「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SIDE STORIES -』

- Shop Flaurein Series -

【 Sachiko - The End of Karma - 】 Part_4

 

 

 

 

 

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「空振り、でしたかね?」

「どーだろね」

 こちらはチバシティ上層エリア。

 黒い薬についてレツ・グループ系列の製薬会社で聞き込みを終えたサチコとJJは、企業エリアからシティ中央部の商業エリアへと戻るモノレールに乗っていた。

 平日の夕方、帰宅ラッシュにはまだ早い時刻ということもあり乗客は少なく、人目がないこともあってか二人は特にそれと意識することなくぴったりと身を寄せて席に座っていた。…とはいえ、JJのほうは寄りかかってくるサチコのことを少し気にしていたのだが。

 この小さい生き物は、なんだってこんなに気安いのだろう?

 もっともJJがサチコを女として意識していたわけではない。もともとJJはグラマーな美女が好みだし、一方サチコは見た目や仕草ともに女学生にしか見えず、親類か近所にいる小娘というふうにしか写らない。たぶん、傍目からもそのようにしか見えないだろう。

 もとよりこれは仕事なのだ、デートなどではなく…そう思い、そのことを再確認するようにJJが口を開いた。

「レツの製薬部門は何も知りませんでしたね。噂を聞いたことがないのは言うに及ばず、効果を聞いても、それだけではわからない、サンプルの一つでも持って来てもらえなければ、の一点張り。まあ、こちらも曖昧な情報しか出せなかったので、無理もないですが」

「とりあえずレツの表向きのスタンスを確認するのが目的の一つだったから。普警の情報と併せて、一般企業があたしたちの知ってる以上のことは知らないことがわかったわけだし」とサチコ。

 ちなみに「普警」というのは普通警察の略で、言ってみれば警視庁に対する蔑称のようなものだが、サチコの口からさらりとその単語が飛び出したことにJJは少し驚いていた。

「相手が隠し事をしていなければ」含みのある声でJJが言う。

「まあね。ただ、一般企業は警察がどんな事件を追っていて、何を知っているかなんてわからないわけだし、たまたま捜査に有力な情報を、それと知らず握ってることも有り得るわけでね」

「今回はそうではなかったようですね」

「うん。不満?」

「なんだか最初から回り道をしているようで、すこし」

「刑事捜査で短期は損気、だよ」サチコが苦笑した。「どこに事件解決の糸口が隠れているかはわからないし、地道な情報収集の積み重ねが捜査に不利になることはないからね。効率だけで捜査を考えてると、視野が狭くなるし。もしも事件に色んな要因が絡んでるとしたら、尚更だよ」

「それは、まあ。いやー…僕はあんまり、こういう普通の刑事捜査ってあまり縁がなかったものでして」

「うん?」

「爆弾みたいなものだったので」

「どういうこと?」

「誰かが僕を犯罪組織の巣に投げ込むとします。すると僕は爆発し、組織は壊滅するわけです」

「それで、あだ名はミスター・ダイナマイト?」

「違いますけど…ええと、ジェームス・ブラウン?」

「ぶ、ブルーノ・デリンジャー」

「わからない」

「海外版だとジョン・マクレーンだから」

「わからない…」

 かつては仁清のアーケードに足繁く通っていたサチコが往年のビデオゲームのネタを振るも、JJの反応は鈍い。

 ゲームセンターに足繁く通う女子学生か、普通の繁華街ならともかく、仁清のようなスラムに出入りするのはかなりやんちゃだな…などとぼんやり考えたあたりで、JJはふと疑問を覚えた。

「サチコさん、チバシティにはいつから?」

「霊能局、当時はまだ非公式の存在だったけど、内定が決まって大学を卒業してから上京してきたんよ。あ、具体的な年数は聞かないでね」

「聞きませんて」

 となるとサチコのゲーセン通いは成人、上京して就職してからの習慣だったか、とJJは思った。

 それがわかったから何なのか、という話ではあるが、常に物事を分析して考えるのはJJに身についた癖のようなものだった。わずかな手がかりで相手の境遇や状況を推察し、活動に利用するのは潜入捜査官にとってなくてはならない技術だった。

 古い癖が抜けてないな、とJJは思った。火薬の匂いも。

 これからの身の振りがどうなるか、わからないにしろ…日本での研修期間は一年を予定しているが、それが早まるか、あるいは延びるかも定かではないし、その後の予定も決まっていない。

 すべては連邦捜査局の判断次第だ。

 また現場に復帰できるかもしれないし、あるいは閑職に回されるかもしれない。

 いずれにせよ、この国での経験は無駄にはならないのではないか…そうJJは考えていた。はじめはただの退屈な仕事だと思っていたのだが。

 米国へ帰ったらいっそのことFBIを辞め、狐魂犯罪専門のコンサルタント事業でも立ち上げてみようか、などという思考も浮かんでくる。そのときは霊能局とのコネを個人的に利用できるかもしれないので、今からパイプを作っておく必要があるかもしれない。

 少なくともこのとき、JJは自分が日本に残る可能性など露ほども考えてはいなかった。

 

 

 

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 ミレグラが捜査課のオフィスへ戻ったのはサチコとJJに遅れてから二時間ほど後のことで、その頃にはすっかり夜も更けていた。

 危険な場所へ聞き込みに行き、幾つかのトラブルに巻き込まれ大酒をかっ喰らったあとだからか、ミレグラは若干疲労の色が濃い表情で二人に訊ねた。

「そっちは何か収穫あったかい?」

「ううん、全然。ミレグラは?」サチコが尋ね返す。

「とっかかりは掴めたかな。出所が怪しいから、よく調べてみなけりゃなんねーけど…おう、課長」

「お疲れ様です、皆さん」

 巣に戻って一息ついた三人に、人数分のコーヒーカップが乗ったトレイを持ったハクロウが声をかける。

 蛍光色の紙コップ(耐熱加工すらされていない)に入ったコーヒーに口をつけ、相変わらずのまずさにミレグラは眉をしかめた。

 刑事警察にまつわるゴシップには突拍子のないものや荒唐無稽なものが数多く存在するが、ことコーヒーのまずさに関しては真実を語っていると言って良いだろう。

 極端に予算をケチッているわけでも、機械の手入れを怠っているわけでもないのだが、こればかりは機械を交換しようと、水や豆を変えようと、どうにも改善されないのだった。あるいは、言霊に類する呪いのようなものかもしれない。

 いったい、本物の豆と、メーカー製のマシンと、清潔な水を使って、どうして東部戦線で飲んだような代用コーヒー(ローストしたドングリとチコリーの種をブレンドしたもの)のような味がするのか、ミレグラにはどうにも釈然としないのだった。

「相変わらず、まずいコーヒーだな」ミレグラが愚痴を洩らす。

「おいしくないね」言葉とは裏腹に平然とすすりながら、サチコ。

「こういう場所でコーヒーがまずいのは万国共通なんですかね」と、こちらも割と平静な態度でJJ。

「すいませんねえ。すいませんねえ」あまり申し訳なくなさそうに平身低頭するハクロウ。

 まずいコーヒーには慣れているものの、自分が淹れればもう少しマシなものが作れるのに、などと考えながら、JJはブラックショットの姿がオフィスに見えないことに気がついた。

 基本的に刑事は二人一組の行動で、ブラックショットはミレグラとコンビを組んでいたが、この二人はそれぞれが特異な能力を持っているため、単独で行動することも多いと知ったのはもうすこし後のことである。

「ミスター・ブラックショットはまだ戻っていないのですか?」JJがハクロウに訊ねる。

「ブラックショット氏は先日に引き続き、例の強盗事件に関する聞き込みをしています。現場検証が不発に終わったので」とハクロウ。

「不発?」

「現場がコンビニでしたからね、もうちょっと落ち着いた場所なら良かったのですが」

「と、言いますと?」

「事件後、改めて現場検証に向かったときにはすでに店のスタッフが店内を清掃してしまっていたんですよ」

「あれは事件現場ですよね?そんなことが有り得るんですか」驚きの声をあげるJJ。

「どうやら店側は事件をたんなる強盗未遂と判断したらしく、ですね。一刻も早く営業を再開するため、サチコ氏が一度現場を離れたときに現場を片づけてしまったようなんです」

「霊能局が介入する狐魂事件だから、絶対に現場を動かすなって言っておいたんだけどね」空になった紙コップを丁寧に折り畳みながら、サチコが苦い表情を浮かべる。「本部に指示を仰いだら、さっさと片づけて営業を再開しろって言われたとかで、店長の一存で掃除しちゃったんだよ。現場保全を怠ったあたしの責任でもあるんだけどさ、法執行機関の指示よりも上役の命令を重視するってのがねェ…」

「ところで、ミレグラさんのほうは何か掴めたんですよね?」JJが水を向ける。

「おう」コーヒーを一気に飲み干し、ミレグラが言った。「どうやらあのボウズ、うしろにミツアイがついてるらしいな」

「ミツアイ?」ハクロウがおうむ返しに訊ねる。

「ああ。元は仁清の港でヤクザ絡みの仕事をしてたらしい、つっても集団密航船の下働きとか、そういう類のケチな仕事だったらしいが」

「となると、正式な構成員ではなかったわけですか」

「違うだろうな。それに日本のヤクザはおいそれと外国人にバッヂをくれてやったりはしねえ…ただまあ、力のある狐魂ってのは利用できるとでも考えたんだろう、事務所を畳んでレツに合流する前後のタイミングで引っ張り込んで、いまは上層エリアの日本語学校に通わせてるらしい。ミツアイの人間が後見人だと地元のバイク小僧どもが言ってた」

「そうなると、チバシティにある日本語学校を片っ端から当たってみる必要がありそうですね」ハクロウが言った。「いちおうミツアイのほうにもそれとなく探りは入れてみますが」

「危険では?」JJが聞く。

「危険のないようにやりますよ、モチロン」ハクロウが不敵な笑みを浮かべた。「この時世、大企業はアンタッチャブル(手出し無用)だなんてまことしやかに言われてますけどね。我々としては、それじゃあ仕事にならんのですよ」

 あっさりとそう言ってのけるハクロウ、そんな彼の言動にこれといったリアクションを取らないサチコとミレグラの反応を見て、JJはハクロウに対する評価をすこし改める必要があるかな、と思った。

 見た目通りの昼行灯ではなさそうだ。

「そうなると、今後はどう動くことになりますか?」ゴミ箱を探しながらJJが言う。

「ひとまずサチコ氏とJJ氏にはチバシティ上層エリア内の日本語学校を総当りで調べてもらうことになりますね。ああいう施設の狐魂受け入れ態勢というのがどうなっているか、我々は把握していませんし」とハクロウ。

「直接訪問する必要がありますかね?」

「電話だけでは正確な情報を得られない可能性もあります。隠し事をしているわけじゃなくても、たんに面倒臭いという理由で適当にはぐらかされることはありますからね。ただ、わざわざ足を運んで訪れた相手をぞんざいに扱えるような逸材はそう多くありません」

「刑事を相手にウソをつけるようなやつもね」サチコが付け加える。「一度調べたはずのところに真実が転がってた、なんてことは、なるべく避けたいし」

「なるほど」馬鹿正直に頷くJJ。

 以前はFBIエージェントとしてのプライドもあり、素直に感心を示すことはなかったが、ことここに至って見栄を張るような真似はとうに諦めていた。

 JJはFBIにスカウトされてからというもの、麻薬組織撲滅のために型破りな捜査ばかりしてきた。

 治安の悪いノガレス、いつどこから銃弾が飛んでくるかもわからない状況で適法性など考えてはいられない。それにアメリカ「国外」でのそうした活動に、細かい詮索が入ることはまずない。

 稀に監察官や内務調査の手が入ることはあっても、大抵はJJを擁するチームの動きを容認しておきたい上層部の計らいで横槍や邪魔が入り、絶対に追求の手が伸びることはなかった。危ない局面は幾つかあったにせよ。

 FBIに入る前は警察官だったが、JJは刑事ではなかった。

 警察官時代にやったことといえばパトロールや事務仕事などのお定まりのものばかりで、犯罪捜査などに携わったことは一度もない。

 しかしながらJJは勘が良く、目端が利き、ストリートの事情に詳しかった。FBIがJJに目を留めたのは、彼が地元の犯罪組織に詳しかったから…ではなく、命令がなくともそのような動きができる器量を買われたのだ。

 もともと射撃の腕は良かったが、警察官時代は実際に人に向けて発砲することはなかった。ただ紙の標的を上手く撃てるだけの腕前でしかなかったが、SWAT訓練を受け、突入作戦で迷いなく犯人を射殺したとき、彼は国家お抱えの「殺し屋」としての才覚を見出されたのである。

 JJはいままでの自分の人生に疑問を抱いたことはない。いや、正確に言えば、今でも疑問を感じているわけではない。犯罪組織の構成員を地獄に叩き込む日々、反省はないし、辛かったと思うこともない。ただ、自分は与えられた義務をまっとうした…いや、その認識すら正確なものではない。

 あの当時、自分にできることをやった。それだけのことだ。

 今やっていることもそう、自分にできることをするだけ、するべきだ…この段階になって、JJはようやくそのように考えることができるようになった。

 自分の半分くらいの背丈しかない相棒、見た目はともかく中身はれっきとした刑事だ。数日行動をともにして、そのことがよく理解できた。たんに不慣れな外国人よりもアドバンテージがあるとか、そういう話ではないのだ。

 要するに、自分はお客様気分だったのだろう…そうJJは内省する。

 今後は「外国から来た研修員」としてでなく、一人の「刑事」として行動せねばなるまい。

 もっとも、それとは別に「やるべきこと」は幾つかあるのだが…

 

 

 

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 後日、サチコとJJはチバシティ上層エリアに存在する幾つかの日本語学校を回ることになった。

 掃き溜めと同意語の仁清のみならず、チバシティには外国人労働者が多い。スラムでの生活を良しとせず、まともな方法で日本への滞在することを望む移民にとって日本語学校の需要は高く、市内にあるだけでもその数は二十を下らない。

「ここ数年で急に増えたんだ」道すがらサチコはJJに説明する。「もともと外国人労働者は多かったんだけど、レツ社が本格的に拠点を構えてから市の受け入れ態勢が強化されてね」

「なぜ犯人は日本語学校へ通っていたのでしょう?」JJが疑問を口にする。

「ビザの申請のためじゃない?留学目的であれば合法的に滞在できるし、仕事もアルバイトくらいならできるしね。ただ、労働時間には制限があったと思うけど」

「ということは、ミツアイの連中は犯人を合法的に日本に滞在させたうえで何かをやらせたがっていた、というわけですか?なぜでしょう」

「さあね…好意的に解釈すれば、大企業の社員が将来有望な外国人の若者を世話してるってことになるんだろうけど」

「うぅわ、聞くだに空々しい」

「あたしも言ってて寒気がしたよ」

 ひねくれたことを言ってるようだが、民間警備会社でありレツ・グループの保安部署でもあるミツアイは特に暴力的で黒い噂が絶えない会社であり、とてもじゃないが慈善事業で教育や労働を世話するような連中ではない。

 絶対になにか裏があるはずだ。百万が一に犯罪とは無関係の潔白な理由であったにせよ、何か特別な事情が存在することは間違いない。

 とはいえ、二人が持っている手がかりといえば依然として犯人の写真だけだ。名前も、通っている学校すらもわからない…わざわざ、足を使って方々を回らねばならない理由だ。

 そりゃあ、名前もわからないでは電話での聞き込みもおぼつかないよな…と、当日になってJJは気がついたのだが、そのことを同僚に言う必要性は感じなかった。先日は間の抜けた自分に気を遣ってくれたのか、彼らも気がついていなかったのかをわざわざ確かめたものだろうか?

 頭のなかの得失点表を整理しつつ、サチコと同道して日本語学校を回っているあいだJJはずっと聞き手に徹していた。

「ひょっとしたらうちの生徒かもしれませんが、写真だけではねぇ…」

 ある学校の応接室にて、面会に応じた教務課の職員は苦々しい表情を浮かべる。

「この人物とは関係ないことでも構わないのですが、生徒間でトラブルがあったとか、あまり良くない噂を聞いたりってことはないですか?」

 幾分トーンを抑えた柔らかな口調でサチコが訊ねる。

 まるで別人というか、あからさまに猫を被っているなと思いJJは笑みを浮かべそうになったが、聞き込みの最中である手前、努めて自重した。

「あまり生徒には干渉しないことにしているんですよ」職員は嫌悪を隠そうともせず、面倒臭そうな態度でそう言い放つ。「小、中学校ならともかく、ここではたんに言葉を教えてるだけですから。日本語を教えるにしたって、生徒の大半はまともに授業なんか出ちゃおりませんし」

「空席が多い、ということですか?」とサチコ。

「ほとんどはたんに出稼ぎに来てるんですよ。留学ビザは就労ビザよりも取得が容易ですから…表向きは本国からの仕送りで賄えない生活費のためという話になってますが、実際のところ、ほとんどアルバイトそのものが目的で日本に来てるんじゃあないですか。まあ、こっちは授業料さえ払ってもらえればそれで良いわけでね」

 そう言いながら、職員は落ち着かない様子で…苛々したような目つきで応接室のテーブルを見回した。灰皿を探しているのだろう。その気持ちはよくわかる、とサチコは内心でひとりごちた。

 教師としてはあまり褒められた人物ではないが、表面を取り繕わずあけすけな物言いをするのはかえってありがたかった。

「でも、アルバイトだけで授業料と生活費を両方稼ぐのは難しいんじゃないですか?たしか労働時間の制限もありますし、えぇと、週28時間以内…だったと思いますが」怪訝な表情でサチコが訊ねる。

「国に申請できるぶんならね」職員があからさまな嘲笑を浮かべた。「ここ(チバシティ)に来て律儀に決まりを守るような生徒は、それこそ要領が悪いか、極端に人付き合いが苦手かのどちらかじゃないですかね」

「と、いいますと?」

「下層エリアに下りれば、売り上げや雇用状況をまともに申告していない店など幾らでも見つかります。まさか、おまわりさんがそのことを把握していないはずはないでしょう?」

「…コメントは控えさせていただきます」

「はっ。ともかく、そういう土壌があるおかげで、やんちゃな友達の一人でも見つけることができれば、このチバシティで外国人が働くのはそう難しいことじゃないんです。特に女子生徒なんかは、いかがわしい店で働いてることも多いんじゃあないですかね?」

 なにかを思い出したように下卑た笑いを浮かべる職員。

 JJはその鼻面に拳を叩き込んでやりたい衝動に駆られたが、この場では飼い犬のように大人しくしていようと決めていたので、そうした感情を表情には出さなかった。

 学校を出たあと、先に口を開いたのはサチコのほうだった。

「あいつ、生徒とヤッてるな」

「ハァ!?」

 平然と言い放つサチコに驚くJJ。

「たぶん夜の街を歩き慣れてるよ、あの淫行教師。おおかた生徒の弱みを握って値切るか、タダでチンポコ突っ込んでるんじゃないの。不法就労は強制送還案件だからさ」

「は、はぁ…」

「叩けば幾らでも埃が出てきそうだけど、いまは語学教師のスキャンダルを調べてる場合じゃないからねー。面白そうだから、そのうちナミ(普通警察)にでも情報を売ってやろうかな。うへへ」

「楽しそうですね」

「まぁねー。さてさて、ここでジョナサン君に質問です。女子生徒は夜の街で気張ってカラダを売り歩いてますが、それじゃあ男子生徒はどうやってお金を稼いでいるでしょうか?」

 人差し指をピッと立ててサチコが訊ねる。

 そういえば男子生徒の働き口に関してはあの職員は何も言わなかったな、と思い返しながら、JJは言った。

「…ヤクザの手先?」

「ピンポーン。まあ、おおかたそんなところだろうね」

 この場合のヤクザは組事務所のことではなく、ヤクザな連中、暗にミツアイやレツ・グループの裏家業のことを指している。

「具体的に何をやってると思います?」

「キレイどころだと、ヤクザが経営してる店の従業員。あとは詐欺や恐喝みたいなケチな犯罪の片棒を担いだり、でも一番利が良くて人気があるのはクスリだろうね。ハッパとか脱法ハーブとかも」

「売春は?ああその、自分がってんじゃなくて。いわゆるポン引きとか、ヒモと呼ばれてるやつ」

「それもあるかもね」

「それじゃあ、女子生徒たちも間接的にヤクザの世話になってるんじゃあないですか?」

「ということは?」

「ということは」JJが唸った。「ヤクザは労働力の確保に日本語学校を利用してるってことですか」

「その可能性はおおいに有り得るね」サチコが頷いた。

「ひょっとしたら、ミツアイが例の男を世話しているのは留学生に裏の仕事を斡旋するためじゃないですか」

「その通りかもしれない。でも、わざわざ狐魂を使う理由はなんだろう?」

「そりゃあ、狐魂の生徒相手にも警戒させないためじゃないですか。狐魂は人間相手には警戒が強いですけど、反面、同胞の狐魂相手にはガードが緩くなる傾向があります。そこを利用してるんじゃないですか」

「いちおうそれで説明はつくか」サチコが首を傾げて考え込んだ。「でも、なんとなく腑に落ちないな。他にも理由がある気がする」

「…その疑問には、なにか確証が?」

「ただの勘だよ」

「女の?」

「刑事の!」

 その後も何件かシティ内の日本語学校を回ったが、留置中のコンビニ強盗を知る者はいなかった。

 狐魂であること、外見の特徴、性格や思想などから一人くらいは心当たりのある教師や生徒がいて良さそうなものだったが、不思議とあの男について情報を持ち合わせている者に出会うことはなかった。不自然なほどに。

 脅されているとか、口止めされているといったふうなことはなかったが、知ってて口を閉ざしていた者は何人かいたはずだ。

 刑事に義理立てする必要はないと思っていたのか、たんに面倒臭がったのか…

 あるいはまた、日本語を勉強中の身であるがゆえ、日本語で説明するのが億劫だったのかもしれない。多少の英語ならサチコにも理解できたし、JJは英語のみならずスペイン語を流暢に話せたが、さすがにアラビア語やズールー語まではフォローしきれない。

 このまま空振りに終わるかと思われたが、最後の一件でようやく例の男の素性が判明した。

「たぶん、うちのジュリアス君ですね」

「ご存知ですか」

 突然にもたらされた朗報にサチコとJJは色めきたつが、すぐに平静さを取り戻し、次の言葉を待った。

 応対に出た職員は書類がファイルされたバインターを捲くりながら言葉を続ける。

「うちに在籍している生徒は人間と狐魂の生徒が半々という構成なのですが、ジュリアス君はわりと目立つ存在でしてね。なにか、その…特定の思想に傾倒しているようで。といっても、私は詳しいことは知らないのですが」

「教師と生徒の間で親しいやり取りというのは、あまりないのですか?」

「授業以外で接することは少ないですね。もちろん、悩みを打ち明けられれば相談に乗るくらいはしますが、生徒のほうがあまり積極的ではありませんので」

 申し訳なさそうに頭を下げる職員。

 つい先刻会った「ふしだらな」教師よりも真面目のようだな…あんなやつばかりでも困るが…と思いつつ、サチコが重ねて尋ねる。

「その、ジュリアスという生徒の保証人は誰なのかわかりますか?」

「手元にある契約書類によると、スドーという方ですね」

「スドー?」サチコは眉をひそめる。

「須藤烏丸(スドー・カラスマ)という方です。ミツアイという会社の警備部長だとか」

 ミツアイ。

 耳慣れた悪名にサチコとJJが顔を見合わせるなか、職員が淡々と言葉を続ける。

「現地の大使館にビザを発行してもらう必要がある以上、ある程度は身元の確かな人物でないと保証人として認めることはできません。そういったこともあり、保証人の方にも身分を証明できる最低限の書類を提出してもらう決まりになっているのです」

「それで、二人の間柄は…?」

「たしか知人に世話を頼まれたという話でしたが、その点に関しては、そこまで詳しくは。こちらもあくまで身元の保証のために確認を取っているだけですし、あまり詮索するような真似をしても失礼ですので」

「そうですか…」

 その後も幾つか質問をしたが、いま聞いた以上のことは何もわからなかった。

 応接室を出た二人は生徒に聞き込みをしようと思ったが、時間が遅くなっていたこともあり、すでに生徒の姿はほとんどなく成果はなかった。先に「大半の生徒が留学ビザを利用して出稼ぎに来ている」と聞いた通り、そもそも出席率があまり良くないという理由もあったが。

 霊能局へ戻る途中、JJがサチコに訊ねる。

「スドーという名に聞き覚えは?」

「ある」なにやら思案する表情でサチコが言う。「さっき聞いたとおり、ミツアイの警備部長、今は…元は、ヤクザの若頭補佐だった男だよ。血の気の多い武闘派で、組織が落ち目だった頃に勢力を伸ばしてた中華系ギャングと正面からやりあってた男さ。ただそのとき、組長が暴力事件の責任を取らされる形でムショ送りになってね」

「なぜ組織のトップが?」

「暴対法の煽りだよ。下の人間がやらかすと、その責任は全部、組織の長である組長のもとへ行く…この件でスドーは破門寸前まで追い込まれたんだけど、指を詰めてどうにか組に残ることができたってハナシ」

「なんというか、忠誠心が間違った方向へ向くタイプですね」

 かつて潜入捜査官として幾つかの麻薬組織と関わった過去を思い出し、どの組織にも一人か二人はそういう人間がいたな、とJJは反芻する。

 その多くは下っ端のまま終わるか、先走って野垂れ死ぬ末路を辿るが、スドーという男は例外だったらしい。

「事務所が解体されて、新設されたミツアイに組員が吸収されたあと、治安維持の名目で中華系ギャングの取り締まり…というか、虐殺…の陣頭指揮を執ってたのが、そのスドー。ミツアイのなかでも特に悪名高い男だね」サチコが言う。

「なんというか、鉄砲弾みたいなヤツですね」JJが唸る。

 ジュリアスという強盗、はじめはミツアイと何らかの繋がりがあるとだけ思われていたが、ここにきて意外な大物の名が出てきたことになる。

 大物といってもいち警備会社の管理職に過ぎないが、そうそう表に出てくる名前ではない。

 たんなる偶然か気紛れか、それとも裏にまだ自分たちの知らない隠れた事情が存在するのか…

 

 

 

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 後日、二人の報告を受けたハクロウはミツアイに連絡を取り事実確認を求めたが、先方からは「そのような事実はない」の一点張りであった。

 それは予想された反応だったが、いままで順調に進んでいた捜査はそこでストップしてしまう。

 あてを無くしたサチコとJJは他の可能性を検討し、スタート地点へ立ち返ることにした。

 囚人への尋問だ。

 霊能局地下の、結界でガードされた特別牢に監禁されている例のコンビニ強盗…ジュリアスという青年を取調室へ連れ出し、二人は尋問を開始した。

 護符と香による結界が張られた部屋のなか、古びた蛍光管のデスクライトの光に照らされたジュリアスの不遜な顔を見つめながら、サチコが問いかける。

「あんた、ジュリアスって名前なんだって?」

「…… …… ……」

「日本語学校に通ってるらしいじゃない。学生は勉学に励まんといかんよ?」

「弁護士を呼んでくれ」

 うつむき加減だった顔をあげ、サチコの言葉を遮るようにジュリアスが言い放つ。

 いつもの生意気な表情に、わずかな生真面目さと不安が浮かんでいる。目に見えるほど怯えているわけではなかったが、それでも普段の生意気な態度とはすこし様子が違っていた。

 サチコは煙草に火をつけると、神妙な面持ちで言葉を続ける。

「あんたね…前にも言ったけど、うちが扱ってる狐魂犯罪は、フツーの犯罪とはまったく扱いが別なの。あんたに黙秘権はないし、弁護士を呼ぶ権利もない」

「人間とは違うことを誇りにしてるキミにとって、人権は必要ないだろうし?」JJが口を挟む。

「じゃあタバコくれ」とジュリアス。

「正直に話してくれたらね」にべもなく言うサチコ。

 実際のところ、ジュリアスに人権があるかどうかの判断は難しいところだった。

 そもそもチバシティが狐魂受け入れのモデル都市に設定されたのは、狐魂に人権を与えるため…要するに、人間とまったく同じ扱いをするためであり、市民権を取得している狐魂は普通に生活している限り、法的には人間と同じように扱われる。

 ジュリアスの場合…留学目的でチバシティに滞在してはいるものの、おそらく市民権は取得しておらず、また彼が元いた国の大使館からビザを発行してもらっているはずだが、そもそもこの時点で矛盾が発生している。

 彼の故郷である南アフリカは狐魂への国籍および市民権の発行を許可しておらず、ジュリアスの身元保証人を請け負ったミツアイの幹部が何らの工作を行ったことは明白である。

 その点を考慮に入れなくとも、たとえ市民権を取得していても狐魂の起こした犯罪は(それがどんな種類のものであれ)人間の起こした通常の犯罪とは区別され、警視庁ではなく霊能局の管轄で処理される。

 要するに、たとえジュリアスが正式にチバシティの市民権を取得していようと、いまこの場において立場が好転するなどということは無いのだった。

 そのことを知ってか知らずか、ジュリアスはどことなく落ち着かない様子で尋ねる。

「いつまで俺を閉じ込めておくつもりだ?」

「どうしたもんかねぇー。じっさい、アンタみたなタイプは珍しいんだよ」とサチコ。

「なに?」

「ウチらが捕まえる狐魂ってのはさ。たいてい、人間の社会に適応できてなかったり、社会のルールを充分にわきまえてなかったり、あるいは力の加減を間違えたり…要するに、無知ゆえに意図せず法を犯す連中が大半なんだ。だから処遇が決定して勾留から外れると、狐魂は刑務所じゃなくてウチの指導更生課ってところで管理することになってる」

 その話はJJにとって初耳だったので、ジュリアスのみならずJJも強く関心を惹かれた。

 サチコが続ける。

「それが、アンタみたいに最初から悪意があって意図的に罪を犯したってなるとね…ただでさえ強盗は量刑の重い罪だし、破壊的な能力を悪用したってなると、半端な判断で娑婆に出すわけにはいかなくなるわけよ」

「なんだと!?」

「たかが強盗、とアンタは考えてるかもしれないけど、もし反抗的な態度が直らず更生の余地なしと判断されれば…最悪の場合、地下の無限牢で一生封印されて過ごすことになる」

「…… …… ……」

「あたしもそれを望んでるわけじゃないから、だから、知ってること全部話して、反省して社会復帰してくれると、余計な気を回す必要もないし、助かるんだけどな」

 やや物憂げな口調で諭すサチコ、その話がどこまで本当なのか、あるいは自白させるため脅しをかけているだけなのかJJには判断がつきかねた。

 こうした脅しをかけた場合の被疑者の反応は二つのパターンに分かれる。

 観念して協力的になるか、あるいは自暴自棄になり口を閉ざすか。

 ジュリアスは大きなため息をつくと、突然足を机のうえに投げ出し、大きな音を立てて踵を机に叩きつけた。

 尋問に際してかけられた手錠の鎖をジャラリと鳴らし、ジュリアスは鋭い目つきで下から睨みつける。

「なんでそこまでする?何のために?治安の維持か?ハッ!何の治安だ?人間の社会のためにか?やつらの理想郷を守るために狐魂を犠牲にするってわけか?犬どもめ!」

「犯罪は犯罪…と言っても、アンタは聞く耳を持たないだろうね」

 いささか疲れた表情でサチコが嘆息する。

 何が彼をここまで依怙地にさせるのだろう?そこまでして自身の身の上や、ミツアイとの関係を喋りたくない理由があるのだろうか?あるいは、たんなる意地や反抗心からだろうか。

 どちらかで言えば、サチコはこうした若者に同情的なほうだった。自分も模範的な子供ではなかったから。

 いったい彼は、どこで道を誤ったのだろう?

 生まれついての悪、純粋な悪人というのも、存在しないではない。そういう人間は、自分の中に世間一般のものとはおよそ異質な独自の行動規範を持つ。悪事を成すときも、たとえ法で罰せられる行為だとわかっていたとしても、それは、ただそれだけのこと…そういう認識しか持っていない。悪さをしているという自覚すら持たない。

 ジュリアスは違う、とサチコは思っていた。彼はワルぶっている、典型的なチンピラ、ただの拗ねた子供だ。本物の悪党には程遠い。

「余計な意地張ってると、一生を棒に振ることになるよ」

「やれるもんならやってみやがれ」

 そのとき、サチコは不意に嫌な予感を覚えた。…嫌な予感がした、そう思ったときには、ジュリアスの吐きかけた唾が頬にかかっていた。

 声をあげるでもなく、サチコはそっと頬を指でなぞる。異臭、ねばつく感触。唾ではなく、痰だった。

 まあいい、どちらもそう違いはない。拭けばすむ話だ。

 サチコの嫌な予感の正体は、その直後に現れた。

 ドガン、という衝撃音とともにジュリアスが椅子ごと床に転がる。

 あまりに一瞬の出来事で、いったい何が起きたのか、サチコはすぐに理解できなかった。

 JJがジュリアスを殴った…否、蹴ったのだ。膝を机よりも高い位置に上げ、ジュリアスの顔面を鋭く蹴り飛ばしたのだった。巨躯に似合わぬ器用な蹴りだった。

 驚くサチコの目の前でJJが二発、三発と立て続けに蹴りを見舞い、床の上で苦しそうに呻きながらジュリアスが身体を丸める。

「ゲホッ!?が、う…あぁ……っ」

 みぞおちを蹴られ、血の混じった唾液を垂らしつつ咳をするジュリアスの首根っこをJJが左手で掴み、持ち上げて壁に叩きつける。

 普段の優しくオブラートに包んだような音がなくなり、サチコの知らない、いままで会ったことのない他人のような声でJJが言い放った。

「いい加減にしておけよ、おまえ」

「けっ…刑事が、こんなことして、良い、と…思ってんのかよ……!?」

「いつまでも甘ったれてるんじゃねぇ、このチンピラが」

 左手でジュリアスの首を締めつけながら、JJがその身体を持ち上げる。ジュリアスの両足が地面から離れてバタつかせるなか、JJは空いた右手で彼の顔面を平手ではたく。

 バシン、バシン、と鋭い音をたて、JJの右手が往復するたびジュリアスの顔面は腫れ上がり、血にまみれていく。一切の加減をしていないのが見るだに明らかだった。

 それはコンビニで出会ったとき、サチコが目の当たりにしたJJの姿。

 何の躊躇もなく銃を抜き、ジュリアスの眉間を撃ち抜こうとした男の姿だった。

 やがてJJは懐のホスルターから小型拳銃を抜くと、撃鉄を起こしてジュリアスの口に銃口を突っ込んだ。

「こっちはおまえのせいでくだらない捜査につき合わされて、うんざりしてるんだよ。ここでおまえをぶっ殺して、すべて終わりにしてもいいんだぜ」

「がぁ…はっ…はぁーっ…はぁーっ……」

「どうせ内々に処理すれば表沙汰にはならずに済むんだ。特に、おまえみたいに身元の不確かなクズ相手はな…始末書を書いて、二、三ヶ月かそこいら謹慎処分を喰らえば済む話だ。それで終わりなんだよ。おまえの命の価値なんざ、その程度のもんだ。自分を買い被るのもいい加減にしろ」

 そう言って、JJは引き金にかかる指を徐々に絞っていく。

 そして…パチン、音を立てて撃鉄が落ちた。

 拳銃のグリップに、サチコの手が伸びている。デコッキングレバーを下げ、発砲可能な状態を解除したのだ。

 冷めた目でじろりと傍らの相棒を睨むJJ、対するサチコも真剣な眼差しを向けていた。

「もうやめな」

 暴力の後の静けさ。そこに響く、凛とした一声だった。

 そこに暴力への恐れも、JJへの疑念や畏怖も、まして、ジュリアスへの気遣いもなかった。ただの一つの命令、それだけを意味する、あまりにシンプルな一言。

 JJは黙って銃口をジュリアスの口から引き抜き、銃をホルスターにおさめる。

 続いて、取り繕った愛想笑い。

「やだなあ…本気で撃つはずがないじゃないですか。たんなる脅しですよ、見てわかる通り」

「そう?本気で撃ちたがってたように見えたけど」

 一度はサチコから目を逸らしたJJは、ふたたび彼女の顔を見つめる。

 サチコはJJを疑っているわけではなかった。何かを確認したがっているわけでもなかった。たんに、見たままの事実を口にしただけだった。その瞳に、若干、JJを咎めるような色を湛えて。

 そのとき、取調室の様子を別室からモニターしていたハクロウの声がスピーカから流れる。

「取調べを一度中断しましょう。少し頭を冷やしたほうが良さそうだ」

 ほどなくしてハクロウが取調室のドアを開け、入れ違いにJJが外へ出る。声をかける間もなかった。じっさい、誰にも声をかけられたくなかったのだろう。

 JJの背を見送りながら、サチコは薄明かりを放つ人魂のような物体がそっと扉から通り抜けていくのを目撃する。

 血まみれのまま、ぐったりと壁にもたれかかるジュリアスの監視を、ハクロウに続いて部屋に入ってきたミレグラに任せると、サチコはハクロウを引っ張って取調室から出た。

「いやあ、中々にワイルドな男でしたね。JJ氏」わざとらしくおどけてみせるハクロウ。

「それより、気になることが」とサチコ。

 先の出来事を「それより」の一言で流すサチコに驚きながらも、それだけの理由があることをすぐに察したハクロウは先を促した。

 サチコが言葉を続ける。

「さっき、言魂(コトダマ)が外へ出てった」

「コトダマ?まさか、あの少年が?」

 言魂とは「伝書鳩」とも呼ばれる低級分霊の一種で、念じた相手のもとへメッセージを届ける役割を持つ。

 メッセージの量は言魂に込めた霊力に比例しており、強い霊力が込められた言魂はより多くのメッセージを伝えることが可能だが、それだけ探知されやすくなり、多少の能力を持つ狐魂であれば容易に発見することが可能になる。

 言魂自体に攻撃性や防御能力はないため、霊的な攻撃により簡単に阻止されてしまうばかりか、捕えられれば発信元や送信先まで簡単に割り出されてしまう。あまり安全な情報伝達手段とは言い難く、よほど緊急を要する場合でなければまず使われることはない。

 とはいえ、そう誰もが使える技ではなく、自身の力を持て余す不良にしか見えないジュリアスがこのような小器用な真似をしたことに、サチコは若干の関心を抱いていたのである。

「フム…いま、力の道筋を辿りました。かなり微弱な反応ですね、あれでは相当少ないメッセージしか送れないでしょう。ボスケテ、とかなんとか」ハクロウがつぶやく。

「どうする、いまなら阻止できるけど」とサチコ。

「いえ、見逃しましょう。誰に送ったか気になりますし。それに、ジュリアス君に頼られた誰かが、どんな反応をするのかも興味ありますしね」

「ん、わかった」

 そう言って駆け出そうとするサチコを、ハクロウは一旦呼び止める。

「どちらへ?」

「あのお短気ナスと話してくる」

「お短…ああ、JJ氏ですか」

 それに対しては返事をせず、サチコは足早にJJのあとを追う。

 もっとも、彼はそれほど離れた場所へ行ったわけではなかった。取調室の角を曲がった先、洗面所の前に設置してあるベンチに所在なさげに腰かけているJJの姿を見つける。

 サチコは近くの自動販売機で缶コーヒーを二つ買うと、片方をJJに手渡し、ごく自然に彼の隣へ座った。目を逸らそうとする彼の顔を上目遣いで覗きこみ、温和な表情で訊ねる。

「…大丈夫?」

「…… …… ……」

「向こう(FBI)では、ずっと、ああいうふうにやってたの?それとも、ちょっと悪い癖が出ちゃった?」

「…両方、でしょうかね」

 カシュッ、音を立てて缶を開け、コーヒーを一口啜ってから、JJが重い口調でつぶやく。

「もともと、なんていうのか…気性が荒い、というか。そうでないよう、努力はしてるつもりなんですけどね。でも、こう…一度、カッとなってしまうと、おさまりがつかなくなっちゃうんですよ。後先のことなんかどうでもよくなって、とにかく、目の前の生意気なやつをぶっ潰したくなる」

「…… …… ……」

「…幻滅、したでしょうね?」

「幻滅?それって、たとえばあんたが普段、猫を被ってることとか?」

「えーと…」

 自分らしくないことをしている…そうJJは思っていた。

 自らの気性の激しい部分について他言したこと、それも嘘や誤魔化しのない素直な感情を吐露してしまったこと。

 言うなれば、それはJJの感情の弱さであり、弱点を相手に晒したことになる。少なくとも、JJ自身はそう感じている…だからこそ、いままで誰にも自分のそうした部分について、他人に告白したことはなかった。

 なぜサチコに対して素直に話してしまったのか、JJは口にした瞬間から疑問に感じていたし、それに、若干後悔もしていた。

 それ以上に戸惑いを隠せなかったのは、頬杖をつきながらJJの話を聞いていたサチコが、呆れたような、それでいて相手を…この場合はJJを…慈しむような目を向け、笑顔を浮かべていたからだ。

「さっきみたいに暴力振るって、それで、まわりに嫌われたり、疎まれたり、してきたわけだ。ジョナサン君は」

「…… …まあ」

「そういうとき、自分が他の誰より暴力的で、危険な存在に思えてしまうわけだね」

 そう言いながら、サチコは両手でJJの頬を包み、まっすぐに彼の目を見つめる。

 その所作はただひたすらに優しく、あるいは官能的ですらあった。

 近くの自動販売機が発する「ブーン」という機械音だけが耳に響くなかで、サチコはJJに言った。

「でもさ、それは、たぶん、誤解だと思う」

「誤解?」

「だってさ、誰だって、腹が立つことはあるわけじゃない?ムカつくやつがいたら、ぶっとばしてやりたいって、思うこともあるよ。あたしだってそうだもん」

「しかし…」

「あんたの場合はさ、ガタイがいいし、力もあるから、それがちょっと悪目立ちするんだよ、他の人より。そりゃあ、ちょっとばかし我慢が足りないところも、抑えがきかないところもあるかもしんないけど。でも、それってあんたが自分で考えるほど特別なことじゃないと思う」

「…… …… ……」

「それに、あんたはさっき自分で言った通り、自分の欠点を自分でわかってるわけだからさ。あんまり、深刻に気に病む必要はないんじゃないかな。あと…」

「?」

「あとは、ホラ、一緒にいるときは、あたしが見ててやるから。ヤバそうになったら、あたしがちゃんと止めてやるからさ。そこは遠慮しないでよ」

「サチコさん…」

「見た目はちっちゃいけど、あたし、こう見えてけっこう頑丈なんだ。だから、多少は気を遣わなくても大丈夫」

「…あんまり説得力がないですね」

「あんだとこのやろー」

 バシバシ、茶化されたサチコはボクシングのフォームらしきものを真似、固めた両の拳をJJの胸板に叩きつける。

 サチコは笑っていた。そのときには、JJも一緒に笑っていた。

 そのあとしばらくは互いに言葉を交わすことなく、缶コーヒーを飲みながら落ち着いた時間を過ごすサチコとJJ。すでに、二人の間に生じていたわだかまりはなくなっていた。

「ところで、取調べはどうなります?」不意にJJが口を開く。

「う~ん、ああなると相手も口を開こうとしないだろうし、アイツ、頑固というか意地張ってる部分があるみたいだし。また後日ってことになるんじゃない?」とサチコ。

「今後も、やはり我々二人が彼の取調べを担当することに?」

「ん~、たぶん、それはないと思う。たんに、色々と手を変えてやるべきだっていう方針のためだけど。ただ、またナマイキなことしたら、あのこわいおにいさんが出てくるぞって脅してやれるとは思うけどね」

「えーと、僕、反省すべきなんですよね?たぶん」

「刑事としては、模範的な行動とは言えないからねー」

「スイマセン…」

 JJは申し訳なさそうに肩をしゅんとさせる。

 大男が身体を小さく丸める様子がおかしかったのか、サチコは思わず噴き出してしまった。

 それを見てバツが悪そうな表情を見せるJJに、サチコが言う。

「あんた、あたしが痰を吐かれたんでキレたんでしょ?」

「痰!?唾じゃなくて!?あの野郎、ぶっ殺してやる…!」

「待ちなって!いいから、さっき反省したさきで一直線に問題を起こそうとするんじゃない」

 血相を変えて立ち上がるJJを制しながらサチコが言う。

 ためらいながらも再び腰を下ろすJJ、血気盛んな相棒にサチコは思わず苦笑いを浮かべた。

「…あたしのために怒ったんだ?」

「いいえ、理由もなく突発的にキレただけです」

「ほーんとに?」

「ほーんとに。誰かのために怒れるほど優しくありませんよ、僕は」

「またぁ、そうやって自分を下に見るんだから。悪いクセ」

 そう言って、サチコはぐいと顔を寄せる。

 一方で、JJは相変わらず戸惑いっぱなしだった…いままで、こんなふうに自分に接してくる者を知らなかったからだ。

 自分の荒い気性を知った者は、怖がって離れていくか、軽蔑するかのどちらかだった。

 かつての同僚、トランキライトは一見すると関心がないふうを装っていたが、どちらかといえば後者であったろう。

 おなじく共に麻薬組織壊滅のため戦ったエラスティスは、あれもまた違った意味でレアなケースではあったが、彼女の場合は特異な環境での付き合いであったから、あまり参考にはならなかった。

 自分の欠点を知ったうえで、それを肯定的に捉え、前向きな付き合いを提案するような者がいるなど、それこそ夢にも思ったことはなかった。

 このとき…JJのなかで、サチコという「一人の女性」に対する認識が変化していたのだが、それが二人の間柄に影響を及ぼすのは、もうすこし先の話である。

 

 

 

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