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「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SIDE STORIES -』

- Shop Flaurein Series -

【 Sachiko - Early Days - 】

 

 

 

 

 

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 人間と狐魂が共存する街…幻想都市チバシティ。

 狐魂の存在が公に確認されてからの日本政府の動きは素早く、狐魂の受け入れと市民権の発行を表明した世界で最初の国だったが、法案の成立には時間がかかり、また地域別に発生した反対運動の影響から法整備は遅々として進まなかった。

 そこで日本政府は狐魂の受け入れを段階的に進めていくことを決定し、その舞台としてハイテク企業が連なるチバシティがモデル都市として選ばれた…これが、2015年の出来事である。そして同年、狐魂のみで構成された宮内庁傘下の組織「霊能局」の存在が公に発表され、狐魂犯罪に対処するための専門部署「捜査課」が新設された。

 

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 2016年11月。

 チバシティ上層エリアの窓口であるモノレール駅前の広場で、普段のスーツ姿ではなくファーつきのジャケットに薄手のセーターというラフな服装のサチコが行き交う人混みを眺めながらちょこんと立っていた。マフラーに隠れた口元から、白い息が漏れている。

 その日は雪でも降りそうな寒さだった。地球温暖化に伴い季節の寒暖差は大きくなるばかりで、京都の実家からチバシティに赴任してからこっち、サチコは例年通りの夏や冬といったものを体験した記憶がない。

 広場の噴水を見ながら「これ全部凍らねーかな」などと思っていたとき、サチコの背後に巨大な影が迫った。

「いやーすいません、一つ前のモノレールに間に合わなくて。待たせちゃいましたか?」

「ううん、あたしも今来たところ」

 軽薄な笑みを浮かべながら近づいてきたのは、今年の四月に連邦捜査局から研修に来たJJだった。本名をジョナサン・ジェイコブ・ギブソンというこの男は、たいていジェイジェイ、あるいはツージェイと呼ばれる。いまのところ、組織内で彼をファーストネームで呼ぶのはサチコだけだ。

 JJの着任と同時に彼のパートナーとして任命されたサチコは、幾つかの事件の捜査を経て彼と親交を深め、そして二人はいま恋人として付き合っている。

 今日は有給を使った二人の初デートだった。捜査官二人が同時に抜けることに対し局長はあまり良い顔をしなかったが、二人の仲が良いことはすでに周知の事実であったため、渋々ではあったが許可が下りたのだった。

「そういえばサチコさん、なにか食べてきました?」

「んやー、今日はまだ何も食べてない」

「ダイエット中ですか」

「うおりゃあー」

「あ痛たたたた!それ痛いです!」

 生意気を言うJJの顎を、サチコが無表情のまま引っ張る。

 時刻は昼過ぎ、健全な生活習慣を過ごしていれば朝食を摂っていても腹が減る頃である。

「先にどこかで軽く食べていきます?」

「いいよいいよ、映画館でホットドッグか何か買うからさ。それよりジョナサンは?何も食べなくて平気?」

「ああ、僕はけっこうガッツリ食べてきたから。厚切りハムにレタスとトマトを挟んだサンドイッチ、それと…」

「あーやめやめ!聞いてるとお腹空いてくる!さっさと行こ、ね?」

 指折りしながら朝食のメニューをそらんじるJJを引っ張り、サチコは慌ただしく歩きはじめた。

 二人が向かうのは、上層エリアの名所である巨大ショッピングモール内の映画館。最新鋭の設備が揃ったシアターで、先日封切られた話題の映画を観るのが今日のデートの目玉だった。

 映画のタイトルは「コン狐マン The Ultimate Fox」。

 日本のコミックスをハリウッドが映画化したもので、狐魂を題材にした世界初の映画でもあるということで製作当初から話題になっていた作品である。

 デートにおいて男性がリードするのは一定のマナーであるが、JJはまだチバシティ近郊の土地勘が鈍い(それに加えて観光名所的な場所は仕事で立ち寄ることがほとんどない)ため、今日はサチコの先導で行動することになっていた。

「すいませんねえ、気の利いたデートプランの一つも立てられなくて」

「そんなこと気にしなくていいって。どうしても気になるなら、まあ、そーだなあ…そのうち返してもらおうかな。三倍くらいで」

 申し訳無さそうに頭を下げるJJに、サチコはフフッといたずらっぽい笑みを浮かべる。

 そもそも二人がくっついたのは、互いに気取ったり、気を遣わなくても自然と一緒にうまくやっていくことができたからだ。互いの魅力はもとより、欠点もそれはそれとして受け容れることができたからである。

 そんなわけなので、デートといえど余計な気遣いや遠慮は無用だった。それは一般的に言えば、異性の付き合いというよりも友達同士の感覚に近かったが。

「…ところで、さ」

「なんでしょう?」

「キミ、プライベートでもその格好なの?」

 突如質問をぶつけるサチコの視線の先には、仕事の匂いが染みついたJJのトレンチコート。

 休日デート用にコーディネートしたサチコとは対照的に、JJの服装は頭のてっぺんから爪先に至るまで普段(仕事のとき)とまるで違いがなかった。毎日同じ服、というわけではないだろうし、彼のクローゼットには似たような服が何セットも放り込まれているのだろう。

 これだから仕事人間は…と唇を尖らせるサチコに、JJはようやく彼女の質問の意図を察して額に汗を浮かべる。

「エート…まずかったですか?」

「いちおう女の子とのデートなんだしさ。少しはお洒落しなよ」

「いや、あの、ハイ…言葉もないです……」

 サチコの指摘に、JJがガクリと肩を落とす。JJはともかくサチコのほうは、いちおう異性としての意識はあるようだ。

「まさかとは思うけど、脇に拳銃下げたままじゃないよね?」

「いや、さすがにそれは。オフですし」

「本当か~?」

「信じてくださいって。それよりサチコさんこそ、あの小型の魔導銃挿してたりしませんか」

「ないない」

 JJの指摘に、サチコは苦笑いを浮かべながらコートの前をはだけてみせた。たしかに、いつも銃を吊るしている黒のナイロン製ショルダー・ホルスターの姿はそこにない。

 二人は他愛のない談笑を交わしながら、休日で賑わうモール内を掻き分けるように歩く。やがてチケットブースに到着し、JJがカウンターの前に立った。

「狐魂二枚」

「アホっ」

 躊躇なく料金表にないカテゴリを口にするJJの脇腹を、はぁ~っ、サチコがため息をつきながら抓った。

「エッ!…僕、なんかヘンなこと言いましたか」

「いや、もういいから」

 痛がる様子はなく、なぜ呆れられたのかわからない様子でつぶやくJJを脇にどけ、サチコが受付嬢に大人用チケット二枚の購入と座席の指定を素早く済ませる。

 その後売店でホットドッグとポップコーン、そしてドリンクを購入した二人は上映ルームへと向かった、のだが。

「あの女、大人二枚って言ったとき、あたしを疑う目でじろじろ見やがった!ムカツク!」

「いやーまあ、しょうがないと思いますよ」

「しょうがなくない!ていうか肯定するなぁーっ!」

 むきーっ。

 肘でばしばしと叩いてくるサチコ(両手が塞がっているため平手が使えない)をJJが軽くいなす。

 サチコの身長はJJの胸の高さまでしかなく、JJがでかいことを勘定に入れても、傍目からは親子にしか映らないのは確かである。

「う~、差別だ…」

「差別じゃなくて区別でしょう」

「えい」

「ああっ、なんてことを!」

 てっきり蹴りが飛んでくるものと思い身構えていたJJ、しかしサチコは手にしていたドリンクの紙カップをきゅっと握り、ぶぴゅー、ストローから迸るメロンソーダがJJの頬にかかった。

 服を避けて液体を飛ばしたのは、いちおう仕事仲間としての配慮である。コートにしろYシャツにしろ、緑色の染みを取るのは大変だ。

 上映ルームに入った二人は階段を上がり、チケットに書かれた席番号を確認する。座席の位置は真ん中よりやや上、あまりスクリーンに近いとサチコが首を痛めてしまうためである(ずっと上を向いてなければならない)。

 本編前のマナー講座や近日公開予定の映画の予告編が流れ、空いていた席が次第に埋まりはじめた頃、サチコがJJのコートの裾をちょいちょいと引っ張って顔を引き寄せた。

「なんです?」

「いや、あの…前のやつがでかくてスクリーンがよく見えない」

 なるべく周りに聞かれないよう小声で喋るサチコ、JJが視線を巡らせると確かに彼女の前の席にはセキトリじみた巨漢がどかりと腰を据えつけていた。背の高さはJJと同じくらい、横幅はJJ二人分といったところか。

 それは別に犯罪でも迷惑行為でもなかったし、おそらくは普通に映画を観に来ただけなのだろうが、それでも自然と周囲に迷惑をかけてしまう悲劇。テクノロジーが発達したこの時代においてさえ、こういった原始的な問題の解決は成されていないのだ。

 どうしたものかと小考したのち、JJはサチコの両脇をひょいと抱え、自分の膝の上に乗せた。

「途中で降ろしますよ。さすがに二時間はきついんで」

「この映画、九十分だって」

「…きゅ、九十分かぁ~~~……!」

 照れ隠しに憎まれ口を叩いてみたものの、冷静なサチコに指摘に心が揺らぐJJ。

 やがて映画本編の上映がはじまった。

『宇宙船の事故で地球に落下したコンコン星の王子コン狐マン!放浪中に大衆食堂のTVで見たプロレス中継に感動し、正義のレスラーに憧れた彼は覆面レスラーとしてリングに上がる!』

 素顔によく似た狐のマスクをかぶりロープを潜る屈強な狐魂の姿を見つめながら、JJは腕の中で静かにホットドッグを咀嚼する小さな生き物の存在感を無視できずにいた。

 一見普段と変わらぬ容姿だが、よく見ると普段よりも丁寧にアイメイクが施されているのがわかる。淡い口紅に軽く振った香水、そのさりげなさがかえって女らしさを際立たせていた。

『正体を隠し人間社会に溶け込むコン狐マン、しかし試合中の事故でマスクが外れ大ピンチに!やがて闇試合への参加を余技なくされたコン狐マンは強敵コン狐マングレート、そして宇宙船の事故で死んだはずの兄コン狐マンガンマと死闘を繰り広げる!』

 ややテンポの遅い序盤、正体バレした後の少しグダグダ気味なドラマのあとで繰り広げられる怒涛の戦闘シーンに突入したあたりで、少々欲求不満に陥っていたJJはサチコの身体をぐっと抱き寄せた。

 耳に舌を這わせたとき、振り返ったサチコが大真面目な顔で一言、小さくつぶやく。

「映画のときは映画に集中」

「あ、はい」

 おあずけを喰らった狐の気分を味わいながらも、ここでムキになっても仕方がない、子供じゃあるまいしとJJは気分を切り替え、改めて映画を楽しむことにした。

 やがて上映が終わり、劇場を出た二人はそのままショッピングモール内の喫茶店に入る。

 ケーキセットを注文し午後のティータイムと洒落込みつつ(実際に注文したのは二人ともコーヒーだったが)、映画の感想を語り合った。

「CMだと社会派ドラマっぽい雰囲気だったけど、実際はすごく真っ当な娯楽作だったね。まあ『狐魂=難しく考えなきゃいけない問題』みたいなイメージあるから、こういうアプローチは逆に有り難いけどさ」

「あ、ちなみに本国版の予告編だと最初からアクション推しだったみたいですよ」

「ホント?なんかヒロインっぽく紹介されてた女性記者もけっきょく脇役だったしなー」

「ラブロマンス風の宣伝してたのは日本だけですね」

 そういえば原作は映画と全然違うみたいだよ、とガトーショコラをつつきながら話すサチコに、事前に簡単な下調べをしていたJJがレアチーズケーキを食べながらそれとなく情報の捕捉をしていく。ちなみにコーヒーは二人とも砂糖なしのブラックだ。

 あれこれ感想を言い合いながら、サチコの顔をじっと見つめていたJJはやがて気になっていたことを質問した。

「そういえばサチコさん、あまり濃いお化粧はしないんですね」

「ん?あー、まあね」

 少し悩んでから、サチコは言いにくそうに頭を掻いた。

「あたしががっつりメイクしても、背伸びした子供にしか見えないからなー」

「自覚はあるんだ」

「何年このツラで生きてると思ってんだっつーの。それでも、まあ、気に入ってくれる、アンタみたいな奇特なヤツもいるし?べつにいいんですよーだ」

 頬を膨らませつつ、実際は言葉ほど不機嫌にはなっていないサチコに、JJは若干痺れる太腿をさすりながらあははと笑う。

 喫茶店を出たあとはしばらくショッピングモール内の店舗を梯子して回り、夕暮れ時を待って二人は外へ出た。

 大通りを避けて人の少ない生活道路に入り、JJの手を握ったサチコがくるりと振り返る。

「この先にリーズナブルで美味しいイタリアンのお店があるんだぜぃ」

「いやー楽しみです。ところでそのお店、煙草吸えます?」

「あたしが煙草吸えない店なんか選ぶわけないじゃーん」

「わ、やった。ありがたや、ありがたや」

 二人揃って一日二箱を灰にするヘビースモーカーであるゆえの意思疎通であった。

 たまに同僚から「二箱」という不名誉なあだ名で呼ばれることもあるが、まあそこはそれ。

 法規制により飲食店の喫煙環境はかなり厳しいものになっており、分煙どころか全面禁煙の店が大多数を占めている。治安の悪い下層エリアでは無許可でも喫煙を黙認する店は多いが、こと上層エリアでは喫煙できる店を探すのは骨が折れる。

「店内喫煙可能にするにはお金払って許可取る必要があるそーな」

「へぇ。煙草廃絶の機運が高い日本じゃ、金を出してまで喫煙客を囲うメリットはありませんよね」

「喫煙客の受け皿狙いで許可取る店もあるけどね。まー、喧嘩せんで自然と住み分けできるのはいいんじゃないの」

 煙草に関するトラブルは古今尽きせぬものだ。たいていは片方の…あるいは、両方の…主張が少しばかり強いせいで諍いが起きる。特に、「どちらが正しいか」を話の種にした場合は。べつに、煙草に限った話ではないが。

 正誤はともかくとして、ほんの少し、相手を尊重すること…自分の主義はどうあれ。それが寛容だと、サチコは考えていた。

 あたりが暗くなりはじめ、街灯が点灯し、もうすこしで目的のレストランに着くというところで、JJがだしぬけに質問する。

「ところでサチコさん、『ニンセイ』…って、知ってます?」

「ニンセイって、あの、下層地区の仁清?」

「ええ」

「あんた、あんな危ない場所に興味があるの?」

 さりげなく話を振ったつもりだったのだろうが、JJの質問の意図を訝るサチコは眉をひそめた。

 仁清はチバシティ下層エリアの西部港湾区域に属する都市で、国内でもっとも治安の悪い、悪名高い場所の一つだった。

 住民のほとんどは外国人労働者で、不法滞在者も多い。日本人はほとんど近寄らず、仁清で日本語を耳にすることは稀であるという。また複数の犯罪シンジケートが拠点を置いており、度々起きる抗争で一般人が巻き添えになることも珍しくはない。

 しかしそれ以上に仁清を特別なものにしているのは、まことしやかに囁かれる「仁清ではなんでも手に入る」という噂…違法外科手術によるサイボーグ義肢、合法的な医療機関では扱えない無認可の闇医療、最先端のコンピュータ端末、軍事物資、麻薬。

 どこまで真実かはわからず、また犯罪シンジケートがすべてを管理しているという単純な話でもないので、複雑な勢力関係が入り乱れる仁清の状況を、いまのところ法執行機関は手出しできないでいるのが実情だ。

 最近では多数の狐魂が潜伏しているという情報も、僅かながら入ってきている。

 霊能局の仕事でも仁清に近寄ることはほとんどないが、今後どうなるかまではわからなかった。

「ま、ガイジンのあんただったら似合いそうな場所よね」

 そう言って、サチコはふっと笑った。

「あたしも最初チバシティに来たときは、仁清のアーケイド(ゲームセンター)によく行ったもんよ」

「へぇ、意外。危険じゃなかったですか」

「チンピラに絡まれたことは何度かあったけどね。これでも一応刑事だからさ、あんまし見くびってもらっちゃあ困るのだぜ」

 やがて二人はこぢんまりとしたレストランに着いたが、少し早めに来たにも関わらず、テーブルはほとんど埋まっていた。

 レストランはコテージ風の内装で、明るさを抑えたキャンドル風の照明に優しく照らされている。テレビやラジオ、スピーカーなどといった猥雑なものはなく、驚くべきことにレコードプレイヤーがカウンターに置かれており、しかもそれは、音を奏でていた。

 ナット・キング・コールの「I'm In The Mood For Love」が流れるなか、席についたJJはメニューを手に取りながらつぶやく。

「いい雰囲気のお店ですね」

「でしょ」

 落ち着いた雰囲気を演出しているが、気取っているわけではない。

 ドレスコードやテーブルマナーといったものを気にすることなく気軽に立ち寄れるこのレストランは、地元でも隠れた名店として知られていた。

「なににしようかな…迷うなぁ。エート、シーザーサラダに牛肉のカルパッチョ、あとイカ墨パスタで」

「あたしはトマトとモッツァレラチーズのカプレーゼに、生ハムとルッコラのペペロンチーノをください」

「ドリンク、どうします?」

「ワインがいいなぁ。せっかくだから、ボトル空けちゃう?」

「明日大丈夫ですか…すいません、ワインのおすすめとかってあります?」

 ひととおり注文を済ませ、料理が来るのを待つ間先にワインを開ける二人。

 果実の芳醇な香りが鼻をくすぐるシチリア産の赤ワインを嗜み、ほんのり頬が紅潮したサチコにJJが言う。

「いいんですかね、いきなり赤ワインなんか開けちゃって」

「いいんだって。ここは決まりを気にせず気楽に楽しむお店なんだから」

 間もなく到着した前菜の皿を空にし、いよいよメインディッシュのパスタに手をつけようとしたとき、遠くのテーブルでなにやら言い争うような声が響いた。

 どうやら男二人組の客が店員に文句を言っているらしい、イタメシ屋に男二人…?と思うものの、まあそこは突っ込むところではないだろう。と思う。たぶん。

「なんだぁおい、この店は客にこんなマズイもん食わせんのか!?」

 目つきの鋭い痩せ型の男がニヤニヤと笑みを浮かべながら見守るなか、無精髭を生やした肥満体型の男が店員の胸倉を掴んで叫ぶ。

 それを見たJJが一言。

「あれ、僕が食べてるのと同じやつですよ」

「へぇ。まずいの?」

「いや美味しいですよ。普通に。真っ当に」

「言いがかりかねぇー。何が楽しくてやってるのかわからんけど、もうちょっとこじれそうになったら止めに入ろうか」

 霊能局は超常現象や狐魂に関する調査を担当する機関だが、その活動権限、一般市民の拘束や犯罪の取り締まりについては警視庁所属の捜査員とほぼ同等の権利を持っている。

 組織間の軋轢を避けるためにも霊能局が警視庁の活動に積極的に関わることはないが、だからといって目前のトラブルを見過ごせるサチコたちではなかった。

「しかし、あのテキサス野郎…ちょっと気になるな」

「テキサス野郎?」

「ああ、『こっち』のスラングで、ですね。年中厚いコート着て、どこへ行くにも拳銃だのライフルだのをぶら下げてるような連中をそう呼んでたんです。まさか規制の厳しい日本で、銃を隠し持ってる…なんてことは、ないでしょうが」

「チャカでもドスでも凶器は凶器だかんね」

「まったく」

 軍の払い下げ品だろうか、仁清のブラックマーケットか在米軍基地のPXショップで購入したような色褪せたOD色のトレンチコートを着た肥満体型の男を見て渋面を浮かべるJJに、サチコはもっともらしく頷く。

 一方でもう一人の片割れ、ダメージジーンズにデニムのジャケットという八十年代から飛び出してきたような痩せ型の男は小型のランニングポーチを身につけていた。食事中であるにも関わらず。

「超むかつくぜ!こっちは腹空かせてんのに、こんなクソみたいなモン喰わされたんじゃあな!あんまりイライラしてきたんで、暴れたくなってきた!」

 そう言って肥満体型の男はテーブルの上を片手で薙ぎ払い、料理がガチャンと音を立てて床に散乱する。

 そろそろ止めどきだろうと、JJが腰を上げかけたとき。

「暴れたくなってきたぜ、こんなふうになあ!」

 バリバリバリバリバリバリバリバリッッッ!!

「「「「「きゃああーーーーーっ!!??」」」」」

 コートの下から短機関銃を取り出した男は、それを天井に向けて掃射した!

 破壊された照明の破片が振り注ぎ、店内の客がパニック状態に陥る。我先にと店から出ようとする客を、男は入り口への短い連射で止めた。

「逃げるんじゃあねぇ、クソども!誰が行っていいっつったよ、あァ!?ぶっ殺されてーか!」

 肥満体型の男はさっきまで罵っていた店員の首に太い腕を巻きつけ、周囲を威嚇するように油断なく銃口を振り回す。

「いまから相棒がてめぇらンとこに行くから、黙って財布を出しな。金を出さなかったら殺す!もし抵抗したり、警察呼んだりしてみろ、この銃で人質の店員ごとてめぇら全員ぶっ殺す!」

「ヘッヘッ、悪いねェー皆さん」

 脅迫と同時に痩せ型の男がランニングポーチから拳銃を取り出し、客席を周回して次々と財布を巻き上げていく。

 行動するタイミングを逸し椅子に腰を沈めたJJは、小声でサチコに話しかけた。

『強盗、でしたね』

『ああ~…ここ日本だよね?』

『それ、僕が訊きたかった質問です』

「おいそこ、その狐耳の!なにコソコソ話してやがる!」

 二人の会話を見咎めた肥満体型の男が鋭く声を響かせる。

「おまえら変な妖術使ったりするんだってなぁ?ちょっとでも妙な真似したらぶっ放すからな、大人しくしとけよ」

「あ、はい。すいませんねぇ」

 気弱なふうを装い頭を下げるJJ、はじめから争う気はない…という態度を取るが、どこまで通用するか。

 幾ら狐魂といえど、ワンアクション…指をちょいと動かすだけで大量の被害者が出る状況を覆すのは容易ではない。おそらく強盗たちはそのことを折り込み済なのだろう。

 サチコはJJを見つめ、何も言わないまま右手の親指と人差し指を立て、拳銃の形を作ってみせる。

 やがてサチコの意図を察し、JJはやや気まずそうに、コートの右脇の部分をポンポン、と叩いてみせる。

 続けて、JJがサチコに先を促すよう顎をしゃくると、サチコもまた気まずそうに、ショルダーバッグをポンポン、と叩いてみせた。

 目を合わせ、「あっはっはー」と両者苦笑い。

『拳銃のにーちゃんはあたしがなんとかする。あいつ、どうする?』

『得物がサブマシンガンなのはまずいですねー…ピストルなら酌量の余地、あったんですが。いちおう大量殺戮兵器になっちゃうんで、仕方ないです』

『…そっか』

 JJの言葉に、サチコは浮かない表情で顔を伏せる。

 やがて痩せ型の男がサチコに近づいてきた。

「さっきからなにペラペラ喋ってたんだ?遠い宇宙の神様にお祈りでもしてたかよ」

「そんなとこ」

 いかにも銃に、そして人間に怯える狐魂…そんな表情を浮かべ、サチコはそっとショルダーバッグの中へ手を入れる。

 財布を取り出すためと信じて疑わないのだろう、たいして警戒した様子を見せない痩せ型の男を一瞥し、サチコはJJに頷いてみせた。

 シュ……ッ、バシイッ!

 ショルダーバッグの中から魔導銃を取り出したサチコは素早く痩せ型の男が握っていた拳銃を叩き落し、そのまま相手を組み伏せて拘束する!膝に体重を乗せて動けないようにしてから、首筋に冷たい銃口をピタリとあてた。

「なっ……!?」

 サチコの予想外の行動に肥満体型の男が驚くのと、JJが行動したのはほぼ同時、いや、サチコと同時にアクションを起こしたJJのほうがわずかに、そして圧倒的に早かった。

 席をはね跳ばす勢いで立ち上がりつつ、コートの脇から拳銃を抜いて構えるJJ。

 ダダン!

 模範的なチャップマン・スタンスで肥満体型の男の頭部に素早くダブルタップ(二連射)を撃ち込み、そのまま男のもとへ駆け寄る。

 人質になっていた店員を突き飛ばし、男が握っていた短機関銃を掴んですぐに銃口を床に向け、男のでっぷりと弛んだボディをホールドしつつゆっくりと銃に絡んでいた指を引き剥がしていく。

「ふーっ」

 怯えきった表情で尻もちをつく店員、声もなく脳髄をぶち撒けて死んだ強盗の死体には目もくれず、JJは型の古いイスラエル製短機関銃の安全装置をかけてズボンに挟むと、サチコが拘束していた痩せ型の男に手錠をかけた。

「これにて一件落着、と」

「できれば死人は出したくなかったけどね」

「仕方ないです。これが教則(マニュアル)通りなんで」

「わかってる」

 衆人環境におけるフルオートマチック火器の扱いはシリアスに考えなければならない。

 なにせ犯人が指を引いて腕を振り回しただけで大惨事になるのだ、それが意図的なものであるか否かに関わらず。

 非殺傷を目的とした生半可な射撃では、相手の戦意を奪ったところで「生理的な反射行動」から引き金をひいてしまう可能性がある。

 それを避けるためには犯人を即殺(完全に無力化)して脳から肉体へ送られる信号を遮断しなければならず、それでも僅かに残る「ちょっとした衝撃で引き金がひかれる可能性」を排除するための素早い対処が求められるのだ。

 銃を撃ったまま棒立ちで静観せず、JJが人質を遠ざけて死体から銃を奪ったのはそういう理由だった。

「しかしあんた、.45口径持ってきたの?」

「えっ?」

 JJが拳銃をホルスターに戻す直前、サチコが彼の手にする大型の拳銃を見て眉をひそめた。

 それはJJが連邦捜査官だった頃から愛用していたM1911のカスタムで、今は亡き銃匠ジム・ボランドの作であるという。

 ベースのM1911(JJが用いるのはスプリングフィールド・アーモリー社製の多弾数仕様)は頑丈であるゆえ滅多に破損はしないのだが、JJの場合は訓練・実任務ともに大量の弾薬を消費するため過去に二挺駄目にしており、現在使用しているのは三挺目だった。

「いや~やっぱり、急場の対応にはこっちの方が安心…というか、慣れてると言いますか」

「もし暴れてるのが狐魂だったら?魔導銃はどうしたの」

「こっちですか?」

 サチコの問いに、JJは腰からもう一挺の銃…霊能局捜査課のエージェントに供与される対狐魂用の銃を抜いてみせた。

 それを見たサチコが大袈裟にため息をつく。

「あんッたねぇー、女の子とのデートに二挺下げで来たわけ!?」

「サチコさんだってちゃんと銃持ってたじゃないですかー」

 ぶーぶー。

 待ち合わせのとき、互いに銃を持っていないことを確認したにも関わらずこの現実。

 ちなみに役割を逆にしなかった理由は、一見すると華奢で力のなさそうなサチコに凶悪犯の取り押さえをさせたのは、彼女が恋人である以前に刑事だからであり、この程度の煩事は当然のように対処できることをJJは知っていたからだ。

 またサチコがJJに射撃を任せた理由は、短機関銃を持った凶悪犯を素早く射殺するには相応の技量が必要であり、それには局内でも突出した射撃の腕を持つJJが相応しいと判断したからである。

 JJと犯人は十メートルも離れていなかったが、抜き撃ちで確実に射殺するのは誰にでもできる芸当ではない。紙の標的を撃つのと、殺意を持った凶悪犯を撃つのはまったく次元の異なる話だ。

 要するに事件が起きた瞬間、サチコたちは「休日を楽しむ恋人同士」ではなく「二人の刑事」として行動したわけで、もとより二人の仲を支えているのは、信頼できる同僚としての絆だった。

「ところでサチコさん、このあとどうするんです?」

「とりあえず警察呼んで事情を説明しないとねー。本来ならあたしらの管轄外だし」

「お客さんは?」

「悪いけど帰せない、警察の事情聴取が済むまで残ってもらうしかないね。現場保全の意味合いもあるし、万が一犯人の協力者が残ってた場合、見逃すわけにいかないから。疑うわけじゃないけど、ちゃんと手順は踏まないとね…」

 ショッキングな出来事の連続に慄くレストランの客を見回し、サチコはもう一度ため息をついた。

 

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 サチコがJJとともに帰宅したときには、二人ともすっかりくたびれてしまっていた。

 けっきょく二人は地元警察がレストランにいた全員から事情聴取を終えるまで帰してもらえず、おまけに強盗犯に対する二人の処置が適切でなかったのではないかと散々文句を言われたのだ。

 どうやら事前に警告も威嚇射撃もせず、いきなり射殺したのが問題だったらしい。

「犯人はかなり激昂していて、精神的にも不安定だった。迂闊に刺激したら、かえって大惨事になっていたはずだ」

 ことあるごとにJJはそう言ったが、違法性を問われることこそなかったものの、最後まで信用してはもらえなかった。なにより警察の言い分にも一理はあるため、あまり強気に出ることもできなかったのだが。

 警察から「これがあんたらのやり方か」という嫌味とともに帰されたときには十二時を回っており、JJが帰るための終電は既に過ぎていた。

 レストランの食事を半分以上残したまま事態の収拾に追われたこともあり、小腹を空かせた二人はコンビニで適当な惣菜とアルコールを買ったあと、サチコの住むマンションへ帰宅したのだった。

「あーもう、結局家飲みかぁ…せっかくのデートが台無しだ」

 先に風呂の支度を済ませ、メイクを落としてから居間に戻ったサチコは、すっかり気落ちした様子でつぶやいた。

「あの店、入る前になんっかイヤな予感はしてたんだけどな」

「エッ!?」

 サチコの言葉に、スナック菓子の袋を開けていたJJが驚きの声を上げた。

 なぜならサチコの言う「嫌な予感」というのは、他の人間や狐魂が言うそれとは意味合いが大きく異なるものだったからだ。

 彼女の「狐の第六感(Fox Sense)」は生物や物質、あるいはそれ以外のあらゆる事象が内包する吉兆や凶兆を嗅ぎ分ける力を持つ。いま自分の目の前にあるものが良きものであるか、悪しきものであるかを本能的に察知することができるのだ。

 つまりサチコの感じる吉兆や凶兆は半ば予言のような形で実現し、その勘が外れたことはない。

 だからといって、過去のサチコが悉く吉兆に従って行動してきたわけではない。

 たとえば二手の分かれ道があり、片方に吉兆、もう片方に凶兆が現れた場合、吉兆の示すほうを進むのではなく、なぜ片方が吉兆を示し、もう片方が凶兆を示すのはなぜかを探求するのがサチコの性分だったからだ。

 それは彼女自身の、また刑事としての性分でもあった。

 そして本人には言ってないが…はじめてJJと会ったとき、彼の存在が大きな凶兆を示していたことをサチコはよく覚えている。局長がJJの相棒にサチコを指名したのは、そのことを彼女から聞いたうえで、サチコの能力がJJを凶兆から遠ざけることを期待したからだった。

 まさか恋人として付き合うことまでは想定していなかったが…その甲斐あってか、いまはJJを取り巻く凶兆のオーラもずいぶん薄れて見える。

「もし悪いモノが見えたなら、どうして何も言ってくれなかったんですか!?」

「いや、だって…あれから別のお店探すの、面倒だったし……」

 言葉が続くとともに語尾が下がり、しまいには小声のままビール缶に口をつけるサチコ。

 おそらく事前に話してたら、まずサチコの身を第一に案じるJJのこと、絶対に店を変えるよう提案してきただろう。

「まさかマシンガン持った強盗が出るとか予想できるわけないじゃんよー」

「これで前例ができましたね。サチコさんの勘は宛てになるんですから、もうすこし自覚してくださいよ」

「はいはい。わかったよぉ」

 しゅん。

 耳が垂れ下がり、しょげかえった表情のままサチコが俯いた。

 ただ、JJには気づいていないことがあった。サチコがわざわざ凶兆に足を踏み入れたおかげで、レストランの客が一人も怪我一つ負わず無事でいられたのだ、ということを。そして、それこそサチコが吉兆のみ選ぶことを由としない理由だということを。

 無論JJも、理屈では理解していないながらも本能的にサチコのそういった他者への思いやりには気づいており、だからこそ、自分がサチコを脅威から守らなければならないと考えているのだが。

 事件に巻き込まれた疲労から暫く二人は無言のまま酒を飲み続けていたが、やがてサチコが思い出したように顔を上げて言った。

「そういえば、ジョナサンに見せたいものがあったんだ」

「なんです?」

 ちょうど話のタネを探していたJJは、パタパタと音を立ててキッチンに向かうサチコを期待の眼差しで見つめる。

 やがて若干ふらつきながらサチコが抱えて持ってきたのは、サーバーのような縦長のマシンだった。

「じゃーん☆」

「それ、エスプレッソマシンじゃないですか?しかも、けっこう本格的な」

「ドイツ製なんだぜぃ、ネットのオークションで見つけたの買っちゃった。前にエスプレッソ淹れるの得意って言ってたろ?これがあればいつでも美味しいエスプレッソ作ってもらえると思ってさ」

「自分で作る気ゼロじゃないですか!?」

「当たり前じゃん」

 他力本願を隠す気はないらしく、サチコの臆面ない言葉にJJは苦笑いを浮かべた。

 たしか話のきっかけは、連邦捜査官時代に麻薬組織への潜入捜査を担当したときのエピソードを語ったことだったろうか。

 潜入捜査官が手っ取り早く組織の中枢に近づくには、幹部の趣味や好物などを把握し、それを利用して取り入るという手がある。ある幹部は無類のコーヒー好きであったり、またある幹部はワインに車、ギャンブル、宝石…

 そういったものに関する知識を身につけ、あらゆる分野に精通することを自らに課したJJは、結果として様々な分野のエキスパート足る能力を身につけるに至った。

 資格こそ持っていないが(身元が割れるため)、プロのコーヒーマイスター顔負けのエスプレッソを淹れることができるのも、そうした活動の一環によるものだった。

「せっかくだから、さっそく試してみない?」

「ちょっと待ってくださいよ。これ、オークションで落としたものでしょう?ちゃんと部品が全部揃ってるか、確認はしたんですか」

「……え?」

 先ほどまで爛々と目を輝かせていたサチコは、まるで冷水を浴びせられたように硬直する。

 もしや本当はコーヒーを淹れることができない言い訳に時間稼ぎをするつもりじゃあ…そんな邪推をはじめるサチコにJJはため息をつき、言葉を続けた。

「その様子じゃ、事前の手入れも何もしてないですね?マニュアルはあります?」

「え、あぁ、うん」

「それじゃあ、マニュアルと工具を貸してください。先に点検しますから」

 工具箱と説明書をサチコから受け取ったJJは、慣れた手つきでエスプレッソマシンを分解していく。

 隅々まで念入りに清掃し、組み立てを終えたあと、JJは残念そうに口を開いた。

「やはり、部品が少し足りないですね」

「えーっ?それ、ないと困るやつ?なくても大丈夫だったりしない?」

「駄目です。たぶん、前の持ち主も機械がちゃんと動かなくなったから手放したんだと思いますよ」

「そんなぁ~…せっかくカフェポッドも買っておいたのに」

「どこのブランドです?」

「イリー」

「ああ。鉄板ですね」

 イタリアのコーヒーメーカーであるイリカフェ社のエスプレッソは喫茶店などでもよく取り扱われており、いわば定番中の定番とも言われるセレクトだ。

 思わぬトラブルにがっくりと肩を落とすサチコ、しかしJJは彼女を慰めるより先にさっさとタブレット携帯を取り出し何処かへ電話をかける。

 しばらく事務的な会話を繰り返し通話を終えたJJに、サチコが問いかけた。

「どこに電話してたの?」

「メーカーに問い合わせました。マニュアルに国内の代理店の番号が載っていましたので…一週間以内に配送してくださるみたいですよ」

「いやーもう手が早いなー!さすがだぜこの野郎」

「変な誉めかたをしないで頂けますか…」

 笑顔で肩をこつんと叩いてくるサチコに、JJはいささか戸惑いを隠せない表情でつぶやく。

 そのとき風呂場の給湯器が音声ガイダンスで湯を沸かし終えたことを告げ、サチコはJJに向かって言った。

「お風呂、沸いたみたい。一緒に入ろうよ」

「え゛?一緒にですかぁ!?」

「イヤなの?」

「や、イヤではないんですが…別々に入ればいいのでは?」

「それじゃあ片方を待ってる間に時間がかかるじゃん。明日は二人とも仕事なんだし」

「それはそうですが。参ったなぁ」

 ここでJJが躊躇いを見せたのは、なにも特別な理由があるからではない。たんに女性と風呂に入った経験が少ないという、それだけのことである。

 もっとも彼の場合は羞恥よりも、無防備な姿を他人に晒すことに抵抗があったからなのだが。

 潜入捜査官時代は常に盗聴器やそれに類する装置を身につけていたため、装置を隠している服を他人に預けたり、装置を仕込んでいる裸を見られることを常に危惧していたが故の習性であった。

 ただ…今となっては、そんな心配をする必要がないのも確かだ。

 そう思い、JJは渋々ながらサチコとともに浴室へと向かった。

 

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(ノ・ω・)ノ =[入浴シーン] *訳あって略

 

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 風呂を出た二人は寝巻きに着替え、寝室に入る。

 このところJJがサチコの家に泊まる機会が多かったので、衣装棚にはJJの服一式が揃っていた。背広はともかく、入浴前の下着はなるべく身につけたくないものだ。

「ワイシャツと下着は洗濯機に入れてタイマーかけといたぜぃ」

「いやー本当に助かります」

 そんなことを言いながら、二人は同時にベッドに潜りこんだ。

 リモコンで部屋の照明を落とし、羽毛布団にくるまったサチコはJJの寝巻きに手をかけ、プチプチとボタンを外して前をはだけさせる。

「ちょ、サチコさん…なにやってるんですか」

「あったかい」

 もふっ。

 ほぼ半裸になったJJの胸に顔をうずめたサチコ、もさもさの毛並に抱きつきゴロゴロと喉を鳴らすさまは子猫のようだ。

「あったかい」

「あ、そうですか…」

 おそらく大事なので二回言ったのであろうか。

 そうやってしばらくサチコはJJにくっついていたが、やがてベッドの中が温まってくると、サチコはぐいとJJを手で押しのけた。

「あつい」

「あ、そうですか…」

 そんな感じでくっついたり、離れたりを繰り返しながら夜は更けていき…

 

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「遅刻だーーーっ!!」

 そして、朝になった。

 トラブルに巻き込まれたせいで疲れが溜まっていたのか、あるいは惚気が過ぎた罰なのか、二人が目覚めたときには出勤時間をとっくに過ぎており、「恋人と迎える朝」などというロマンチックな気分に浸る暇もなく慌てて支度をはじめる。

「なんで目覚まし時計セットしといてくれなかったの!?」

「どうして目覚ましを掛けておかなかったんですか!?」

 二人の口から同時に、まったくおなじ言葉が飛び出した。

 いままでせわしなく動かしていた手を止め、サチコとJJはしばらく睨み合う。が、やがてそんなことをしても無駄だということに気づき、JJが言った。

「…ここで言い争っても仕方ないですよね」

「そだね」

 本来なら、今朝はJJが腕によりをかけた朝食を用意する予定だった。そのため先日立ち寄ったコンビニであれこれ食材を買い足しておいたのだが、それも無駄になってしまったようだ。

 また先日のうちに洗濯機にかけておいた服を干す暇もなく、このまま機械の中に放置すれば衣服が皺になること必至だがそれもやむなし。

「ほらサチコさん、急いで急いで!いまならまだ間に合いますよ!」

「わかったから急かさないでよぉ!」

 すでに外に出ているJJに煽られるまま、サチコも慌てて玄関へと向かう。

 エレベータを待たず、マンションの階段を下りてしばらく歩いたところでJJが思い出したように言った。

「ところでサチコさん、鍵は閉めました?」

「え?…あっ!」

「うわ~~~っ!」

 驚いた表情で口に手をあてるサチコ、それを見たJJは両手で頭を抱えて呻いた。

「サチコさん、鍵貸してください。僕が閉めてきます…すぐに追いつきますので、先に歩いててください」

「でも…」

「時間がないんですよサチコさん!」

 サチコに迫るJJの態度はまさしく凶悪犯罪に立ち向かっているときのような真剣さである、しかし実態はたんに遅刻を回避しようとしているだけだ。

 いっそ先に職場へ連絡を入れ、遅刻してしまうのも手なのだが、なにせ二人一緒に休みを取った翌日である手前、遅れたらどんな冷やかしを受けるかわかったものではない。

 鍵を受け取ったJJは猛スピードで反転し、階段を三段づつ飛ばしながら駆け上がっていく。

「せわしないやっちゃなぁ…」

 もっとも、原因を作ったのは自分なのだが…普段はやらないミスを犯した自分にも呆れつつ、サチコは足早に霊能局ビル…正式名「ミディアム・エージェンシー・オフィス」へと向かった。

 しばらく歩いたところで、駆け足で向かってきたJJが追いつく。

「もっと早く歩かないと間に合いませんよ」

「わかってるって」

 かなり激しい運動になったはずだが、JJはほとんど息を荒げることなくサチコと並んで歩きはじめる。

 しかし一見おなじペースで歩いているように見えても、二人の距離はぐんぐん離れていった。ときおりサチコが駆け足で追いつくも、すぐにJJとの距離が開いてしまう。

 そう、身長に大きな差があるサチコとJJは歩幅がまったく違うのだ。

 どうやらJJもそのことに気がついたらしく、またサチコのペースに合わせたのでは間に合わないと判断し、足をピタリと止めてサチコに向き直った。

「サチコさん、ちょっと急ぎますよ」

「あたしだって急いで…ちょ、うわっ!?」

 ひょい。

 足が遅いことをなじられたと思い、反論しかけたとき…サチコの身体は、JJに軽々と持ち上げられていた。

「いささか揺れますので、しっかり掴まっててくださいね」

「え、ちょ、ま…」

 サチコの返事を待たず、JJはサチコを抱きかかえたまま猛スピードでダッシュをはじめる!

 自転車を追い越し、バイクと並走し、猛然と駆けるJJに抱きついた状態で、サチコは身動き取れないまま動揺の表情を浮かべていた。

 なんてったって、いまJJがしているのは、いわゆる「お姫さま抱っこ」というヤツなのである。

 それも往来のど真ん中、人通りの多い出勤時間に。

「(…いくらあたしでも、さすがにこれは恥ずかしいぞっっ!)」

 おまけに衆目を集めるが如くの大爆走中ときたもんだ。すべては遅刻を回避せんがため、ムードやロマンのかけらもありゃあしない。

 サチコが赤面したまま呻いていることなど知らず、ただ全力疾走することのみを考えているJJは額に健康的な汗を浮かべながら駆け続ける。

 やがて二十階建ての霊能局ビルへ到着したJJは、フロント嬢の挨拶を無視し、エレベータを待っている職員を横目に一切の躊躇なく階段を上がっていく。捜査課のオフィスは六階だ。

 だがしかし、無常にも四階へ到着した直後に始業のチャイムが鳴りはじめた!

「うっ、やばい!」

 JJの表情がさらに険しくなり、ラストスパートとばかりにさらなるスピードアップをする!

 キーンコーンカーンコーン(一回目)、五階に到着。

 キーンコーンカーンコーン(二回目)、六回に到着。

 キーンコーンカーンコーン(三回目)、捜査課オフィスの前に到着。

「うおおッ!」

 スピードを緩めず扉に向かって突進するJJ、しかし両手が塞がっている彼は扉を開けることができない!

「ちょっと、まさか扉をブチ破るつもり!?」

 遅刻を避けるためにか!?

 そんなことをしたら余計にまずいことになる、とサチコは思ったが、すでに思考能力を失っているJJが止まる気配はない。サチコの声も聞こえていないようだ。

 こうなったら…

 サチコは掌を突き出し、扉に向けて意識を集中させた。

 それはサチコの専門ではなかったが、彼女はちょっとした念動力(サイコキネシス)程度であれば操ることができる。

 素手で開けることも考えたが、扉に手が届く距離に達してからJJが扉に衝突するまでの一瞬の間にそれを実行するのは至難の業であり、よほど運が良くなければ手を挫いてしまうだろう。

「…フッ!」

 サチコが手を払うと同時に扉が開き、JJが捜査課のオフィスに飛び込む!

 キーンコーンカーンコーン(四回目)…

 しかしJJの勢いが止まっていないのは依然変わらず、デスクに衝突する前にJJは身体を反転させて床にダイブした。もちろんサチコに怪我を負わせないよう、自らの背を下にした体勢で。

「へあっ!」

 ズザザザーーー。

 どうにかオフィスの破壊者(物理)にならず、ギリギリの出勤に成功したJJとサチコ。

 もちろん他の同僚は全員すでに到着していたわけで。

「ユニークですねぇ…」

「朝っぱらから、なァに愉快なことしてんだ」

 コルクボードの前で暇を持て余していたブラックショットとミレグラが、スーパーボウルばりのダイナミック出社を敢行した二人に冷ややかな言葉を浴びせる。

 あはは、と苦笑いを浮かべながらサチコは立ち上がると、きょろきょろと室内を見回した。

「ところで、課長はまだ来てないの?」

「やぁすまない、遅くなったね」

「うわっ!?」

 サチコが背をつけていた壁から、局長のハクロウがひょっこりと姿を現した。

 そう、「壁から」…である。彼の能力は壁を透過して移動できること、と言われている。それ自体は事実に違いないのだが、本当にそれだけなのか、その詳細を知る者は少なかった。

 大学時代に同期だったブラックショットが以前口を滑らせたところによれば、ハクロウの本当の能力は「彼が壁と認識した現象を無力化すること」らしい。

 それはともかく。

「さて、それじゃあ朝のミーティングをはじめようか。サチコ氏とJJ氏、昨晩は大変だったそうだね」

「あ、はい。せっかくの休日だったのに散々ですよぅ」

「警視庁とはもう話がついてるそうだから、事後処理ついでにあとで渡す書類に記入を頼むよ」

「はーい」

 その後、ハクロウはブラックショットとミレグラが担当している事件についての簡単な指示を出す。

 それからお定まりの注意文句を口にしたところで、ハクロウはパンパンと手を叩いた。

「それじゃあ、今日も一日安全にいこう。それと職員間の過度な淫行は控えること、以上解散!」

「淫…ッ、ちょっと局長!?」

 あからさまに自分たちへのあてつけで不穏当な台詞を口走るハクロウに、 サチコとJJが慌てふためく。

 訂正を求めようとしたときには既に遅く、ハクロウの足がずぶずぶと床に沈んでいったかと思うと、彼はそのまま階下へと落下していった。

 続いて、下階の部屋から悲鳴が響く。

『て、天井から人が落ちてきたぁ~~~っ!?』

『またあなたですか!?移動はちゃんとドアや階段を使ってくださいっていつも言ってるじゃあないですか!』

「……はぁ」

 実際のところ、ここではこういう騒ぎは日常茶飯事である。

 風変わりな上司の奇行にため息をつくと、サチコはJJの手を引いて言った。

「それじゃあ、行こうか」

「ええ。今日も忙しくなりそうですね」

 

 

 

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