「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SIDE STORIES -』

- Shop Flaurein Series -

【 Sachiko - The End of Karma - 】 Part_3

 

 

 

 

 

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 二人がチバシティに戻ったときにはすでに夜半近くなっており、報告は翌日でオーケイ…ということだったので、サチコとJJは駅を出たあとにそれぞれ帰路についた。

 JJは駅から少し離れた郊外にワンルームのマンションを借りている…単身赴任者向けの物件だ…という話だったが、彼はサチコと分かれたあとに真っ直ぐそこへ向かったわけではなかった。

 そのことを確認したのは、駅で密かに二人を待ち伏せていたミレグラである。

 もとより事前に手配した新幹線の切符は時間が指定されており、二人がチバシティに戻ってくる時間を割り出して待ち伏せるのは難しいことではない。

 しばらくのあいだJJの動向を監視する、あくまでも念のため、ということだったが、いきなり動きがあったとしても驚くに値はしない。

「特別手当とかちゃんと出るんだろーな…」

 通常任務ではなく、これから暫くの間同僚となる男の腹を探るというあまり気分の良いものではない行動、しかも時間外ということで、ミレグラはあまり気乗りのしない思いだったが、それとは別に、JJの行動に関しては個人的にも気懸かりではあった。

 相手はFBIの元潜入捜査官であり、いわばその道のプロだ。

 下手をすれば即刻存在を気取られる、ということを承知しているミレグラは、あえて熱心に姿を追うようなことはしなかった。そんな必要はなかった…たとえ尾行を撒かれたとしても、JJの姿は人目を避けるにはあまりにも目立ちすぎる。

 もっとも、それはミレグラも同様だった。

 いちおう人間の姿に擬態してはいるが…人目を避けるためではなく、JJが見慣れていない姿だからだ…それでも銀髪、赤い目、長身で筋肉質のゲルマン系という見た目は、一度でも気に留まれば警戒の対象になるには充分だ。

 狐魂は人間に擬態するにしても、元の姿とかけ離れた姿に変化することはない。変化そのものを得意としていう個体でない限りは。

 懸念材料は幾らかあるにせよ、ミレグラもこういった活動に関して素人ではなかった。それは現在の仕事で学んだものではなく、東西冷戦下の東ドイツで左翼ゲリラの摘発に協力していたときに身につけたものだ。

 あの時代…ほんの些細なミスが命取りになることも珍しくはなかった。

 それに比べれば、たとえ相手がプロだろうと、そう気に病むほどのことはない、とミレグラは思った。

 もちろん、だからといって油断して良いということにはならない。

 たびたび尾行のチェックをするJJの目を掻い潜り、ミレグラは駅からそう離れていないホテルに入っていくJJの姿を確認する。要するに彼は、尾行を撒くためにぐるりと一周回ってきたということだ。

 尾行がバレたとはミレグラは考えなかった。この動きは尾行を警戒する諜報員なら当然やる、極々基本的なものだ。

 何をさておいてもまず自分が監視されていることを念頭に動く諜報要員の思考は、一般的尺度に照らし合わせればまったくパラノイアと呼んで差し支えないレベルのものだが、彼らにとってそれは「考え過ぎ」などというものではなく、生き残るために最低限やって然るべき予防措置なのだった。

 まるでスパイ映画の世界そのものだが、それが笑い事では済まされない者もいるということである。

 しかし、さて、どうするべきか、とミレグラは思案した。

 JJを追ってホテルに入る、受付に「さっき入ってきた、トレンチコートを着た大柄の男はどの階へ向かったか」などと尋ねて…それは愚策だ、とミレグラは判断する。

 相手がただのチンピラで、今回限りの追跡であればそれでも問題ないのかもしれないが、これはそうではない。

 べつに場を荒らすのが目的ではないから、要するにあのデカブツが誰と会い、何を話したかがわかれば良いわけで…そうなると、盗聴しかないな、とミレグラは思った。

 盗聴といえばこれはもう、FBIの専売特許のようなものだ。それを思うと、その皮肉さ加減にミレグラは思わず苦笑いを浮かべた。

 盗聴装置にも色々と種類がある。

 車載型の大型パラボラ・マイク。ヴァンの中に大量の電子装置を積み込み、捜査官がドーナツを食らいながら制御板をいじくる映画のような光景が見られるようなやつは、それこそJJが慣れ親しんだ装備だろう。

 霊能局にはそうした装備は配備されていないし、なにより、たとえ犯罪捜査のためであっても、日本の現行法では会話の盗聴は禁止されている(電子通信の傍受は可能だが)。それは霊能局であっても変わらない。とはいえ、人間では追求できない怪異による犯罪行為を捜査するのに盗聴が必要だと思ったことはないが。

 つまりここでJJと何者かが首相官邸爆破だとか、地下鉄に毒ガスを撒くといったプランの具体的な話を詰めていたとしても、その会話を録音したところで法廷では何の意味も成さない…証拠としては使えないということだ。

 ただミレグラは犯罪の証拠が欲しいのではなく、ちょっとした参考資料が欲しかっただけだから、外の非常階段を上がって壁に耳をつけ、JJの動きを探ると同時に、義腕に仕込まれた録音機の小型マイクのワイヤーを引っ張り出した。

 この小型マイクを窓枠に貼りつければ、相手から姿を見られることなく室内の会話を録音することができる。

 壁越しに聞こえてくる足音からJJが向かった部屋を推測しつつ、ミレグラは義腕のカバーをすこしずらし、複数並んだジャックにイヤフォンのプラグを挿す。録音するだけならここで音を聞く必要はないが、いちおう内容を確かめておく必要がある。夜のラジオ放送やカップルの他愛ない痴話喧嘩を盗聴するために危険を犯すわけにはいかない。

 幸いにも非常階段は人通りのない裏路地に面しており、公徳心溢れる一般市民に通報される心配はあまりなかった。可能性は皆無ではなかったが。

『座らないの?』

『長居をするつもりはない』

 いきなり会話が耳に飛び込んできた。

 ミレグラは神経を聴覚に集中させる。あとの素っ気無い男の返事は間違いなくJJのものだが、席を勧めたらしい人物の声は女のものだった。あまり女らしい声とは言えなかったが。

 それは声変わりする前の少年のように中性的な声だったが、JJが夜中にティーンエイジャーに会いに来たとは思えない。

 それにしても、JJの声音のなんと不機嫌そうなことか。

 どうにも友人に会いに来たという雰囲気ではない。恋人同士の逢引きというわけでもなさそうだ。

『何をそう不満そうにしているんだ?』

『率直に言って』JJの冷たい声がイヤフォン越しにミレグラの耳に突き刺さる。『仕事とはいえまた君と関わる破目になるとは、不愉快極まる』

『それはこちらも御同様なのだけれど。メキシコでの君の身勝手な一件のせいで、私もだいぶ冷えた料理を喰わされる破目になったから』

『僕は正しいと思ったことをやったまでだ。相手が犯罪者だからといって、好きなように利用した挙句、価値がなくなったと判断したら早々(さっさ)と処分して良いということにはならない』

『そのために同僚を閑職送りにしたことについては何の疑問もないわけだ。まあ、いいけど…今度の仕事でも似たような真似をやらかさないことを祈るよ。それじゃあ、本題に入ろうか』

 どうやらJJが会話している相手はFBIの同僚のようだ。

 おそらくは連絡員…今回の研修に関連して派遣されてきたのだろうが、帰国後の報告を待たずにわざわざホテルを取るとは…それも、こちら(霊能局)に存在を知らせずに…いったいどんな事情があるのだろう?

 やがてJJが霊能局で会った面々の印象と、今日のサチコとの京都行きについて話をはじめる。霊能局への報告は明日行われるはずだが、今話している内容と食い違いがないか、また、おそらく幾つかはFBIへの報告を口止めされる事項もあるだろうから、そういった点については注意を傾ける必要がある。

 いまのところJJはサチコとの出張を仔細余さず、それでいて簡潔に口述していた。

 狐魂街の存在については言うに及ばず。

『なるほど。この国の連中は、まだ我々に隠していることがあるということか』

『知らせるほどのことでもないと思ったのじゃないかな。便器の汚れ具合とか、生理の周期や何かと同じで』

『軽口が増えたんじゃないかね、JJ?まあ、君が何を余計なことを言おうと知ったことじゃないが。とりあえず、初日の成果としては上々と言っておこう。ところで』

『なにか?』

『うまく利用できそうかね?その、相棒とやら』

『まだ、なんとも。なにかね、有力な情報源を得るために女たらしの真似事をしろと?』

『必要があればね。どうしたJJ、いま私がそれほど珍しい提案をしたとは思わないが』

『いいかね、お嬢さん』JJが深いため息をつく。『ここはメキシコじゃあないし、ここの人々はメキシコで付き合っていたような連中とは違う。なんでも同じ物差しで見るもんじゃない』

『そうだな。それに、今度の相手は人間ではないしな』

 会話はそこで唐突に途切れ、不自然な沈黙があったのち、扉が開いてバタンと閉まる音がした。どうやらJJが部屋から出て行ったようだ。

 それがあまりに突然だったので勘付かれたかとミレグラは少しだけ不安になったが、すぐにそうではないと思い直した。

 実際のところ、二人はもうしばらく会話を続けるつもりだったのだろうが、あの不仲ぶりを考えると、余計な問答になるまえにさっさと退散したほうが懸命だと考えたに違いなかった。なにより、JJはすでに話すべきことはすべて相手に伝えていた。

 詳しい動機はわからないままだが…ミレグラは窓枠に貼りつけた小型マイクを外し、ゆっくりと非常階段を下りていく…どうやらFBIは霊能局の内情、というか、実態について興味があるらしいということはわかった。

 彼ら(あるいは、彼女ら)が電話や電子メールを使わず、わざわざ連絡員を直接日本へ送ってきた点については特に疑問を感じるほどのことでもない。

 重要な連絡を電話やメール…極めて傍受が容易な連絡法…で済ませた迂闊な犯罪者たちを幾度となく連邦刑務所へぶち込んできたのは、他ならぬFBIである。その「迂闊な犯罪者たち」のリストにはマフィアの幹部なども含まれる。

 すこし注意が必要だな、とミレグラは考えた。課長やブラックショットには、JJの前で出す話題の内容には気を払うよう伝えておいたほうがいいだろう。

 サチコは…どうしたものだろう?

 いまのところ課長はJJへの対策についてサチコを蚊帳の外に置いているが、それは何か考えがあってのことなのだろうか。

 まあ彼女は素直すぎるというか、考えていることが表情に出やすい性質(たち)だから、あえてJJに近いポジションへ置くことで組織との緩衝材に使おうという狙いか。おおかた、そんなところだろうとミレグラは予測をつけた。

 

 

 

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 次の日の朝礼で、JJは先日の京都行きで自分が見たものと、それに対する感想を語った。その内容は先日ミレグラが盗聴したものとほぼ同じで、ときおりサチコが口を挟んだり、ジョークめいた大袈裟な身振りさえなければ、密会のときの会話が予行演習か何かだったかのようにミレグラには感じられた。

 その日は現在チバシティの狐魂たちの間で噂になっている「黒い薬」についての調査をすることになっていた。

 実態はよくわかっておらず、新型の麻薬だとか、強壮剤だとか、鉱山から採取されるプロテインだとか、聞くだに馬鹿らしい噂ばかりだったが、薬そのものが実在するというのは確からしかった。

 わざわざ霊能局が調査に乗り出したのは、職員が閑を持て余していたからではなく、件の薬を巡ってすでに何件もの強盗や殺傷事件が発生しているからだ。

 実害が出ているとなれば、ましてそれが狐魂絡みとなれば、調べないわけにはいかない。

 それと平行して、ミレグラは例のコンビニ強盗の身元調査をすることになっていた。ただしサチコやJJよりも早く局を出なければならないと決まったわけではなかったから、ミレグラは二人が出掛けるのを見届けてから、先日の夜に盗聴した話の内容をハクロウとブラックショットに伝えた。

 録音した盗聴内容は義腕の中のマイクロチップに収められているが、わざわざ今取り出すほどのこともない。

 どのみち公には残せない「個人的な資料」なのだし、話しぶりや声質から会話の相手を割り出すほどの労力までかける必要性は感じられなかった。それに、そうした調査はかえって相手の警戒心を煽ることにもなりかねない。

 だいいち、会話相手がJJとおなじFBIの職員だとわかったからといって、それがなんだというのか。

「唯一の懸念があるとすれば、JJがFBIの意志とは別に動いていた場合ですが」とブラックショットは言った。

 フン、ミレグラは鼻で笑い、「そんなに器用な男かね」

「あるいはJJ氏ではなく、会話相手が単独で行動しているケースも考えられる」とハクロウ。「いずれにせよ、相手もプロのエージェントです。あまり深く鼻を突っ込むのはまずい。ミレグラ氏の盗聴も、じっさいはかなり危ない橋でした」

「褒めてくれないのかよ?」拗ねたようにミレグラが言う。

「手放しに賞賛はしかねます」

「チェッ、これだからよ。部下の首輪に鎖を繋いだままにしておきたかったら、褒めるか、金を払うかのどっちかにしろって言葉を知らねえんだからな、エコノミック・アニマル(ニホンジン)は」

 とはいうものの、とミレグラは自省する。かつて自分が関わった連中、鉤十字狐やシュタージが自分の功績に対し賞賛の言葉を口にしたり、特別に報奨金を与えるなどというようなことはなかったわけだが。

 

 

 

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「ちょっとは落ち着いた?」

「これ使うくらいなら投げたほうがましですよ。防弾チョッキどころか厚手のコートで止まるんじゃないですか、これ」

「あんたねぇ…」

 トレンチコートの内側に忍ばせた拳銃の具合をたしかめつつ、不平を洩らすJJにサチコは呆れ顔をした。

 私服警官用のSIG230、.32口径の八連発オートマチック。霊能局が保管している予備の火器の一つだったが、もともと威力の高い.45口径を携帯していたJJは不満を隠せない。

 事実、日本人の手にはしっくりと収まるスリムなフォルムも、大柄なJJが握るとデリンジャーのようだった。

 とはいうものの、ほかに威力の高い拳銃といえば大昔に警察官が腰にぶら下げていたスミス&ウェッソンの.45口径リボルバー(二度の世界大戦で米軍が使っていたもの)くらいしか無かったので、止む無くのチョイスであった。

「まさか、あんな骨董品がオイルを被ったまま眠っていたなんて思いもよりませんでしたよ」とJJ。

 それに対し、「あたしだって知らんかったよ。用もなく見に行くような場所じゃないし、超がつく田舎でまだ使われてるって噂だけは聞いたことあったけど、ウチにあるとは思わないもんなー」とサチコ。

 霊能局ビルを出た二人が向かうのはチバシティ上層エリア、数年前から進められている大規模な都市再開発によって急速に発展しつつあるモデル地区である。

 空を覆うように天高く伸びる高層ビル群、複雑に絡みあう高架線、なにより目立つのは複合企業体(コングロマリット)の所有する建物間を繋ぐモノレールの存在だ。このイビツで醜悪な交通網は、車が空を飛ぶほどに発達しなかった代償と冗談交じりに囁かれることが多い。

 この急激な環境の変化は過去に市の財政難と治安の悪化が深刻化したさい、突如として台頭しはじめた巨大企業レツ社がチバシティの再開発を打診してきたことによる。

 その詳細については今なお明確でない点が多く、一般的に市当局がレツ社を誘致したという見解ではあるが、2013年の市長選で対抗馬に大差をつけて当選したのが元レツ社幹部であること、その現市長があからさまにレツ社の意に沿う形で行政を仕切っていることなどから、当時の市当局とレツ社の間で何らかの裏取引があったと考える者は多い。

 現在では都市の治安維持にもレツ社が一役買っており、年々予算が縮小され能力が低下する市警察に代わって、レツ社傘下の民間警備会社ミツアイ・セキュリティが治安業務の一部を代行している。

「彼らに逮捕権は認められてないから、犯罪者と遭遇したときに出来るのは身柄の確保と警察への引き渡しまでなんだけどね」とサチコは説明する。「ただ企業保護法の適用を受けてるから、火器による武装と正当防衛の権利は認められてる。ときどき、やりすぎるんだ。あいつら」

「地元警察とは仲が悪いことでしょうね?」聞くまでもないとわかりつつ、JJが口を挟む。

「そりゃもう。自分の庭を我が物顔で歩かれるようなもんだから…まあ、市警察とミツアイの仲が悪いのは、もっと別に理由があるんだけど」

「と言いますと?」

「元ヤクザなんだよ、ミツアイって。だからやりかたが荒っぽいし、裏でいろいろ汚いこともしてるとか、黒い噂が絶えない。そもそもレツ社からして、元はヤクザのフロント企業だったって話もあるくらいでさ」

「アー、それらしい話はFBIの報告にもありました。はじめは不動産会社だったのが、ここ数年のあいだ不自然なスピードで買収工作を繰り返して巨大化したのですよね?」

「おっかしいんだよねえ。もともとチバのヤクザって、昭和の時代を引きずってるような年寄りばっかりで、シノギも金貸しだテキヤだっていう古いやりかたしか知らない連中だったんだけど。それが急に事務所を畳んだかと思うと、企業のスーツ着て汚れ仕事をやるようになったんだから」

「金の流れに不自然な点がある、というので、FBIも調査はしてるんですけどね。ただ、なにせ動きが早かったので、こちらでも全容がほとんど掴めていない次第でして」

「それでなくとも一度、資金源にでかい打撃を受けて看板を畳み掛けてた様子はあったんだけど。たしか、南米ルートで仕入れてた麻薬の取引がご破算になったとかで…」

「あっはっはっ」

 不意に笑い声をあげるJJを横目でチラと見つめ、いまなにか可笑しなことを言ったろうかとサチコは首をかしげる。

 南米ルート。

 たしか、JJが日本へ派遣される前に担当していたのは…

「えーっと?」

「そういえばメキシコで平たい顔の黄色人種を何人か撃ったような気がしますねえ」

「おまえかー!」

「こういうのって米日親善って言うんでしょうかねー」

「言わない!」

「で、おクスリが手に入らなくなって潰れかけてたヤクザ屋さんが、足を洗って真っ当なさらりまんに転身したってわけですか?」

「表向きはね。それが現市長の当選した直後あたりの話で、暴力団の排除に成功したっていうんで、市長にとっては就任早々のでかい手柄になったわけさ。たしか、ニュースでも取り上げられてたけど」

「話がウマすぎますよね」

「だよねー」

 その後もここ数年のチバシティの事情について言葉を交わしながら、二人は「黒い薬」について聞き込みをするためにレツ社系列の製薬会社、病院、薬局などを回ることにした。

 レツ社系列の会社や施設に的を絞った点については特に意味はない、というより、チバシティ上層エリアに軒を連ねる施設はすべてレツ社の傘下にあるためだ。チバシティ上層エリアは事実上レツ社の企業城下町であり、その影響力は下層エリアを含むチバシティ全体に及んでいる。

 

 

 

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 一方、チバシティ下層エリア港湾部、スラム街「仁清」…

 上層エリアから締め出された者たちがひしめく下層エリアの端に存在する、日本でもっとも治安の悪い場所。密航者、不法居住者、ギャング、マフィア、あらゆる種類の悪が蠢き、警察ですら手出しができない治外法権の地。

 ここで日本語を耳にすることは滅多にない。大半は、中国語、か、広東語。最近ではスペイン語を耳にする機会も多いが、話すのはスペイン人ではなく、南米から移住してきたラティーノだ。ただしブラジル人はポルトガル語を話し、そのなかにはかつてブラジルに移住した日系人の子孫が多く含まれるため、他の南米系移住者とはルーツが明確に異なる。稀にウルドゥー語を話す者もいるが、数は決して多くない。

 英語は日本語とおなじくらい耳にする機会のない言語だ。外国人、とみてまず英語で話しかけるようなボンクラは、ここでは長生きできない。

 最近では各国語をごった混ぜにしたスラングの寄せ集めである「仁清語」とでも言うべき言葉が定着しつつあり、その暗号符牒めいた地元語のやり取りは余所者をなおいっそう困惑させ、且つ、その存在を浮き彫りにしている。

 そういう環境で事件の手がかりを掴むのは困難を極め、過去に何人の捜査官が仁清のゴミ溜めで冷たい死体となって発見されたか知れない。

 たんに知識があれば良いというものでもない。

 スラムでの活動において、余所者と見抜かれないために、身に纏う空気を環境に合わせて変えられるか…いわば、適正が求められるのである。

 その点において、ミレグラはまさに適任と言える人材だった。

 錆びついたパイプがのたくる、きつい饐えた臭いが鼻を突く汚い路地…港湾部だけあって潮風が強く、金属はあっという間に錆び、生ものは瞬く間に腐っていく。それを誰もが我関せずと放置すれば、酸鼻を極める事態になるのは目に見えて明らかだ。

 荷物なのかゴミなのかわからない鞄やビニール袋の山を避けながら、ミレグラは何か探し物をしているような仕草であちこちを見回す。

 そのうち、第二次世界大戦の頃からずっと着ているようなボロボロの小汚いボマージャケット姿の老人が話しかけてきた。

「おやおや、めんこい狐の姉ちゃん。こんな危ない場所をうろついてちゃいけねえよ」

 今日はミレグラは人間に変装をしていない。ここでは人間か、狐魂か、などという区別は大して意味を成さない。

 ミレグラは革のジャケットの内懐から一枚の写真…例のコンビニ強盗の犯人…を取り出すと、それを老人の視線の前に差し出した。

「こいつ探してんだけどさ。知らない?」

「知るも知らないも、なんで俺がそんなヤツのことを知ってなけりゃならない?そんで、もし知ってたとして、なんでアンタに教えてやんなきゃならないんだ?」

 老人は狡賢い笑みを浮かべる。

 情報が欲しいならタダってわけにはいかない…老人がそう考えているのは、テレパシー能力がなくてもわかることだ。

 ミレグラはサングラスの奥で老人を一瞥すると、目にも留まらぬ早さで写真を持っていないほうの手…金属製の軍用義手で老人の手を掴みあげ、少しだけ力を入れて捻った。それだけでも人間には大した痛みをもたらすはずだった。

「あがっ、あががががが…!!」

「教える気がないってんなら、オッサンの手から指が何本離れたがってるか教えてやってもいいんだぜ」

「し、し、知らない!そんなガキのことなんざ俺ぁ知らねーよう!」

「ざぁんねん。それじゃあ、まず人差し指からいこうか」

「ほっ本当にっ、知らないんだって!勘弁してくれよおぉ!!」

「チッ」

 ドサッ。

 ミレグラが乱暴に突き放すと、老人は仰向きに転がり、膝を震わせながらよたよたと立ち去ろうとしていた。

 追いついてさらに暴力を加えるつもりなら、そうするのは造作もないことだと教えてやろうかとミレグラは思ったが、やめておいた。やりすぎるのはよくない。

 なにもミレグラは癇癪を起こして老人にきつく当たったわけではない。たんに、これが仁清の流儀だということを証明したまでのことだ。あの老人にしたって、こんな目に遭うのは日常茶飯事のはずである。

 ああいう場面で素直に情報料を払うのは刑事か、囮捜査官くらいのものだ。

 おそらく老人は見返りを求める以上に、ミレグラが官憲の手先かどうかを見極めたかったに違いない。もしミレグラが素直に旧円札を渡したりしたら、老人は当たり障りのないことをミレグラに言ったあと、この界隈にいる全員に警報を鳴らしたことだろう。

 こういう状況で金払いの良い悪党など存在しない。

「俺は犯罪者とは違う」…そういう無意識下の超常識的発想が、ここでは命取りになる。

 大事なのは、いかに常識的でいるのを止めていられるかどうかだ、とミレグラは思う。そしてそれは、ミレグラにとっては難しいことではなかった。なぜなら彼女自身、かつては本物の悪党だったのだから。

 メンソール入りのピアニッシモに火をつけながら、ミレグラの足は自然と馴染みの店へ向かっていた。今回は寄るつもりはなかったのだが。

 夜の街(ナイトシティ)の異名を持つ仁清でも、昼に飲ませる店がないではない。

 チェィニ・ガルショクは陸(おか)に上がってきた船員のためのバーで、アンティークな見た目に反して開業したのはそう昔のことでもない。オーナーは元ロシア軍人で、二度のチェチェン行きですっかり心を病んだあとマフィアの仲間入りをし、富山湾に運ぶはずだったブツを東京湾に持ち込み、そのまま仁清に居ついた奇矯な男だ。

 バーテンはオーナーと一緒に船に乗っていたかつて助手で、名をクルイサという。彼はミレグラの正体を知っている仁清でも数少ない、いや、唯一の男だった。

 他にミレグラのことを知っている者も居ないではなかったが、クルイサ以外の者は皆ミレグラのことを探偵か、それに近い自由業者だと思っていた(あるいは、思い込まされていた)。

 カウンター席につくと、ミレグラはストリチナヤを注文し一息に飲み干す。二杯目は舐めるように少しずつ時間をかけながら、ぐるりと店内を見回した。

 平日だからか、たんに船の周期と合わなかったのか、客はほとんど入っていなかった。昨日の晩に通りで拾った女の腰を未練がましく抱いている男たちが二、三人いるか、いないかというところだ。

 バーではなく、喫茶店にたむろしているような若い連中の間では金属製の義肢が流行っていたが…驚くなかれ、サイボーグ化手術を受けるために自分で自分の手足を切断する子供もいるという…船員のあいだで流行しているのはもっぱら最新技術を駆使した生体義肢だ。

 それはブランド志向という以外に、航海に出ると金属製義肢はすぐに錆びるという単純な理由がある。耐水コーティングやステンレス鋼を使っていても、そんなのはたいした慰めにはならない。それが闇クリニックで移植したものならなおさらだ。

 たしか仁清で生体部品を扱っているのは、ウェイジとかいう西洋人のバイヤーだったはずだ。

 手広く商売をやっているらしく、どういう経路を使っているのか、レツ社の製品を直接流しているという噂もある。が、そうした捜査は霊能局にとって埒外のため、あまり突っ込んで調べてはいない。

 ともかく、ここではミレグラの義手はたいして目立たない。ギャングにしては年かさだったが、通用しないというほどでもない。少なくとも、見た目に関して言えば。

 古いレコード・プレイヤーから流れるデイヴ・ヴァン・ロンクがだいぶ耳に馴染んだころ、クルイサがミレグラに話しかけてきた。

「今日は何の用だい?」

「用がなくちゃいけないかよ?」

「とんでもない」悪戯っぽく笑うミレグラに、クルイサは少々大袈裟におどけてみせる。「大歓迎ですとも、マダム」

「こいつ、このへんで見てねぇかな」

 冗談もそこそこに、ミレグラはさきほど路地の老人に見せたものと同じ写真をクルイサに手渡した。

「フーム、うちの客層ではないね」とクルイサ。

「居そうな場所に心当たりは?」

「そうだなあ。一匹狼でやっていけるほど賢そうには見えないし、カルテルにしては若すぎるし、船員にしては細いから、どっかのチームの一員なんだろうけど。チャイニーズかな?」

「さあ。連中、まだこのへんにいるのかい」

「どっかにヤサがあるとは思うけど。昔はチバのヤクザも随分と舐められてたけど、ミツアイになって一斉制圧をやってからは幇の連中もだいぶ離散したらしいからなあ」

 かつてチバ一帯を仕切っていた中華系暴走族は、その凶暴さと見境の無さから、暴力団からも恐れられるほどの勢いを持っていた。常に刃物を持ち歩くのはどの暴走族でもやっているが、「幇」と呼ばれる彼らが他の暴走族と違うのは、それを実際に使うことである。いとも容易く、誰に対しても。

 暴力団幹部が襲撃を受けたことも一度や二度ではなく、暴力団を差し置いてみかじめ料の徴収や売春、違法賭博などのビジネスにも手を染めていたことから、実質上のチバ裏社会の支配者と見做されていた。

 しかしチバを根城としていた暴力団がレツ社に吸収され、ミツアイ・セキュリティとして治安業務に携わるようになってから事態は急転した。

 かつての意趣返しとでも言うかのようにミツアイは幇の犯罪を厳しく取り締まり、抵抗を受けるとマシンガンで反撃し容赦なく皆殺しにした。企業保護法による武装の合法化、火器使用による正当防衛。幇の凶暴さがここにきて裏目に出る形となった。

 まして仁清は市警察が手を出すことのない空白地帯である。ミツアイの過激な行動を止める者はいなかった。

 誰も表立ってそうは言わないが、事実上、仁清はミツアイの、レツ社の支配下にあり、一説によるとレツ社の台頭はすべて仁清を支配し裏社会をコントロールするための施策であったという見方もあるようだが、さすがにそれは穿った見方だろうとミレグラは思っていた。

「あれ以来、幇の連中が復讐の機会を窺ってるっていう噂が絶えなくてさ。そのうち、本土の連中がライフルだの戦車だのを持って海を渡ってくるんじゃないかって話があちこちから聞こえてくるよ」とクルイサが言った。

「そうなったら第三次世界大戦だな」ストリチナヤを舐めながら、ミレグラが失笑する。

「おかしいのは」クルイサがつられて苦笑いした。「そんな駄法螺をいちばん真に受けてるのは、他ならぬミツアイだってことさ。入港記録を逐一チェックして、そのうえ海岸線の警備を強化してるってんだから、まあ、表向きは密輸入や密入国船の監視だってことなんだがね。でも、それをやってるのは当のミツアイなんだから、これがジョーク以外のなんだってんだね、ええ?」

「ハッ、そんなの今にはじまったことじゃねえだろうよ」

「それで、その写真のガキは何をやったんだい」

「タタキ」

「銀行?」

「コンビニ」

「そんな雑魚を調べるためにこんなところまで?」

「だからよ、ただの雑魚だっていう証拠が欲しいのよ。こっちじゃ身元が割れねぇンだ、いけ好かねえ」

「密入国者?ああ、どうりで」

「イマドキこういう連中が集ってそうな場所、知らねーかな?」

「俺としちゃあ、ああいう連中とはお近づきになりたくないわけでな。うちの客も同じさ」クルイサがため息をついた。「客が普段、船で何を運んでるかは知らんよ?魚とか、貝とか、蟹とかさ、ついでにパンツの中にヤクとかハジキとか隠して、それで小遣い稼いで女といいコトできりゃあそれでいいって連中は、わざわざ喧嘩好きのガキどもとツルんだりはしないもんさ」

「逆はどうだ?」

「逆?」

「嫌いな連中を避けるために、そいつらの居場所を知っておくこともあるだろうよ」

 そのミレグラの理屈が気に入ったらしく、クルイサは唐突に笑いだした。

 しばらく笑い続けたあと、クルイサはミレグラのグラスにストリチナヤのおかわりを注ごうとしたが、ミレグラはそっとグラスに手で蓋をしてそれを断った。もう長居する必要はないとわかっていたからだ。

 クルイサは言った。

「三ブロック先にハル・キージャっていうクラブがある。ここを出て西に真っ直ぐ、道に迷うことはないだろう」

 

 クルイサに多少気前の良いチップを弾んだあと(彼は「情報料」と呼ばれるものは一切受け取りたがらなかった)、ミレグラはストリチナヤのボトルを一本買って外に出た。クルイサも店のオーナーも酒販免許は持っていなかったはずだが、仁清では無免許で酒を売るなどというのは何の問題にもならない。

 酒を買ったのは、すこし粘る必要があったからだった…悪戯好きの少年が店で騒ぐにはまだすこし早い時間だった。その推測は一度店の前を素通りしたとき、駐輪場に空きが多かったことで確信に変わった。

 ミレグラはすこし近くを歩き、核戦争に耐えたようなぼろいアパートメントビルを見つけると、まるでそこの住人ででもあるかのように自然な足取りで入っていった。

 まともな人間ならロビーに入った時点で踵を返すような悪臭が鼻を突く。クラックの煙が蔓延し、血と精液の匂いが漂っている。それらは床だけでなく壁や天井からも放たれているようで、まるで建物全体に染みついているような気さえする。

 軍用ブーツでガラスパイプを踏み砕き、焦点の定まらないジャンキーの視線を無視しながら、ミレグラはいまにも底が抜けそうな階段を上がっていった。

 部屋の扉はどれも外されているか壊れており、プライバシーが保たれている場所は一つとしてなかった。

 やがてミレグラは適当な部屋…雪のように積もった塵に浮かんだ足跡があまり向かっていないところ…を選ぶと、ふらりと中に入り、静かに眠っていたり身を隠している者がいないことを確認し、割れたガラスの破片に渇いた血がこびりついている窓際まで歩いてどっかりと腰を落ち着けた。

 とっくの昔に持ち主が手放すか死ぬかして、買い手もつかず解体もされずに時間が経ち、やがて一般に無料開放されてチンピラのねぐらかヤクの取引現場に使われる…そういう建物は仁清では珍しくない。

 そのへんのごろつきが軒を借りられるのに、ミレグラがこの場所を使ってはまずいという決まりはなかった。もちろん、法律を別にすればの話だが。

 ガキどもが盛り場で騒ぎはじめるのは早くても夕方からだ。

 それは彼らの大半がスラムで育ち、まともな学校教育を受けず国籍も持たない浮浪児だからではなく、日の出ているあいだは折り目正しい制服を着て学校に通い、親や両親には愛想笑いを浮かべながら、夜になるとバイクを駆って鉄パイプで浮浪者をぶっ叩く「まっとうな良家の子女」だからである。

 企業に勤めるさらりまんは、夜中に帰宅したとき可愛い我が子が家を空けていると「また夜遊びか、仕方のないやつだ」などと言ってため息をつくのだろう。だが、その点について真面目に考えることはないはずだ。

 誰しも、自分の子供が不良だなどとは思いたくないはずである。たんに友達の家に泊まっているとか、ちょっと話が長引いたとか…じっさい、子供にはそう誤魔化されているのだろうが…なにも治安の悪いゴミ溜めのような場所でアルコールとドラッグをやってハイになり、スポーツ感覚で壊したり殺すことを楽しんでいるなどとは考えもしないはずである。

 それに万が一、子供たちがとんでもない間違いを犯したとき…彼らは子供を庇うだろう。しかるべき場所に話を持ち込み、適切な相手に金を払い、子供が踏んだクソを誰かに肩代わりさせるのだ。「二度とこんなことをやってはいけないよ、いいね?」とかなんとか言って。

 そういうことは新聞には載らないし、報道もされない。そんなことを記事に書いても誰の関心も惹かないし、誰も得をしない。

 やがてヤンチャな子供たちもパリッとした背広を着て企業に奉仕するようになり、その昔ちょっとした悪さをしていたことなどすっかり忘れてしまうことだろう。やがて彼らも結婚して子をもうけ、その子供もまた…

 たいしたサイクルだ、とミレグラは思う。彼女にしてみれば、前科のない真っ当なさらりまんがある日突然、凶悪な犯罪行為に走ったり、企業の幹部が裏社会の大物とドラッグパーティーを開くなどというのは、意外なことでもなんでもなかった。

 もともとすべては繋がっているのだ。ただ、誰も見ようとしないだけで。

 自分はそういう悪とは関係がない、自分の身の回りで起きることも、自分が起こすことも金輪際有り得ない、どこか遠いファンタジーな世界の出来事で…そう思うのは簡単だ。ただ、それは真っ当に現実を見ているとは言えない。

 チバシティ、表と裏の顔を持つ街。

 きらびやかな上層エリアと、鏡写しのように退廃した下層エリア、両者は黒と白のようにきっちり分かれている…表面的にはそう見えることだろう。

 とんでもない、とミレグラはストリチナヤに口をつけながら思った。黒と白どころではない、チバシティは全体が混じりあい、溶けあってできた巨大な灰色のかたまりなのだ。分離して見えるのは、上澄みが光の屈折でそう見せかけているというだけのことだ。

 意外にも、仁清でお嬢様や坊やたちが危害を加えられることはまずない。

 なんといったって、どこからともなく金を持ってきては派手に使ってくれる上得意客なのだ。飼わずに殺すなど以ての外だった。それに金持ちのお子様たちは、その親や教師が考えているよりもはるかにスラムでの処世術を身につけている。

 窓の外から射す西陽が目障りになりはじめたあたりで、一台、また一台とバイクが駐輪場に集まりはじめた。

 なかには遠目からもわかるほどみすぼらしい盗難車もあったが、だいたいはピカピカの新車に改造パーツを組み込んだシロモノで、なかには本職のレーサーでさえ色をなくすような「カッ飛んだ」マシンもあるに違いない。

 もうすこし待とう、とミレグラは思った。

 連中がほどよく温まってからのほうが、こちらも話がしやすい。

 しかし何事も万事予定通りというわけにはいかないようで、ミレグラがもう少しで部屋を出ようと考えたそのとき、複数の足音が階段を上ってくるのが彼女の耳に届いた。

 まだ二割ほど残っているストリチナヤのボトルの首を握り、ミレグラはゆっくりと扉のない玄関から身を乗り出す。

 階段には鉄パイプや錆びかけたナイフを握ったチンピラ数人が列をなして立っていた。その先頭に立っている男にミレグラは見覚えがあった。

 路地で手を捻りあげた浮浪者だ。

「ジジイ、なんか用か」チンピラたちを見下ろしながら不遜な態度で言い放つミレグラ。

「へっへっ、さっきの…礼が言いたくてよう。俺のダチも、こうして一緒に感謝してくれるっていうからよう」

 浮浪者は相変わらず卑屈な笑みを浮かべていたが、その目にはいま殺意が宿っている。

 見るからに危険な状況だったが、多少酔っていたこともあってか、ミレグラは特に恐怖心を覚えることはなかった。

「そういうことならマシンガンでも持ってこいよ、貧乏人ども」とミレグラ。

「あんまり派手なのはいけねぇよ。葬式ってのはもっとこう、慎ましくやるもんだ。違うかね?」

「あたいは派手なのが好きでね。葬式を挙げるときには大砲が弔砲をぶっ放すことになってる」

 そう言ったとき、ふとミレグラの脳裏に70年前の光景が蘇った。PaK43、88mm砲。あれなら自分の葬式に丁度良い。もっとも、そんなつもりで言ったわけではなかったのだが。

 含みのありそうなミレグラの言葉に浮浪者はきょとんとしていたが、すぐにそんなことを気にする必要はないことに思い至ると、彼女が煙草に火をつけるのとほぼ同じタイミングで階段を駆け上がり、手にしていた鉄パイプを振り下ろした。

 その一撃を避けると同時にミレグラは煙草を相手の顔に向けて吐きつける。

 慌てて煙草を振り払う男を尻目にミレグラは二、三段ほど階段を駆け上がると、瓶に残っていたストリチナヤをすべて口に含み、ライターに火をつけた。直後、口の中に溜めていたアルコール度数40%の液体を霧状に噴き出す。

 ゴウッ!!

「う、うわっ!!??」

 ミレグラの吹いた即席の火炎放射に浮浪者たちはおののき、その隙を突いてミレグラは先頭の男に飛び蹴りを食らわせる。仰向けに倒れた男に巻き込まれるようにして、浮浪者たちはみな踊り場へと転がり落ちていった。

 さらに間髪入れず、ミレグラは手を…機械ではない、生身の左手を突き出し、階段に手をついた。

 ボッ、煮えたぎるマグマのような音とともにミレグラの左手が発光し、階段が古い砂糖菓子のようにぼろぼろと崩れていく!

 破壊の手…触れただけであらゆる物質を破壊することのできる、ミレグラの能力。

「おおおおおおおおおっ!?」

 浮浪者たちは碌な受け身の態勢も取れぬまま階下に落下し、ある者は腰を強打し、またある者は吹き抜けから最下層まで真っ逆さまに落ちて気を失う。

 もちろんミレグラはそんな無様をすることもなく、宙で一回転してから綺麗に着地すると、自分のほかに無事な者がいないことを確かめた。

「フン」

 とどめを刺してやるほどの、あるいは助けを呼んでやるほどの連中でもあるまい。救急車を呼んだところで、どうせこいつらには治療費など払えやしないのだ。

 ミレグラはジャケットの襟を正して塵を手で払うと、浮浪者たちを置き去りにして建物を出た。

 通りを出たときに若者の一人がミレグラのほうを見たが、すぐに視線を逸らせた。関わり合いになりたくない、というよりは、たんに関心を失っただけだろう。このあたりで喧嘩は珍しいものではない。

 クルイサの言っていた、ハル・キージャというクラブに入ろうとしたとき、ミレグラは入り口の看板に「付け足し」がされていることに気がついた。

 ナイトクラブ、の前の部分に、ミッド、と洒落たネオン看板が溶接されている。

 ミッドナイトクラブ、不健全な深夜のお楽しみ。アルコール、ドラッグ、セックス。なるほど、この界隈には似合いだとミレグラは思う。

 おそらくは客の誰かが勝手に足したものだろうが、そのまま放置されているところを見ると、オーナーも気に入っているのだろう。勿論そうと限ったわけではないが、ミレグラにはなんとなくそんな風に感じられた。

 入り口のドアが開くと同時に、音圧とも言うべき凄まじい音響が暖房の熱風のように吹き込み、まるで別世界へ続く扉を開けてしまったかのような錯覚に陥る。とはいえ、その表現はあながち間違いでもないのかもしれなかった。

 高価な音響システムから響く重低音のロックが建物全体を揺らし、客の鼓膜にダメージを与えるのが目的であるかのような暴力的大音量で鳴り響いている。建物の外にいたときも僅かに漏れ聞こえてはいたのだが、いざ中に入ってみてのこの音のでかさを鑑みるに、このビルは見た目よりしっかりとした防音設備を備えているらしかった。

 天井で回転するミラーボールが放つ七色の光、チカチカと明滅するレーザービームの中で、若者たちがダンスフロアで踊り狂っている。スピーカから流れる大音響に負けじと大声を張り上げている者も多く、さながら地獄の亡者めいた様相である。

 それらの様子を流し見しつつ、ミレグラはバーカウンターで気つけのブラッディマリーを注文すると、バイカージャケット姿の若者たちがたむろしているボックス席へ近づいていった。

「なんだァ?オバサン、このへんじゃ見ないツラだなあ」

 ミレグラの姿に気づいた若者の一人がソファからだらしなく肢体を垂らして首をもたげた。

 おばさんじゃねーよ…そう言い返そうとしたが、自分の実年齢を考えれば、婆あと言われないだけでもマシなのか、とミレグラは思い直す。それでも、見た目が老けていると思われるのは心外だったが。

 不良たちの中には狐魂の姿もあった。

 チバシティ上層エリアには狐魂用の学校があり、それとは別に、人間用の学校にも狐魂の受け入れ枠がある。狐魂との共存を目指す世界初のモデル都市は伊達ではないのだ。主要出資者にレツ社が名を連ねていることは言うまでもない。

 その結果が狐魂若年世代の不良化というのは、狐魂を支援する者たちにしてみれば良い顔(ツラ)の皮だが、無論、ここでささくれた青春を謳歌する者たちは全体の一部に過ぎない。

 彼らに敵愾心を抱かせないよう注意しつつ、ミレグラは話を切り出した。

「なに飲んでんだよ?」

「コークハイぃ」

「なんだ、ガキの飲みモンじゃねーか」

「うっせーな、放っといてくれよ」

 ふてくされるバイク少年たち、そんな彼らに笑みを向けながら、ミレグラは指をパチリと鳴らして店員の注意を惹きつける。

 そのアクションに気づいた店員に旧円紙幣の束を握らせ、ミレグラは言った。

「こいつらにもう一杯、同じヤツ作ってやって」

「おっ、優しーい」

 くどいようだが、警察関係者だと怪しまれたくなければ、警官が絶対にやらないようなことをすればいい。

 たとえば、そう、子供に酒を奢ってやるというようなことを。

 とはいうものの、ただの親切を装うだけでは逆効果だ。どこの世界に、バイク狂いのガキどもにタダで酒を飲ませてやる酔狂者がいるというのだ?

 気を良くした不良仲間のうち、リーダー格と思われる青年が見せかけの愛想笑いを浮かべてミレグラに言った。

「ここには、あんまり大人は来ないんだけどね。お姉さん、日本語は上手いけど日本人じゃないでしょ?船から下りたばっかりで道に迷った?」

「アタイが船員に見えるか?」

「うん。で、何か欲しい物があるんでしょ?だから、俺たちみたいな連中に声をかけてきたんじゃないの?」

「何があんの…と、聞きたいのは山々だけどな」

 そう言って、ミレグラは肩をすくめた。

 おそらく大麻、脱法ハーブあたりがメジャーな商品だろう。ただし、彼らの手にかかれば拳銃くらいは易々と手に入れてきそうな気配があった。ミレグラは今、それを詳しく知りたいとは思わなかったが。

 ジャケットのポケットから写真…仁清に来てすぐに浮浪者に見せたものと同じ、コンビニ強盗の狐魂が写っているものを取り出すと、ミレグラはそれをテーブルの上に放った。

「人を探してるんだけどさ。そいつのこと、誰か知らない?」

「んー?オレらのダチじゃあねーなァ」

 不良たちは順番に写真を回しながら、口々に感想を言い合う。

「で、こいつ、何かしたの」

「そいつ、アタイのダチに怪我させやがってさ。落とし前つけさせなきゃ、気、済まないんだよね」とミレグラ。

 もちろんそれは口からでまかせの嘘八百で、本当のことを言うわけにはいかないからこその苦しい言い訳だった。

 こういうときにどんな嘘をつくのが一番良いのか、ミレグラには未だにわかった試しがない。凝った作り話や、独創的なポエムよりは、シンプル且つ「ありがち」な嘘のほうが信用されやすいが、それにしたって、確実なことではない。

「エーなに、おばさんチーマーか何か?ヤクザじゃないでしょ?」

「ばっかおめー、女がヤクザになれっかよぉ。つか、ヤクザってもう絶滅したんじゃん?」と、別の不良が口を挟む。

「そうだっけ?」

 最初はミレグラの正体について疑いを抱いていた不良たちだったが、話が横道に逸れてヤクザ談義になった。

「あのなー。おめー、アレだよアレ、ほら、なんだっけ、ヤクザがレツでミツアイで」

「知らねーし。テレビでやってないし教科書にも載ってないジャン」

「教科書に載ってるわけねーだろバカヤロコノヤロ」

 そんな感じで暫くは実のない会話が続いたが、やがて不良の一人が急に素っ頓狂な声を上げて言った。

「アッ、思い出したぁ。こいつ、ミツアイの兄貴衆の世話ンなってるガイジンじゃあねーの」

「ミツアイ?」ミレグラが訊き返す。

「うん。最初はどっか外国の…アフリカかどっかの船員でさ、それも漁師じゃなくて、ヤクザが斡旋してた密航船の下働きだったかなんかで」

「あっ、おめー。なんで言っちまうのよォ」

「あれっ、まずかった?」

 例のコンビニ強盗の正体を口に出した途端、その不良は仲間たちからブーイングを受ける。

 はじめ、こいつらもあの狐魂の仲間なのではないかとミレグラは思ったが、どうもそうではないらしく…

「こういうのはなあ、もうちょっと勿体ぶるものなんだよ。そうすりゃ、あと酒の一杯か二杯くらい、気前良くしてくれたかもしんねーだろうが」

「アタイがケチだって言いてぇの?」心外だ、というふうにミレグラが呆れ顔を見せる。

 それからウェストポーチに手を伸ばし、ゼロが四つついたセピア色の旧円紙幣を束ねた分厚い札巻を何個か無造作に取り出すと、それをテーブルの上に放った。

 十年前なら目を疑うような光景だったろうが、国際的な電子マネーの普及によって法的に貨幣価値を失った旧日本円は、いまやここ仁清でしか流通していない独自貨幣となっている。

 どの国でも電子マネーの使用には正規の市民権を取得している必要があり、市民権を持たぬ者、市民権を剥奪された者はまともな市民生活を送ることができなくなる。違法操業でもない限り、すべての合法的な企業は国の定めた電子通貨のみを扱っているからだ。キャッシュ、即ち現金取引は多くの国で違法扱いである。

 これだけ急速に貨幣制度に変化が生じたのは、二十一世紀以後に台頭をはじめた多国籍企業の活動によるところが大きい。彼らはまず社内で電子マネーの普及と現金の排除を進め、やがて国や都市に働きかけてキャッシュレス政策を推進したのである。

 だいたいは現金の消滅によるコスト削減、利便性の向上を目的に、市民へは電子マネーへの切り替えによる減税などのサービスで反発を最小限に留めての移行だった。もちろん、その背後には膨大な利権が絡み、多額のリベートが動いたことは言うまでもない。

 しかしその実態、というか、本当の目的が何であったかについては未だにはっきりとわかっていない。たんに株価を操作するための工作だったとか、電子マネー管理の委託先が多国籍企業の子会社であったとか、信憑性の高いものから駄法螺に過ぎないものまで諸説ある。

 また、思惑の異なる複数の大企業が各国で同時多発的に同様の工作を行っていたことも不可解な点の一つだった。

 理由はどうあれ、数年後には紙切れになるとわかって現金を後生大事に抱える酔狂者など居なかったが。

 ここで問題になるのは、電子マネーを扱えない個人はどうやって生きていけばいいのか…市民権やビザを持たぬ不法滞在者、また多国籍企業にとって不利益となる人物や犯罪者が過激な取り締まりによって市民権を剥奪された例もある。

 市民権の喪失、それはまさにこの国で生きる権利を手放すに等しい。そうした環境に置かれたとき、どう生きればいいのか。その答えの一つが、仁清である。

 というよりも、仁清に限らず、すでに価値を失った旧貨幣を独自通貨として使っているスラムは世界各地に存在する。

 もちろんレートは従来通りとはいかず、一国、あるいは世界中で流通していた貨幣が一都市、ないし一地区でしか通用しなくなったのだから、すさまじいインフレが発生する。

 旧日本円はすでに220%のインフレを記録しており、不良に酒を奢るだけでも大量の旧一万円札が必要になる有様だ。それでも旧円は闇市場での需要がそれなりに高いため、まだしもこの程度で済んでいるというのが実情である。

 そういう事情だったから、ミレグラは仁清を歩くときに多額の(量/嵩だけは多い、という意味だが)旧円を持ち歩くようにしていた。かつて任務で押収し、霊能局の倉庫で眠っている札束から調達したのである。

 もちろん無断で持ち出したわけではない、違法通貨であるとはいえ現金は現金である。事前に申請書を通し、任務に必要と思われるぶんだけを特例として持ち出しが許可されるわけだ。本来は使途も明確にしなければならないが、なんだかんだとミレグラ(そしてハクロウ)は内訳を適当に誤魔化していた。

 だいいち、取引のたびに領収書を切ってくれるような土地柄ではない。

「もう一杯ずつ飲めるだけの金はあるだろ。ダチに感謝しとけよ、おまえら」ミレグラが言った。

「全員で一杯?」コンビニ強盗の正体について言及した不良が訊ねてくる。

「そうだよ」とミレグラ。

「教えたのは俺なんだけど…なんか、特別ボーナスとかない?」

「友達想いだってことを証明した。みんなに有り難がられる。それでいいだろ?」

「えぇ~…」

「それで、友達想いのアンチャン」不満ありありの表情を浮かべる情報提供者に、ミレグラは言った。「もうちょっと詳しく話してくんねーかな?こいつについて知ってること」

「いいけどォ。そいつ、もとはヤクザの下で密航船の下働きか何かやってたらしいんだけどさ」

「それはさっき聞いた」

「で、ヤクザがレツに吸収されたあと、密航船ビジネスから手を引いて…たかどうかは知らないけど、えーと、うん、まあ…理由はよく知らないけど、そいつ、元ヤクザのにーさんがたの厄介になってるって」

「厄介?世話を受けてるって?気に入られたのかな」

「さあ。で、いまは上で日本語学校に通ってるって」

「上…上層エリア?そいつ、身寄りのない不法滞在者だろう?」

「ミツアイの誰かが後見人だってさ。それ以上のことは知らなーい、どう、役に立った?」

「いや、あんまり」

「エエーッ!?」

 実際はかなり役に立った、どころか、いきなり有力な情報が降って沸いたようなものだが、ここで素直に感心しては相手を調子づかせる。それにこれ以上、タカられても困る。

 たいしたことない情報だった、と一蹴されて仲間にいじられる不良の姿を尻目に、ひとまず知りたいことはわかったミレグラはこれ以上余計な詮索をされないうちに店を出ることにした。

 それにしても、相手がミツアイとは…

 例の強盗事件が元ヤクザたちの命令によるものとは思えないが、力のある(脳が少しばかり足りないが)狐魂を手元に置いてあることは充分な懸念材料だった。

 とりあえずどの藪を突けばいいかはわかったわけで、一度本部へ報告に戻るべきだろう。

 

 

 

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