が部屋の中を覗きこむ。

 その瞬間に見張りは喉の半分をえぐり取られ、仰向けに倒れながら声にならない悲鳴をあげることになった。

「……ッ!?」

 傍らにいた別の見張りは銃をかまえ、遠巻きに警戒する。

 そこには…漆黒の気配を纏い、狂気的な笑みを浮かべるサチコの姿があった。彼女を拘束していたはずの器具の数々は破壊され、破片が床に散らばっている。それが単純な力によって成されたものであることを、見張りは理解することができなかった。

 スドーに連絡を…!

 そう思ったときには、すでにサチコが目前に迫っていた。

「雑魚ども!」

 慟哭とともにサチコが腕を振るい、見張りは引き金をひく直前に粉砕される。「人間だったもの」の破片が壁と天井にスプレーされ、空間が一瞬にして朱に染まった。

 

 

 

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「詳細が判明しました。スドーが篭城する工場内にサチコ氏が監禁されているようです。どうやら、彼女の言魂を普警の人間が受け取ったらしく…なんてことだ。現在、現場に向かった急行チームが応援を要請しているようです」

「円滑に物事が進んでるわけじゃなさそうだな」

 サチコの身が危険に晒されているとあってか、いつになく真剣な表情のハクロウに、ミレグラも落ち着かない様子で相槌を打つ。

 別件で外出中のブラックショットも現在呼び戻している最中であり、予断を許さない状況下で二人はすぐにでも行動に移れる準備をしていた。

「我々も現場へ向かいましょう、じぇ…JJ氏は?」

「えぇ?」

 ハクロウの指摘に、ミレグラの声がうわずる。

 しばらく前に席を外したのを確認していたが、これといって変わった様子は見られなかったし、てっきり便所にでも行ったものかと考えていたミレグラは、たったいま、そうでない可能性に思い当たったのだ。

「まさかと思うが…あいつ、一人で現場に行ったりしてないだろうな」

 

 

 

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「応援はまだ到着しないのか!?」

「まだ、というか…寄越してくれるのかさえ確認取れてませんよ!」

 工場前で釘付けになっている警官たちは互いに顔を見合わせながら、このような状況に陥った不手際を呪わざるを得なかった。

 なぜ相手が反撃してくると想像できなかったのか!

 とはいうものの、たとえ相手が元ヤクザのメガコーポであれ、警官(公権力)相手に滅多に反撃をしてくるものではない。

 しかし現在のスドーは企業とは別の思惑で動いており、現職刑事の拉致という危険な行動を取っている。そのことを理解しきれていなかった点は落ち度と言えるだろう、。

 そのとき、遠方からオートバイの排気音が聞こえてきた。どんどんこちらへ向かってくる。

 警察の応援…とは思えなかった。新手の敵か?それとも、たんに間の悪い無関係な人間か?

 実際はそのどちらでもなかった。

 緊張状態が続く工場前に颯爽と現れたのは、事件の起きた場所が判明した時点で早々に霊能局ビルから出てタクシーを捕まえ、エリア境界まで行ってから…タクシーが上層エリアと下層エリア間を跨ぐことはない…駐車場で適当なバイクを拝借し、一直線に飛ばしてきたJJだった。

 一見してヤクザの仲間に見えなくもないJJの登場に警官たちは警戒を強めたが、「海外から研修に訪れ、現地の職員と結婚した挙句そのまま居ついた奇矯な元FBIエージェント」の存在を記憶していた警部は、すぐに彼の正体に気がついた。

 バイクを停め、密集するパトカーの間を割って入ろうとするJJを警部が止める。

「貴様、霊能局の狐魂か?お呼びじゃあないぞ。だいいち、たった一人でノコノコと何をしに来た?」

「…連中に捕まってるのは、僕の妻だ」

「ああ、例の言魂を飛ばしてきたやつだな」JJがここに現れたということは、すでに情報が漏れているのだろうと察した警部は包み隠さずに言う。もっとも、この時点でJJがそこまで詳しい情報を掴んでいるわけではなかったのだが。

「君たちに用はない。そこをどいてくれないか」

「そうはいかん!間もなく機動部隊の応援が到着する、そもそも貴様一人でいったい何を…」

 そこまで言いかけた警部は、不意に強烈な睡魔に襲われた。周囲を見回し、部下たちが次々に昏倒していく様子を見てぎょっとする。

 それはJJの能力、「スエノ・デ・ムエルトス(死者の眠り)」。

 強力な催眠性の毒霧を噴出するワザで、出力を抑えれば周辺の生物を眠らせる「だけ」で済むが、加減しなければそのまま死に至らしめる必殺の能力である。

 JJ自身、全力でこの能力を使ったことはない。消耗が激しいからであり、もちろん、その必要がなかったからでもある。

「やってくれたな、貴様…これは、我々への明確な敵対行動だ…ただ、で、は、済まん…」

 気力を振り絞ってそこまで言い、警部は昏倒する。

 パトカーの周囲で気を失った警官たちを見回し、JJはカスタム型のM1911と魔導銃を抜くと、不快そうな表情を見せて言った。

「おまえらなんかに用はない。そこをどいてもらおうか」

 

 

 

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「兄貴、なんかポリどもが急に全員倒れたって報告が」

「なに?」

 JJの来訪に気づかず、またサチコが暴走したことも知らないスドーは、舎弟の言葉を聞いて眉をひそめた。

 …シエスタでも導入したのか。

 そんな見当違いのことを考えながら、密輸入品の入った小型コンテナから短機関銃を取り出す。

 装弾を確認し、遊底を引いて一言。

「ドイツ製のMP5か。良い銃だ」

「兄貴、そいつはベレッタです。イタリア製です」

「…そうか」

 銃器の扱いに長けているスドーではあったが、名前や薀蓄には疎かった。

 やがて階下から連続して銃声が聞こえてくる。不思議と悲鳴や動揺の声は聞こえない。いったい、何が起きているのか…

 ただ一点スドーにわかっているのは、どうやら敵は警察ではなさそうだ、ということだけだった。

 闖入者を出迎えるべく一歩踏み出そうとしたそのとき、突如として天井が崩れ落ち、スドーと舎弟の目前に漆黒の影が舞い降りた。

「ゲホッ、ゲホッ…あ、兄貴、あれ…ッ!」

 粉塵を吸い込んで咳き込みつつ、舎弟は目前の邪悪な存在…禍々忌が憑依し「レギオン化」したサチコを指して大声をあげる。

 どうやら体内に注入したγ細胞が活性化したようだ、とスドーは判断する。見張りでは覚醒した彼女を止められなかったようだ…と、そこまで考えて、どこか奇妙だと疑問を覚えた。

 たんに力が暴走しているのだろうが、それにしても、覚醒したばかりの状態ですぐにこれだけ動けるようになるだろうか?…自分の意思で?

 サチコ=禍々忌はスドーを真っ直ぐに見つめると、口裂けのような歪な笑みを浮かべた。両手に掴んでいたドロドロの肉塊…おそらくは上階にいたスドーの舎弟たち、の成れの果て…を放り出し、血塗れた手でスドーを指差す。

『貴様が首魁か?いや、どうもそうではないらしい…貴様からは「狗(イヌ)」の臭いしかせぬ』

 なんだ、こいつは!?

 圧倒的なプレッシャーに、スドーは思わずたじろぐ。なにより、彼女から感じる「無数」の気配。

 ただのγ化ではない、むしろ、サチコからはγの気配をほとんど感じない。だというのに、この禍々しさはなんだ?

『よくもまあ、やくざ者風情が好きも勝手にやってくれたものよ。おかげで我は今一度、この娘との一体化が叶ったわけだが。もちろん、そのことで貴様に感謝なぞせぬがな』

「物憑き、か…どうやら、かなり高位の狐魂とお見受けする」

『知ったふうな口をきくんじゃあないぞ、小童!』

「申し訳ない」

 殺意を超えた怨念の発する恫喝に対し、素直に謝罪するスドー。サングラスの奥の瞳は僅かほども揺らいではおらず、ひょっとして自分は馬鹿にされているのではないかとサチコ=禍々忌は訝る。

 しかしスドーの態度から悪意は感じられない…あぁ、成る程、とサチコ=禍々忌は納得した。

 何時の時代にも、こういう、ちょっとどこかズレているやつが居るのだ。おそらく、これは、それだ、と。

「兄貴、こいつは…どうするんで?」言外に敵対の意志をスドーに確認する舎弟。

 すこしは自分の考えというものがないのか…スドーは舎弟を横目でチラと見ながら、内心で舌打ちした。

 そんなだから、俺のような碌でもないやつにいつまでもついてきたりするんだ。そんなだから、こんなにも見るに明らかな泥舟に乗り込んだりするのだ。もう沈みかけているのに、それに気づきさえしない。

 だが、それは自分も同じだった。

 スドーは腕を伸ばし、両の手に持った二挺の短機関銃をサチコ=禍々忌に向けた。

 兄貴分はたんなる脅しや、殺意もなく銃口を突きつけたりはしない。舎弟は過去の経験と直感から即座にその結論を引き出し、自身も短機関銃をサチコ=禍々忌に向け、引き金をひいた。

 バババババババババンッ!!

 連続する銃声の三重奏が室内に反響し、全被甲の小口径高速弾がサチコを蜂の巣にする。無数の金属片が襲いくる様は、まさしくメタルストーム(鋼鉄の嵐)と呼ぶに相応しい光景だった。

 弾倉内に装填された弾がすべて吐き出された頃には、赤い霧と煙が朝靄のように周囲に充満していた。血だ。女の血だ。

 穴だらけになったサチコの身体は不思議と五体が繋がったままで、原型を留めたまま立っているのがかえって不気味だった。衣服はぼろぼろになり、砕けた眼鏡の破片が顔面に突き刺さっている。

 下顎を失った口の喉奥から、サチコ=禍々忌は渇いた笑い声をあげた。

『おいおい…滅多なことをするな。この娘の代わりは、そうそう見つかりはせんのだ』

 慌てて再装填をはじめる舎弟…目が合った…遊底を引いて射撃準備を整えた瞬間、全身の骨が捻れ、見えない巨大な手で絞られたかのように伸び、潰れ、引き裂かれた。

 返す手でサチコ=禍々忌はスドーの身体を下から突き上げ、腹から肩口にかけて真っ二つにした。

 舎弟の血と肉を吸い上げ、サチコの肉体が再生する。

 身体に埋まっていた銃弾がぼろぼろと床にこぼれ落ち、サチコ=禍々忌は赤い息を吐いた。

 次なる獲物を求め場を立ち去ろうとしたそのとき、ふたたび銃声とともに弾丸がサチコの背中に突き刺さった。

 振り向くと、スドーが拳銃を手に立ち尽くしていた…およそ狐魂でさえ致命傷となり得る深い傷口から、蛇のような黒い影を蠢かせて。

『よくもまあ、貴様…とうに穢れていたとはな』

「見てくれそのものは、貴方とそう違いはないと思うが」

『意志…いや、意識を持たぬ衝動なぞと同一視されては困るな。まあ、狗(イヌ)には相応しい力よ』

「そうかな…」

 銃口を突きつけたまま、スドーはサチコ=禍々忌に思案顔を見せる。

 …たんなる挑発を真剣に受け取られても仕様がないのだが。

 

 

 

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 しまった、やつを見失った。

 JJの放つ毒霧から身を守るための防護壁を構術しながら、トランキライトはサプレッサーを装着した拳銃を手に工場の地下を進んでいた。

 このところの予測不可能なJJの行動、そして遅ばせながら「黒い薬」事件への関心を示しはじめた当局の意向により、もとはJJの監視と報告だけが仕事だったトランキライトの役割にも変化が生じていた。

 曰く、トランキライト自身も現地での調査活動に関与すべきだと…その決定が下された背景には、もちろん、トランキライトの活動内容に満足していない当局の不満がおおいに含まれていた。経費に見合う成果が出ていない、人材が充分に活かされていないという、お定まりの官僚主義的判断である。

 JJと協力し合うことができれば何も問題はないのだが、ただでさえ彼はトランキライトを嫌っているし、なにより慎重を期して内密に接触を取り合っているエージェント同士が協同するのは狂気の沙汰だ。

 おそらく当局はそのあたりも考えに入っていない…いや、重要事だとは認識していないのだろう。

 いくらトランキライトが正規の連邦捜査官であるとはいえ、この国で活動するうえでの許可や免責特権など何一つ持ってはいない。下手をすればスパイ容疑で拘束されかねない。

 そうなっても当局はトランキライトを積極的に助けはしないだろうし、一度そうした汚点を残せば、残る一生を閑職で過ごすことになる。

 もっとも…それは今もあまり変わらないかもしれないな、とトランキライトは自嘲した。

 実際のところ、連邦捜査官がスパイ容疑で拘束などという事態になったら国家の不祥事に発展する恐れがある。そうなったら、閑職送りどころでは済まないだろう。それに、リスクは法的処罰に留まらない点も考慮すべきだ。

 一度「裏切り者」のレッテルが貼られた者を、我が国は容赦しない。

 自分はただ職務に忠実であろうとしていただけのはずだ、なぜこんなことになったのか…

 そうした思考を、トランキライトは一旦打ち止めることにした。

 いまは自己憐憫に浸っている場合ではない。職務に集中しなければ。

 JJが地元警察を無力化してくれたのはトランキライトにとって好都合だった。懸念すべきは侵入よりも脱出時のリスクなので、誰かに顔を見られる可能性が少なくなるだけでもありがたい。

 もっともそれは、トランキライトの活動を阻害する要因にもなっていた。

 そういう能力をJJが持っている、それに対抗する力をあらかじめ構築してある、という下準備をもってしてもなお、彼があの能力を行使しているあいだは防護構術に意識を集中していなければならない。

 彼の噴出する毒霧は物質生成ではなく純粋な霊的・魔術的エネルギーの行使なので、ガスマスクや防護服といった防具で防ぐことはできないのだ。ある意味では放射能よりも性質が悪かった。

 すこし離れた場所から立て続けに銃声が聞こえてくる。JJの.45口径だ。音のしたほうへ向かえばJJと合流できるが、今ここに居るのは彼とデートの待ち合わせをしていたからではない。

 また別の場所、もっと上のほうの階で、今度はもっと間隔の早い銃声が幾つも同時に響いた。ミシンか工事ドリルのような音は短機関銃か。たとえ.22口径でも、アサルトライフルならもっとでかい音がする。JJに向けたものとは思えなかった。なんだろう?

 不意に目前の扉が開き、白い作業着を着た男と鉢合わせした。工場よりも病院に居るほうが似合いそうな格好だ。

 男は武装していなかった。トランキライトを見るなり両手を上げ、万国共通のホールドアップのジェスチュアを見せたが、トランキライトは構わずに胴体に二発撃ち込んだ。悲鳴をあげられるとまずい、そう思ったときには倒れた男の頭に一発撃ち込んでいた。

 意外なことに、トランキライトにとってはこれが初めての殺人だった。

 そもそも、自分が銃を撃たなければならないような状況に身を置くことを避けてきたのだ。念のために射撃訓練は欠かないようにしていたが、それを役立てるつもりなど欠片もなかった。

 不意に猛烈な睡魔が襲ってくる。心に隙が生じ、防護構術を緩めてしまったのだ。

 慌てて精神を集中させ、意識を保とうとする。いまは余計なことを考えている余裕はない。そのことが、結果として最初の殺人に伴う罪悪や嫌悪を忘れさせた。

 作業員が出てきた扉の向こうは下り階段になっていた。地下があるのだ。

 階段を上がってくる音がしなかったのは扉が厚かったせいだ。トランキライトは爆弾でも防げそうな鋼鉄製の扉を調べ、地下から漏れる明かりに目を細めた。

 

 

 

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「くそっ、なんだ?急に…眠気が……」

 侵入者を迎え撃つべく武装して駆けつけたスドーの舎弟たちは、不自然な睡魔に襲われつつもどうにか意識を保とうとする。

 しかし、それだけで充分だった。それだけの隙があれば、JJにとってはまるで容易い射的用の標的紙(ペーパー・ターゲット)だった。

 ダンダン、ダンダンッ!

 心臓と頭、一発づつ正確に銃弾を送り込み、JJはチンピラたちを物言わぬ亡骸へ変えていく。

 そこに情けや慈悲はなかった。悪を断つという正義感もなかった。自己を正当化する理論すらも存在しなかった。

 そこには何の感情もなかった。一切の抑制を無くしたJJにとって、人を撃つというのは本当に紙の標的を撃つのと何の変わりもない行為だった。それこそが、非道さで知られる南米の麻薬カルテルをして「悪魔(El Diablo)」と言わしめる彼の本性だった。

 …サチコさんはどこに?

 いまやJJにとって、サチコを救出することのみが行動原理であり、それ意外の一切…霊能局員としての職務、連邦捜査官としての使命、最低限持ち得るべき倫理観…何もかもが意味を、存在を、失っていた。

 そのJJも、目前の壁を突き破って何者かが飛び出してきたときにはさすがに驚いた。

 両の手の銃を連射して牽制する、いま魔導銃に装填されているのは何の呪術的効果も持たない通常弾だ。

 そのすべてを受け…全身から血を流しつつ、スドーはあらぬかたへ視線を向けた。

『あいつ…強いな』

 そう呟く声はすでにこの世のものならざる音を帯びている。

 サチコ=禍々忌の追撃を警戒するスドーにとってJJの存在など無きに等しく、JJは自分が…妻であるサチコを誘拐した当人に…無視された形になる。

 しかしJJはその点に不快感を覚えたりはしなかった。

 憤慨することなく、冷静に魔導銃の弾倉を交換し、薬室に魔導弾を装填する。敵に無視されることは、たんに、ただの、チャンスだった。

「(ジュリアスとかいう小僧の後を追わせてやる)」

 冷徹な殺意とともに銃口を向け、JJは機関銃のような速射で弾倉に込められたすべての弾丸を撃ち込んだ。

 ズダダダダダダダダンッッ!!

 ガガガガガガガガガガガガッッ!!

 ほぼ同時にスドーが短機関銃を片手で操り、JJに向けて…視線は相変わらず彼方を向いたまま、腕だけだ…フルオートマチックで連射する。

 宙空で火花が散り、床や天井の一部がパチパチと爆竹のような音をたてて爆ぜる。

 数発の9mmパラベラム弾がJJの身体を切り裂き、JJは苦痛に表情を歪めながらも再装填する手を緩めない。

 JJの着ているコートはケブラーが織り込まれている特別製で、幾らかの抗弾性能を持つ。とはいえそれは気休めに過ぎず、充分な殺傷能力を持つ小口径高速弾を止めるには至らない。

 先の一瞬…スドーには一発も魔導弾が命中しなかったようだ。狙い澄ました、外すことのない射撃だったにも関わらず。

 ということは、弾の軌道が途中で逸れたのだ、とJJは考えた。

 逸れた?…本当にそうか?

 軌道上で生じた火花。床と天井、そして壁の一部が砕け散る…とてつもない勢いで飛散した金属片が命中したのだ、手榴弾が破裂したかのように。

 そこまで考え、JJは直感的に、その正体が空中で衝突して砕け散った弾頭だと悟った。

 言い方を変えれば…スドーは、魔導弾を撃ち落したのだ。

 そんなことが可能なのか!?

 銃弾というのは、たとえ拳銃弾であれ音速の領域だ。それをどうこうするなどというのは、歴戦のJJでさえ未知の領域、いや、不可能と断言してしまっても良い。

 …狙ってやったのか?

 迷っている暇はない、ふたたび引き金をひこうとしたとき、JJのボディがふわりと宙に浮き、そのまま固いコンクリートの床の上に叩きつけられた。

「がはっ!?」

『どこかで見た顔だ。ああ…霊能局の』

 ここへ来る前に落としたのか、サングラスを無くし素顔を晒すスドーは声音と同じほどに虚ろな目でJJを見下ろす。その手には弾切れを起こした短機関銃ではなく、別の拳銃が握られている。

 立ち上がるだけの隙を見せたらやられる、そう判断したJJは倒れた姿勢のまま素早く半身を捻じり、スドーに狙いをつける。

 が、目前の空間を侵食する黒い影に目を奪われ、引き金にかけた指がぴたりと止まった。

 スドーの背後で蠢く無数の蛇のようなγが建物のあらゆる場所に喰い込み、一体化していた。コンクリートの床が脈動し、それ自体が巨大な生物のように動いていた。

 およそ直面したことのない事態にJJは困惑し、であらばこそ、物事をシンプルに考えるべきだという直感が一つの方針を打ち出した。

 とりあえず、あいつを殺す。

 銃を向けたまま、JJは催眠性の毒霧を最大出力で放出しはじめる。

『…ッ、呪術か?』

 その正体をいち早く察知したスドーは素早く身を翻し、窓ガラスを突き破って外へ飛び出す。

 逃げられた!

 慌てて立ち上がろうとするが、能力を使うために精神を集中させていたせいで、すぐに機敏な行動が取れないでいた。

 姿勢を立て直して窓の外を見つめるが、すでにスドーの姿はどこにも見えない。待ち伏せを狙っているのではなく、たんにJJから逃げたのだとしたら、いつまでもJJの攻撃が届く場所に留まっているはずもなかった。

 あれを民間区域に解き放てば、どんな種類の被害が生じるかわかったものではない。とはいうものの、JJはすぐにスドーの後を追う気にはならなかった。

 なぜなら、まだ、ここへ来た目的を果たしていないから。

『ヤツめッ、我から逃れられる等と思うか!』

 怒声とともにJJの前に現れる、漆黒の邪気を纏った神霊…禍々忌。

 その姿形はサチコの外貌を保ったまま、だからこそ、JJはその気配の異様さに目を疑った。

「サチコ…さん……?」

 その声を聞き、サチコ=禍々忌がゆっくりとJJのほうへ顔を向ける。

 狂気と殺意に満ちていた表情が氷解し、禍々しいオーラがすっと遠のいていく。

「…… …ジョナサン?」

 サチコが禍々忌を制したのか、それとも禍々忌が身を引いたのか。

 全身に傷を負い、他者の血にまみれたサチコは、自分がなぜここにいるのかもわかっていないような表情でJJを見上げる。

 そこに居たのは血に飢えた亡霊ではなく、ただの一人の女だった。

 だが、戻るには…力を手放すには、タイミングが悪かった。

 スドーとサチコ=禍々忌の戦いに巻き込まれ、傷を負いながらも追ってきたスドーの舎弟が、サチコの背中に拳銃を向けていた。サチコの背後から…JJの正面から。

「くたばりやがれ!!」

 ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ!

 絶叫とともに撃ち出された弾丸が、サチコの背中に…吸い込まれるように…突き刺さる。

「…… …… …!!」

 前のめりに倒れるサチコを咄嗟に左手で抱え、同時に、右手の魔導銃に込められた弾丸をすべてスドーの舎弟に叩き込む。

 魔導弾の作用、それはエーテルやγといった霊的、呪術的なエネルギーを意図的に暴走させるというもので、いわば核弾頭に核融合反応を引き起こさせる信管のような役割を果たす。

 ゆえに、霊的エネルギーに乏しい人間相手にはあまり効果がない。

 魔導弾を喰らったスドーの舎弟はがくんとのけぞると、全身から血を噴き出して崩れ落ちる。その肉体は半ば融解し、驚くべきことに、即死はせず一分ほど意識を保ったまま生命活動が続いていた。

 おそれくはこれが、普通の人間相手に魔導弾を使用した最初の例であったろうが、そんなことはJJにとって何の関心も抱かせなかった。

 いまJJの心にあるのは、サチコの安否ただそれ一点だった。

 衰弱し、血にまみれ、全身傷だらけで、さらに何発も弾丸を喰らったサチコの身体は驚くほど軽く、呼吸はしているが、ひどく浅い。彼女の容態は最悪の状態に近く、生命の危機に瀕していることを、JJは本能的に察していた。

「サチコさん、死なないでください。お願いします、あなたは…あなただけは……!」

 コートを脱いでサチコの身体を包み、彼女を抱きかかえたまま建物を出るJJ。

 倉庫の前には息を吹き返しはじめた警官たちと、険しい表情でJJの姿を見つめるハクロウ、ミレグラの姿があった。

 

 

 

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