「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SIDE STORIES -』

- Shop Flaurein Series -

【 Sachiko - The End of Karma - 】 Part_5

 

 

 

 

 

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 それから一ヶ月が経ち、ジュリアスに関する調査はこれといって進展のないまま、彼の処遇は「10年間の魔封牢への禁固刑、要経過観察、期間の短縮および延長の可能性アリ」というものに決定された。

 充分な成果があったとは言えないが、いちおう捜査に一つの区切りがついたわけであり、捜査官たちはそれぞれ別の事件を担当するようになった。

 また、JJは完成した魔導銃を受け取るためふたたび京都へと赴いていた。これはサチコの同伴はなく、単独での出張であった。

 誰もが新たな展開に備えるべく心を新たにしようとしていたが、そのとき、霊能局に予想外の来客が訪れる。

 スドー・カラスマ…ミツアイ・セキュリティ社の警備部長、ジュリアスの保証人に名を連ねていた男が突然、事前の連絡もなしにロビーに姿を現したのである。

 五月も半ばのことであった。

 

 

 

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「それで、ミスター・スドー…ご用件は」

「あなたがたが捕らえている、ジュリアスという青年について話がしたい」

 ためらいがちなどよめきが沸きあがるロビーのなか…捜査課に属さないほとんどの職員は、突発的な事態にあまり慣れていない…いたって平静に応対するハクロウと、同じくらい気の動く様子のないスドーが向かい合う。

 それから間もなく、サチコとミレグラ、ブラックショットもロビーに姿を現し、フロアの隅から二人の様子を窺った。

 パーマのかかった髪を肩まで垂らし、サングラスの奥に隠れた瞳は遠くから窺うことはできない。OD色のトレンチコートはブランドものの高級品だったが、使い古しなのか、いささかくたびれていた。

 一見すると着崩したさらりまんのようにも見えたが、彼の纏う雰囲気は明らかにカタギのものではない。そしてそれは、ロビーの職員に警戒されるおもな原因でもあった。

「あいつ、狐魂だったのか…」ミレグラがつぶやく。

 スドーの身体を覆う栗毛の体毛、それは霊能局のファイルにはなかったものだ。ぴんと立った長い耳、ふさふさした尻尾は言うに及ばず。

 おそらくヤクザ時代は人間に擬態していたのだろう、常に暴力事件の矢面に立っていたスドーは何度か刑務所に入っていたが、霊能局は関与していなかった。人間が起こす通常犯罪は管轄外だからだ。

 それがいま、擬態を解いて本性を現した理由を捜査官たちは訝った。

 もちろん狐魂という存在への一般的な理解が深まりつつある昨今ではあるが、それでも、人間に擬態しているほうが、色々とやりやすいことはあるはずだ。

「以前、こちらから連絡したときは、彼のことなど知らないと突っぱねられたのですがね」にべもなく言い放つハクロウ。

「社内の情報伝達に不備があった。電話の担当者は彼のことを知らなかったし、そのような連絡があったことを俺は知らなかった。その点については誤解のないよう願いたい」

 ドスのきいた、しゃがれた低音に似つかわしくない、奇妙にさえ思える丁寧な口調でスドーが返す。ハクロウは意図して挑発的な態度をとっていたが、それに対し気分を害した様子はなかった。

 やりにくい相手だな…と、ハクロウは思った。何を考えているのかがまるで掴めない。

「それで、用件は…」

「彼を開放してほしい。保釈金なら払う。幾ら必要だ?」

 その言葉を聞いて、思わずハクロウはずっこけそうになった。

 外聞もなにもない、随分と直接的な物言いだ…ヤクザらしいとは言えるが。弁護士でもない者が衆人環境で、八百屋に果物の値段を聞くような感覚で言うような台詞ではなかった…一般的な感覚からすれば。

「理由をお聞きしても宜しいでしょうか?」と、ハクロウ。

「彼の保証人としてだ」簡潔に言うスドー。

「それだけ?」

「いけないか?」

「残念ながら」ハクロウは言葉を続けた。「狐魂犯罪者に、保釈金制度はありません。それにジュリアス君の場合はすでに刑が執行されているので、たとえ保釈金制度が適用されたとしても、手遅れなのですが…」

 その言葉にスドーは面食らったようで、表情こそ動かなかったが、しばらく会話が止まった。

 二人の会話を聞いていた者たちは突発的事態に備え、捜査官たちも銃を抜けるよう準備していたが、スドーと対面しているハクロウは、不思議と目前の男から脅威を感じなかった。

 ヤクザ時代のスドー・カラスマの悪名、その凶暴性と前科は相当に悪名高いもので、だからこそ、いまこの場に居合わせている者たちが警戒しているのだが、その実、スドー自身がどういう人物なのか、その人となりは誰も知らなかった。

 スドーは困惑しているようだった。意地の悪い親戚を相手にしているように。

 すくなくとも、いまこの場でコトを起こす気はないように見えた。

 ややあってスドーが口を開く。

「面会は?」

「いますぐは無理ですが。準備に時間が必要ですので…もっとも希望があれば、今日中には可能です」

「頼む」

 そう言って、スドーは周囲を見回す。まわりの反応を窺っている…ようではなかった。

 彼が探していたのは応接用のチェアだった。

「あそこで待たせてもらっても構わないか?」

「ええ…ですが、そうすぐに用意はできないと思いますよ。かなりの時間、待たせてしまうかも」

「待たせてもらおう」

 スドーはゆっくり衆目のなかを横切ると、応接用チェアに腰を沈め、腕を組んだまま微動だにしなくなった。どうやら、その状態で待つつもりらしい。

 まるで地蔵か何かのように動かなくなったスドーの様子を盗み見ながら、サチコ、ミレグラ、ブラックショットの三人がハクロウに近づく。

「どうすんだ、あれ」とミレグラ。

「本人の希望通りにするしかないでしょう。このまま放っておくのは面白いかもしれませんが、うちで暴れられても困りますから」ハクロウが答える。

「舎弟が心配で来たってふうじゃないですよ」ブラックショットが苦々しくつぶやく。「絶対になにか企んでます。叩き出したほうが良いのでは」

 その口調に、サチコは若干の違和感を覚えた。

 普段と違って穏やかではない、のみならず、「叩き出す」といったような実力行使を示唆する台詞は、ブラックショットの口からはまず聞くことの出来ないものだ。

 個人的な怨恨でもあるのだろうか…?

 その違和感にミレグラやハクロウも気づいたはずだが、不思議とハクロウは驚いた様子もなくブラックショットを諭す。

「いえ、それでは元の木阿弥です。それでは何も進展しない…もちろん、何事も起こさせないよう、万全の態勢を敷きますとも」

「その判断に間違いがないよう祈ります」

 挑発的な言葉を返すブラックショット、しかしハクロウが気分を害した様子はない。

 この隠微なやりとりにサチコとミレグラは顔を見合わせる。普段から軽口の多いハクロウにブラックショットが食ってかかることはまずないのだが、それ以上にハクロウが何も言い返さないのが不思議だった。

 そういえばこの二人は大学で同期だったはずだ、とサチコは思い出した。

 いまでこそ二人の間には課長、刑事という立場の差があるものの、もとは同年代の親友だったという。その過去について二人が普段から何かを言及する、ということはなかったが(いまにして思えば不自然なくらいに)、おそらくは自分にはわからない何かがあるのだろう、とサチコは思った。

「ところでサチコさん」

「えっ、なに?」

 急に話を振られ、素の反応が出るサチコ。

 その点には触れず、ハクロウが訊ねた。

「あなたの第六感で、なにか感じることはありますか?」

「うーん…良くないものは感じるよ」そう答え、サチコは思念を集中させる。「ちょっと待ってね、えーと…うん?欺き、小さきゆえの脅威、大いなる災いの前触れ、黒き覚醒。…英雄の帰還?」

 その場にいた捜査課のメンバーに囲まれながら、サチコは感覚で触れたイメージを言語化すべく頭を捻る。

 サチコの第六感は生来の能力に加え、狗錷禊の巫女が持つ神託の賜り手、託宣者、聖女としての血統が適合したハイブリッドだ。

 予知能力といっても具体的な映像が脳裏に浮かぶわけではなく、実際はもっとあやふやなものだ。例えるなら音を見たり、匂いを触るようなもので、そうして得たイメージを言葉で表現するのは至難である。

 どれだけ強力な能力を持っていても、それを伝える手段がなければ、優秀な使い手とはいえない。

 その点においてサチコはまだ未熟であり、彼女自身、そのことを自覚している。

 代々、狗錷禊の巫女は詩や俳句を嗜み、数多くの名作の生み出してきたという。その本来の目的は自身の内にあるイメージの言語化であり、簡単に言えば、能力を引き出すためのトレーニングの一環であった。

「欺き、と最初に言いましたか」ハクロウが訊ねる。

「うん。やっぱりというか、見た目通りというか、あのヤクザ」応接用チェアに腰かけるスドーを指し、「なにか企んでるのは確かみたい。ただ、あいつ自身が目立つ行動を起こすようなイメージはなかったな」とサチコ。「少なくとも、今回は」

「注意が必要ですね」

 ハクロウが頷く。ブラックショットとミレグラも、納得した顔つきではなかったが、反論はしなかった。

 ジュリアスとの面会を拒否し、スドーを追い返すという手も、もちろん、ある。

 だが、リスクを回避するだけでは問題解決にはならない。ときにはリスクを享受すべきことだって…それに、いまここでスドーを追い返したからといって、それ以上に状況が良くなる見通しはない。

 なによりサチコがある程度具体的な予見を見出せた今こそ、そのことを最大限に利用すべきだと、今ここにいる誰しもが考えていた。

 

 しばらくして、囚人との面会の準備を整えたハクロウたちは、ふたたびロビーで待つスドーのもとへ向かった。

 スドーは相変わらず、応接用チェアに腰かけた直後のままの姿勢で動いた様子はない。

 ゆっくりと肩を上下させるスドーに近づき、声をかけようとしたミレグラが、振り返って呆れ顔を見せた。

「こいつ、寝てやがるぜ」

「今度から睡眠禁止の紙でも貼っておきましょうか」とハクロウ。

「オラ起きろヤッちゃん、起ーきーろーっての」

 起きる気配のないスドーのネクタイを掴んでガクガクと大振りで左右に揺らすミレグラ、その光景に周囲が騒然となる。

 悪名高いミツアイのなかでも特に危険視されている人物を刺激するなど…!

 そんな周囲の思惑も、しかしミレグラと、そしてスドー本人にはあまり関係がないようだった。

 寝惚けているのか、スドーがあらぬかたを見つめながらうわごとをつぶやく。

「だっ、だめだ、そんな目で俺を見るな!…心が綺麗になってしまうっ……!」

「あァ!?」

「白い天使が…」

「なに言ってんだおめーは!」

 ミレグラに耳元で怒鳴られ、ようやくスドーは我に返った。

 眉間に皺を寄せるミレグラをじっと見つめながら、スドーが言う。

「…いま、そこにシマエナガが」

「いるわきゃねーだろっ!」

「そうか、いないのか」

 真顔でそう返すスドー、ミレグラは彼の首根っこを掴んだまま、怒りと困惑と笑いがないまぜになったような表情で顔をひきつらせた。

 いまこの場にいる誰もが知り得ないことだったが、スドーはバードウォッチングを趣味としており、しばしば部下を付き合わせては、嫌がられていた。

 …正気か、こいつ。

 ロビー全体がよくわからない居心地の悪さに包まれたところで、スドーは何事もなかったかのように(実際、彼にとっては何事でもなかったのだろう)立ち上がり、襟を正してハクロウと向き直った。

「準備ができたのなら、案内してもらおうか」

「あー…はい」

 まるでモデル雑誌かマフィア映画から飛び出してきたかのような佇まいのスドー、しかし先刻のやりとりを見たあとでは、そのシリアスぶりに違和感しかない。

 こいつ、官憲相手にわざとふざけてるんじゃないだろうな…警察官の前でわざと煙草をポイ捨てするような。筋者(スジモノ)のなかには、そういう悪ふざけを嬉々としてやる連中も、いる。

 しかしスドーは悪戯を楽しんでいるようには見えなかった。本人はいたって真面目なのだろう。

 だから、余計に性質(たち)が悪かった。

 油断ならない男だ、とミレグラは思う。…色々な意味で。

 面会室へ向かうあいだ、ハクロウがスドーに基本的な取り決めを説明する。

「まず、面会の様子はすべて録画、および録音させてもらいます。また何らかの犯罪行為、及び共謀を示唆するやり取りがあったとこちらが判断した場合、即座に面会を中止して頂くことがあります。他に、なにか気になる点は」

「プライバシーはない、ということか。これは通常対応か、それとも今回だけの措置なのか?」

「お答えできません」

「国内の司法組織は霊能局の狐魂犯罪者に対する扱いを把握しているのか?」

「返答しかねます」

「あんたのスリーサイズは?」

「それは…失礼、なんですって?」

「冗談だ」

 なにを聞かれてもまともに答える気はなかったハクロウだが、唐突の質問に思わずスドーの顔を見返す。

 微笑みの一つでも浮かべていると思ったが、スドーは眉一つ動かしていなかった。ターミネーターでも相手にしているような気分だ。生身なのは確かなようだが。

 面会室に入ると、仕切りの向こう側ではすでにジュリアスが席についていた。拘束具を外され、ひさびさに自由になった肉体を揉みほぐしている。

 スドーが椅子に座ると同時に、ハクロウを残して他の三人は退室する。保安室へ移動し、面会の様子をカメラの映像越しに観察した。

『…届いたよ』

 最初に口を開いたのはスドーだった。

 届いた、とは、以前の取調べのときにサチコが見逃した言魂のことだろう。盗聴されていることがわかってて、開口一番その点に触れるとは、大胆なのか、それとも、何も考えていないのか。

 それともこちらが、わざと見過ごしたことに気づいてて挑発しているのか?

 一方のジュリアスは俯いたまま、チラと上目遣いにスドーを見てつぶやく。

『…アニキ。わざわざ、すんません』

『気にするな。おまえはよくやっている』

 子犬のように大人しいジュリアスに、スドーはこれといって感情を動かすことなく静かに言葉をかける。

 それにしても、あのチンピラ小僧がああも態度を改めるとは…サチコは目を細めてモニターを見つめる。親を前にした子供か。縋りつくでもなく、ただ申し訳なさそうにしている。あいつ、あんな面(ツラ)ができるのか。

 スドーを恐れているフシもあるが、報復を恐れているというより、見捨てられることを恐れているようにも見えた。

 少なからずスドーを信頼しているらしい様子はモニター越しの荒い映像からでも見て取れる。

 やはり、あいつが霊能局を相手につっぱる理由は、スドーへの恩義からか…?

「あのガキ、一丁前に舎弟みたいな態度してやがる」ミレグラが毒づいた。

「よくやっている、っていうのは、どういうことでしょうね?」ブラックショットが疑問を呈する。

「たんに、お勤めごくろーさんってことじゃあねーのか?」とミレグラ。

 そのまま暫く二人は無言のまま、ただ悪戯に時間が過ぎる。

 面会時間は三十分、状況により早期の打ち切りや延長は可能…という事前の取り決めだった。

 時計の針が進むに任せるまま、間もなく三十分が過ぎようかというところ。二人は一向に言葉を発する気配もなく、背後霊のように佇む立会人のハクロウもその意図を掴みかねている。

 何らかの目配せやサインはあったか?

 さすがに監視カメラの映像からは二人の動きの仔細すべてを追うことはできない、ミレグラは無線機を使ってハクロウのイヤフォンにその旨を伝える。ハクロウはピンマイクを使うようなことをせず、監視カメラに目配せをすると、ただ首を横に振った。

『…そのうちにな』

 三十分経過を告げる電子音が鳴った直後、スドーが一言そう告げる。

『時間が過ぎましたが、延長を希望されますか?』ハクロウが訊ねる。

『いや。充分だ』そう言って立ち上がるスドー。

 ジュリアスはふたたび手枷を嵌められ、職員に連れられて退室した。暴れる様子はなかったが、いままで疲れきっていたその表情には以前のような不敵さが僅かに戻っていた。

 この面会に何か意味があったのか?三人は訝る。

 一方でスドーとともに退室したハクロウも、彼の真意を計れないでいた。

 間近で見ていたが…スドーもジュリアスも、怪しい素振りを見せた気配はない。ただ、一定の緊張感はあった。くつろいでいる様子はなかった。何かを意識しているフシはあった。それは何だ?

 そして、意識してか、無意識にか、ゆっくりと足を運びハクロウの後から面会室を出たスドーが後ろ手に扉を閉めたとき…

 バダンッ!!

「!?」

 叩きつけるように閉じられた扉が大きな音をたて、ハクロウが咄嗟に振り向く。

 そこには何もない。閉じた扉と、面会室から出たスドーが居るだけだ。

 しばらくハクロウとスドーの視線が宙で絡む。

「…すまん。手が滑った」

 スドーがつぶやく。あまり申し訳なさそうな態度ではなかったが、この男の場合はそれが普段通りだったので、あまり参考にはならなかった。

 そのままスドーが霊能局から出て行く様子を、幾つかの監視カメラの映像を中継して見送るミレグラとサチコ。そのとき、急にブラックショットが慌しく背中を向け、保安室を出て行こうとした。

「私、あいつを尾けてみます。これから向かう先に何かがあるのかもしれない」

 そう言うと二人の返事を待たず、ブラックショットは部屋を出ていってしまった。

 その姿を見送りながら、サチコがつぶやく。

「…彼、ああいう性格だったっけ」

「現場検証と資料収集が専門で、自分で足を使うようなことはしねーはずだけどねぇ」とミレグラ。

 開けっ放しの扉を見つめ、サチコとミレグラはただ首を傾げるばかりだ。

 

 

 

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「止まれ…」

 霊能局ビルを出てしばらく進んだあたりで、何者かに声をかけられたスドーは足を止める。

 そこには霊能局のロビーで見かけた捜査官、ブラックショットの姿があった。サングラス越しに睨みをきかせ、真っ直ぐにスドーを捉えている。

 彼の登場を予想していたわけではなかったようだが、スドーは動揺した様子もなくゆっくり振り返ると、一つの名をぽつりと口にする。

「クロマル…」

 アンソニー・ブラックショット、その本名をスドー・クロマルという。

 スドー・カラスマの、れっきとした実弟だった。霊能局内でその事実を知っているのは、学生時代からの付き合いであるハクロウだけだ。

「顔色が悪いぞ。体調でも悪いのか?ちゃんと食べてるか」

「そんなたわごとを聞くために呼び止めたわけじゃない」

「じゃあ、なんだ」

 ばっさりと言動を斬り捨てるブラックショットに、スドーは疑問を口にする。

 馬鹿にしてるのか…不快感も露わにそう思うブラックショットだったが、その実、そうでないことはブラックショット自身がよく理解していた。兄は本当に自分の身を気遣っているのだ。そのことが不快でたまらなかった。

 こういう男なのだ、スドー・カラスマという男は…その場の空気とか、相手の気持ちなど考えない、知りもしない。

 自分が他人からどのように思われるか、あるいは、自分が相手にどんな感情を抱いているのか、といった、ごく一般的な関心が欠如している。たんに、その場で思いついたことをただ口にするだけ…そこに善意も悪意もない。

 変人と言うほかにない、本人にその自覚がないのが一番の問題だった。

 そもそもスドーは、自分と他人を比較するという概念すらないような振る舞いを見せる。

 ブラックショットはスドーが嫌いだった。その理由の筆頭は、やはりスドーがヤクザだったからだが、その点を抜きにしても、この特異な人格の持ち主を好きになれたかどうかは疑わしい。

「クロマルよ」ブラックショットが口を開くより先に、スドーが話をはじめる。「働きすぎは身体によくないぞ。たまには休みでも取ったらどうだ?一週間くらい旅行してみるとか」

「なに?」

「なんだったら今夜出発するか。俺が旅行会社に一本電話を入れれば、ツアーに一人捻じ込むくらいは…」

「いますぐに出発しなけりゃ、何が起きるって?」

「なんだって?」

「いま聞いた通りさ」

 認めたくないことではあったが、ブラックショットはスドーと血の繋がった兄弟だ。

 他の者であればただの妄言か電波にしか聞こえないであろうスドーの言葉も、ブラックショットであればおおよその意図が汲み取れる。もちろん、それは何らかの意図を含む発言であればのことであり、それ自体が珍しいことではあったのだが。

「僕を旅行に行かせたいのか?」

「うん」

「なぜ」

「あの建物を離れたほうがいい」

「なぜ」

「あそこは不吉だ」

「なぜ」

「何か悪いことが起きる予感がする」

「あんたが何か仕掛けたんじゃないのか」

「…… …… ……」

「わかりやすく黙るな!」

「おまえのことが心配なんだ」

「ヤクザに心配されるほど落ちぶれたわけじゃない」

「いまはもうヤクザではない。ミツアイという、レツ社の保安部門として…」

「わかってて言ってるんだ」

「そうなのか」

「そうさ」

 挑発的な態度を取るブラックショット、どうにもスドーの前だと平静ではいられない…それで相手が不快な気分になったり、暴れたりしてくれれば、むしろ好都合だとさえ思う。逮捕する口実ができる。

 だがスドーは眉一つ動かさない。呼吸一つ乱さない。

 挑発に乗るまいと平静を装っているのか、それとも、何も感じていないだけなのか。

 スドーが口を開く。

「クロマル…おまえは、俺が嫌いなのか?」

「ああ、そうさ」ブラックショットは皮肉混じりの笑みを浮かべる。「あんたという男の人生がどんな犠牲のうえに成り立っているのかを考えれば、当然のことだ。そして、そんなやつと…おなじ血が流れているのだと思うと、自分のことさえ嫌になる」

「……すまん」

「口ではなんとでも言えるさ!あんた、いま、本気で謝ったろう!昔っからそうさ、でも、その生き方を変えようなんて考えもしない!そういうところが大嫌いなんだよ!」

 そこまで言って…ブラックショットは、ふと我に返る。

 しまった、なんてことを言ってしまったんだ…これでは、何をしにスドーを追ってきたのかわからなくなる。自分は仕事でこの男の追及に来たはずだ、私人としてではなく。

 方向を軌道修正しなくては、この男が何かを画策しているのは明白なのだ。

 しかし、生半可な尋問でこのスドーが口を割ることはないだろう。うっかり口を滑らせることはあるかもしれないが。

 ブラックショットの恫喝を受けて俯き加減に押し黙っていたスドーが、ふと顔を上げて言った。

「本当に…すまなかった。おまえには、迷惑ばかりかける…そのあたりの事情について、二人でゆっくり話せないか?」

「なんだって?」

「どこか、ゆっくり話せる場所へ行かないか?」すでに日が落ち、薄暗くなった空を見上げるスドー。「喫茶店とか、レストランとか。なんだったら、おまえが好みの店を選んでくれ。もちろん、俺が奢る」

 訥々と諭すような言い方をするスドーに、どういう気の回しようだ、とブラックショットは訝る。

 どうやらスドーは本気でそうしたいと考えているらしい、ということがわかる。この機会に兄弟仲を修復したいと考えているのか。勿論、それもあるだろうが…

 そのときブラックショットの脳裏にある考えが閃き、ふたたび嫌悪の感情が湧きあがった。

「あんた、今度は俺を足止めしようとしてるだろ!?」

「まあ、そうだ」

 あっさりと言い切るスドー。

 くそっ、あれだけ言われたのに、まるで懲りてないぞ、こいつ!

 どうやらスドーは、どうあっても自分に局へ戻って欲しくないらしい…ブラックショットは考える。この期に及んでの追求は無意味だ、となれば、スドーが望まないことを…このまま局に戻るしかない。

 いや待て、自分の「能力」を使えば…スドーに触れさえすれば、手がかりが掴める!

 可能だろうか、ブラックショットは自問する。触れた物質から過去を読み取る能力、スドーはその存在を知っている。当然、対策はしてきているはずだ。それにこの能力は消耗が激しく、単独で行動しているときに使うのは非常に危険だ…

 あるいは、わざわざ組織の幹部であるスドー自身が出張ってきたのは、この自分の能力を警戒しているせいかもしれない。

 ちくしょう、時間がない…今こうしている間にも、事態は進行しているに違いないのだ!

 ブラックショットは腰のホルスターから魔導銃を抜きつつ、左手の手袋を口でくわえながら外す。銃口を突きつけながら、スドーの腕に触れようとした。

 これまでスドーは、なんだかんだと下手に出てきた。おそらく、自分に危害を加えるような真似はしないだろう、という甘えが、ブラックショットの心中に無意識に生じていたのはたしかだ。あるいは、それこそがスドーの狙いだったのかもしれない。

 考えが甘かった。

 ブラックショットが触れるより先に、スドーの鋭い手刀がブラックショットの首筋に喰い込む。

「ぐあっ…!?」

「似合わないものを持つな」

 激しい痛みにブラックショットは気を失いかけたが、どうにか踏みとどまった…しかし、立て続けに強烈なフックをみぞおちに叩き込まれ、ブラックショットはその場に崩れ落ちる。

 気を失ったブラックショットの手から拳銃を奪おうとし…スドーは思いとどまる。

 そのまま彼の身体をゆっくり横たえたスドーは、先刻から二人のやりとりを遠巻きに見つめていた通行人の女性に目をとめ、声をかける。

「そこのきみ」

「ひっ!?」

「彼を病院に連れていってやってくれないか」怯えてあとじさる女性に、スドーはゆっくり語りかける。「救急車を呼ぶだけでもいい」

 女性の視線がブラックショットの拳銃に釘付けになっている。

「これなら心配いらない。彼は刑事だ」

 スドーは立ち上がり、女性に近づく。逃げようとするが、足がすくんで動けない女性の前で懐に手をいれ…数枚のカードを取り出し、女性に渡した。高額のプリペイドカードだった。

 謝礼のつもりだった。昔ならば紙幣を渡していたところだが、電子マネーに完全移行して以来の苦肉の策だ。

 立ち去ろうとするスドーに、女性が戸惑いがちに声をかける。

「あなたは…」

「俺は…」スドーは一瞬だけ足を止め、女性を一瞥すると、すぐにまた背を向けた。「俺は、ただの通行人だ」

 

 

 

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 ブラックショットがスドーを追いかけていったあと、霊能局では。

 ヒタ…ヒタ……

 廊下を、湿った冷たい足音が静かに響く。

 ペタペタペタペタ…

 いささか気色悪い、ユニークな動きで廊下の隅を駆けていくのは、コン・ジョー。

 ジュリアスと面会したあと、スドーがポケットから落としていったものである。

 あのときスドーが大きな音を立てて扉を閉め、それに気づいたハクロウがスドーを注視した。そして何もないことを確認し、背を向けた…その直後のことだ。

 意図的に相手の警戒心を強め、そして相手が警戒を緩めた一瞬の虚を突いての行動だった。

 コン・ジョーは鼻をひくつかせながら、若干弱々しい足取りで、自分が行くべき場所へと向かう。

 このコン・ジョーは鮫に近い狐魂で、本来は水棲生物である。四足で海底を歩きながら移動するという奇妙な生態で、その足は陸上を歩くためのものではない。

 陸地で行動しても死ぬことはないが、それでも、衰弱は免れない。しかし、それこそが重要な点だった。

 苦しそうにエラで呼吸をしながら、コン・ジョーはジュリアスの臭いを探る。

 やがてコン・ジョーはジュリアスが収監されている魔封牢へと辿り着いた。本来は狐魂の侵入は禁止、いや、不可能とされている。一定以上の霊力を持つ狐魂を遮断する結界が張られているためだ。

 しかしいま、無理矢理陸上で活動させられ、埃だらけの空気でエラを痛めているコン・ジョーは非常に弱っており、霊力が人間並に落ちているので、結界を通り抜けて牢の中へと侵入することが可能になっていた。

 通路を通り抜け、他の囚人が目を丸くして見つめてくるのを尻目に、コン・ジョーはジュリアスの独房の鉄格子を通り抜け、彼のもとへ滑りこんだ。

 手足に枷を嵌められ、碌に身動きが取れない状態で拘禁されていたジュリアスは先刻まで眠っていたが、コン・ジョーが足元にまとわりついてきたときに気配を察し、ゆっくりと目を開けた。

「きたか」

 ジュリアスはコン・ジョーの訪れを予測していた。

 確実にこうなると確信していたわけではなかったが、スドーがジュリアスの「脱獄」を手助けする手段としてはもっとも可能性がありそうだと考えていた。

 このコン・ジョーはスドーのペットだが、たんに愛玩用として飼われているわけではなく、おもに密輸で利用されている。

 ジュリアスは枷が嵌ったままの手でコン・ジョーを鷲掴みにすると、鋭い爪をその柔らかい腹に突き立て、縦一文字に切り裂いた。内臓から小包を取り出したとき、その様子を見ていた他の独房の囚人が言った。

「むごいな…」

「こいつは痛覚が鈍いんだ。それに、首だけ残ってれば再生する。こういう仕事にはうってつけなのさ」

 目当てのものを手に入れたジュリアスはコン・ジョーを床に放す。

 しばらくコン・ジョーは痙攣したまま動く気配を見せなかったが、しばらくして四足で立ち上がると、多少よろめきながらもふたたび魔封牢を出て行った。おそらく、下水か通風孔を見つけて外へ出るに違いない。

 もっともコン・ジョーの姿は幾つかのカメラに捉えられているはずだから、ジュリアスもあまりのんびりはしていられない。

 ジュリアスは手元の小包を開き、ニヤリと口端を歪ませる。

 プリズムの輝きを放つ、ブルーイングを施した金属のような黒に近い紫色の粉末。

 黒い薬…そう、巷では工夫もへったくれもない名前で流通しているこの粉末は、最近になってミツアイが地元のギャングを使って広めてるものだ。

 その詳細はジュリアスも知らない。既存の麻薬とはまったく性質の異なるものらしい、ということはわかっているが、それ以上のことは知らされていなかった。知ろうという気もなかったが。低学歴なのに、化学式を使った説明などされても困る。

 奇妙なのは、ミツアイはこれを金儲けのためにやっているのではない、ということだ。

 流通経路そのものはヤクザやマフィアが麻薬を捌くのとまったく同じ要領だが、麻薬でさえ、他の商売がバカらしくなるほどのどえらいカネになるという理由でもなければ危険すぎて取り扱わないというのに、これはまったく奇妙、いや、異常なことだった。

 スドーからは「人間の存在しない、新たなる世界の創生のため」と聞かされていた。その理念に賛同し、ジュリアスは彼の下で働いているのだ。

「おい、そりゃあいったい何だ?」

 別の独房にいる囚人が、ジュリアスの手元を凝視しながら問いかけてくる。

 薬はおおよそ五回分。一回は自分で使うとして、あと四人は兵隊を作れるというわけだが…

 そのとき、ジュリアスの脳裏にあるアイデアが浮かんだ。他愛の無い発想だったが、試してみるのも悪くない。

 

 

 

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『捜査課の職員は至急、保安室へ集合願います。捜査課の職員は保安室へ…』

「なんだ?」

 室内放送で流れるハクロウの声に、ミレグラが首をかしげる。

 それは昼行灯の声音から普段の間延びした気だるさが抜け落ちていたからだが、間もなく地下から爆発音が響くに至って、その理由がミレグラにも漠然と理解できたような気がした。

「なに、いまの」書類の整理をしていたサチコが顔を上げる。

「その理由を訊きに行こうぜ」ミレグラは言った。

 保安室はジュリアスとスドーの面会を観察していたときと変わらぬ様子のまま、そこに監視員とハクロウの姿があった。他の刑事たちの姿は見えない。あいにくと皆、出払ってしまっているとのことだった。

 ブラックショットもスドーを追ったまま連絡が取れないらしい。

 整然と並んだモニターの幾つかは砂嵐が舞っており、「信号を受信していません」という文字が赤く輝いている。

「カメラが何台か破壊された。しかし、直前まで録画されていた映像がハードディスクに残っている」

 そう言い、監視員が手元のキーボードを操作して砂嵐のモニターを再生モードに切り替えた。

 最初に目についたのは、廊下を駆けていく怪しい小さな影だった。カメラの死角を縫うように地面を這い、映像からその詳細は掴めない。

「よく見えねぇな」ミレグラが不満を漏らす。

「一番鮮明に見える場面を抜き出した画像がこれだ」

 監視員はタブを切り替え、映像からトリミングした写真を最前面に表示した。

 四足で移動する、爬虫類に似たフォルムの説物…コン・ジョーの姿に、その場にいた全員が眉をしかめる。すくなくとも、コン・ジョーを水棲生物と認識できた者はいなかった。

「これは…なんていう生き物?」サチコがつぶやく。

「わかんねーな。トカゲか、ヤモリ?にしちゃあでかいな。これ、耳と尻尾か?ひょっとして狐魂か」ミレグラが低い声で唸った。

「さっき、廊下を調べてみました」ハクロウが口を開く。「僅かながら霊紋を検出しました。ただの動物ではない、いや、狐魂である可能性は高いです」

「でも魔封牢に入っていったぜ?狐魂は入れないはずだろ、あれ」

「よほど霊力が低いか、あるいは弱っていたか…何らかの方法で偽装していた可能性はあります」

 続いて、モニターが別の部屋の様子を映す。

 狐魂犯罪者たちが収監された魔封牢…腕力では破れぬ拘束具と、霊力を封ずる檻は絶対に脱出が不可能と言われていたが、モニターの中では鋭利な刃物で寸断されたかのような切り口を残す鉄格子の残骸と、拘束具から突き出した刃を威嚇的に振るうジュリアスの姿だった。

 彼は立て続けに他の独房の鉄格子を切り裂くと、数人の囚人にあるものを与えた。

 監視員がギリギリまで倍率をアップさせる。

 鉤爪の先に、なにか…黒い粉末のようなものを乗せ、食わせていた。口だけでなく、鼻や目からも積極的に摂取している。顔全体を使って貪っていた。

 やがて施しを与えられた囚人たちもジュリアスと同じように肉体が変化し、獣のような唸り声をあげる。

 そのうちの一人が特に著しい筋肉の肥大化を見せ、倍以上のサイズに巨大化した。

 そういえば、あいつだけ特に多量の粉末を与えられていたな…と、先刻の映像から目端をきかせていたハクロウは考えた。

「あれ、いったい何なの?」おそらくは頭の中で第六感が警鐘を鳴らし続けているに違いないサチコが、動揺を隠せない表情でつぶやく。

「黒い薬、かな。例の」そう言って、ミレグラは怪訝な表情を浮かべた。「あんなに強烈なシロモノじゃなかったはずだが」

「通常のルートで出回っているものとは組成が違うのかもしれません」

 ハクロウはサチコとミレグラの顔を見回し、コートの内側に下がっている魔導銃の感触を確かめる。

「異形と化した連中のほかにも、大勢の犯罪者が解き放たれています。彼らは我々を容赦しないでしょう」

「恨まれてるもんなあ、アタイら」

「第一級警戒態勢を敷きます、いかなる犯罪者も建物から出してはいけません。対処には、えー、警察官としての節度を守りつつ、必要とあらば射殺も止む無し、です」

「あまり気が進まないなあ」ホルスターから魔導銃を抜きつつ、サチコがため息をつく。

 理由さえあれば命を奪っていいなら、最初から逮捕などせずに殺してしまえばいい。

 犯罪者を殺さずに逮捕するのは、たんに、法律でそう決められているから、なのだろうか?

 犯した罪は償わなければならないし、その点において犯罪者が特別扱いをされる謂れはないが、それは彼らが結果的にそうなったのであって、最初から犯罪者という生物として存在していたわけではない。

 犯罪を犯すようなやつはどこか頭がいかれている、普通の人間とはまったく違う種類の生物、異なる精神構造をしている、彼岸の彼方にいる存在だ…と一蹴するのは簡単だ。しかし犯罪者の多くはまさに、つい先日まではそのように考えていた、ただの善良な市民だったのだ。この国では、特にそうだ。

 ことに若年の犯罪者は、自分では選べない環境のなかで逃げ場を失った末の結果であることがほとんどだ。

 無論、被害者としては犯罪者を許せない思いもあるだろう。だが、第三者がそれを理由に嬉々として他者の抹殺を望むのが健全な社会と言えるだろうか?

 それはただ、自分自身は何の損もしないという卑劣な背景を盾に他者の不幸を望んでいるに過ぎない。

 犯罪者を生かすための法律、というのは、いわば、生存競争における殺戮合戦の抑止なのだ。

 そう考えるサチコにしても、もちろん、すべての犯罪者に更生の余地があるなどと思っているわけではない。

 しかし刑事の仕事というのは、とりもなおさず犯人を凶行に駆り立てた理由を突き止め、その根を絶つための社会運動の一助を担っているに過ぎないという意識は常に持つべきだと考えていた。

 ただ犯罪者を逮捕し、牢屋にぶち込み、それで社会の安定が保たれるという、単純な話ではない。

 このような考えは、ただ犯罪者に甘いと揶揄されることも多い。

 だがサチコとしては、困っている人を助けたいだけだ…

 いざというときに引き金をひくことをためらいはしないが、それは結果的にそうせざるを得ないだけであり、正当化できることでも、まして、誇れることでもない。

 その種の判断は、いわば「百人を助けるために一人を犠牲にできるか」というようなものだが、そうして一人を犠牲にするのは職務上の正しい判断ではあるにせよ、その行いを正当化して死者を蔑ろにして良い理由にはならないのではないか。

 たとえ相手が何者であれ、どんな種類の「殺し」であっても、一度それを正当化してしまえば、いつか必ず判断を誤る。

 それが、現時点でのサチコの結論であり、持論だった。

 

 

 

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