「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SIDE STORIES -』

- Shop Flaurein Series -

【 Sachiko - The End of Karma - 】 Part_2

 

 

 

 

 

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 翌日、サチコとJJが待ち合わせてチバシティ・ステーション発逗子行の快速電車に乗ったのは午前八時をすこし回ったあたりで、四十分ほどかけて到着した東京駅から博多行の新幹線のぞみに乗り換えたのが九時過ぎのことだった。

 (残念ながらと言うべきか)事前にハクロウが手配したチケットは指定席のもので、二時間の旅を快適にするグリーン車の利用は叶わなかった。が、まあいい、とサチコは思った。たった二時間の移動でそこまで望むのは贅沢が過ぎるというものだ。

 どちらかといえば、窮屈な座席で苦労をするのは小柄なサチコではなく、見るからにガタイの良いガイジン体型なJJのほうに違いなかったが、彼は身の不便を態度で訴えるような気配すら見せず、人間からの好奇の視線すら一向に気にしない様子で英字新聞を広げていた。ニューヨーク・タイムス。べつに珍しいものではなく、駅中のキヨスクで普通に売っていたものだ。

「日本の新聞は読まないの?」というサチコの問いに、「いちおう日本語で会話はできますが、さすがに字を読むとなると…どうもあの、カンジというやつに慣れなくて」と返答するJJ。

 なるほど26文字ですべてを表現する文化圏からの来訪者にとって、無闇に文字の種類が多い文章の理解は難儀するわけだ、とサチコはひとりごちる。

「それでも、筆記より会話のほうが得意っていうのも珍しいんじゃない?公務員が仕事で必要になった場合はなおさら」

「自主的にいろいろ勉強しましたから、テレビ番組とかでね。ニュース、ドラマ、映画、HENTAIアニメ…」

「ちょっと待った」

 すらすらと淀みなく発音するJJの口から発せられた不穏当な単語にサチコがぎょっとする。

 さりげなくとんでもない発言しやがるなー、と思いながらも、JJはすべて正直に話しているわけではないことをサチコは直感的に悟った。

 同じ口語ではあるかもしれないが、実際の日常会話と、フィクションで使われる会話文では言い回しやアクセントが若干異なる。日本のフィクションにおける会話はオーバーリアクションであることが多いので、それをそのまま日常会話に転用すると、必ず違和感が生じるはずだ。

 さらに極端な例を出せば、日本のアニメやゲームに憧れて日本語を学んだ外国人のオタクが、美少女ゲームの女性キャラそっくりの口調をそのまま真似て日本語を話すケースなどが少なからず存在する。女性語や男性語の違いを知らなかったがゆえの悲劇というやつだ。

 しかしJJの操る日本語はまったく常人の会話そのもので、演技っぽさがまったくない。

 オカマ口調の巨漢の連邦捜査官が誕生しなかっただけでも勿怪の幸いだが、彼の場合、舌が回らないカタカナ発音…自然な日本語をきちんと話せるのは独学ではなく、きちんとした講師がついていたことを意味していた。

 他国語で違和感のないイントネーションを操るのは、付け焼刃の独学では無理だ。

 チバシティは狐魂受け入れのモデル都市という性格上、他国から移住してきた(あるいは、不法入国した)狐魂が多い。霊能局捜査課の刑事の世話になるような連中はまずもって真面目に語学の勉強をするなどということがなく、どれだけ世慣れていようと、日本語ネイティヴでない者はすぐに見分けがつく。

 実地で学べば日常会話は過不足なく扱えるようになる、という楽観思考がただの妄想でしかないことをサチコはよく理解している。

 だからこそ、JJの自然な発声は驚くに値した。

「ところで、今回のキョウト行きについてですが」

 不意にJJが新聞から顔を上げ、サチコに訊ねる。

「理由を訊いても構いませんよね?」

「局長や、他の誰かから聞いてないの?」

「なんにも。最初にミレグラさんに尋ねたら、物凄い剣幕で睨まれたので、それっきりです」

「ああ」

 順序が悪かったわけだ、とサチコはひとりごちた。

 ミレグラは今回の京都旅行について「かなり」、悪い印象を持っている。その理由の大半は自分自身に責任があったにせよ、だからこそ、ミレグラは腹を立てているのだ。

 刑事としてはだいぶモノになってはきたが、山賊としての荒い気性はそうそう抜けないようである。

「魔導銃は知ってる?」

「霊能局のスタッフが携帯している、対怪異用の拳銃ですよね」

「あたし達はこれから、アンタ用の銃を作りに行くのよ。もっとも、作ってもらえるかどうかはアンタ次第だけど」

「いいんですか?僕、ただの研修生なんですが」

「研修中は霊能局捜査課の刑事として扱う、という取り決めらしいよ。他の職員と何一つ違うことなく、ってね。だから霊能局の刑事に必要な武器を与える、けど、国(ステイツ)に帰るときになったら、返却することになるんじゃないかな」

「どう感想を持つべきでしょうかね。日本の司法組織にしては臨機応変な態度と見るべきか、手間と予算の無駄遣いと見るべきか」

「新しい玩具が貰えるかもしれないっていうのに、あまり嬉しそうじゃないね」

「自分のが一番使い慣れてますから」

 そう言って、JJは新聞をおおざっぱに折り畳んで小脇に抱える瞬間、コートの下にぶら下げた凶器を軽く叩いてみせた。

 いまのJJは法的に…一時的にではあるが…正規の霊能局職員と変わらぬ権限を持つため、拳銃の携帯が許可されている。とはいっても本来、想定されているのは怪異に対処するための魔導銃のみだったが、規定には使用火器の種類については明言されていない。

 それが故意の成せる業だったのかはサチコにとって知る由もないが、少なくともJJにとっては有利に働くようだ。

「鉛の弾だけじゃ解決しないことだってあるのよ」

「それをこれから学ぶんじゃないですか」JJはそう言って微笑みつつ、「それで、ミレグラさんが不機嫌なのはどういうわけですか?ひょっとして、彼女が銃を携帯していないことに関係があったりします?」

「ミレグラが丸腰だと思うわけは?」

「僕は悪い連中と付き合いが長かったもんですから。もし相手が銃を持っていれば、どんな小さなものを目立たない場所に隠していようと発見できますよ」まるで朝食にオムレツを作るのが得意というような口調で説明するJJ、しかしその能力がなければ今まで生きてはこれなかったと言外に語っていた。「それと、作ってもらえるかどうかは僕次第、と言いましたね。人となりによっては持たせてもらえない場合もあるというわけですか。前例があるとか」

 だいたい自分の中で答えは出ているらしいJJが不適な笑みを浮かべる。

 いまこの場にミレグラがいなくてよかった、と思いながら、サチコは優等生の答え合わせにつきあうことにした。

「そう、魔導銃…そいつを作ってんのは、京都にいる偏屈な職人なんだけどね。本人をその目で見て、相手にとって最適なデザイン…デザインの意味、ニュアンス、わかる?たんに外見だけのことを言ってるんじゃないわよ。機能の調整をするんだけど、もし相手が銃を持つに相応しくないと判断した場合、職人には銃を作らない権利があるってわけ」

「それで、ミレグラさんは相応しくないと判断された?」

「本人の前では絶対に話題に出しちゃ駄目だよ。最近ようやく落ち着いたけど、休火山はいつ爆発するかわからないんだから」

「心得ておきましょう」

 明確に「イエス」と言わないサチコの思慮深さに思うところがあったのか…全面的に敬意を抱いたわけではないようだ…JJは控え目な返答をかえした。

 つまり銃職人から、元犯罪者の娘は刑事として認められなかったわけだ、とJJは思った。銃職人がただのワガママな無能でなければ、局の職員に必要な装備を提供せず、職員の機嫌を「極めて」害するような行動を取る理由があったということだ。

 たんなる感情的なトラブルという可能性もあったが、サチコがどちらを擁護も非難もしなかったところを見ると…それ自体がすでに身内に対する擁護なのだが…自分の見立ては正しいはずだ、とJJは考えた。

 なんという組織だ、とJJは内心で頭を抱える。この国では、ミスター&ミズ合理性にはたいした権利を与えられないらしい。

 「和」とかいうのを大切にするため、この国ではあらゆる職場において不和や諍いが封殺され、上司の横暴や無理難題に部下は無条件で従うという。笑顔で。劣悪な仕事環境にも関わらず。

 そうした日本の社会的風習については事前にFBIの教育係から聞いていたが、冷戦下の独裁的な共産主義国家でもあるまいし、仮にも文明国とされている国でそんな気色の悪い真似が横行しているなどとはJJにとっておよそ考え難いことだった。しかし直にこの国の現状を目の当たりにしたいま、それが子供を脅して聞かせるための御伽噺の類ではないことを認識し、軽く寒気をおぼえる。

 そもそもJJにとって、今回の日本行きは本意ではない。

 かつて南米で行っていた麻薬組織壊滅作戦の終結間際、協力者に仕立て上げた重罪犯エラスティスを勝手に国外へ逃がした責任を問われ、半ば左遷のような形でこの「特別任務」を押しつけられたのである。

 まあいい、こうなったからには考えても無駄だ、とJJは鼻を鳴らす。残る心配事といえば、今回の活動で勝手にパートナーとして押しつけられたサチコと上手くやっていけるか…上手くあしらえるか…といったところだが、その点についてはまだ判断材料に乏しかった。

 ふと視線を通路の向かい側に向けたJJは、他の客がテーブルに弁当を広げはじめたのを見て腕時計をチラと見やる。

 午前十時半。京都へはあと三十分ほどで到着する。

「お腹空きません?」

「昼前には着くから、向こうで昼食にしようって言ったでしょ?」

 半ば呆れ顔でこたえるサチコ、もちろん彼女はJJの視線が弁当に釘付けになっていることを見抜いている。

「アンタ、朝食抜いてきたの?」

「まさか。たっぷり食べてきましたよ、なにせこの、マッシヴな肉体を維持するにはカロリーが必要なのです」

 そう言ってダブルバイセップスのポーズを取るJJ、狭い車内でなにやってんだ。

「マッシヴねぇ」相変わらず呆れた表情を見せるサチコだったが、その口元にわずかな悪戯っぽい笑みを浮かべ。「大袈裟に言ってるんじゃないの?ちょっとここで脱いで見せてよ」

「はい」

「やめろ」

「エッ?」

 まったくの躊躇なしにネクタイに手をかけるJJ、慌ててそれを止めるサチコを見て「?」マークを浮かべる。

 こいつはー…ため息をつくサチコ、ちょっとからかってやろうかと思っただけなのだが、こうもストレートな反応を返されるとは。これは国民性の違いか、あくまで地の性格によるものか、それとも逆に、こっちがからかわれたのか?

「エキベン…」

「まぁーだ言ってる。どうしても弁当食べたかったら、夜にしよ?どうせ日帰りだし」

「エキベンって、とてもスケベな意味があるってこと、サチコさん知ってますか?」

「バァーーーっっ…んざぁーっけんな、オマエもー!」

「(知ってるんだ…)」

 そんなやり取りをしつつ…他の乗客たちはさぞかし迷惑だっただろう…やがて新幹線は京都に到着し、二人は駅を降りて食事ができそうな場所を探した。

 それにしても、とJJはサチコを見つめながら考える。

 この娘(娘と言ったところで、実際の年齢は知る由もないが)、どうも物怖じするということがないようだ。

 余所者、異邦人であるという点を抜きにしても、好感より先に警戒を抱かれることのほうが多いJJにとって、サチコのように慣れ慣れしく接されるのは珍しいことだ。

 エラスティスは別だったが…しかし、エラスティスとサチコでは、境遇も立場も違いすぎる。

 日本のように平和な国で過ごしてきた、法執行官。

 先日の、コンビニでの強盗への銃撃を思い出す。反射的に頭部に狙点をポイントしたJJに、サチコは警告を発した。あのタイミングで即座にあのような行動を取れること自体が、法執行官としての有能さと、強い倫理観の持ち主であることを証明している。

 しかし、だからこそ、あの場であのような行動を取ったJJに無条件で友好的に接してくるサチコの態度が不可解だった。

 そういう人なのだろうか。

 そんなことを考えるJJとは別に、サチコもまたJJについて思いを巡らせていた。

 JJがギリギリのタイミングで犯人の急所を外して撃ったのは、あれはまさに一般的な法執行官としての義務を思い出したからであろう。それはずっと荒事に身を委ねてきたJJにも、法執行官としての良心が残っていることの証明だった。

 だが、それは…職業倫理ではあったかもしれないが、通常の意味での倫理ではない。そこに他者への思いやりが入り込む余地はない。

 では人としての良心はあるのか?

 おそらくはそこが、その点が、このJJという男に対する評価の分かれ目になるだろう、とサチコは思った。

 

 

 

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 同時刻、霊能局捜査課オフィスでは課長のハクロウがミレグラとブラックショットを相手に話を聞いていた。

「昨日留置所に放り込んだやつ、すこしは大人しくなったかな?」

「ひでぇもんだ」やれやれ、とミレグラは首を振る。「一睡もせずに暴れるか、さもなきゃ演説してるかの繰り返しだよ。いちおう、檻を破ったら刑期がグッと延びると言ってやったら少しは大人しくなったけどな」

「演説…優越種である狐魂が人に代わって世界を支配すべきだとかいう?」

「ええ。組織的な動きが背後にある可能性を考慮して、いま身辺調査をしているところです」と、これはブラックショット。

 もちろん、話の種となっているのは先日のコンビニ強盗事件でJJに腕を撃ち抜かれ逮捕された犯人のことである。

 病院で弾丸を摘出したのち霊能局地下の留置所へ搬送されたのだが、怪我人であるにも関わらず始終騒ぎ立てているため、早くも他の囚人から苦情が届いていた。

 武器を使うタイプの能力者であれば所持品を取り上げれば無力化できるが、今回の犯人のように「気」を破壊的なエネルギーに変換して直接攻撃として行使できる狐魂は厄介だった。ミレグラが釘を刺したのも、そのためだ。

 もっとも霊能局の留置所は普通の警察と違い、護符と香を用いた強力な結界が張り巡らされている。

 特に破壊的なエネルギーの吸収に特化した結界なので、よほどの力の持ち主…仙人や伝説に語られるような妖狐、滅多に人里に姿を見せないような存在…でなければ、まず破られる心配はないはずだった。

「所持品に、なにか目立つようなものは?」

「特にありませんね。財布も身分証も持っていませんでした、おそらく市民権を取得していない不法滞在者でしょう。言葉にすこし訛りがありますし、大陸から流れてきた密航者かもしれません」

「住居とか、仕事は?」

「口を割りませんね。私が触れれば話は簡単なのですが…当人の許可を得ない能力の行使は捜査権を著しく逸脱しますから。犯罪捜査の証拠に使えなくなるので、なんとも」

「密航者だったら仁清だろうな」

 腕を組んだまま、ミレグラが神妙に言った。

 仁清、チバシティ港湾地区。外国人労働者がたむろし、日本人は滅多に近づかない…ほとんどの会話は外国語で交わされる…国内でも有数の治安の悪さを誇るスラムである。

 特に国が狐魂受け入れの特別法を施行してから、各国から密航者が集まり、その治安の悪さに拍車がかかったという経緯がある。いちおうチバシティ警察と霊能局の管轄内ではあったが、よほどの理由がない限り、仁清内での犯罪捜査に手をつけることはない。

 いわば治外法権のような扱いになっているのだ。

 そこには何か特別な力の働きや、知られざる理由があるのかもしれないが、だいたいは単純に危険すぎるからであった。

「写真は撮ってあるんだろ?何日か聞き込みに行ってみるぜ」とミレグラ。

「無理はしないように」ハクロウが申し訳程度の警告を発する。

 それを侮辱と取ったのかはわからないが、ミレグラはすっと目を細めると、その一言を鼻で笑い飛ばした。

 彼女はもともとが気の強い性格だが、かつてヨーロッパで山賊の頭領として組織を纏めていた過去もあり、地下社会の歩き方を心得ている。また外国人でもあるので、仁清を歩くうえで見た目や動きから不必要に怪しまれる恐れはないはずだった。

 そのことを理解しているからこそ、ハクロウも彼女を止めるようなことは言わなかったのだが。

「ああ、それと」言い忘れるといけない、というふうにハクロウが言い添えた。「あの二人が帰ってきたら、それとなくJJ氏の動きに目を光らせておいてくれませんか」

 その言葉を聞いて、ミレグラとブラックショットは肩をすくめる。

 なにかのついで、というふうにハクロウが物を言うときは、たいてい、重要であるか厄介事か、あるいはその両方なのである。

「課長は気になるのかい、あの優男のこと」とミレグラ。

「名目上は日米の親善と犯罪捜査に関する情報の共有…ということですが、おそらく、彼の派遣には何か別の理由があるはずです。我々に対して正直に話さない、ということは、秘密にする理由があるか、彼の活動が我々にとって何らかの不利益をもたらすか…いずれにせよ、看過するわけにはいきませんので」

「サチコを張りつけるだけじゃ役不足かい?あいつには話したのかい、このこと」

「いいえ。彼女にはそういう視点で彼と接させるわけにはいきません、彼女は…そういうことをやるには、優しすぎるので」

 優しいかどうかはともかく、とミレグラは思った。サチコにそんな役目を押しつけたら、すぐ顔に出て怪しまれるだろう。刑事としてはともかく、スパイの真似事をするには、考えていることがわかりやす過ぎる。

 スパイの真似事…かつて自分が実際にそういうのをやっていたこと、ハクロウは知っているのだろうか、とミレグラは考えた。かつて自分が西ドイツで連邦情報局に捕まったとき、自由の身と引き換えにバーダー・マインホフをはじめとする極左組織と接触し、内部情報の提供を強制されたことを。

 そう彼女に迫ったのは、かつて東部戦線でともに戦った「鉤十字狐」…第三帝国が秘密裏に有した幻の第39SS擲弾兵師団…の一員であり、連合軍が共有していた戦犯のリストに加えられながらも戦後巧みに姿を消した同志だった。

 終戦から三十年ものあいだ姿を消し、突如として西ドイツ諜報機関におけるアカ狩りのスペシャリストとして辣腕を振るいはじめた狐魂。その姿はゲシュタポか、ナチス親衛隊の再来として恐れられた。そのコード(呼び名)は、戦時中と変わらぬ「粛清の軍狐」。

 いや、ハクロウが知るはずはない…すべて、遠い過去の話だ。

 かつてのフィンランド義勇兵、「ノルトラントの銀狐」と呼ばれていたミレグラはそんな思い出から現実へ意識を引き戻し、ハクロウに言った。

「特別手当は出るのかよ?」

「残念、通常業務の範疇です」と、とぼけた声でハクロウ。

「ブラック!」ガッデム、とほぼ同じ発音でミレグラ。

「白いですけど」と、白い体毛のハクロウ。

「私のことですか?」と、黒…ではなく、茶褐色の体毛を持つブラックショット。

 三人は顔を見合わせたまま無言になり、しばらく誰も口を開かなかった。

 

 

 

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「サチコさん」

「なんだよ」

「ソバはなかったんじゃないですか」

「ええ?」

「めいっぱいお腹が空いてるときに、おソバはなかったんじゃないですか?」

「あーもーうるさーい!」

 道を案内するため先導するサチコに、JJが恨みがましく言葉を連ねる。

 JJにとっては駅弁を我慢してまで待ち望んだ昼食、そもそもが大食漢である彼にとって、たとえサチコおすすめの店といえど、蕎麦はあまりにもヘルシー・フードすぎた。

 もとより観光目的ではないこと、両者ともに手持ちがあまりない(人並ではあるが、気紛れに高級料亭に繰り出せるほどリッチではない)ことから、リーズナブルな値段でそれなりに美味しい店をサチコが選んだのだが、とにかく腹が減っていたJJはランチメニュー二人前を軽くたいらげたあと、こうして未だに不平を漏らしているのだった。

 二人はいま、銃職人の工房を目指して比叡山のふもとを歩いていた。

 山の中へと続く、狐魂にだけわかる目印のついた秘密の入り口がある。そこを通ると、千年以上前から天皇家によって保護されてきた狐魂たちの住処…通称「狐魂街」がある。

 呪術による攻撃の標的とされないよう正式な名前を知る者は極一部に限られ、狐魂街で生まれ育ったサチコもその正式な名前を知らない。

「なんというか、あの、トトロの森みたいですね」とJJ。

「まさにそんな感じ。たまに人間が迷い込んで、大変なことになるみたい。ふふっ、なんか御伽噺みたいだよね」そう言って微笑むサチコ。

 サチコ自身も人間が狐魂街に迷い込んできたところに遭遇したことがあるが、幸いなことに、大事に至ったことはない。

 どれだけ肝の大きな人間であろうと目前の光景を信じられずに動転してしまい、その間に簡単な催眠術をかけて森の外に放り出すだけで事は足りる。

 あとは人間のほうが勝手に夢か何かだったと思い込んでくれる。どう説明しても他人が信用するはずもない話を、事実として信じ続けるほど心臓の強い人間などそうそういない。それは狐魂の存在が公になった今でも同じことだ。

「ねぇ、なにか感じる?」

「…いえ、特に怪しい気配は」

「そう。なら良かった」

「?」

 サチコの言葉の意図を掴みかね、JJは眉をひそめる。

 なにかを探すように視線をあちこちに向け、匂いを嗅いだり、耳を澄ませたりしながら、サチコはどことなく機嫌の良さそうな顔つきで言う。

「街への入り口は狐魂にしか見つからない。けど、狐魂なら誰でも見つけられるってわけじゃないんだ」

「なるほど」JJがおどけてみせる。「余所者にはおいそれと見つからないようになってるわけですね?」

「そう」

「たとえば、海の向こうの大陸からやってきた連邦捜査官のようなやつには」

「そう」サチコが顔を上げる。「そうヘソを曲げないでよ。あとでアンタにもコツを教えてあげるからさ」

 気づくと二人は狭い路地の真ん中に立っていた。

 どことなく挑むような目つきで様子を見守るJJの前で…そんな目で見られるのはサチコにとって心外だったが…サチコは石垣に向かってパントマイムのような動作をすると、そこに桜色の薄い靄のようなものが発生し、やがて切り取られた空間の向こう側に道が続いているのが見えた。

 石垣にぽっかりと空いた空間を覗きこみながらJJが尋ねる。

「これは…ワープゲートか何かですか?」

「さあ?アタシは道の見つけかたを知ってるだけで、どうやって道を作るのかは知らないから…」

「知らない…知らされていない?」

「そんなとこだね。じゃ、行くよ」

 返事を待たず、切り取られた空間の向こう側へサチコが飛び込む。

 続けてJJも「道」を通り抜ける。日本人の体格に合わせてあるのか、巨漢のJJが通るにはすこし身体を折り曲げねばならなかった。

 窮屈な思いをしてどうにか潜り抜けると、鬱蒼と木々の生い茂る山道のど真ん中に立たされたJJは、はじめて「道」を通った者が必ずやるようにキョロキョロとあたりを見回した。

 路面のあちこりに水溜りがあり、ところどころぬかるんでいる。

「どうやらこっちでは最近雨が降ったらしいね」

 誰ともなく言うサチコにつられるように、JJはところどころ灰色の雲が混じった空を見つめた。

 京都ではここ半月ほど雨は降っていないはずだ。ここはどこなんだ?

 道幅は車一台通るのがやっとという狭さだったが、車輪が溝を掘った跡はない。狐魂街の住民は車を利用しないのだろうか。すくなくとも、車で「道」に突っ込んで人間世界と行き来しているわけではないようだ。

 しばらくすると「道」が収縮し、サチコがそれを見つけたときの様子を逆再生したように桜色の靄が霧散し、空間を切り取った跡は完全に消えて無くなってしまった。

「帰るときは、また別のを探すんですか?」とJJ。

「うん」

「ところでいまの、潜っている最中に消えたりしたらどうなるんです?」

「まだそういう例は聞いたことないけど」サチコが顎に手をあててつぶやく。「どうなると思う?挟まって出られなくなるとか、あるいは身体が真っ二つになるとか?」

「いずれにせよ、ぞっとしませんね」

「なんちゃってね。大丈夫だと思うよ、道を作ってるのは尾が九つはある大先輩だからさ。じゃあ、行こうか」

 ぬかるみに足を取られないよう気をつけながら、二人は並んで山道を歩きはじめた。

 山登りか、まるで行楽気分だな、と思いながら、JJは鬱蒼と生い茂る木々を観察した。スギやマツ、コナラといった針葉樹が目につく。良い薪や建材になりそうだ。

 こうして森の中を歩いていると、まるで昔に戻ったようだ、とJJは思った。生地である部族の集落を出てから久しい。今頃はどうなっているだろう、と無意識に思ったあたりで、JJはかぶりを振った。昔を懐かしむなど、自分らしくもない。

 街に到着したころには、空はすっかり雲が晴れて明るくなっていた。

 山を切り拓いて作られた街の建物はほとんどが木造で、一望してその全景が見渡せるのではないかと思うほど小ぢんまりとした場所だった。その光景を一目見てJJが抱いたのは、街というよりは村だな、という感想だった。茅葺き屋根の家があったらどうしようかと思ったほどだ。ラストサムライになったような気分だった。

 とはいえ、この街が見た目通りの「時代に取り残され、寂れる一方の死にかけた田舎」ではなく、あえてこうした姿を保っているのだということはJJにもわかっていた。

 近くには川があり、木材にも恵まれている。ぴかぴかの都市近代化を目指しているのでもなければ、これで充分なのだろう。

「田舎でしょ?」

「まあ」

 うんざりしているというよりは、どこか愛着があるような口調で尋ねるサチコにJJが相槌をうつ。

 珍しい場所には違いなかったが、観光に来たわけではないから、JJはそれとなくサチコに先導を促した。早く用事を済ませたいのはサチコも同じようだった。

 銃職人は名を仁傍蘭(ジン・ボウラン)といい、代々天皇家に仕えてきた銃職人だ。戦後は宮内庁の職員、特に皇宮警察用の銃の製作を手がけている。また、彼はサチコの遠縁でもあった。

 傍蘭の姿は彼の家の隣に併設された工房で簡単に見つけることができた。

 工房には様々な種類の工作機械が雑然と並んでおり、ちょっとした町工場の様相を呈している。とはいえNCマシンのような大掛かりな機材はなく、部品はすべて手作業に近い形で作られるようだ。これでは、よほど職人の腕が良くない限り、量産品に劣る品質のものしか作れないだろう。

 そう、職人の腕が良くない限りは。

「ジンさん、いるー?」

 シャッターが開いたままの工房に足を踏み入れ、サチコが奥の空間を覗き込むようにして声をあげる。

 老職人はちょうど工房の隅、外からでは影に隠れて見えづらい角のデスクに腰かけていた。黄色く変色したコーヒーカップを置き、「ああ」とか「うん」といった唸り声をあげてから、ゆっくりと立ち上がって二人のほうを向く。

「どなたかな?」

「ちょっとジンさーん、親戚の顔を忘れたの?ボケるのは早いんじゃない?」

「うん、うん」

 まるで気のない返事を寄越しながら、傍蘭は二本の指で挟んでいた煙草を消した…灰皿ではなく、コーヒーカップに突っ込んで。

 それは故意ではなかったらしく、すぐに傍蘭は眉間に深い皺を刻む。

「ああ、ちくしょう。やっちまった」

 ちくしょうと言いたいのはこっちだ、とJJは寸でのところで口に出しそうになった。

 まさか自分の命を預ける銃をこんな、いまにも小水を垂れそうなボケ老人に作らせるってことはないよな?

 カフェインのほかにニコチンやタールが混じったコーヒーに何かのフォローをすることもなく、傍蘭は肩にかけたタオルで顔を拭い、機械油で汚れた作務衣に草履をつっかけた、じつにラフな姿でこちらに向かってきた。

 こういう場所では安全靴を履いたほうがいいんじゃないか、という見当違いの心配をするJJを余所に、傍蘭はサチコのほうを見ると、胸ポケットに入れていたハイライトを一本取り出し、マッチで火をつけた。油や火薬に引火したら建物ごと吹っ飛ぶな、とJJは思った。

 ふーっと紫煙を吹き出し、なにか考え込んでいるのか、寝ているのかわからないような仕草で頭を垂れながら、傍蘭がつぶやく。

「で、こんな場所に何の用だね?」

「ジンさーん…昨日連絡したでしょ?FBIの研修生が来るから、銃を作る準備をしてくれって」と、呆れ顔でサチコ。

「あぁー…で、その、えふびぃナントカ…」

 ぎょろり、傍蘭がはじめてJJのほうを見た。

 敵意は感じなかったが、あまり気分の良い目つきではなかった。まるで法事に集まった面倒な親戚を見るような目つきだ。自分も似たような気分だったので、あんたの気持ちはよくわかる、とJJは心のなかでつぶやいた。

 ひととおり品定めするようにJJの頭からつま先まで遠慮なく眺め回してから、傍蘭が言った。

「外人かね」

「アメリカ人です」

 外人などという人種は存在しない。が、傍蘭はそんなJJの含蓄など気にも留めていないようだった。

「でー、そのアメリカの外人が俺の銃を必要としているわけだな。霊能局はいつからガイジンを雇うようになったんだ?」

「すくなくとも、彼がはじめてではないね」

 その一言を聞いて、傍蘭はしばらく押し黙った。

 おそらくサチコはミレグラのことを言ったのだろう、とJJは思い、そういえばミレグラとこの傍蘭という老人には何がしかの確執があったのではなかったか、ということに気づいた。

 くわえたままの煙草の灰が床に落ちてから、傍蘭は静かに口を開く。

「あの娘、どうだ。すこしはモノになったか」

「昔に比べたらだいぶ落ち着いたんじゃないかな」

 傍蘭が言った、あの娘、というのはミレグラのことだろう。

「そろそろまた、こっちに顔を出すように言っといてくれ。もしかすると、銃を作ってやる気になるかもしれん」

「わかった。でもいまは、こっちの若旦那の世話をしてやってくれない?」

「うむ、いいだろ。若いの、ちょいと手を見せてくれんかね」

 言われるままにJJは両の手のひらを上に向けて前に差し出し、傍蘭の様子を窺う。せっかく職人がやる気を出したというのに、変に捻くれた行動を取る理由はない。

 傍蘭は黙ったままJJの右手を取り、まるで手相を見る占い師のようにしげしげと眺め回した。

「だいぶ撃ち込んでる手だな。揉め事に慣れとるだろ?」

「まあ、多少は」

「謙遜なんかするな。そんな上っ面の言葉で、この匂いは消しゃあせん」

「匂い…火薬?」

 その一言に傍蘭は答えを返さず、ただじっとJJの目を見つめた。そのときの傍蘭の目つきは、患者の嘘を一瞬で見抜く医者と同じだった。

「まあ、太平洋で俺の同胞を殺したんでもなけりゃあ、誰を相手にヤりあおうと構わんがな」

「あなたは戦争へは?」

「行ってない。世界大戦も俺の稼業を変えることはできなかったよ、それに、俺ぁ撃つほうはあんまし得意じゃないしな。とはいえ、俺の作ったサンパチは評判良かったらしい。一つッくらい手元に残しときゃあ良かった」

 そんな話をしながら、傍蘭はコートの上からJJの肩や腕に触れる。

 まるで身体検査を受けているような気分だったが、もし本当にそうなら、傍蘭はボディチェックの腕に関しては落第だと言わざるを得ないな、とJJは思った。

「いい体してるねえ。なんかやってたの」

「いや、そんな…」

「アスリートの肉体だな。サチコは喜ぶぞ、あいつ筋肉マニアだからな」

「え?」

「おいジジイ!」サチコが顔を真っ赤にして叫ぶ。

 肩を怒らせて身体全体で抗議するサチコを無視し、傍蘭はJJの肉体の検分を終えると、最後に肩を叩いた。

「なるほど、だいたいわかった。銃はだいたい半月か、一月か…」

「完成するまでに?」

「ああ。出来たら連絡するから、そのときはまた取りに来い。郵送してもいいんだが、一生モンだからな。きちんと俺の口から説明してやらにゃ」

 一から設計を起こして製作するオーダーメイドであれば、かかりきりでも一ヶ月は決して長くはない。

 そろそろ暇するべきだろうか、と踵を返そうとしたJJに、傍蘭が思い出したように声をかける。

「ああそうだ、その脇にぶら下げてるモンを見せてもらおうか」

「!」

 ショルダーホルスターに収まっているカスタム型M1911の存在を指摘され、JJは内心ぎょっとした。

 長い間潜入捜査官として活動してきた手前、それなりに上手い銃の隠し方は心得ている。外見からそうだと見破られる可能性はなく、また先の検分からしても、銃の存在がわかるような触りかたは「していなかった」。

 だからこそJJはこの老人を過小評価したのだが、もしJJの理解が及ばないような理由で銃の存在を見破ったのだとしたら、自分の考え方を…有り得たかもしれない油断を…改める必要がある、とJJは思った。

 自分の不手際を認めるようなものだが、すこし、探りを入れてみるか。

「よく銃に気づきましたね」

「ええ?アンちゃんみたいに、いつでもエモノ抜けるようにしてるなァ、気ですぐにわかるよ、俺でなくたって。ちょいとギラギラしすぎてらぁね。ま、若さだな」

 あっけらかんと言う傍蘭に、JJは降参の意を示すように銃を渡した。

 なるほど、彼のような者に…否、自分がこれから付き合おうという連中に、自分がいままで積み重ねてきたもの、研鑽、キャリアなどは物の役に立たないわけだ、とJJは考えざるを得なかった。

 同胞たる狐魂の相手は、人間に対するものとはまったく勝手が異なるらしい。

 そういう環境で、狐魂、ひいては数多の怪異に対処するプロフェッショナルたちを相手に、自分が少しでも優位に立っているなどとは思わないことだ、とJJは自戒した。幾分、腹立たしいことではあったが。

 そんなJJの気など知らぬであろう傍蘭はやや傷の多いステンレス合金製の拳銃のグリップの具合を確かめ、弾倉を抜いてから各部のアクションを試していた。

「悪くないな。人間の仕事にしては悪くない」

 そうだろうとも…思わせぶりな言葉を口走る傍蘭に、JJはチラと一瞥を投げかけた。

 JJのカスタム銃はさる高名な銃工の手からなる逸品で、特に剛性の高い素材から削り出した精度の高いパーツを使い、丁寧な調整が施されている。

 くだんの銃工はもともと競技用銃の改造を主に手がけていたが、警察関係者に知人が多く、その伝手からJJは自身が命を預けるに足る銃の製作を依頼していたのである。

 だいたいは「特別な計らい」によって…本来であれば、予約者の多さから発注から完成までに数年かかることが珍しくない、その道では名の知れた銃工である。すでに他界して久しいが、こと拳銃のカスタマイズに関しては今なお名の褪せることない存在であった。

 悪くない、か…おそらく職人にとって、同業者に対する評価のなかでは最大の賛辞なのだろう、とJJは直感的に悟った。

 特に傍蘭のような男は、たとえ心の底から感銘を受けたとしてもそれを口に出して表現することはあるまい。

 そんなことを考えていたJJはしかし、次の傍蘭の一言に驚かされることになる。

「いい銃だな。少し借りるぞ」

「いやいやいや」

「アンちゃん、相当こいつを使い慣れとるだろ。ちょいと参考に使わせてくれても良かろうよ?使い手のクセは銃に出るからな」

「困りますよ、そう言われたって」

 丁寧な物腰に苛立ちを募らせ、JJは傍蘭を睨みつけた。

 合法的な携帯が許されている以上、JJは銃を手放す気など毛頭なかった。丸腰で歩くなど、冗談じゃない。

 そんな内心を見透かしたかのように傍蘭は上目遣いでJJを見つめると、わざとらしくため息をついて首を振った。

「おいおい、銃がないと外を出歩けないなんて言うつもりじゃなかろうな?ここが紛争地域か何かに見えるのってぇのか?それとも死んだ婆さんに、いついかなるときも銃を身につけたままでいろって遺言でも遺されたのか?」

「理由もなく身を守るための道具を手放したくないだけですよ」

「理由はあるさ、俺に自分で納得のいくような銃を作らせるためさ。それともアンちゃんよ、この国にいるあいだずっと中途半端な不良品をぶら下げていたいかね?」

「それで困るのは僕だけじゃあないと思いますが」

「それはそっちの問題だろうが。俺は知らねぇよ」

 JJは脅しをかけたつもりだったが、あっさり跳ねつけられるとは思ってもいなかったので、それに対する返答を用意できなかった。

 そうか…この老人はたんに銃の製作を委託されているだけで、仲間というわけではないのか。

 すこしばかり不穏な雰囲気になりかけたところで、サチコが二人のあいだに割って入った。

「はいはい、そのへんにしときなよ二人とも。お互いに仕事なんだってこと、忘れないよーに」

「仕事か」

 サチコに諭された二人は我に帰ったように顔を見合わせる。

 男という生き物はわりあい、この仕事という言葉に弱い。特にJJや傍蘭のような、自分の仕事にプライドやポリシーを持つ者は尚更だ。

 傍蘭がカスタム型M1911を持っていく姿を仕方なしに見送るJJ、彼を連れて工房を出ようとするサチコに、傍蘭が別れしな声をかけた。

「ところで、実家にゃあ顔を見せたのか」

「ううん。なんで?」

「たまには挨拶に行ってやんな。身内の縁ってやつを無碍にするもんじゃあない」

「えええぇぇ~…」

 ごく真っ当なことを言う傍蘭に対し、露骨に嫌そうな顔を見せるサチコ。

 家族仲が良くないのだろうか。

 その懸念を裏付けるように、サチコは居心地の悪そうな視線をJJに向けると、ぶっきらぼうに言い放った。

「アタシ、ちょっと用事があるからさ。先に帰っててくんないかな」

「と言われましてもねえ。新幹線のチケット、時間が指定されてるんでしょう?ここで別れる理由もないと思いますけどね」

「ん~…」

「別に、僕のことは置物とでも思ってくれて構わないんですよ。よほど特別な理由でもなければ」

「そういうんじゃないけどさ」

「家族のことを他人に知られたくないとか?ヤクザの事務所だったり」

「そんなんじゃないって!ただ、そのー…こじれる」

「こじれる?」

「ていうか、面倒臭いんだよ。アタシのうちって」

「はあ…」

 いまひとつ要領を得ないサチコの言葉に、JJも生返事をかえす以外のことができない。

 すでに周囲の風景にも見飽きていたJJに、肩を並べて…と言うには身長差がありすぎたが…歩いていたサチコが不意に口を開いた。

「ウチさぁ、神社なんだよね」

「ジンジャ…シントー・シュライン?」

「そう。えーと、神様を祀るお社ね。わかる?」

「ヤオヨロズという、ニッポンのアニミズムでしたっけ?おおよその概念は理解できますが、あまり詳しくは」

「だよねぇ…」

 森羅万象あらゆるものに神が宿り、それを身近なものとして生きる。祖霊信仰を根幹とする日本の神道は、おそらくキリスト教圏…一神教の物の考え方が身についているJJにとっては感覚的に理解し難いに違いない。

 日本人の多くは自身を無宗教者だと思っているが、外国人が宗教的視点から日本人の習慣を見た場合、決して宗教と無関係に生きているようには見えないだろう。

 盆や正月に代表される数々の行事、生活習慣、食事…日常と密接に関わるあまり、ことさら特別視されることのない活動のその多くは精霊信仰のためのものであり、キリスト教徒が食事の前に祈りの言葉を口にするのと変わらない…異教徒から見れば異端の宗教にしか思えない、そういう行動だ。

 宗教観の違いというのは即ち生活習慣の違いであり、倫理観の根幹に差異があるということである。

 そういう点に、いまの日本人は無自覚すぎる…と、サチコは嘆息する。

 生活習慣と精霊信仰が密接に関わり、それゆえ強い霊力で守られていた日の本の国。しかし近代化とともに神性に対する敬意は失われ、精霊行事は形骸化、どころか、存在そのものが軽視され、忘れられようとしている。

 唯物論と拝金主義に傾くあまりの霊的存在の軽視。

 もし日本人が昔の心を忘れてさえいなければ、我々狐魂が人の世に姿を現すことはなかったかもしれない…

「それで、あなたのジンジャでは何の神様を祀っているんです?」JJが尋ねる。

「これがまた厄介なヤツでね」サチコが肩をすくめてみせた。「禍々忌(マガキ)、あるいは魔餓鬼。戦場(いくさば)で志半ばに命を落とした死者の亡霊を喰らい、怨念の力を増幅させ世界を破滅させる。γの影響を強く受けた悪しき狐魂(レギオン)」

「そんな危険なものを信仰してるんですか!?邪教か何かですか」

「いや、信仰っていうか…神道の祖霊信仰っていうのは、現世(うつよ)に悪い影響を与えるものに対しても敬意を払い、悪さをしないよう鎮めるっていう意味合いもあるわけ。だから一神教の神に対する信仰とは思想が根本的に違うんだよ」

「はぁー…あ、ひょっとしてヤスクニとかも?」

「そうだね。戦没者の霊が未練から現世に良からぬ影響を与えないよう、敬意と感謝の念を捧げることで迷わないようにしてるわけ。だからよく言われるように、戦争犯罪の肯定とか、右傾化とか、そういうのはナンセンスな話なんだけど」

 実際に右翼的思考から靖国神社に祀られている霊を神聖視する者もいるが…とは、サチコは言わなかった。

「それでウチの神社は代々その禍々忌が悪しき力を振るうことのないよう封印する役割を担ってるわけ。狗錷禊(クガワラ)の姓、錷(ガ)はγを意味しているの。錷(ガンマ)を禊(みそ)ぐ、そのための契(ちぎ)りを交わした、狗(イヌ)…まあ、狐なんだけど」

 禊(みそぎ)とは神道で言うところの穢れを祓う行為を指す。代表的な行為に滝行があり、神社でお参りするときにひしゃくで手や口をすすぐのも禊の一形態である。

「ウチの神社の行事を仕切ってるのは神主…まぁ、あたしのオヤジなんだけど、その本来の目的は寄童(よりわら)たる狗錷禊の女血筋を支えるための、あくまでも補佐役。そして狗錷禊家の役目は、巫女を使って禍々忌を鎮めることなんだ」

「なんというか…聞くだに大層な話ですね」

「だべ?めんどくせーのよ。いちおう由緒ある家系だしさ」

「エート、ちょっと待ってください」こめかみを人差し指で揉みつつ、JJが口を開く。「狗錷禊の女血筋が禍々忌を鎮める、と言いましたよね。それじゃあ、あなたは?」

「昔はあたしも巫女候補だったんだけどさ。ウチでは年に一度、現世に顕在化した禍々忌を鎮める儀式があるんだけど、次代の巫女としてあたしが鎮霊の儀を任されたときに、ちょっと問題が起きてね」

「相性が悪かったとか?」

「ううん、逆。相性が良過ぎたみたいなんだ。本来なら禍々忌は巫女との…えぇと…交感を経て浄化されるんだけど、あたしとの…その…儀式のとき、禍々忌はあたしの身体を乗っ取って暴れたみたいで」

 ところどころ歯切れの悪い口調でサチコは説明する。

 そのことには気づきつつも、突っ込みを入れない形でJJが訊ねる。

「そういうことは過去にもあったんですか?あなたの前の代とか」

「ううん。もともと、禍々忌ってヤツは強力で、凶悪で、そのうえプライドが高くてね。肉の身体を借りるなんてことは、本来絶対にしないはずなんだけど。前例がなかったらしいから、対処に手間取ったって後で聞かされたよ」

「あなたは、そのときの記憶は?」

「ぜーんぜん、ない。覚えてない。とにかく非凡な性質なのは確かだけど、ウチ(狗錷禊家)の役目を考えれば、役には立たないからねえ。とにかく、狗錷禊の巫女には不適格だっていうんで、居場所がなくなっちゃってさ」

「それで刑事になったんですか?」

「実家で冷や飯食い続けるのはゴメンだったしね。オヤジには反対されたんだけど、じゃあ他に何やれってんだ!って突っぱねて飛び出しちゃったからさ。気まずいんだよなー」

 そう言って所在なさげに頭を掻くサチコを見つめながら、JJはかつて故郷での居場所をなくし旅立った自分自身の姿を彼女に重ねていた。

 ひょっとしたら、自分たちは案外、似たもの同士なのかもしれない。

 そこでまた、別のことが気になったJJはサチコに訊ねる。

「あなたが巫女でなくなったということは、いま神社に巫女として仕えているのは?」

「それは…」

 答えようとしたサチコの言葉が中断された。

 二人の目の前に現れた巨大な門。狐釓(こが)神社の入り口だ。

 話し込んでいるあいだにいつの間にか辿り着いてしまっていたらしい。鳥居を抜けた参道の脇に、箒を掃く巫女姿の女性の影が見える。

 紫に近い鮮やかな黒髪を背に垂らし、楚々とした動きで砂利を掃く姿はまさしく大和撫子といった風情だが、生地の厚い巫女服を纏っていてもなお強調される豊満なボディラインは男の目に毒だ。

 少年のようにフラットな身体つきをしている、傍らのパートナーと巫女を交互に見やり…まるで正反対だな、とJJが考えたとき、巫女がこちらの姿に気づき、口を開いた。

「あら、サチコちゃん?」

「…ねーちゃん」

「エエッ!?」

 驚きの声をあげるJJ、両者の容姿を比較し…目前の巫女は、「サチコが第二次性徴期にとんでもなくボディが発達したら」こんな風になっただろうか、という雰囲気がたしかにある。

 もっとも、当のサチコはとっくに第二次性徴期を終えているのだが。

 姉妹というよりは、母と娘、というくらいに見た目に差のある二人だった。

 巫女は小股で足早に近づいてくると、腰を屈め…近くで見ると高身長に気づく、JJよりは低いが…サチコの頭を撫ではじめた。

「まあ、サチコちゃんったら相変わらず小さいのねえ。いったい、いつになったら大人になれるのでしょう?」

「いきなり喧嘩売ってんのかねーちゃん、やめーや!」

 …母娘というか、近所のお姉さんと子供という雰囲気だな、という感想をJJは漏らす。

 マイペースというか、おっとりした性格だな、という第一印象を抱くJJの視線に気づいた巫女が、きょとんとした顔つきで見つめ返してきた。

「あのー、こちらのかたは…」

「FBIから研修に来ました、ジョナサン・ギブソンと言います。以後お見知りおきを」

「まあ、外国からいらしたんですか?これはこれは、わざわざ遠来までご足労を」

「いえいえ、まずはお近づきのしるしに」

 そう言って巫女の手をとり、ごく自然な動作でくちづけをしようとしたJJ。

 しかし…パシッ!

「あいたっ」

 JJの口が手の甲に触れる直前、巫女が手にしていた箒でJJの頭をはたいた。

「いけませんよ?」

 笑顔のまま、いたずらっ子を咎めるような口調でたしなめる巫女。

 それに対しJJも軽い気持ちで誤魔化そうとしたが、改めて巫女の顔を見たときに思わず背筋が凍りついた。

「雄(オス)の匂いがつくと、神様が御機嫌を損ねます」

「…… ……っ!!」

 ぞくっ。

 温和な表情の下から覗く、妖艶な微笑み…魔を諌めるために魔と交わり、魔を往なしてきた血統…その素顔を垣間見、身体に突き刺さるような妖しい色香をあてられたJJは、思わず一歩あとじさった。

 おそらくは、ほんの僅かに気をあてられただけのこと。それだけのはずなのに、身震いするほどの怖気を感じさせるとは…

「ちょっとねーちゃん、無闇にエロ光線使うのやめてほしいんだけど」

「あらいやだ、サチコちゃん、わたし何か粗相をしたかしら?」

「アノー…」女子二人の会話にJJが割り込む。「できればその、お名前をですね。教えて頂きたいのですが?」

「これはこれは、失礼を重ねてしまい。本当に申し訳ありません」

 コホン、咳払いを一つ、そして会釈。

「わたくし、当狐釓神社で巫女をやっております、狗錷禊サユキと申します」

 うやうやしく一礼するサユキ、それに対しJJも礼を返すものの、その動きはどこかぎこちなく。

 一通りの自己紹介を終えたところで、サユキがごく自然な疑問を口にした。

「ところでサチコちゃん、どうして帰ってきたの?ひょっとして未来の旦那様の紹介?」

「ちーがーうー。銃を作るのにジンさんとこへ行ったら、いちおうここへも寄っとけって言われたから来ただけだよ」

「あら残念。新しい弟ができたのかと思ったのに」

「おいおい」

「狗錷禊の巫女である私は子を成せないから、サチコちゃんが子供を作ってくれないと私は安心できないのよ?あなた、狗錷禊の血を絶やすつもりじゃないでしょう?ああ、早く甥っ子か姪っ子の顔を見たいわ」

「そーいうのはサツキねーちゃんに期待してくんないかな。どう見ても結婚ってガラじゃないっしょ、あたし」

「サツ…誰ですって?」

 耳慣れない名前を聞いたJJが質問を口にする。

「あたしの姉、えーと、サユキねーちゃんの妹」サチコが説明した。「あたし、三人姉妹の末っ子なんだ」

「ああ、そういうの日本語でミソッカスって言うんでしたっけ」

「怒るよ本当に…意味わかって言ってんのマジで?」

「アレェ?」

「あらあら、仲の良いこと」サユキが微笑む。

「どこが!?」額に青筋を浮かべながら抗議するサチコ、一方のJJはとぼけた表情を浮かべたままである。

 けっきょく、そのあとはサユキと二言、三言ほど交わしただけで…どれも今までのように、どこか的のずれたやりとりになったが…サチコとJJは神社をあとにした。

 本堂には神主…サチコの父親もいたはずだったが、(サユキが勧めたにも関わらず)挨拶に行くことはなかった。

 狐魂街から人界へと戻る「道」を通り、帰りの新幹線に乗るため駅へ向かいながら、サチコががっくりと肩を落としてつぶやく。

「疲れた…」

「あの、サユキっていう女性」

「なに?ねーちゃんがどうかした?」

「ヤマトナメシコな女性でしたね」

「変な言い間違いをするなよ!」

「ヤマトヤマト、ナメナメシコシコ」

「おまえ絶対わざと言ってるだろ!?このセクハラ男っ!!」

「あははははは」

 はじめ…サチコは、今回の出張はJJにとって精神的な負担になるのではないかと思っていた。

 慣れない国、馴染みのない慣習、不可思議な隠れ里。

 しかしJJは特に動じた様子もなく、たんに観光旅行を楽しんだかのように振る舞っていた。なるほど見た目通りに神経が図太いらしい、とサチコは思う。

 もっとも…彼の以前の仕事を考えれば(それが本当であったなら)、些細なことで気を病むようでは、今頃はとっくに心をやられているか、墓の下に寝床をこさえているところだろう。

 帰りの新幹線に乗り、少し早い夕食(JJたっての希望で駅弁を購入することになった。JJは三つ…二つは新幹線の中で食べ、もう一つは持ち帰って夜食にするのだという。よくよく食べる男だ)をとりながら、JJが思い出したようにサチコに訊ねた。

「そういえば、あの老人…傍蘭と言いましたか」

「ジンさんがどうかした?」

「射撃は得意じゃないと言ってましたが、そんな職人を本当に信用できますか」

「あ~。たしかにあのヒトは生き物に向かって撃ったことはないからね。そのこと気にしてんだ、本人は」駅弁に入っていた筑前煮に箸をつけつつ、サチコが言う。「紙の標的相手だったらオリンピック級のくせにさ」

「なんと」

「プライド高いから」

 しかしサチコの見込みとは違い、実際のところJJは、多少ではあるが気に病んでいることがあった。

 缶コーヒーに口をつけ(そのときJJは何度目かになる「小さいな」という感想を漏らした)、箸を器用に扱いながら、JJがぽつりとつぶやく。

「丸腰、かあ」

「しばらくのあいだ我慢してね。どうしてもって言うなら、たぶん整備に頼めば何か貸してくれると思うけど」

「それはありがたい。僕、こう見えて気が小さいものですから。拳銃の一挺も持たないと、夜中にコンビニへも行けないんです」

「それはアメリカで?それとも日本で?」

 JJは答えず苦笑いを洩らすと、弁当を食べる作業に戻った。

 

 

 

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