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「グレアム尊士の好き勝手放題」

      

 

      

『コンコンコレクター - SIDE STORIES -』

- Shop Flaurein Series -

【 Erostis - Origin - 】 Part_1

 

 

 

 

 

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 部屋に連れ込むまえ、男は自分を金持ちではないと言った。たしかに企業重役やアラブの石油王と同じ匂いはしなかったが、それでも調度品の趣味は悪くないな、とエラスティスは思った。

 シーリングファンの回転をぼーっと目で追いながら、傍らでもぞもぞと動く男の体温を感じる。

「狭いシングルベッドの中で、女の子と密着して寝るのが好きなんだ」

 行為に及ぶ前の、男のためらいがちな言葉を思い出す。あまり理解してもらえないけど、と付け足す男に、わかるわ、と返したこと。

 髪を漉くように優しく頭を撫でてやると、男ははにかんだような笑みを浮かべた。その口元で、フィルターつきの紙巻煙草がヒラヒラと上下している。エラスティスが煙草の先端をつまみ、指先をこすり合わせると、やがて切り口が煙とともにゆっくり燃え上がった。

「不思議な力だ」

 紫煙を吐き出しながら、男がつぶやく。

 街頭で先に声をかけてきたのは男のほうだった。耳と尻尾を隠そうともせず、新興宗教を喧伝する狐魂にたいした悪意も持たず話しかけてくる人間の存在は珍しく、またそういった類の人間はたいてい「良いカモ」になるので、エラスティスは男のセールスマンばりのトークを適当に聞き流し、レストランでディナーを共にし、そして男のアパートでベッドを共にしたのだった。

 肉体関係を持った相手は財布の紐が緩くなるし、エラスティス自身も性的なスキンシップには寛容だった…いわゆる、win-winの関係というやつだ。こうやって教会の活動資金を稼ぐのはエラスティスの常套手段で、それはエラスティスが所属するグループの教義に則った行為でもあった。

 

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 愛狐教会が誕生したのは、軍事利用された狐魂がテロ攻撃によって殺害された「狐が死んだ日(FDD=Fox Died Day)」事件の一年後のことだ。

 狐魂の存在が明るみになり、世界的に認知度が上がった微妙な時期に「狐魂の愛が世界を救う」を標語に新たな宗教が台頭したのは記憶に新しい。狐魂に対する評価が定まっていなかった時期に(厳密に言えば、いまでも「狐魂への一般的な評価」などというものは存在しないのだが)、平和的姿勢をアピールすることで迫害から逃れようという狙いがあったことは言うまでもないだろうが。

 狐魂にとっては身の安全を保障できる場所として、人間にとっては混迷とした世界に光明をもたらす新たな希望として受け容れられ、年月の経過とともに信者を増やしていった愛狐教会だったが、規模の拡大は外部からの不興を買う以上に内部の軋轢をもたらした。

 「具体的に、どうやって愛で世界を救うのか」…本気で世界平和を願う信者の間で、そのような疑問を抱いたのは人間ではなく狐魂だった。

 止むことのない世界規模での紛争、異常気象による農作物への被害、それに伴う食糧危機。貧富差の拡大、テクノロジーの発展による政府の監視システム拡充と支配体制の強化。

 あらゆるファクターが破滅へと突き進むなか、平和的な題目を唱えるだけでは決して世界を救うことなどできないと考える者たちが登場するのは必然で、やがて「平和は支配によってしか生まれない」という過激な思想を持つグループが信者の一部を取り込んで分離するまでに至った。

 こうして誕生したのが、「愛欲で人間を支配する」ことを目的とした分派「ドミノ・シグナリア派」である。

 

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 エラスティスは、ドミノ・シグナリア派が抱える宣教師であり、また組織の幹部の一人だった。

「愛は闘争心をも超える人間の欲求、ゆえに我らは愛をもってこの世の争いを制す。しかるに、愛とはなんぞや?」

 教義の核心に関わるこの問いに、答えを出すことが…万人に受け容れられる答えではないにしろ、何人かは、かつての仲間と袂を分った複数人が納得できる程度の答えを出せたのは、エラスティス只一人だけだった。それがいま、幹部待遇として扱われている由縁である。

 そんなことを知ってか知らずか、男はエラスティスの尻尾に脚を絡ませ、耳をそっと撫でながら、つぶやいた。

「君たちの宗教では、みんなこうやってお金を稼いでるのかい?」

「さぁ。私はこのやり方が気に入ってるし、それに、そこそこ上手くやれてると思ってるけど」

 エラスティスは男の指先から煙草をそっと攫うと、上品な仕草…男にはそう見えた…で吸いさしに口をつけた。

 彼女が煙草を吸うさまを見つめながら、男は彼女にそれを返してもらうか、またはもう一本取り出すかどうか躊躇い、けっきょく新しい赤マルを口元に運ぶことを選んだ。

 ライターで火を点けようとする男を制し、エラスティスはそっと煙草を咥えたまま顔を近づける。

 煙草の先端同士をくっつけ、火種をもらいながら、男はエラスティスの瞳をじっと見つめた。アメジストのような深い輝きを放つ紫の瞳に吸い込まれそうになりながら、ぽつりとつぶやく。

「なぁ。君たちの言う、愛、てなんだい」

 男は愛狐教会や、エラスティスの言う「愛の教義」とやらにシンパシーを感じたわけではなかった。

 彼女を誘ったのは、たんに魅力的な女性と一晩を共にしたかっただけであり、言ってしまえばナンパとそう大差はない。その過程で幾許かの教会への献金を約束したことに対しては、女を抱くためのチップだと割り切っていた。

 宗教、それも人外が興した新手の組織ともなれば警戒して然るべきだったが、それでも奇異な存在への好奇心を抑えることはできなかったのである。

「愛っていうのはね。欲望を曝け出すのを恐れないことよ」

「へぇ」

「欲望っていうのは、なにも、悪いことばかりじゃないのよ。誰かを幸せにしたい、困っている人を助けてあげたい、そういう欲求も突き詰めれば自己満足で、個人の欲望。それを否定せず、ありのままに行動することが、すなわち、愛」

「じゃあ、今ここで俺と寝ているのも愛ってわけかい?」

「私はいま、ここでこうしたいから、ここにいるの。お金のことは別としてね」

「もし、俺が金を払わないって言ったら…どうする?」

 男が挑発するような、挑むような目つきで言った。

 娼婦をターゲットにした強盗は珍しくない。無防備で、力が弱く、そして金を持っている相手をカモにするのは。

 しかし男はそういった類の強盗には見えなかったし、また先の台詞が本気で言ったものではないことも、エラスティスにはわかっていた。

 だが、だからといって警告の一つも与えずに笑って済ませる気にはならなかった。

 次の瞬間、エラスティスの手の中には一挺のリボルバーが握られていた。まるで魔法のステッキのように突如ふっと湧いたそれは、一部がモダンなデザインであるにも関わらず機構が非常に古いタイプの、奇妙な銃だった。

 銃身は二連式で、拳銃弾のほかに撃鉄をいじることで一発だけ十二番径の散弾を発射することができるようになっている。

「もしあなたが強盗の真似事をする気なら、私はあなたを殺したくなるかも。私は自分の欲求を満たすことに躊躇したことはないのよ?」

「…まさか、実行に移したことはないんだろ」

「どうかしら。引き金をひく瞬間のゾクゾクする感じとか、死人のをむりやり立たせて腰を振るときの快感って、けっこうクセになるんだけどね」

「止してくれよ」

 人間の頭の半分を吹き飛ばすには充分な威力を秘めた虚ろな銃口を見つめ、男はゴクリと息を呑む。

 エラスティスは悪戯っぽい笑みを浮かべると、銃をクルミ材のナイトテーブルの上に置いてから、胸を押しつけるようにして男の頭を抱きしめ、言った。

「怖がらせちゃったかな?ごめんね…でも、人間には『悪いヤツ』もいっぱいいるから」

「たいした愛だよ、まったく」

 すっかり脱力し、抱かれるままに胸に顔をうずめる男を愛おしそうに撫でさすりながら、エラスティスは彼の耳に舌を這わせ、唇を吸う。

 そのとき、唾液とともに一粒の錠剤を飲ませられた男が目を見開いた。

「…っき、きみっ!いま何を飲ませたんだ」

「んーとね…毒薬?」

「なっ……!」

「うっそだよーん。ただの精力剤」

 動揺する男を見て、エラスティスはケラケラと声を立てて笑う。

 どうやら毒薬云々は本当に冗談だったらしいと確信し、男は下半身が紅潮するのを感じながら冷や汗を拭った。

「頼むよ、本当に。あんまり脅かされると、元気になるどころか立たなくなっちゃうぜ」

「ごめーん、ごめん。でも、今はもう平気みたいだね」

「おかげさまでね」

 お返しとばかりに、男がやや強引なやり方でエラスティスに覆いかぶさってくる。

 それを拒絶することなく成されるがままに受け入れながら、エラスティスは不意に自らの過去を思い出していた。

 行動に規範を持たず、ただ無知なるがままに振る舞っていた時代。愛狐教会と関わる以前の記憶を。

 

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 エラスティスは長年、愛を知らずに生きてきた。

 愛を与えられなかっただけではない。愛する術を知らなかっただけではない。

 彼女は、愛という概念を知らなかった。他者を愛することを知らず、愛という言葉を定義することができなかった。

 愛という言葉を聞いたことすらなかったかもしれない。もちろん一度や二度は耳にしたかもしれないが、それは街角で不意に耳にした外国語のように実体のないもので、すぐに言葉を聞いた記憶さえ無くしてしまったに違いない。

 エラスティスは自身のルーツを知らなかった。狐魂に両親などというものがあるのかはわからないが、ともかく彼女には最初から人生の指針となる存在がなく、生存術や情操教育などを何一つ学ばないままスラムの片隅で生き延びてきた。

 生きるために奪い、奪うために殺す。

 それは彼女にとって生きるために必要なことであり、また、彼女の周りでは誰でもやっていることだった。

 平和や安寧とは無縁の環境で生きてきたエラスティスにとっては、それが「普通の生き方」だったのだ。

 

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 メキシコ、ヌエボ・レオン州モンテレー南部。

 一時期エル・ペルタスと呼ばれる武装強盗集団に所属していたエラスティスは、地元で活動する自警団を討伐するため、彼らの逃亡先であるラ・コロニア村へと向かっていた。

 すでに自警団のメンバーのほとんどは死亡しており、残るはリーダーのみとなっている。

 このあたりは警察などの法治組織がまったく機能しておらず、善良な市民は自ら武装して身を守るしかなかった。いつしか腕の立つ者たちが集まり、治安維持を専門に請け負う自警団として、これまで狼藉を阻む者なく好き放題に活動していたエル・ペルタスを苦しめるようになったのである。

 はじめこそ自警団が善戦していたが、エル・ペルタスが本格的に自警団討伐に乗り出すと、一気に状況は逆転した。

 そもそも警察が無力な理由は、強力な銃火器で武装したエル・ペルタスが僅かな税金をやりくりし細々と活動を続けていた警察を一気に叩き潰したからで、いくら腕が立つといっても、有志の寄せ集めでどうにかなる相手ではなかった。

 そして影ながら自警団の支援を続けていたラ・コロニア村へリーダーが逃げ込んだという情報を掴んだエラスティスたちは、いままで散々に手こずらせてくれた目の上の瘤に引導を渡すべく行動を起こしたのだった。

「ザコが、調子に乗りやがって…だが、それも今日までだ」

 神妙な面持ちで歩を進めるエラスティスの隣で、エル・ペルタスのボスであるウェイオールが鼻息荒くまくし立てる。

 海兵隊仕様のショットガンを担いだウェイオールのあとに、FALやUZIといった一昔、あるいは二昔前にゲリラや傭兵の間で流行った銃火器を持った部下たち十数名が続く。最新鋭の装備とは言えないが、警察や、ちょっとばかり勇気のある一般人を蜂の巣にするには充分な代物だ。

 そして古式のリボルバーを下げたエラスティスと、いつもウェイオールの隣にくっついている副官気取りのギシュラー。

「わかりませんよ、ボス。裏切り者のこともありますし」

 そう言って、ギシュラーはエラスティスを一瞥した。イヤな男だ。

 エル・ペルタスが自警団を相手に苦戦したのは、なにも油断だけが原因ではない。本来、組織の人間だけしか知り得ない情報をなぜか自警団が知っており、待ち伏せや襲撃といった予想外の攻撃を繰り返し受けたせいでもある。

 そのことに対し、ギシュラーは情報の漏洩を…裏切り者が組織の襲撃先や潜伏場所といった情報を自警団に横流ししているのではないか、と疑っていた。

 そしてギシュラーが裏切り者の第一候補として考えていたのが、他ならぬエラスティスだったのである。

 ときに一匹狼として活動し、またあるときには犯罪グループの間を出入りし、気の赴くまま奔放に生きてきたエラスティスは尻尾と耳を隠す術こそ幼少の頃より心得ていたが、それでもどこか人間とは打ち解けきれない部分があり、そのことが時として警戒心を煽ることがあった。

 なによりエラスティスはエル・ペルタスではまだ新入りで、そのくせ女のくせに気が強いところも一部のメンバーから不興を買う原因になっていたのは確かだ。ウェイオールの右腕を自称するギシュラーからは、「ボスに色香で取り入ろうとする女狐」と面と向かって言われたものである。

 もっとも、それに対し「あなたのポジションを奪って悪かったかしら?」と返したのが決定的にまずかったのだが。

 ギシュラーの懸念に耳を傾けながら、ウェイオールがもっともらしく頷く。

「まあ、その件に関してもじっくり考えずばなるまいよ。だが、まずはくそったれな正義感気取りの始末が先だ」

「左様で…」

 小賢しいギシュラーとは対照的に、ウェイオールは知略や陰謀といった思考とは無縁の男だった。

 金のために犯罪に手を染めることこそすれ、必要以上に第三者を傷つけることはない、そういった意味では一本気な性格と言ってもいいかもしれない。警察を襲撃したのは幼少時に警官に暴行を受けた復讐であり、その行為自体を正当化することはできないものの、理由のない暴力は極力避ける傾向にあった。

 ラ・コロニア村へと続くゲートを潜るとき、部下たちがいっせいに銃をかまえ周囲を警戒する。

 武装した村人による待ち伏せを警戒したからだが、エラスティスたちは一切の抵抗を受けることなくすんなりと村への侵入に成功した。

「誰もいないわね」

「夜逃げ、って感じでもねぇな。おおかた家に閉じこもってるんだろうが」

 村は閑散としており、外には人の姿がまったく見当たらなかった。

 しかし人の気配がないわけではなく、家の中から警戒心も露わにこちらの様子を窺う村人の姿がちらり、ちらりと見え隠れする。

 武器を持たず、ただ恐怖に怯え身を隠すことしかできない哀れな存在。

 ズドンッ、ウェイオールは空に向かってショットガンを一発ぶっ放すと、大声で叫んだ。

「いいか、てめぇらが善人気取りの正義漢坊やを匿ってるのはわかってんだ!いますぐこっちに引き渡しゃあ余計なけが人は出ねえ、さあ、どうする!?」

 その言葉に反応し、あちこちからざわめき声が聞こえてくるものの、誰も行動を起こそうとはしない。

 苛々した様子で銃火器を弄ぶ部下を制しながら、ウェイオールはため息をついた。

「仕方ねぇ、こうなりゃ建物を一軒一軒調べていくしかなさそうだな」

「少々お待ちを、ボス。俺に考えがあります」

 ガシャン、フォアグリップを引き次弾を装填するウェイオールに、ギシュラーがなにやら悪巧みを抱えて口を開いた。

 こいつはウェイオールと違い、悪どい手や卑怯な手段を用いることを躊躇わない。エラスティスはなにやら嫌な予感を覚えた。

 そして、その予感は的中した。

「自警団のリーダーを引きずり出す役目は、この女にやらせましょう」

「ほう?」

「…もしこの女がヤツの送り込んだ裏切り者なら、なんらかの反応を見せるはず」

 最後の一言は小声だったが、狐魂としての鋭い聴覚を持つエラスティスには筒抜けだった。

 早い話が、ギシュラーは汚れ仕事を一方的にエラスティスに押しつけようというのだ。謂れのない疑いを根拠に。下手に手心を加えたり、村人の安全に配慮しようものなら、そのときこそ裏切り者として処分するつもりに違いない。

 もちろん、単独でノコノコと出ていって返り討ちに遭う可能性も考えているのだろう。要するにギシュラーにとっては、邪魔者を消せればそれでいいのだ。

 エラスティスは一歩前へ出ると、あえてギシュラーを無視するような態度でウェイオールに尋ねた。

「要するに私が、どこかにコソコソ隠れてる英雄気取りを連れ出せばいいのね?」

「そうだ。この際手段は問わねえ、どんな手使ってでもクソ野郎を俺様の前に連れて来い。できるか?」

「ええ、もちろん」

 ふっ、エラスティスは口元に微笑を浮かべると、ギシュラーを睨みつけながら、念を押すように言った。

「どんな手を使ってでも、と言ったわね」

「ああ。村人に多少の犠牲が出ても構わん、とにかくやってみろ」

 ギシュラーの思惑を知ってか知らずか、ウェイオールはエラスティスを煽り立てるように手を振る。

 どんな手を使ってでも。

 その言葉を今一度深く胸に刻みつけながら、エラスティスは身体に括りつけたポーチに手を伸ばす。

 エル・ペルタスのメンバー一同が見守るなか、エラスティスはポーチから取り出した木柄つきの手榴弾のピンを抜くと、それを近くにあった民家の窓に無造作に放り投げた。

 ガシャン。

「!?」

 いったい、なにをやっているんだ?

 エラスティスの行動の真意をすぐに理解できなかったウェイオールが民家を凝視した瞬間、爆音とともに窓から火が噴き出した。

 ズドンッ!

「キャアアァァァァッ!」

 地面を揺るがすような衝撃と同時に、民家の中から悲鳴が上がる。

 一方、たったいま爆破した民家を見向きもせず、エラスティスは一個、また一個と手榴弾をまた別の民家へ投げ込んでいった。

 すぐに、村は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 村人が隠れている民家が次々に爆破され、いたるところから泣き声と悲鳴が聞こえてくる。

 始末の悪いことに、村にいたのは女子供、そして老人ばかりだった。どうやら村の男はほとんどが自警団に所属していたらしく、過去にエル・ペルタスによって始末されていたようだ。

 あるとき、爆破した民家から血だらけになった親子が飛び出してきた。どうやら爆発によって吹き飛んだ家具の破片を一身に浴びたのか、あちこちに木片やガラス片を突き刺しながらエラスティスに駆け寄っていく。

 泣き叫ぶ少年、この非道を止めるよう哀願する母親を一瞥すると、エラスティスはリボルバーを抜き、たいして関心のなさそうな態度で二人の頭を撃ち抜いた。

 パキュッ、パキュッ。

 いままで騒がしかったのが嘘のように静かになり、撃たれた親子が襤褸屑のようにその場に横たわる。

「こりゃあ…こいつは……」

 目の前の凄惨な光景に言葉を失いながら、ウェイオールはどうにかして言葉を捻り出そうとする。

 村人に対し、エラスティスは一切の警告を発しなかった。だがこれは、「匿っている男を差し出さなければ、際限なく死傷者が出る」という、村人に対する明確な意思表示だった。あるいは隠れている自警団の幹部に、「もしこれ以上隠れ続けるつもりなら、村人が死に続ける」と態度で表しているのか。

 たしかにウェイオールは「手段を選ぶな」と言った、しかしエラスティスがこれほどまで悪辣な手を、まったく躊躇せずに行使するとは思っていなかった。

 それはギシュラーも同じようで、予想外の展開にただ呆然としている。

 村が半壊したあたりで、エラスティスの前方に駆けてくる青年の姿があった。そして、それを止めようとする村人の姿も。

「頼む、あんたは村の希望なんだ!あんたまで死んでしまったら、私たちはもう何を信じて生きていけばいいのか…!」

「だからといって、これ以上黙って見ていられないよ。それにこれは、俺が出ていけば済む話だ」

 どうやら自警団のリーダーらしい男はまだ若く、いかにも血気盛んで正義感の強そうな面構えをしていた。

 この状況を生み出してしまった自分自身への怒り、そしてこのような残虐な手段を用いたエラスティスに対する憎悪に顔を歪めながら、自警団のリーダーはエラスティスに正面きって立ち向かってくる。

「俺はここだ、ここにいる!俺はどうなってもいい、だからこれ以上村人を…」

 パン、パシュッ!

 自警団のリーダーの言葉を遮るように、エラスティスは彼を止めようとした村人の額を撃ち抜き、続いて自警団のリーダーの膝を撃つ。

「がっ!?」

 いきなり撃たれるとは思わなかったのだろう、自警団のリーダーは驚きの声を上げるとともに、その場に膝をついた。

 銃を手にしたままエラスティスは自警団のリーダーに近づき、ゴッ、ブーツのつま先で彼の顎を鋭く蹴り飛ばす。

 どうと音を立てて倒れた自警団のリーダーの腹に向かってさらに二、三発蹴りを入れたうえで、その場から動けないようにした。

「捕まえたわよ」

 血を吐く自警団のリーダーの顔を踏みにじりながら、エラスティスは村の入り口に控えていたウェイオールに向かって言った。

 その後、続々と集まってきたエル・ペルタスのメンバーがかわるがわる自警団のリーダーに暴行を加えるなか、ウェイオールがすっかり滅入った様子でエラスティスに声をかける。

「たしかに俺様は、手段を選ぶなと言ったがな。こいつはやりすぎじゃねえのか」

「あら、そう?」

「どうするんだ、この村の有り様は」

 ウェイオールにとって、金にならない殺しや無意味な破壊活動は本位ではない。

 それに警察は無力化したとはいえ、あまり派手に暴れすぎると、警察以上に厄介な相手がしゃしゃり出てくる可能性もある。いくら強力な火器で武装しているとはいえ、軍隊を相手にするのは願い下げだった。

 そのことを見通したのか、エラスティスはにべもなく言った。

「ぜんぶ燃やしちゃえば?」

「…なに?」

「村ごと焼いちゃえば。もう用無しでしょ、それに目撃者を残しておくのもまずいし」

「本気で言ってんのか」

 そう言ってから、エラスティスの表情を窺い、ウェイオールは思わずゾッとする。

 エラスティスは首を傾げていた。なぜ村人に配慮する必要があるのか、というふうに。

 そして、ウェイオールは理解した。エラスティスにとって、無抵抗の人間を殺すのは悪事でもなんでもないのだ、ということを。彼女にとっては、「理由さえあれば、そうするのが当然」なのだ、ということを。これは彼女にとって、些細な日常の一部に過ぎないのだ、ということを。

「あの女は危険ですよ、ボス…!」

 しばらくして、エラスティスがあちこちに火を放つなか、ギシュラーは慌ててウェイオールに駆け寄り、そう耳打ちする。

 一方で村人ごと民家を焼き払いながら恍惚とした笑みを浮かべるエラスティスを見つめるウェイオールもまた、同様の懸念を示していた。

「ああ。あいつは危険過ぎる」

 

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 その日の夜。

 エル・ペルタスがアジトとして利用している廃ビルの上階、エラスティスが寝室代わりに利用している一室に忍び寄る影があった。

「おめぇのことは前から気に入らなかったぜ。ボスの命令とありゃ、堂々と殺せるってもんだぜ、ナァ…!」

 大振りのグルカナイフを手にした男…エル・ペルタスの下っ端構成員が、エラスティスが眠っているであろうベッドに向かって刃を振り下ろそうとする。

 だが、そのとき。

「それ、本当?」

「な」

 いつから侵入者の存在に気がついていたのか、下っ端構成員の背後に回っていたエラスティスが、たいして動揺もしていない態度で声をかけた。相手の喉下に、細身のナイフを突きつけて。

「あんたはボスの命令でレディの部屋に勝手に入って、それで私を殺そうと思ったわけ?」

「あー、なんだ。これは、その、ちょっとした悪ふざけってやつでさ」

 顔面に玉のような汗をびっしりと浮かべながら、下っ端構成員はなけなしの勇気を振り絞っておどけてみせる。

 だが、そういう下手な誤魔化しはエラスティスには通用しなかった。ナイフの切っ先が喉に突き刺さる。

「そういうおふざけは嫌いじゃないけどね。あなたが、私を殺そうとしたのでなければね」

「ちくしょう、くたばれ売女(ビッチ)」

 ブスッ。

 相手が悪態をついたのとほぼ同時に、エラスティスは下っ端構成員の喉を切り裂いていた。鮮血がほとばしり、あたり一面を真っ赤に染め上げる。

「がぼっ、がっ、ごほっ、ごぼぼぼぼ」

 即死することなく、気を失うこともなく、息をしようにも喉に空いた隙間から空気と血を噴き出しながら、下っ端構成員が苦しそうにその場でのたうち回る。

 とどめを刺してやるほど慈悲深くないエラスティスは、クローゼットから武器一式などが括りつけられたハーネスを取り出すと、それを身体に装着して部屋を出た。

「おい、殺ったか…あっ、オマエ!?」

 バン。

 どうやら部屋の外で見張りに立っていたらしい男と鉢合わせ、エラスティスは即座にリボルバーの抜き撃ちで相手を仕留める。

「…あまり、居心地は悪くなかったんだけどな」

 まさかこんな形で、こんなにも早く組織を出て行くことになるとは。

 薬莢を一発だけ抜き取り、男の死体を跨いでエラスティスは廊下を進んでいく。まだ熱い撃ち殻を捨て、ベルトに差してある飾り弾を輪胴に装填し、いまの銃声で組織のメンバーのほとんどが目を醒ましたはずだと考えながら。

 誰彼が慌ただしく動き回る音があちこちから聞こえ、身繕いもそこそこに銃を手にした男たちが飛び出してくる。

 先に男たちを目にしたのはエラスティスで、男たちもすぐに銃を持った彼女に気づいたが、互いにすぐに発砲はしなかった。

 エラスティスにとってはまだ、男たちが敵になるとは限らなかった。銃声がした、部屋を出たらエラスティスと出くわした。彼らの認識はそこで止まっているはずだからだ。

 何が起きた?いまの銃声はなんだ?そういう質問を期待していたのだが、男たちは口を開くことなく、真っ直ぐに銃口をエラスティスに向けてきた。引き金にかけた人差し指に力が込められ、白くなる。威嚇ではなさそうだった。

 バッ、バリンッ!

 銃を握る手を腰のあたりにつけたまま、エラスティスは銃口を天井の照明に向けて引き金をひいた。

 蛍光灯が砕け散り、周囲が暗闇に包まれる。それが、男たちが発砲をはじめる一寸直前のことだった。

 ドガッ、バン!ババババババッ!

 激しい閃光が壁を断続的に照らし、男たちの網膜を鮮烈に焼きつける。それでも銃撃を止めることはせず、男たちはでたらめに発砲を続けた。廊下はそれほど広くない。盲撃ちでも勝算は充分にあった。

 足元に手榴弾が転がるまでは。

 暗闇と銃声という、ノイズが多い環境で「それ」に気づくことは不可能だった。それは爆発後も同じだった。

 バゴンッ!

 TNT炸薬170グラムの爆圧と、破砕された金属片が男たちを吹っ飛ばした。大半は即死し、一命を取り留めた数人も、なぜ突然爆発が起きたのか理解できないでいた。

 ガチャ、カチャ。爆風で地面に散乱した窓ガラスの破片を踏みつけながら、脇の部屋に身を隠していたエラスティスが瓦礫のように折り重なった男たちに歩み寄る。

「村での使い残しよ。この様を見ると、使われる側には回りたくないわね」

 狐魂特有の鋭敏な聴覚と、ちりちりと燃える衣服を目安に、エラスティスは床に転がった銃火器を検分する。

 口の焦げた薬莢を蹴飛ばしながら、エラスティスは比較的状態の良さそうなイタリア製の短機関銃を拾い上げた。エル・ペルタスはそこいらのチンピラよりマシな兵隊かもしれないが、ディスカウント・ショップの壁に飾られているようなピカピカの新品、整備の行き届いた銃をいつも下げているわけではない。

 粗雑な不良品を掴まないよう注意しながら、手にした銃のアクションを素早く確認する。感触に問題はない、そんなことはなんの保障にもならないが…丁寧に分解整備できる状況でもないので、結局は勘に頼らざるを得ないのだが。

 装弾を確認しようとしたあたりで、エラスティスは辛うじて意識を保っていた男の呻き声を耳にした。

「これ、あなたの銃?」

「う、あ…あ……」

 すぐ傍に屈みこんで訊ねるエラスティスに、男は力なく首を縦に振る。

「あら、そう」

「あうあ…うぅ……」

 男が見るだに死にかけていることなどお構いなしに、エラスティスは男の服を探ると、32発装弾の専用弾倉を数本抜き出し、自身の身につけているポーチに仕舞いこんだ。次いで、銃に装着された空になりかけの弾倉を捨て、さきほど男の服から抜き取ったものに差し替える。

 ガフッ、ガホッ。血を吐きながら咳き込む男を見つめ、エラスティスはようやく何かを思ったらしい。

 男はどう見ても助かりそうになかったが、それでも情けくらいはかけることができる…そう考えたかどうかは知らないが、エラスティスはポーチからオールドフォレスターの一パイント瓶を取り出し、言った。

「これ、さっき隣の部屋で見つけたんだけど…欲しい?」

 コク、コクッ。

 すでに声を出す余力もなくした男が、最後の気力を振り絞って首を縦に振る。

「そう」

 エラスティスは死神のようなため息を漏らすと、まずは自分で一口つけてから、中身をそのまま男にぶちまけた。

 信じられない、というような目で見つめる男に、エラスティスは続けて質問をする。

「煙草は?」

「…… …… ……?」

「そう」

 先の所業のせいで男は素直に返事を返せなかったが、エラスティスも男の返答を待ってはいないようだった。

 ポケットからイタリアンアニスを取り出し、マッチで火をつける。ふーっ、スラム育ちに似つかわしくない優雅な仕草で一筋の紫煙を吐き出してから、エラスティスは半ばまで燃えつきたマッチを男の顔の上に落とした。

「あ、は、ハァッ!ヒ、ヒィィーーーッ!?」

 アルコールで濡れた身体が勢いよく燃えはじめ、さっきまでまともに声も出せなかった男が胸の張り裂けそうな悲鳴を上げる。

「アアアアアアア!アー、アーッ!」

 やがて死んだ男たちの死体が大きな炎の玉となり、そのうち悲鳴も聞こえなくなった。

 業火に背を向け、エラスティスはボスのウェイオールの部屋へと向かう。炎がアジト全体に広がるまで、それほど時間はかからないだろう。それまでに、すべての片をつける。

 バカは高いところを好むというが、ウェイオールはその法則に当て嵌まらなかった。以前酒と煙草と女と一緒に寝て、一時間後にその全部を燃やしたバカのせいで高層フロアを警戒するようになっていたのだ。つまりウェイオールに会いたければ、下に下りれば良い。グラウンド・フロアの旧管理事務室が彼のお気に入りだったはずだ。

 火事の可能性を考えれば、地上に近いフロアに居つくのはそう悪いアイデアではない。警官や、敵対組織の襲撃を受けたときに真っ先に対面することになるが、ウェイオールにとっては火事で逃げ遅れるよりドンパチ沙汰の一番槍を努めるほうが幾らかマシのようだった。

 エラスティスは階段を下りようとして、ふと隣のエレベータに目をやる。このビルを最初に見つけたときから、発動機の故障で動かなくなっていたはずだ。ためしに下降ボタンを押してみたが、まったく反応はなかった。

 開きっぱなしの扉から下を覗いてみるが、暗くてどこまで続いているかわからない。エラスティスはすっかり短くなった煙草を落とし、小さな火の玉が眼下で爆ぜるのを見つめた。なるほど…と彼女はひとりごちる。エレベータが止まっているのは一階だ。

 仕方なしに階段を使おうとして、エラスティスはふと考え直す。ふたたびエレベータの前に立ち、髪留めに使っていたリボンを手の平に巻くと、エレベータのワイヤーを掴んでそのまま下階へと降下していった。

 やがて五、六階分ほど降りたところでエレベータの天井に着地し、そのまま天蓋を外して個室に入る。なにほどもなく地上階に到着…わざわざ階段を使っているであろうウェイオールの手下たちには、せいぜい無駄足を踏んでもらうことにしよう。

 さっき一切の質問なしにいきなり撃ってきたということは、連中はすでに全員が状況を把握していると考えて間違いないはずだ。つまりここは敵地のど真ん中であり、好ましいシチュエーションではなかった。

 旧管理事務室へ向かう途中、ロビーで大勢の男たちと出くわした。ビリヤード台やピンボールマシンが置かれ、さながら遊戯場と化したエリアで、ビリヤード・スティックのかわりに自動小銃を抱えた無法者たちがたむろしている。

 上階で銃声が上がってからさほど時間が経っていないからだろう、男たちはまったく警戒していなかった。だからエラスティスの姿を目にしても、すぐに敵とは認識できなかったようだ。

 バリバリバリバリバリバリッ!

 エラスティスは警告一つ発さず、片手の短機関銃をフルオートで撃ち放した。

 横薙ぎの掃射で次々と男たちが血を噴き出して倒れ、続いて怒号とともに応射がエラスティスの周囲に降り注ぐ。

「クッソ畜生、いつの間に来やがった!?」

「上に上がった連中はなにしてやがんだ!」

「殺せ、ブッ殺せ!」

 コンクリートの柱に隠れたエラスティスに向かって、闇雲な発砲が続けられた。ろくに狙いもせず、たいした戦術も立てずに撃ちまくっているのだろう。それでも弾丸は人を殺せる。あるいは、狐魂を。

 まだ少しだけ弾が残っている弾倉を捨て、短機関銃に新しい弾倉を叩き込んでから、エラスティスは今後の成り行きを考えた。たいした戦術を立てていないのは彼女も同じだった。

 敵が一人なら弾切れを待てば良かった。だが相手はまだ七、八人ほど残っていて、全員が同じ空間にいて、こちらに注意を向けている。全員が同じタイミングで弾切れを起こすとは考えられなかった。

 だがそのとき、奇跡が起きた。

 ガチャリ、ガチャ、カチッ、カチッ。

 なんと、男たち全員が同時に弾切れを起こし、いっせいに弾倉を交換しはじめたのだ。全員がおなじタイミングで発砲をはじめ、全員が同時に弾倉を空にしたらしかった。まさに奇跡のような馬鹿の所業だった。

 エラスティスは柱から飛び出すと、弾倉の交換に手間取っている男たちにガンガン近づきながら、肩づけした短機関銃の指切りの連射で銃弾を浴びせていく。

 ババン、バババン、ババンッ!

「え、な、ちょっ、ああっ!」

 咄嗟に隠れるだとか、格闘戦に持ち込むというような機転をきかせることもできず、男たちはなにもできないまま一方的に撃ち殺されていく。

 やがて短機関銃の弾が切れると、エラスティスはそれを投げ捨ててリボルバーを抜いた。さながら自動機械のような作業的な殺し、単調な、淡々とした動きでエラスティスは残りの相手を始末していった。

 屠殺場と化したロビーを抜け、エラスティスは旧管理事務室の前で足を止める。

 ウェイオールは自分の身を守るために護衛を置くような田舎者臭い真似はしなかったが、それは彼が自分以外の人間を誰一人として信用していないからだ。ウェイオールは護衛のかわりにブービートラップを仕掛け、アポなしで接触を試みる不審人物あるいは無能な部下を何人か吹っ飛ばしている。

 エラスティスは腰にぶら下げていた手榴弾、手持ちの最後の二本を取り出すと、一本を部屋の手前、もう一本を部屋の窓から中へ投げ入れた。ウェイオールと彼が仕掛けたブービートラップごと部屋を吹っ飛ばす算段だ。

 ドッ、ドガッ!ドズズーン!!

 近くの空き部屋に身を隠した直後、建物全体を揺るがす衝撃とともに轟音が響き、粉塵が雪崩のように廊下に流れこんできた。手榴弾の爆発威力だけでは、こうまでならないはずだが。

「げほっ、けふ…あのお馬鹿、ちょっと仕掛けが多すぎるでしょうよ。髪がバサバサになっちゃう」

 さすがにこれだけの爆発を直近で喰らえば人間でなくとも生きてないはずだが、エラスティスは念のため銃を手に旧管理事務室へと押し入った。

 部屋の中はさながらグラウンド・ゼロだった。

 崩れた天井が瓦礫となって積み重なり、粉々になったコンクリートや漆喰があちこちに散乱している。机や棚といった家具が紙細工のように引き裂かれ、その場にあったなにもかもが原型を留めていなかった。

 プラプラと揺れる窓枠を手で避け、エラスティスは黒光りする耐火金庫に目を留める。

 あれだけの爆発の中にあって、人が入れそうなほど巨大な金庫は形を保ったままだった。

 …人が入れそうなほど?

 もし、とエラスティスは考えた。もしウェイオールが爆発の直前に金庫の中に避難していたら、まだその中で生きているかもしれない。といって、7フィート220ポンドの巨漢が金庫に潜むなどというのは現実的に有り得ない話であり、カートゥーンさながらの可笑しい発想に至ったことにエラスティスは苦笑を漏らす。

 それでも念のため…ひょっとしたら貴重品が仕舞われているかもしれない…中を確認しようと金庫に近づいたとき、扉が勢いよく開いてウェイオールが飛びかかってきた。

「はぁっ!?」

 パン、パン、パンッ!

 エラスティスは意想外の出来事に面食らいながら、咄嗟にサミングでの連射を敢行する。すべて命中したはずだが、ウェイオールは動きを止めることなく右手に握ったボウイナイフを彼女の肩に突き立てた。

「あっ!?うぐ……うぅっ…!」

「カァハーハハハァッ!」

 グ、ググッ、グジュッ!

 狂気的な笑みを浮かべながら、ウェイオールは力任せにナイフの刃をぐりぐりと捻じ込んでいく。缶切りや釘抜きを扱うように、その容赦のない手捌きにエラスティスは苦悶の表情を浮かべる。

 朱色のシャツにみるみるドス黒い血が染み出していくさなか、エラスティスはふたたびリボルバーの激鉄を親指で起こし、引き金をひいた。

 カチン。

 乾いた金属音が虚しく響き渡る。

「くう……」

 ゴリ、密着状態にあるウェイオールの腹に銃口を押し当て、ふたたび発砲を試みる。カキン、カチ、カチン。

「弾切れか、えぇ?カワイコちゃん、銃が撃てなきゃただの小娘だな」

 片手でナイフの刃を押し込みながら、ウェイオールはもう片方の手でエラスティスの首を締め上げる。指に込められた力に加減や容赦はなく、いまにも動脈を引きちぎらんばかりの勢いで細い首に手が食い込んでいく。

「一度オマエにこういうことをしてみたいと思ってたぜ、ファックしてたときにな…あぁ、してたときに…両方同時にできれば言うことはなかったんだがな、今は無理だろうな?」

「あひっ、く…んんっ。あんたね…ちょっとアッチが上手だからって、調子に乗らないでよね」

「調子に乗ったらどうなる、エエッ、どうなるってんだよ!」

「こうよ」

 顔を近づけて威嚇してくるウェイオールの目を見つめながら…自分の目を見せるために。手元を見せないために…エラスティスは死力を振り絞ってリボルバーの撃鉄を起こすと、撃針を下げて引き金をひいた。

 バズッ!

 輪胴の中心に装填されたホーナディ社製のクリティカル・ディフェンス、十二番径のバックショット弾がウェイオールの股間をぐしゃぐしゃに引き裂き、下半身に詰まった消化器系をことごとく粉砕し、地面に赤黒いグロテスクな塊をぶちまける。

「……ッ!!コッ、か、かはぁーーーっ!?」

「あらら。男じゃなくても痛そうね、これは」

 声にならない叫び声を上げるウェイオールを蹴飛ばすと、巨体がそのまま木偶人形のように仰向けに倒れた。ミンチになった自身の臓物にまみれながら、力と恐怖で周辺地域を支配していたギャングのボスは、死んだ。

 一方でウェイオールの拘束から逃れたエラスティスも、荒い息をつきながら壁にもたれかかる。左肩に深々と突き刺さった大振りのナイフを見つめ、こらえきれずに嗚咽を漏らした。

「…痛いよ……」

 思わず涙が溢れた。熱い涙が頬をつたう、しかし今は泣いている場合なんかじゃない。

 強く締められた首にも痣が残っていたが、そのことを気にするより、いまは早くここから脱出することを考えなければならない。上階に放った火がいつ下階を包むともわからないし、この状況で追撃を受けたら、さっきまでのように上手く立ち回れる自信がなかった。

 改造型リボルバーの排莢動作を行ないながら、エラスティスはこの銃が片手での装填にえらく不向きなことに気がつき、舌打ちをする。左腕はほとんど持ち上がらず、使い物にならなかった。

 ようやく最初の一発を装填したとき、エラスティスの頭上に小さな破裂が生じた。

 パシッ!

 コンクリートの破片がエラスティスの頭頂に降りそそぐ。銃弾によって削られたのだ。ありふれた小口径高速弾に。

「思っていたよりタフだね…本当に忌々しい女狐だ」

「ああ、あなたのことをすっかり忘れてたわ。尻尾を巻いて逃げたものだとばかり思っていたけれど、あなたがもし本当に『そう』なら、好機を逃すはずはないものね」

 エラスティスの視線の先には、銃口から硝煙の立ち昇る中型のオートマチックを手にしたギシュラーが佇んでいた。

 狙いをすこし下にずらし、ふたたび引き金にこめる力を強めながら、ギシュラーが口を開く。

「そう、とは?」

「とぼけないでよ。いままで、なんであなたが裏切り者の存在に固執するのかわからなかった。そんな、いるかいないかもわからない存在のことを。でも、あなたがその裏切り者で、自分に嫌疑が向かないようにしていたのだとすれば、すべて説明がつくわ」

「本当に、君って女は…まぁ安心してくれ、君を嫌っているのは演技ではなく本心からだ。心置きなく両方のボスの仇が取れる」

「両方のボス、ね。自警団はどんなエサであなたを釣ったのか気になってたけど、ううん、あなた、最初から向こう側の人間だったのね」

「村でのことは完全に失敗だった。あんなことになるとは」

「それで、今度は共倒れを狙ったわけ?悪趣味なやつ」

 ギシュラーはエラスティスの額にぴったりと狙いをつけていた。戦意の喪失を伝えるためにエラスティスは輪胴が開いたままのリボルバーを床に放り投げたが、ギシュラーは眉一つ動かさなかった。相手が非武装で無抵抗でも、頭をぶち抜く予定を変える気はなさそうだ。

 あの村の光景を見たあとでは。

 おそらく、エラスティスを始末するようウェイオールをけしかけたのはギシュラーだろう。村でやったように、適当な理屈をつけて。ギシュラーが本物の裏切り者と知ったら、ウェイオールはどんな顔をしただろうか。

 この状況を打開するには、わずかな隙を作る必要があった。ほんのわずかな隙が。

 銃の狙いを定めながら、ギシュラーはエラスティスをじっと見つめていた。わずかな異変も逃すまいと。だから、エラスティスは彼に異変を見せつけてやった。

 術で隠していた耳と尻尾を生やしたのだ。

「!?」

 唐突なエラスティスの外観の変化に驚いたギシュラーは、一瞬だけ銃口を下げた。それが命取りになった。

 ドスッ。

 銃を持つ手で隠れていたエラスティスの全貌を見た瞬間、ギシュラーの心臓に深々とナイフが突き刺さっていた。ウェイオールが常に腰にぶら下げていたボウイナイフ。

 エラスティスが渾身の力で自身の肩から引き抜いたナイフを投げたのだ。

「あっちで両方のボスによろしくね。あなたが恨まれてないといいけど」

「こんな…!?」

 こんなことがあっていいはずがない。

 この女が生き延びて、自分が死ぬなどということが、あってはならない。せめて、一矢…無念の想いを秘めたまま、ギシュラーはその場に倒れた。その直後、衝撃で偶然引き金がひかれた銃が一発だけ弾丸を発射する。

 ドン。

 NATO規格のフルロード弾は明後日の方向に飛んでいった。これでエラスティスの急所に命中していれば悲しい復讐物語が完結していたのだろうが、少しばかり運が足りなかったようだ。

 エラスティスはふらつく足取りでリボルバーを拾うと、続けてギシュラーが握っていたオートマチックをもぎ取り、その場を後にした。もうリボルバーに再装填する気力は残っていなかった。

 肩からはおびただしい量の血が溢れていたが、狐魂は人間よりも頑丈にできているため、この程度の怪我で死ぬことはない。しかし、だからといって無事で済む保障もないが。

 なんとか脱出しないと…

 朦朧とした意識のまま窓を叩き割り、そこから外へ脱出する。窓枠に残った硝子の破片が身体のあちこちを裂いたが、この際、そんなことは気にもならなかった。

 そして、しばらく宛てなしに足を動かしたあと…エラスティスは気を失い、その場に倒れた。

 

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「この娘さん、第三次世界大戦にでも巻き込まれたようなナリだな」

「まあね。ランボーさながらだよ、あの活躍ぶりは」

「どっちかっていうとダイハードだろう」

 目が醒めたエラスティスを迎えたのは、闇医者と二人のFBI捜査官だった。

「正規の病院じゃなくてすまないが、このほうが色々と都合が良くてね」

「遺伝子構造が人間とまったく違うなどと知れたら、すぐさま確保・収容・保護されかねないからな」

 背が高い男と、背が低い男が交互にそんなことを言ってくる。驚いたことに、二人の顔は狐そのものだった。

 自らの役目を終えたのか、闇医者がそそくさと部屋を出て行ったあとで、背が高いほうの男が改めて口を開く。

「すまないが、君のことをずっと監視していた。エル・ペルタスを潰すための糸口になればと思ったんだけど、まさか、こんな結末になるとはね」

 おそらく手術の際に多量の麻酔を投与されたのだろう、もう一度母親の穴から出てきたみたいに前後不覚の状態で、エラスティスはゆっくりと首を巡らせた。

 まるで西部開拓期から存在しているような、古ぼけた木造の建物。ランタンの灯りにはやけにでかい蝿が何匹もたかり、風や音があちこちから漏れてくる。プライバシーとか、清潔感とはおよそ無縁の空間だ。

 そんな場所で身体中に点滴のチューブを巻きながら、エラスティスは擦り切れたシーツの上で寝かしつけられていた。

 ためしに左腕を上げたところで、鈍い痛みが全身に走る。

「おいおい、傷口が開いてしまうよ?動かないほうがいい…今は、まだ」

 背が高いほうの男がエラスティスの拳を手の平で柔らかく包み、ゆっくりと下におろす。

 麻酔が効いているからその程度の痛みで済んでいるのだ、と小言交じりにつぶやく男を無視し、エラスティスは神経を集中して耳を澄ませた。耳の奥で血管がドクン、ドクンと脈動する音に混じって、グラス同士がぶつかる音、喧騒、そして男女の喘ぎ声などが無秩序に飛び込んでくる。

「ここは…?」

「一階が酒場、ここ二階が娼館になっている。幅広いプレイがウリらしくてね、たとえ医者が手術していても誰も気に留めない。もちろんオーナーに袖の下は払ってあるが」

 エラスティスのつぶやきに、背が低いほうの男がやや神経質な口調で答えた。

「窃盗、強盗、売春、殺人、放火、器物破損、銃器の不法所持…エトセトラ。まるで罪状項目が載ったリストに上からチェックを入れまくったような有り様だ、よくもまぁここまでやったものだよ」

「私を…どうするつもり……?」

 弱々しく訪ねるエラスティスに、背が低いほうの男が口を開きかけたところで、背が高いほうの男がそれを制止した。今はまだ早い…彼はそう言っていた。精神的に不安定な状態で感情を揺さぶるようなことを言えば、ショック症状を引き起こしかねない、と。

 だが結局は背が低いほうの男が勝ち、エラスティスに冷ややかに告げた。

「法を執行する側の人間としては、君を被告席に送らなければならない。裁判所に。君の犯罪履歴に関しては、詳細なデータが我々の手元にあるんだよ…といっても、それは別に、君を捕まえるために集めたものではないがね」

「それなら、いったい…」

 不可解な状況に対し怯えるふりを見せながら、エラスティスの頭はすでに回転をはじめていた。

 こいつらが私を助けたのは偶然なんかじゃない。監視していた、と言ったか?なんのために?それに、私を捕まえるつもりはないと?慈善事業でないとすれば、それは…

 そこまで考えたところで、背が低いほうの男が、エラスティスが予想していた通りの言葉を口にした。

「我々に協力してほしい」

 

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 二人のFBI捜査官は、自分たちの捜査に非公式に協力できる人材を探していた。汚れ仕事をするために、公的書類に載せなくてもいい類の人手を。もし事態が悪化したら、すべてを押しつけて始末できるような子羊役を。

 彼らは「逮捕を前提としない組織壊滅」を目的に組織された麻薬取締特別捜査班のメンバーだった。背の低い男…トランキライトがチームと本部のパイプ役を努め、背の高い男…JJギブソンが麻薬組織壊滅の実行を果たす。

 たった二人のメンバー、いや実質単独で麻薬組織を相手に戦うチームの存続は非常に危ういバランスの上に成り立っており、捜査員が人間ではないこと、過激な活動内容などに対して局内からも反発があり、そのことがチームに失敗は許されない状況を作っていた。

 数少ない予算で危険な仕事を押しつけられ、あまつさえ味方の少ない状況で、彼らは敵の中から有望な人材を探し出し、味方として使えないかどうかを探っていた…そして白羽の矢を立てられたのが、犯罪グループに所属していながら常に孤立し、さらに単独で組織一つを壊滅させたエラスティスだったのである。

 もちろん、エラスティスが狐魂であることも大きな理由だった。

「もし君が協力的であれば、活動中は猶予期間として逮捕から免れられる。大きな成果を上げれば、いままでの罪を帳消しにしてもいい。君は正式に起訴されたわけではないからね」

 トランキライトは冷笑交じりにそう言った。彼にとって、エラスティスの身の振りなどはどうでもいいのだろう。

 彼の仕事は情報収集と事務処理らしく、エラスティスの怪我が完治してからはほとんど会うこともなくなっていた。そのかわり、ほぼ四六時中JJの監視のもとで行動することになったのだが。

 JJは変わった男だった。普段は飄々とした態度を崩さず、ぼんやりとした表情の温和な紳士といったところだが、ひとたび銃を手に鉄火場に飛び込むと、その目から優しさが消え冷酷な殺人マシンと化す。いままで彼の手によって壊滅させられた麻薬組織の生き残りから、「El Diablo(悪魔)」の異名で恐れられているのも頷ける話だ。

 エラスティスは使い捨て可能な手駒としての現状に満足したわけではなかったが、それでも他に良い状況が思い浮かばなかったため、仕方なく手を貸すことにしていた。

 たいていはエラスティスが麻薬組織の末端として潜入し、内情を探ったあとでJJとともに中と外の両面から攻撃を仕掛ける…というのがセオリーだった。裏社会の知識に精通し、ときに悪辣な犯罪行為に手を貸すことも厭わないエラスティスをFBIの手駒として警戒する者はおらず、そうやって組織の信頼を得たあとに重要書類の盗難や妨害工作を繰り返し、最後に爆薬と、爆弾のような男の力を借りて組織を跡形もなく吹き飛ばすのだ。

 幾つかの組織を壊滅させる過程で幾度となく危険な目に遭ってきたが、これまでの人生でこれといった目標や指針を持ったことがなかったエラスティスは、このエキサイティングな役割を気に入るようになっていた。

 そして、JJの存在。

 エラスティスは、JJに対して一度も抵抗しなかったわけではない。しかし彼を始末しようと画策するたび、JJはその計略を難なく退けてしまうのだ。

 一度などは不意打ちで急所に銃弾を撃ち込もうとしたが、即座に取り押さえられてしまった。「一応、こういう事態の想定はしてるんだよ。悪いけど無駄だと思うな」そう言うと、JJはエラスティスをあっさり開放したのだった。

 またあるときは、わざと厳重な警備体制が敷かれている施設にJJを誘い込んだこともあったが、彼は拳銃一挺で重武装した兵隊たちをあっという間に皆殺しにしたあと、呆気に取られるエラスティスに「次はもうちょっとお手柔らかに頼むよ」と微笑みかけたのである。

 驚くべき…というか、あまりに馬鹿馬鹿しい成り行きに、エラスティスはやがて反抗心を失ってしまった。なにより、JJはトランキライトと違い、ある程度は本気で彼女の安全や今後の生活について気にかけていたことも、彼女を従順にさせる役に立っていた。

 

 

 

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